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クイズクロニクル  作者: pj.masta


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第12巻 飛空艇と仮説の空 第3章 風を見る帆

荷物線の手前には、帆がまだなかった。


帆の端見本はある。


風袋もある。


係留紐の手元も、空白ではなくなった速度札も、低い台の上に並んでいる。


けれど、飛空艇の帆そのものは、まだ船体にたたまれたままだった。


ネジリは、それを何度も見た。


「帆を見に行くのではないのですか」


シオンは、見学線と荷物線の間に立った。


「帆を見ます」


「でも、帆はあそこです」


「はい。あそこにあります」


「ここからでは、端しか見えません」


「今日は、端から見ます」


ネジリは、少しだけ不満そうな顔をした。


不満は、悪いものではない。


旅人は、第11巻で何度もそれを学んだ。


不満があると、手が何を見たいか分かる。


ククルーは、低い台の横で丸く座った。


「端は、意外と居場所を作るね。パンも端から焼けるよ」


ネジリは、また考え込んだ。


「パンの端は、風を見るのかな」


「焼きすぎた時は、空気をよく見ています」


教授が、笑いを小さくした。


「今日は、帆の端と、風袋の折り目と、荷物線の粉を使います」


シオンは、三つを並べた。


帆の端見本。


風袋。


荷物線の粉。


それから、速度札を少し離して置く。


戻れる。


待てる。


こぼさない。


聞き返せる。


四つの言葉は、昨日より少し落ち着いて見えた。


その横に、シオンは小さな箱を置いた。


箱の中には、耳を近づけるための筒が三本入っていた。金属ではなく、薄い木でできている。長さが少しずつ違う。


「音筒です」


「音を大きくする道具ですか」


ネジリが聞いた。


「大きくすることもあります。でも今日は、近づきすぎないための筒です」


シオンは、いちばん短い筒を帆の端見本から少し離して置いた。


「耳を直接近づけると、聞きたい音を大きくしすぎます」


「聞きたい音」


「帆が鳴る音です」


ネジリは、すぐに帆の端へ目を向けた。


「聞きたいです」


「はい。だから筒を使います」


教授は、三本の筒の下へ札を置いた。


`近づくためではなく、近づきすぎないため`


長い札だった。


でも、音の前ではその長さが必要だった。


最初に、短い筒で聞いた。


ぱた。


帆の端が鳴る。筒を通ると、音は少し丸くなった。


次に、中くらいの筒で聞いた。


ぱた。


同じ音のようで、少し遠い。


最後に、長い筒で聞いた。


ぱた。


今度は、桟橋の管の低い息も一緒に聞こえた。


ネジリは目を丸くした。


「筒が長いと、音が増えます」


シオンは首を少し傾けた。


「音が増えたのか、聞こえる範囲が変わったのか、まだ分けます」


ネジリは、慌てて札を書いた。


`音が増えたように聞こえた`


その横に、シオンが書く。


`聞こえる範囲が変わったかもしれない`


二枚を、速度札の `聞き返せる` のそばへ置いた。


「聞き返せる、は耳の札でもあるね」


ククルーが言った。


「返事だけではなく、音にも使えるね」


旅人は、三本の筒を見た。


近い音。


少し離れた音。


まわりを連れてくる音。


どれが正しいのではない。


どの距離で聞いたかが違う。


シオンは、箱のふたを閉じなかった。閉じると、試し終わったように見えるからだ。ふたは箱の横に立てかける。


`ふたを閉じない`


ネジリが札を書いた。


教授は、その札の横へもう一枚足した。


`終わったことにしない`


ネジリは、三本の音筒を短い順に並べ直そうとして、途中で手を止めた。


「短い順にすると、分かりやすいです」


「分かりやすくしてもよいです」


シオンは答えた。


「ただ、分かりやすい順番が、正しい順番に見えることがあります」


ネジリは、筒を持ったまま考えた。


短い筒。


中くらいの筒。


長い筒。


たしかに、並べるとそれだけで手順に見える。


短いものから聞くべきだ、と言いたくなる。


「では、今日は三角に置きます」


ネジリは筒を一列にせず、低い台の上で小さな三角にした。


「どれが最初かな」


ククルーが聞く。


「最初を決めない置き方だね」


ネジリは答えた。


教授は、その横へ札を置いた。


`順番にしたくなる手`


もう一枚。


`順番をまだ決めない置き方`


帆の端が、また小さく鳴った。


ぱた。


三角に置かれた音筒は、その音をどれも聞いているように見えた。


