追跡
脅威と共に消えた同行者を追い、リシアは水没した通路を進む。脚を進めるたびに冷えた水が腿まで這い上がり、かすり傷に沁みる。進めど進めど、アキラと遺物は見つからない。いつの間にか周囲の物音は微かな水音と、リシアの吐息だけになっていた。
暗く狭い通路を頼りない灯火で照らし、濁った水面や壁に目を凝らす。少し先に見覚えのある麻袋が浮かんでいるのを見つけて、水を跳ね上げ走り寄る。
拾い上げて、中身をひっくり返す。ぼちゃぼちゃと根っこまで掘り出した植物が水路に落ちた。その中に見覚えのあるヌマカンムリやオカホガマがあるのを見て、リシアは芯が冷えるのを感じた。
アキラの物で間違いない。
麻袋を取り落とし、灯具を掲げる。通路は闇へと続いている。この先にアキラがいるはずだ。そして、先史遺物も。
「……アキラ!」
同行者の名を呼ぶ。上ずった声は反響し、か細く消えていった。
返答は無い。
迷宮の遥か奥底まで行ってしまったのか。
あるいは。
最悪の想像が浮かび、振り払う。大丈夫だ。手負いの蟲を仕留め、隙を見て先史遺物の目を抉り取る様な少女だ。リシアよりも遥かに危機に対して敏感で、恐怖に震えるのではなく、状況を打開するために迅速に身体を動かすことが出来る。
暴走の間際に砲台から離れるのではなく、しがみついたのは、全くの予想外だったが。
隙を見て……。
そういえば、何故あの先史遺物はリシアを撃ち抜かなかったのだろうか。
頭から水を吹きかけられたのを思い出し、疑問に思う。遺物にとって、リシアは排除すべき侵入者だったはずだ。それを草木に水をやるように水を注ぐ程度で済ませたのには何か意味があるのだろうか。鋼の守護者は気まぐれで行動するようには見えない。
いや、違う。
あれは恐らく、リシアに対して取った行動ではないのだ。
家宝の護拳にそっと触れる。
大技を使ったウィンドミルは高温になっていた。その熱を消すために……消火活動のために、一点を狙撃するのではなく広範囲に水を撒いたのではないか。先史遺物にとって、突如現れた火気を鎮める事の方が、侵入者の排除より優先されるのだろう。
その「習性」のお陰で、命拾いをした。
リシアは安堵のため息をつき、
「くしゅっ」
小さくくしゃみをした。ずぶ濡れになったせいですっかり身体が冷えてしまったようだ。
ぼちゃっ、と重たい水音が響く。
即座にリシアは灯具を掲げ、仄暗い通路の先を見据える。
薄明かりに照らされ、八本の触手を振り乱した刺胞動物の姿が浮かび上がる。
先ほど遭遇した個体よりも一回り大きなヒドラは、鎌首をもたげて水路を匍匐する。その姿からは想像もつかない滑らかな動きで、ヒドラはリシアとの距離を詰めていく。
怖気付き、リシアは後退する。目の前のヒドラは触手を伸ばし、おぞましい口を露わにして今にもリシアに襲いかからんとしている。
背後で何かが落下した。
振り向きざまにウィンドミルを抜き、身構える。中段に構えた白銀の刀身に、触手が絡みついた。
ヒドラに挟まれ、リシアは恐慌状態に陥った。ヒドラはその刺胞毒もさる事ながら、大型の個体は触手それ自体も脅威に値する。見た目からは想像も出来ない力で引き倒され、麻痺毒で動きを封じられて溺死。あるいは触手に絡みつかれ絞死。いずれも実例がある。
「うっ……」
予想を超える力で剣を取り上げようとするヒドラから、リシアは必死でウィンドミルを引き止める。右手だけでは御せない。左手を柄に添えようとして、戦慄いた指から灯具の把手が滑り落ちた。
萎むような音を立てて、灯具は水に沈む。
完全な闇が訪れ……即座にウィンドミルの炉が、その仄かな輝きを強めた。
僅かな光明をもとに、リシアは周囲を探る。
視界の隅でもう一匹のヒドラが伸縮し、飛びかかる体勢をとった。
このまま絡め取られたら……。
爪が手のひらに血を滲ませるほど、リシアはウィンドミルの柄を握りしめた。炉が瞬き、周囲に熱気が立ち昇る。
声をあげ、力任せにウィンドミルを横に薙いだ。
爆風じみた一陣の旋風が、周囲に牙を剥く。焔を巻き込んだ風は二体のヒドラを吹き飛ばし、灼き尽くし、灰燼に変える。
熱気と静けさだけが残り、リシアは息をついた。
剣を水中に突き立て体重をかける。じゅう、と水が蒸発して泡を吹いた。
……へたり込むにはまだ早い。
我にかえり、剣を突き刺したまま水底に手を伸ばして灯具を探す。金具に指を掛けて引き揚げ、震える指で腰帯の小物入れを探って替えの灯芯を取り出す。
ウィンドミルの切っ先で火を灯すと、暖かな光が周囲に満ちた。
剣の熱気を払いながら水路を進む。
息を切らして走ると、進行方向が二手に分かれた。どちらも先は暗闇に続いている。リシアは立ち止まり、灯具で周囲を隈なく照らす。
灯りに照らされ、右へ続く通路の壁に抉れた跡が浮かび上がった。
その一部に付着した赤い何かが、光を反射して照り輝く。
息を呑み、迷いなく右へと進む。
「アキラ!」
同行者の耳に届くように大きく彼女の名を叫び、灯具と炉を頼りに迷宮を駆ける。
暗闇の奥底で、蒼い光がちらついた。




