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僕らの墓標に咲く花  作者: 疑堂
第一話
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災厄の始まり①

 途方もなく巨大な陸地だった。おそらく誰も、正確な尺度を実感してはいまい。

 陸地の東には草原と密林が、南には山岳と大河が、北には凍土が、それぞれ国家、人種、民族、様々な境界を孕んで広がっていた。

 俗に大陸と呼称されるその土地は、惑星の北半球で東西に長く横たわっている。

 大陸の東部に背骨が連なっていた。二つの巨大な山脈が、大陸を南北に縦断している。

 必然的に山脈の切れ目が大陸の東西を繋げる数少ない陸路となり、いつしか交通拠点として街が出来、大陸東西の雑多な人種が流入し、巨大な都市へと発展していった。

 カルギア市とは、そんな街だ。



 天井の汚れは、人の顔に見えなくもない。苦痛と怨嗟に歪んだ表情は、理不尽で不当な拘束を強いられた人々の、怨念が染み付いているのではないかとすら思えた。

 こうして天井を見上げるのも何度目だろう? あの人面染みには、きっと自分の怨念も籠められているに違いない。

 鉄格子のはめ殺された窓からは、街頭の雑音が飛び込んでくる。そのくせ室内は葬式のような静寂に満ちていた。

「どうして俺はこうまで、取調室を見慣れているんだ?」

 派出所の一室で、ゲルザヘルは疲労とも諦めとも取れる溜め息を吐き出した。三十四歳にもなると、身の潔白を証明する元気すら出てこない。

 瞳に活力はなく、シャツとスラックスには皺がよって着崩されている。白髪の混じる濃紺の短髪もボサボサで手入れがされておらず、手間をかけるのが面倒で短くしているとしか思えなかった。そのくせ髭だけは丁寧に剃られている。

 全体として、物憂げで怠惰な雰囲気の持ち主だ。

「常連に茶菓子の一つも出さないのか。最近の警察は職務怠慢だな」

「黙れ幼女軟禁容疑者め!」

 新米巡査の暴言にも、ザヘルは眠たげな視線を向けるだけ。新しい巡査が赴任する度に取調室送りにされるので、欠伸も溜め息も出やしない。

「最近は平和で暇だ。しかし貴様のような小物の相手は、暇潰しでもやりたくない」

 新米巡査は、新米の癖に傲岸不遜な態度だった。どうしてどいつもこいつも、それは冤罪だと言っても信じないのだろうか。

「この世界に変態性幼女依存症は市長だけで十分だ。むしろ一人も要らん」

「うぇ……。俺ってアレと同類だと見なされてるのか」

 ザヘルは心底脱力してうな垂れた。著しく物分かりと聞き分けの悪い新米巡査との問答を早々に諦め、ザヘルは椅子に深々と腰を沈めて瞼を閉じる。

「早くここから出て、昼飯をタカりに行かねえと」

 ザヘルは至極真面目な顔で、駄目人間が駄目人間たる所以の駄目思考を吐き出す。

 日時は平日正午。こんな時間帯に暇を持て余しているザヘルが、仕事に就いているはずがなかった。

『お前の駄目さ加減は、年々手の施しようがなくなってくるな』

 冷ややかな調子で、《声》はザヘルの脳内に響いた。

「俺だって好きで駄目になったんじゃない」

『誰が聞いても駄目人間の模範解答だな』

 鬱陶しげに吐き捨てたザヘルの反論を、アブルヘビルは冷笑とともに切り捨てた。

 ザヘルはさらに反論しようとして、止めた。ムキになる気力すらない。

 何もかも諦めた調子のザヘルと、何事にも冷めた対応のアブル。どこか似ていながら、全く性質の異なる二人だった。

「貴様は先程から、何をやっているのだ?」

 新米巡査は独り言を続けるザヘルに怪訝な顔をしていた。

 寄棲獣の《声》は寄棲獣同士なら可聴でき、《声》は寄棲獣を介して宿主にも伝えられる。宿主と寄棲獣の会話は、宿主でない人間には独り言にしか聞こえない。

「まあいいや。暇潰しにつきあえよ」

 そうと知りつつ、ザヘルは独り言にしか聞こえない会話を続ける。

『どうして私が、お前の暇潰しに使われにゃならんのだ』

「お前には協調性がないなぁ」

 アブルは口を閉ざす。何を言ってもこの男は意に介さぬと、この数年で体得したから。だから、ただ一言、

『黙りやがれ風太郎(ぷうたろう)が! お前が腑抜けている所為で、私がどれだけ迷惑していると思ってやがる! 不愉快だから私の気分を害するな。

 分からんのなら、私にも考えがあるぞ脛齧り。この体の半分は私の所有物だ。当然の配当として体の半分を、そして今後共同生活を送るのに重大な支障が出るとして、慰謝料を請求するぞもう半分をな!

 分かったか? 自分の立場が分かったなら口を慎め紐男!』

(……俺らは熟年離婚の夫婦か?)

 どうして人格が違うだけで、こうまでボロクソ言われにゃならんのか? 納得しかねるものの、不承不承押し黙るザヘル。

 気晴らしに窓の外に目を向けると、今にも尋問が始まりそうな自分と違い、平穏無事を絵に描いた光景が広がっていて恨めしい。

 派出所の窓に面したカルギア市の通りでは、人々が坩堝となっていた。大陸に多い癖毛の男に、西方から来たであろう肌の色素が薄い女が寄り添っている。身長三mを超える南方出身の巨人族に、人間の体に猫や牛や馬の頭を持つ獣頭人。ターバンを巻いた砂漠の商人らしき浅黒い肌の人物が、荷台を背負った陸竜の手綱を引いている。白骨や腐乱やツギハギの死体族、さらには赤銅色の肌をした異大陸の人種まで見られる。

 大陸東部を縦断するサウスカーレル山脈とアルシャン山脈の切れ目であるカルギア市は、年間を通して大陸東西の雑多な人種が混在している。

 古くは少数の隊商や冒険者の宿場町として生まれたカルギアだが、近代に入って都市間往来の安全性が格段に向上してから、カルギア市は急速に発展していった。その無秩序な急速発展は、街並みを行く人種の雑然さだけでなく、服装や建築様式まで多岐にわたり、カルギアのあらゆる場所に表出している。

 主産業のない山間部の田舎都市であるカルギア市が、五十万人の人口を抱えているのは世界的にも稀有であろう。

 ザヘル自身も、数年前にカルギアに住み着いた移住者であった。

 新米巡査が生き生きとした表情で、卓上に禍々しい器具を取り出したのはそのときだ。

「ではこれより、貴様に自白を強要する」

 どう見ても、拷問用具だった。

「あれ? 自然な流れで捕虜の人権が無視されたぞ?」

『納税も勤労も行っていない、その上高等学科中退のお前に人権なんぞ発生するか』

「高等学科は義務教育じゃねぇだろ」

 ザヘルにはもう、突っ込みを続ける気力すら残っていなかった。

「いい加減、誰か助けにこいよ」

『こんなときまで他人頼みか』

 二者それぞれが、それぞれの心労を籠めて、溜め息を吐き出した。


 結局ザヘルは、新米巡査をボッコボコにぶちのめして逃走したわけだが。

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