聞いているように見える。


聞いているわけではない。


でも、三つの距離を一緒に置くには、よい形だった。


帆の端は、まだ小さく揺れている。


風袋は閉じたまま膨らみ、粉は荷物線の手前で細い筋を残している。


そして三本の音筒は、聞いた距離をそのまま低い台に残していた。


「速度札は、ここで使うのですか」


ネジリが聞く。


「使う、というより、そばにいてもらいます」


シオンは答えた。


「風を見る時、速く読めたと言いたくなるので」


「速く読めた」


ネジリの顔が少し明るくなる。


「風は、読めたらすごいです」


「すごいです」


シオンは否定しなかった。


「だから、すぐ命令にしたくなります」


「命令」


「この風なら飛べる。この風なら待つ。この風なら右へ行く。そう決めたくなります」


教授は、空用の試し布を広げた。


触れる前。


そば。


通ったあと。


まだ置かない。


「風は、命令ではありません」


教授は言った。


「ただし、風を無視もしません」


旅人は、風袋の折り目を見た。


無視しない。


命令にしない。


その間に、今日の章がある。


シオンは、帆の端見本を `触れる前` の外へ置いた。


風袋を `そば` の丸へ置いた。


荷物線の粉を、丸の外側に細くまいた。


「通ったあとには、まだ置かないのですか」


ネジリが聞く。


「まだです。通る前に、通ったあとを用意しすぎると、風が通ったことにしたくなります」


ネジリは目を丸くした。


「用意しすぎても、急ぐのですか」


「急ぐね」


ククルーが言う。


「お皿を出しすぎると、おやつが来た気がするね」


ネジリは真剣にうなずいた。


「それは、分かるよ」


最初の試しは、風袋を開けないことだった。


シオンは風袋の口を結んだまま、荷物線の手前へ置く。


袋は、風を受けて少しだけ膨らむ。


けれど、中に風は入らない。


口が閉じているからだ。


「風が入っていないのに、膨らみます」


ネジリが言った。


「はい。外を通った風で、形が変わります」


「中へ入れなくても」


「入れなくても」


旅人は、未完成式のそばで見た熱の試し紙を思い出した。


中へ入らず、そばで見る。


空でも同じ作法が必要になる。


ただし、同じではない。


風袋は熱の紙ではない。


帆は未完成式ではない。


似ているところだけを借りる。


シオンは、風袋の膨らんだ形を、薄い紙に写した。


袋そのものを開けず、外側の輪郭だけをなぞる。


その紙を、試し布の `通ったあと` の丸へ置いた。


「これが、風が通ったあとですか」


ネジリが聞く。


シオンは首を横に振った。


「風袋の外側に、風が触れたあとです」


「長いです」


「短くすると、風が通ったあと、と言いたくなります」


「それはだめですか」


「だめではありません。今日は長い方が安全です」


教授は札を書いた。


`風袋の外側に、風が触れたあと`


長い札。


でも、荷物線の手前では、その長さが必要だった。


次に、帆の端見本を少しだけ立てた。


シオンは、帆の端を小さな枠に挟む。


帆全体ではない。


端だけ。


風が来ると、端は少し鳴った。


ぱた。


とても小さい音だった。


ネジリの顔が明るくなる。


「帆が答えました」


言ってから、すぐに両手で口を押さえる。


シオンは責めなかった。


「答えたように聞こえました」


ネジリは言い直した。


「帆の端が、答えたように聞こえました」


教授は、もう一枚札を書いた。


`帆の端が、答えたように聞こえた`


その横に、シオンが書く。


`風で端が鳴った`


二枚で置く。


格納桟橋の朝から続く置き方だった。


ククルーは、二枚の札を見比べた。


「聞こえたことを消さず、起きたことも消さず」


「はい」


教授はうなずく。


「片方だけにすると、風が命令になりやすい」


旅人は、帆の端を見た。


帆は飛びたいと言っていない。


でも、風で鳴った音はあった。


それを聞いた手が、飛びたいと思った。


どちらも、なかったことにしない。


三つ目の試しで、荷物線の粉を使った。


シオンは、荷物線の手前に粉を細くまく。


風袋と帆の端見本の間に、粉の線ができる。


「ここで、風がどちらへ通ったかを見ます」


ネジリは、すぐに身を乗り出した。


「右ですか、左ですか」


「まだ、どちらとも言いません」


「でも、粉は動きます」


「動きます。動いた形を見ます」


風が来た。


粉は一度、帆の端へ寄ったように見えた。


そのあと、風袋の方へ戻るように薄く流れた。


