浮蓮亭(3)
ドレイクの二人組を見送り、浮蓮亭店主は後片付けを始めた。ドレイクの冒険者を逃したのは惜しいが、可愛らしい少女二人が今後の来店を約束してくれた。開店二日目にしては上々だろう。簾を巻き上げ茶碗を下げる。片付けが終わったら店を早めに閉めて、なるべく高く買い取ってくれる業者でも探してやろう。幸いにして、その手の馴染みは多い。
「…えー、ホントにここ?全然流行ってなさそうじゃん?」
「お前が長居しても良さそうな店を探してやったんだぞ」
扉の前に人の気配を感じ、店主は素早く簾を下げる。三人、それも全員違う種族。同じ種族でつるむ事が多い冒険者にしては珍しい。息を潜め三人組の動向を伺う。
「失礼」
小さく扉鈴が鳴る。最初に入って来たのはセリアンスロープの女だった。赤銅の毛並みを鮮やかに染めた巻衣と装飾品で飾り立てた、大陸の山岳民に似た格好のセリアンスロープはカウンターの前に立ち、簾の奥を注視するように赤銅色の目を細めた。
「店主はいるかい?」
「いらっしゃい」
セリアンスロープの目が丸くなる。変わった店だな、と呟いたのを店主は聞き逃さなかった。
「暗くない?ぼく見えなーい」
ひょっこりと扉から顔を覗かせたのは若いハルピュイアだ。光の角度によって蒼や翠に輝く頭髪を二つに結わえて背後に流し、身体の線が浮き出る黒い衣服を纏っている。全体的に黒い衣装の中で、右手を包んだ三角巾と包帯の白が良く目立つ。
「悪いな、明るいのは苦手で」
「ふうん。陰気ぃ」
店内をくまなく見渡しながらハルピュイアは入店する。何処か子供っぽい言動だが、一切足音を立てていない事に気付いて店主は感心した。
その後に続いて入って来た冒険者を見て、店主は顔を顰める。エラキスではフェアリー…妖精などと呼ばれている種族の男だ。黒金の甲殻に金の襟毛、透かし細工のような翅。フェアリーの中でも武勇名高いエルヴンと呼ばれる亜種の男は、静かに扉を閉めた。
「なんかさ、ちょっと脛に傷持った奴が隠れ蓑にしてる酒場って感じ」
にやにやと笑いながら、ハルピュイアは左手の人差し指を簾に引っ掛け、隙間を広げた。
「露骨過ぎない。この目隠し」
「おいハロ、」
隙間を覗き込んでいたハルピュイアの表情が消え、左手を引き僅かに上体を後ろに反らせた。
血抜きの溝が走った刃が、ハルピュイアが指を掛けていた隙間を横に滑り抜ける。
「やめてくれ。あまり顔を見られるのは好かない」
抑揚のない掠れ声で店主は告げる。
「あがり症なんだ」
「…っ、とんでもない店だね」
「すまない店主。大目に見てくれ」
セリアンスロープが間に入る。ハルピュイアは何事か不満げに呟いて、卓に軽やかに腰掛けた。
「まったく。ハロはちょっと黙ってなさい」
「何しに来たんだ。飯を食べに来たって感じじゃあないようだが」
「ああ…いや大したことじゃない。ここを組合の拠点にしたいんだ」
セリアンスロープはカウンターの椅子に腰掛け、両肘をついて手を組む。組合の拠点にしたい。先程やって来たドレイクの男もそんな事を言っていた。エラキスにおいて、彼らのような冒険者組合は酒場等飲食店を拠点として活動しているらしい。飲食店もまた、そうやって冒険者を受け入れる施設としての働きを求められている。
「昨日開店したばかりのようだが、何処か懇意にしてる組合はあるかい」
「学苑とやらの生徒が二人だけだ」
げ、とハルピュイアが声を漏らした。
「ぼくあいつら嫌いなんだけど」
「学苑指定の酒場なのか?…それなら信頼できそうだ」
すらりと通った自身の鼻筋を、セリアンスロープは銀細工の飾りを被せた人差し指で指し示す。
「新進気鋭の冒険者組合を店に置けば、学苑だけじゃなく国からも手当が貰える。悪い話じゃないはずだ」
「…手当ねえ」
「店に用心棒も付く」
「ちょっと」
卓の調味料を弄っていたハルピュイアの肩をたたくセリアンスロープ。ハルピュイアは寝耳に水のようだ。
「開店したばかりの店には変な客が居着きやすいからな」
「手負いのように見えるが」
「チンピラに引けは取らんさ…こいつを置いといてくれないか。他に行き場がない」
脛に傷を持っているのはどっちの方なんだか。店主は憮然とした顔のハルピュイアとにんまり笑うセリアンスロープを交互に見つめる。
「別に構わないが」
「有難い。それなら、これに店の名前を書いてくれ」
「…また署名か」
