↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クイズクロニクル  作者: pj.masta


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
242/317

砂漠の薬草市 第7章 ククルーの薬袋

その夜、市場の布屋根は半分だけ下ろされた。


完全には閉じない。閉じれば、今日の光を終わったことにしてしまう。開けたままにすれば、砂の風が強すぎる。だから、布屋根は半分だけ下ろされ、星砂棚も薬草灯の棚も、低い影の中に置かれた。


客たちは帰りきっていない。


戸口へ持って帰りたい人は、まだ空のかごを持っている。商人は、未登録棚の前を離れず、売る手と守る手を交互に見ている。セナリは、空の見出し欄を低い試し台の足元へ置いたまま、その横に座っていた。


ククルーは、市場の端で自分の小さな薬袋を見ていた。


旅人は、しばらく黙っていた。


その袋を、これまで何度か見たことがある。ククルーが旅の途中で持ち歩いている、小さく古い袋だ。中に何が入っているのか、ククルーは詳しく話したことがない。薬袋と呼ばれているが、薬を出して使うところを見たこともない。


砂の夜風が袋の紐を揺らした。


ククルーは、前足を袋へ近づけた。


開けるのかもしれない。


そう思ったのは、旅人だけではなかった。セナリも、ミナモも、ネフェルも、バドゥも、少しだけククルーの手元を見た。


ククルーは、その視線に気づいていた。


「開けると、楽になるかもしれないね」


声はいつも通りに聞こえた。


けれど、ほんの少し乾いていた。


「何が入っているんですか」


セナリが聞きかけて、口を押さえた。


聞きたい手が出たのだ。


ククルーは、怒らなかった。


「聞きたいね」


セナリはうなずいた。


「うん。今日の市場では、薬袋という言葉が強すぎるね」


「強い言葉だよ。薬草市で薬袋を開ければ、何か分かるように見える」


ククルーは、袋を開けなかった。


かわりに、低い試し台の近くへ歩き、三つの円の外側へ袋を置いた。買う前、測る前、持って帰る前。そのどれにも入れない。説明前の布の上にも置かない。少し離れた砂の上に置いた。


「ここですか」


旅人が聞いた。


「ここだね」


「なぜ、円の外に」


「この袋を円に入れると、袋の中身を市場の手順にしてしまうね」


ククルーの鈴は鳴らない。


薬袋の横で、鈴も鳴らない。


二つの沈黙が、低い試し台の足元に並んだ。


ミナモは、薬袋を見ていた。


「袋を開ければ、薬草灯の話が進むように見えます」


「見えるね」


「でも、開けない」


「開けたい手を、置こう」


ククルーはそう言った。


ネフェルは、測る前布を薬袋の近くへ持ってきた。置こうとして、止めた。


「測る前布も、近すぎるね」


「近すぎるね」


ククルーはうなずいた。


「測る前に置く布は、測るものがある時に働くね。この袋を測るものにすると、また違う話になるんだ」


バドゥは、待つ石を持っていた。


「待つ石も、近すぎるか」


「少し」


「待つことにすると、いつか開ける約束になる」


「そうです」


バドゥは、待つ石を薬袋から少し離れた場所へ置いた。袋のための石ではない。袋を見て待ちたくなった足のための石だ。


セナリは、空の見出し欄を抱えた。


「ククルー、薬袋を開けず」


そこまで言って、首を振った。


「見出しになりすぎます」


「なるね」


ククルーは、少し笑った。


「ククルーと薬袋は、ずるい言葉だね」


「ずるい」


「知っていそうに見えるからね」


セナリは、欄を伏せた。書かないために閉じるのではない。言葉の強さを、少し砂へ向けるためだった。


旅人は、薬袋を見た。


開けてほしい手がある。


開けないでほしい手もある。


中身を知りたい手と、中身を市場の答えにしたくない手が、同じ胸の中にあった。どちらか一方を正しい手にすれば楽になる。知りたい手を責めれば、袋は守れる。開けない手を責めれば、説明は進む。だが、どちらも少し違う。


「知りたいです」


旅人は言った。


ククルーは、旅人を見た。


「うん」


「でも、今ここで知ると、市場の答えにしそうだね」


「うん」


「だから、知りたい手を置こう」


旅人は、浅い連絡袋の外側に留めていた月光タグを少し揺らした。タグは、読まれ方をひとつにしなかったものだ。ここで薬袋の横へ置けば、薬袋の読み方を整える札になってしまう。


置かなかった。


月光タグは、袋の外側に留めたままにした。


ククルーは、それを見ていた。


「使わなかったのだね」


「使いたくなりました」


「使いたくなった手が、ここで見えたんだね」


その言い方は、ミャオリンに少し似ていた。


市場の夜が、深くなった。


薬草灯は、強く光らない。星砂も、昼のようには点を落とさない。水路瓶の中の水だけが、布屋根の下で小さく揺れている。


ミナモは、薬袋の近くへ湿り布を置かなかった。


ネフェルは、星砂帳を開かなかった。


バドゥは、待つ石を薬袋のためには動かさなかった。


それぞれが、自分の道具を近づけすぎないようにしている。その距離が、市場の夜に必要だった。


「説明しないことは、不親切に見えます」


セナリが言った。


ククルーは、薬袋を見たまま答えた。


「不親切に見える日もあるね」


「それでも」


「説明すれば親切に見えることもあるね。でも、親切に見える説明が、相手の手元を奪うこともあるんだ」


旅人は、戸口へ持って帰りたい客を見た。


その人は、まだ空のかごを持っている。薬袋を見ている。もしククルーが袋を開け、何かを示せば、その人はかごへ何かを入れられる気がするかもしれない。安心できるかもしれない。だが、その安心が、戸口の時間へ戻る前に市場で形になるなら、また速い。


