非日常
創世の刻、この世界には一柱の神が存在していた。
神は己が持つ半分の力を与え、自らの分身を創り出す。
分身はまた、己が持つ半分の力を与え、新たな分身を生み出していく。
幾重にも繰り返された分魂の果て――神の威光をわずかに宿す存在が、世界へと溢れ出した。
それが、『人間』という種であった。
やがて増えすぎた人間たちを統治するため、神は世界を三つの領域へと分かつ。
自らが鎮座する聖域――『上層』。
濃密な神の力を継ぐ者たちが集う――『中層』。
そして、神の力が薄れた者たちが住む底辺――『下層』。
神の誕生から3000年後、歴史が動いた。
「……え? 首、ですか?」
場すえの小汚い居酒屋。厨房の隅で、俺――ライムは思わず声を裏返らせていた。
すっと一気に血の気が引いていくのが分かる。
「悪いね、ライム君。君に落ち度があるわけじゃないんだ」
カウンター越しに頭を下げる店主は、申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「ただ、うちの店もいよいよアンドロイドを導入することになってね」
「ここも、ですか……」
「最近は景気も冷え込んでるからねぇ。人間を一人雇い続けるより、型落ちのアンドロイドを一台買い叩いた方が安上がりなんだよ」
店主のすまなそうな顔を前に、俺はそれ以上何も言い返すことができなかった。
(また、か……)
重い足取りで店を出ると、下層特有の湿っぽい泥の匂いを含んだ冷たい風が、容赦なく頬を撫でた。
最近はどこもこうだ。人間の働き口は日ごとに機械へと奪われ、路地裏も店舗も、人工皮膚で造られた無機質な笑顔で満たされていく。時代の流れだと分かってはいても、苦々しい溜め息の一つも吐きたくなった。
トボトボと帰路につく。
(これで、六度目だ)
アンドロイドの普及を理由に仕事をクビになったのは。
このままいけば、待っているのは路頭に迷っての餓死だ。今月の家賃すらまともに払えていないというのに。
憂鬱な気分のまま歩いていると、やがて見慣れた薄暗い団地が見えてきた。
だが、その建物に差し掛かったところで、俺の足がピタリと止まる。
(なんだ……あれ?)
団地の三階。俺の部屋の前で、白いローブを深く羽織った三人組が佇んでいた。
不審者か、泥棒か。
あの異様な風貌からして、ロクな存在じゃないのは確実だ。
息を潜めて物陰から覗き込んでいると、三人組は幸いにも俺の存在に気づかないまま、ゆっくりと部屋から離れていった。
「こわっ……一体何なんだよ」
心臓の鼓動を抑えながら、俺は静かに階段を上がり、自分の部屋へと滑り込む。
鍵を開け、ドアを押した。
ガチャ。
「ッ!?」
瞬間、喉が跳ね上がった。
狭い部屋の中を埋め尽くしていたのは、さっきの三人組と同系統の、白ローブを纏った集団だった。
ぎちぎちに詰まった異形の異物たちが、一斉にこちらを振り返る。
一人が骨ばった指で俺を指さした。
「見つけた――」
「うわああああっ!」
考えるより先に、俺は思いっきり足を翻して外へ飛び出していた。
とにかく走る。理由なんて分からない。ただ、捕まったら死ぬという本能の警鐘だけが頭の中で鳴り響いていた。
ドタドタドタドタッ!
背後から、追手の足音が地響きのように迫ってくる。あきらかに追われている。
呼吸が浅くなり、視界が明滅し始めた。息が切れる。
(でも、ここを曲がれば大通りだ……! すぐに警察署へ駆け込めば――)
必死の思いで曲がり角を勢いよく折れた。
「――え?」
だが、現れたのは賑やかな大通りなどではなく、冷たいコンクリートの壁だった。行き止まりだ。
「嘘だろ……っ!」
絶望に引きつりながら後ろを振り向く。
追ってきた白ローブたちは、人間とは思えないフォームで這いつくばり、あるいは蜘蛛のように壁を走りながら、俺の眼前に迫っていた。
「何なんだよこれ、来るな! 来るなよ!」
壁に背中を打ち付け、叫ぶ。その時だった。
「何とか間に合った、と。君がライム君?」
上空から降ってきた呑気な声。
直後、頭上から一人の男が軽やかに飛び降りてきた。
「は? は!? そうだよ、俺はライムだけど……!」
「話は後だ。今は逃げるぞ――ちょっとおとなしくしてろー」
「え――」
視界が揺れた。
男の手刀が俺の首筋へと鋭く振り下ろされる。
衝撃とともに意識が急速に遠のき、世界が黒く塗りつぶされていった。