簾の間から滑り込んだ書類に再び署名をする。書類を送り戻すとセリアンスロープはありがとう、と感謝の意を述べた。
「これで活動を再開できる」
「なんかあったのか」
「前の酒場が潰れてしまってな」
「ああ…」
「ともあれ、よろしく頼む」
微かに浮いた簾の下から腕輪を重ね付けした右手が差し出された。その掌にはみっしりと「まやかし」の紋様が描かれている。
「組合代表のケインだ」
「よろしく」
その手を軽く握る。簾の向こうでセリアンスロープは少し意外そうな顔をした。
「ほら、ハロも」
「えー」
ハルピュイアの華奢な手も差し出される。同じく軽く握る。
「ハロだよ」
「で、こっちはライサンダーだ」
「よろしくお願いします」
最後にフェアリーの腕が差し出される。籠手を付けたような厳しい手を、店主は先の二人に比べると手荒に握る。フェアリーの触覚が微かに上下し、
「…出身はどちらですか」
「ここじゃないとこだよ」
店主ははぐらかすようにつかみどころのない返事をする。フェアリーは店主の返事を特に追求することもせず、簾から手を引いた。
「冒険者がいるとわかれば依頼も増える。依頼を持ち込むついでに食事する客も増える。良いこと尽くめだろう」
「そうなる事を祈る」
悲観するのは良くないと、能天気な性格らしいセリアンスロープは嘯いた。カウンターの椅子に腰掛けたまま、小さく鼻を鳴らす。
「店に来て金を出さずに帰るのも失礼だ、何か戴こう」
「おう、すぐ出せるのでいいか」
「温めかけがあるみたいだから、それを貰おう…いい匂いだ」
先程女生徒たちに出した豆腐の事を指しているようだ。手間がかからない客だ、と思いつつ店主はもう少し鍋に火を入れる。
「私にも一つ、お願いします」
「え、ライサンダーも食べるの?…じゃあ僕にもちょうだい」
フェアリーとハルピュイアもカウンター席に着く。二人に挟まれたセリアンスロープは窮屈そうに身じろぎした。
「はいよ、水だ」
「ありがとう」
「ところでどんなの出してくれるの」
「こんなのだ」
椀に豆腐を注ぎ、何本か多めに揚げておいた油条を添える。簾を少し上げて卓に出すと、セリアンスロープが喜色を浮かべた。
「トーフか。ジオードの小浪花で食べて以来だ」
「あー、よく屋台で売られてたやつ」
「シノワの食べ物ですか」
各々の感想を口にし、匙を取る。セリアンスロープはうなじを二回さすり、掬った豆腐を頬張った。
「…染み渡る。ジオードにいた時はよく、これを朝食に食べてたんだ」
「美味しいけど向こうのとは違うね。代用品ばっか」
早々にあらかた椀を空けたハルピュイアが底に残った漬物のみじん切りを掬い取ろうと躍起になりながら言う。そこは店主も気にしていたところだった。どうも此処エラキスは宗主国のジオードよりも他文化に対して保守的なようで、異国の食材を扱う店が見られない。移民窟にでも行けばそれらを扱う商人も居るのだろうが、彼らは他にも余計な品物を売りつけてきたりするので少し面倒だ。
そういうわけで、芥子菜の漬物の代わりに瓜の漬物を使ったりと試行錯誤している。
「とても美味です」
なかなか上品な所作で汁をすすったフェアリーは感想を述べ、油条を手に取った。そのまま少し考え込む。
「これはどのようにして食べればいいのでしょうか」
「汁をかき混ぜて齧ってもいいし、千切って浮かべたのを食べてもいい」
店主の言葉を受けて、フェアリーは汁をゆっくりと油条でかき混ぜた。少し汁が染みたそれを繁々と眺め、大顎で齧り取る。途端、触角が驚いたように浮き上がった。
「この辺りは土着の料理しか出してくれない酒場が多いから、有難いな」
「酸っぱいパンと煮物は飽き飽きしてたんだ。勿論、これ以外にも出してくれるよね」
「おお。粥や定食も出すつもりだ。献立表はまだ出来てないけど」
書きかけの献立表をちらりと見せる。
「セリアンスロープには辛い料理がうけるぞ。私も好きだ」
「ノルディンから来た奴らは魚が好きだよ。てか魚ないの魚」
「甘い物は老若男女人種を問わず人気だと思います」
「参考にさせてもらうよ」
矢継ぎ早に助言、もとい自らの要望を告げる客に店主は返答する。香辛料を使った料理、魚料理、甘味。いずれも店主の得意領域にある。
明日以降の旅程を相談し始めた三人組を簾越しに眺めながら、店主は筆を取る。一先ず、三人の要望に応える献立を作ることにする。
…今度来た時はあの二人組の好みも聞いておこうと、店主は密かに決心した。