ククルーは、袋の紐へ前足を近づけた。


今度も、開けなかった。


ただ、紐の結び目を少しゆるめた。


「ゆるめるだけですか」


旅人が聞いた。


「開けないことを固くしすぎないためだね」


「いつか開けるためではなく」


「そうだね。開けない、と決めると、それもまた答えになるね」


ククルーは、薬袋を低い試し台の外側へ置いたまま、少し離れて座った。


袋は閉じている。


だが、結び目は少しゆるい。


市場の人々は、それを見た。中身は分からない。分からないが、閉じられた壁にも見えない。開ける前の手が、そこに置かれている。


セナリは、空の見出し欄をまた開いた。


何も書かない。


欄の下に、小さな線だけを引いた。袋の紐のように、少しゆるい線だった。


「これは、記事に入れません」


「では、何に」


旅人が聞くと、セナリは首を傾けた。


「書く前のかごの底に置きます」


ミナモは、小さくうなずいた。


「底に置くものは、見えにくいです。でも、かごの形を少し変えます」


薬袋は開かれなかった。


ククルーの説明も、まだ始まらなかった。


けれど、説明したくなる手、知りたい手、親切に見せたい手、安心を持って帰りたい手が、低い試し台の外側に少しずつ見えていた。


市場の夜は、答えではなく、開ける前の距離を覚え始めていた。


### 中盤増補4 薬袋の影を測らない夜


薬袋の下には、小さな影があった。


布屋根の隙間から入る星明かりと、薬草灯の低い光が交じり、袋の影はひとつに見えなかった。結び目の影、袋の底の影、紐の先の影。それぞれが少しずつ違う向きへ伸びている。


ネフェルは、その影を見ていた。


「測れますか」


旅人が聞くと、ネフェルはすぐ答えなかった。


「測れます」


やがて、そう言った。


「測るのですか」


「今日は測りません」


測れるものを測らないことは、測れないものを測らないことより難しい。星砂帳が閉じられていても、ネフェルの目は影の向きを知っている。どの光がどの線を作ったか、見ようと思えば見られる。


バドゥは、水路瓶を影へ近づけなかった。


「水に映せば、見えやすい」


「見えやすくしないのですね」


「映った影は、水のものになる」


バドゥは、瓶を自分の膝のそばへ置いた。袋から離れた場所だった。


ミナモは、湿り布を袋の横へ置きかけ、手を止めた。


「布を敷けば、影がやわらかくなります」


「敷きますか」


「敷くと、やわらかくした手になります」


ミナモは、布を畳んだまま膝に置いた。


ククルーは、薬袋の影を見ていた。


「影まで説明できるね」


「説明したくなりますか」


旅人が聞くと、ククルーは耳を少し伏せた。


「なるね。影は、中身より話しやすいから」


中身は見せない。


けれど影なら話せる。


話せるものを話せば、親切に見える。袋を開けていないのだから、秘密を守ったようにも見える。だが、影を説明しすぎると、袋の中身を回り道で読ませることになる。


セナリは、空の見出し欄の端に筆を近づけた。


「薬袋の影、という見出しは」


そこで止めた。


「強いですね」


旅人は言った。


「強いね。中身を書かなくても、読ませられるからね」


セナリは、筆を置いた。


「書かないことを、書く手段にしてしまうところでした」


ククルーは、薬袋の紐を少し見た。


結び目はゆるい。影もゆるい。だが、ゆるい影は、安心の印ではない。開けないことを固くしすぎないためのゆるさであって、開けてもよいという合図ではない。


旅人は、低い試し台の外側に小さな石を置いた。


「影を測りたい手です」


ネフェルが、その石を見た。


「測れるから、置けます」


バドゥは、もう一つ石を置いた。


「映したい手」


ミナモも布端の小さな折り目を置いた。


「やわらかくしたい手」


セナリは、筆の乾いた先を見たあと、木片を置いた。


「書きたい手」


薬袋の影の周りに、四つの小さなものが並んだ。どれも袋へ触れない。影にも触れない。ただ、影を扱いたくなる手だけが外側に置かれている。


ククルーは、薬袋を動かさなかった。


「影を測らない夜も、あるね」


「影を見ない夜ではなく」


旅人が言うと、ククルーはうなずいた。


「見るよ。見て、測らない。見て、映さない。見て、やわらかくしない。見て、書かない」


市場の夜は、さらに低くなった。


薬袋の影は、少しずつ形を変える。布屋根が揺れ、灯の位置がわずかに変わる。測らなかった影は、測られないまま動いた。


その動きが、袋を開ける前の距離をもう少し厚くした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。