マイカ
「浮蓮亭」への訪問から一夜明け、リシアは書類を携えて昼休みに再び講師の元へと訪れた。直前の授業は歴史だった為、今回は講師室へと向かう。
半開きの扉を二回叩き名前を名乗る。講師陣も学食に赴いたりするので、室内に人は数えるほどしかいない。その内の一人、中年の女性が「どうぞ」と小さく答えたので、会釈をしながらリシアは入室する。
「…最近トントン拍子に課題を進めているな」
新聞紙の包みを開く手を一旦止め、講師はリシアが差し出した書類を受け取った。片目を気難しそうに細めて書類を眺める姿に、リシアは緊張する。ノートを見てもらう時もそうだが、元々が鋭い目付きな上に隻眼と風貌も相まってかなり近寄り難い雰囲気になるのだ。
だからこそ、その険しい表情が少しでも柔らかくなるとホッとする。そんな時は書類に不備が無かったり、課題が良く出来ている時だからだ。
「良いだろう。金は明日支払うと言っていたんだな?」
「はい」
「何か問題があったらまた報告するように」
「ありがとうございます」
「次の課題の目処は」
再び新聞紙の包みに手を掛けて、講師は聞いた。何も考えていなかったリシアは口籠る。
「…また採集課題をこなそうかと」
「学内のだけではなく、民間からの依頼も受けるといい。折角酒場を見つけたんだから」
ニンニクと乳脂の強い香りが周囲に満ちた。猛烈に食欲を刺激する、些か品の無い香りにリシアの腹が空腹を訴える。
「お弁当、自分で作ってるんですか?」
「いや、これは出勤前に弁当屋で買ったものだ。独り身御用達のな」
覗いてみると、肉と雑穀ばかりで野菜は殆ど入っていないようだった。腹は満たされそうだが、栄養満点とは言い難い。
自分で作ればいいのにとか、いい人は居ないんですかとか、そんな失礼な言葉を飲み込んで当たり障りの無い言葉を言おうとしていると、誰かが講師室の扉を二回叩いた。
「エリス先生はいらっしゃいますか」
聞き覚えのあるその声に、リシアは体を強張らせる。
「ああ…少し待ってくれ」
「はい」
巻き戻すように講師は新聞紙で弁当を包みなおし、リシアに囁いた。
「まだ会いたくはないだろう。後ろの扉から出なさい」
「…ありがとうございます」
頭を下げ、速やかに講師室の後方の扉へ向かう。
「すまない、入ってくれ」
「失礼します」
ちょうど彼女と入れ違いになるようにして、リシアは講師室から出る。鈴を転がすような声で講師に何事か報告している幼馴染の姿を視界の端に捉え、即座に目を反らす。
マイカが班を抜けて、それなりに時間は経っている。それでも、彼女と面と向かって話し合う勇気は、まだリシアには無い。
微かに聞こえるマイカの声を振り切るように、リシアは廊下を走り去った。
講師室に入ってきたのは、小柄で線の細い少女だった。医術専攻の生徒らしく三角巾で纏めた金髪は艶やかで、白い顔の目鼻立は整っている。何処となく高貴な雰囲気を醸し出しているのは、侯爵家の生まれ故か。儚げな姿の令嬢は講師の姿を見とめると、微笑を浮かべて歩み寄った。
「エリス先生、六斑の遠征企画書です。シラー班長が目を通してほしいと」
「見せてくれ」
講師は手渡された分厚い書類をめくる。遠征の予定日程に同行する班員、活動費の明細、物資一覧、道程…申し分無い内容だった。その内の一箇所を見て、講師は第六斑班長の大胆な采配に驚く。
「マイカも行くのか」
「はい」
緊張した面持ちでマイカは頷く。
遠征は通常、二年生から行われる必修課題だ。新入生のマイカが参加するには些か、時期が早いように思える。
しかし、それだけの力量がマイカにあるという事なのだろう。班長のシラーの人となりは置いといて、その鑑識眼と判断力は講師も買っている。
「初めての事ですけど…シラー様が付いてますから、大丈夫です」
朗らかに少女は笑った。班長に全幅の信頼を寄せているらしい。
「今度の会議に提出する。これは貰ってもいいか?」
「はい」
「遠征の許可が下りたら直接班長に伝えよう」
「ありがとうございます…それと、先生」
講師の眼前で、金髪が一房滑り落ちた。マイカは講師に顔を寄せ、哀しげな表情で囁く。
「先程、リシアが来ましたでしょう? …変わりはありませんか」
「どうやら違う班に入れたようだ。良い調子で課題を進めている」
「そう、ですか」
マイカは薄い笑みを口元に浮かべた。
「良かった」
まるで他人事のようだ。
そんな考えが脳裏に浮かび、講師は即座に振り払う。そう思うのは最近、リシアを気にかけていたせいか。
「他に用件は」
「あ、いいえ!企画書のこと、よろしくお願いします」
マイカは身を離し、深々と頭を下げた。失礼しました、と囁いて講師室から出て行く。令嬢の後ろ姿を見送って講師は再三、弁当の包み紙を開き始めた。




