大姫の願い
義高兄様……いえ、義高様の『北の方』になると決心したものの、義高様との祝言は、『源行家追討』を終えて、落ち着いてからになるでしょう。
私は、尼母様と伊豆山権現で、義高様や義重兄様が出陣していったその日から、毎朝水垢離をして、木曾の家族の無事を権現様に祈っています。
でも、これだけでは足りない……そんな気がしてなりません。
私は、思い立って皐月を呼びます。
「姫様、ご用でしょうか?」
皐月が控えながら私に尋ねます。
「皐月、短刀と紙と筆を……墨に私の血を混ぜて、権現様への願文を作って、私の髪を切り、奉納したいのです」
私は、立ちあがり皐月に目的を話します。
「そ……それは……」
皐月は、驚いて口ごもります。
「それくらいしなければ……この争乱は、私が引き起こしたようなものです。私だけ、安穏とはしていられません」
私は、自分の決意をはっきり告げます。
「しかし……」
皐月は戸惑いおろおろとしています。
「早く用意して!」
私は、強い口調で命じます。
「……大姫、そう皐月を苛めたらいけません」
尼母様がゆっくりと部屋にやってきます。
私は、正座をし尼母様に礼をします。
「皐月……大姫には私が言って聞かせます。しばらく席を外して下さい」
尼母様が皐月に優しく告げ、皐月は部屋を後にします。
「大姫……勘違いをしてはなりません」
尼母様が私と向かい合って座るとゆっくりと話し始めます。
「勘違い?」
私は、少しむっとした表情を浮かべて尼母様に尋ねます。
「髪を切るということは、尼になる事と同義です。姫はこれから義高殿の『北の方』になり子を産み育てるのですよ?それに、そのような身になる姫が自らの身体を傷つけてはなりません」
尼母様が私の目をじっと見ます。
「ですが……」
私はさらに尼母様に詰め寄ります。
「姫……一時の感情に流されていては、『源氏の棟梁の北の方』は務まりません。それともこのまま髪を下ろして『尼』になりますか?自らの身体を傷つけますか?そうではないでしょう?姫は日々健やかに暮らし権現様に祈るのが務めです」
「それでも……この争乱は私が!」
私は涙ぐみかながら言います。
「では、姫は巴母様のように義高殿と馬を並べ戦場を駆ける事ができますか?出来はしないでしょう?私達にできるのは『祈る』事だけなのです。姫、確かに今回の争乱のきっかけは姫かもしれません。ですが、姫がきっかけを作らずとも遅かれ早かれこの争乱は起こったでしょう。ですから気に病む必要はありません」
尼母様が私に諭すように手を握りながら言います。
「まさか……」
「いいえ……巴殿は、姫に私の存在を行家殿が話した時点でいつかこうなる事を予想していたでしょう。でなければ、わざわざ話した理由がありません。『同族相争う』は、源氏の宿命……。源氏の名を世に知らしめた『八幡太郎義家』様は、弟と争い息子の暴挙を嘆き、姫の祖父、義朝殿は父の為義殿や弟を、義仲殿は父の義賢殿を亡くされました……。それを知っている義仲殿だからこそ『宿命』を自分の代で終わらせ、新しい『源氏』を作り、義高殿に『棟梁』として自立させようとしているのです。義高殿を支え、源氏を繁栄させる役目は義重殿ではなく、姫なのです。姫の役目は重責ですよ?義高殿の子をたくさん成さねばならないのですから……男子だけでも最低三人は必要になりますね」
真面目な表情で私に話していた尼母様は、最後にくすっと笑います。
「尼母様……気が早いです。子は授かり物ですしまだ……」
私は、赤くなり俯きます。
「ふふ……年をとると気が急いてしまうようですね。姫ができること……分かりましたか?」
尼母様がにっこり微笑みます。
「はい!ですが、せめて願文だけは……」
私は、尼母様に頼みます。
「私も共に願文を書きましょう。それが姫を育て愛してくれている木曽の方々へのせめてもの恩返しですから」
尼母様は頷いて皐月を呼びます。
私は、願文を認めます。
義仲父様、巴母様、義高様、義重兄様……私に関わる方々がこの争乱に勝ち、無事に帰ってこられるのを権現様に懸命に祈りながら……。
「巴様より姫様に文が届いております」
願文を奉納した数日後、皐月が部屋にやってきます。
私は、皐月から文を受け取り丁寧に読んでいきます。
「巴殿はなんと?」
尼母様が、私に尋ねます。
「巴母様に義高様、義重兄様は、板東の鎮めをした後、伊豆山権現に留まると……それから……」
私は、少し動揺した表情を浮かべます。
「どうしました?」
尼母様が私の様子を窺います。
「それが……義重兄様が祝言をあげると」
私は、少し寂しそうに答えます。
「良いことではないですか。なぜ浮かない顔をしているのです?」
尼母様が怪訝な表情をします。
「……今まで義重兄様と呼んでいたのに、私が『義姉上』と呼ばれると思うと」
私は、戸惑いの表情を浮かべます。
「それは小さな悩みですよ。それで、義重殿のお相手については?」
尼母様が、興味深げに聞いてきます。
「何も……」
私は尼母様に答えます。
「巴様には何か考えのあっての事でしょう。とにかく、木曽の方々がおいでになるまで姫は、健やかに……」
尼母様は、私に優しく言います。
私は、こくりと頷いて巴母様や義高様達の一日も早い来訪を心の中で祈るのでした。