ネジリの手が、宙で忙しく動く。


「行って、戻りました」


シオンは、うなずいた。


「行って、戻ったように見えました」


「本当は?」


「本当、を急ぐ前に、粉のあとを写します」


シオンは、小さな透明板を粉の上に置いた。


粉を押しつぶさない。


透明板の下に、粉の流れが残る。


教授は、それを `通ったあと` の丸のそばへ置いた。


「丸の中ではないのですか」


「まだです」


「どうして」


教授は、粉の線を見た。


「丸の中に入れると、通ったあととして決まったように見えます。今日は、通ったあとに近いものとして置きます」


ネジリは、眉を寄せた。


「近いもの」


「はい。近いもの」


旅人は、近いもの、という言葉を聞いた。


近い。


同じではない。


遠い。


関係ないとは限らない。


空の上では、距離の言葉がたくさん必要になりそうだった。


シオンは、四つの速度札を見た。


戻れる。


待てる。


こぼさない。


聞き返せる。


「今の粉のあとを、どの言葉のそばへ置きますか」


ネジリは考えた。


「戻れる」


すぐに言って、首を振る。


「戻ったように見えたから、戻れるへ置きたくなりました」


「はい」


「でも、粉が戻ったのか、風が戻ったのか、見え方が戻ったのか、まだ分かりません」


「はい」


ネジリは、四つの札を順番に見た。


「聞き返せる、のそばに置きたいです」


ククルーが目を細めた。


「理由を聞いても?」


「戻った、とすぐ言わないで、もう一度聞きたいから」


シオンは、粉の透明板を `聞き返せる` のそばへ置いた。


「戻った、と言う前に聞き返せる場所へ置いたんだね」


その時、帆の端がもう一度鳴った。


ぱた。


今度は、さっきより少し低い。


桟橋の管の音が、遠くで重なった。


ふく。


二つの音が近かった。


近いから、同じ音にしたくなる。


旅人は、すぐに口を開かず、待った。


シオンも待った。


教授も、ネジリも、ククルーも待った。


音が消えてから、ククルーが言った。


「二つ聞こえたね」


短い。


でも、決めすぎていない。


教授は札を書いた。


`二つ聞こえた`


その下に、シオンが足す。


`一つに聞きたくなった`


ネジリはその札を見て、深く息を吐いた。


「一つに聞きたくなりました」


「はい」


「一つにした方が、合図みたいです」


「合図みたいになります」


シオンは言った。


「飛空艇では、合図みたいなものがたくさんあります。だから、本当の合図を大事にするために、合図みたいなものを分けます」


その言葉で、荷物線の手前が少し整った。


合図ではないもの。


合図みたいなもの。


本当の合図。


それらを分けることも、風を見る帆の仕事だった。


午後に近づくころ、シオンは帆の端見本を箱へ戻さなかった。


風袋も、粉の透明板も、低い台に残した。


「片づけないのですか」


ネジリが聞く。


「片づけると、見終わったように見えます」


「まだ見終わっていない」


「はい」


「でも、散らかしているのでもない」


「はい」


シオンは、低い台の横に札を置いた。


`風を見終わったことにしない`


旅人は、その札を見た。


風を見た。


でも、風を読めたとは言わない。


風が通ったあとを少し見た。


でも、風の命令を聞いたとは言わない。


飛空艇の帆は、まだたたまれている。


けれど、帆の端、風袋の外側、粉のあと、二つ聞こえた音は、低い台の上に残っている。


シオンは、荷物線を見た。


「次は、荷物線を越える準備です」


ネジリの足が、また少し前を向いた。


でも、今度は足より先に、目が低い台へ戻った。


戻れる。


待てる。


こぼさない。


聞き返せる。


四つの言葉と、風のあとが、そこにある。


「まだ越えません」


ネジリは言った。


「でも、越える前に見るものが増えました」


教授はうなずいた。


「前が、また少し進みました」


ククルーは、帆の端見本の箱を見て言った。


「端だけで、ずいぶん遠くへ来たね」


旅人は、空を見上げた。


空はまだ、広い。


広いまま、待っている。


待っている、と決めない。


でも、急がなくても、そこにあるように見えた。


風は命令ではない。


答えでもない。


けれど、通ったあとを残してくれる。


そのあとを、飛ぶ前の手で見ることができる。


この章の終わりに、飛空艇はまだ浮かばなかった。


けれど、帆の端は、風を一つだけ覚えたように見えた。

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