第6話『涙』
(やってしまった……)
ベッドに戻されたノワールの顔は先程より青かった。
胃の調子は幾らか戻ったが、気分は海の底に届くほど沈んでいた。
夢にまで見た食事を前に。それを許してくれた人を前に、あんな無礼を働いてしまったのだ。
怒鳴られても、殴られても、何もおかしくはない。
(なのに……)
側についてくれているメイドは、銀のスプーンでスープを口元に運んでくれる。
次は新鮮な野菜にさっぱりしたドレッシングが掛かったサラダを。次に甘くて冷たい、林檎のゼリーを。
先程よりずっと軽い食事を終えると、口元まで丁寧に拭いてくれる。
「……し、て……」
乾いた唇から、小さく声が溢れる。
食器を片付けていたメイドが顔を上げ、その表情に驚きを宿す。
今まで決まって困惑と恐縮しか浮かべていなかったノワールの頬に、涙が伝っていた。
それと同時にノックも無しに部屋の扉が開かれる。
「おい、体調は――と。なんだ、ノワールを泣かせたのか、ミア」
「ヴィクトリア様……」
普段は当主代理と呼んでいた人物を、つい以前のように呼んでしまうメイドの声に動揺が映っていた。
ヴィクトリアは軽く肩を竦め、ノワールのいるベッドへと歩み寄るとその端に腰掛ける。
「どうした」
短い問い掛けに、ノワールは口を開く。
「ど、して……優しく、してくれるんですか……」
喉が引きつるように声を震わせて、ノワールは問う。
メイドが拭った側から涙は溢れてしまっていた。
「優しく、か」
(不自由無い部屋を与え、風呂に入れ、食事を用意しただけ。例え神子で無くとも、貴族であれば当然の待遇だ。たかだかその程度で、この反応だ。報告書など待たなくとも、おおよその察しはつく)
とはいえ、それを口にしたところでノワールには理解されないだろう。
ノワールの化粧の落ちてしまった頬を撫でて、囁くようにヴィクトリアは呟く。
「それは本来お前が与えられるものだった。それを今、受け取っているだけだ」
ノワールは、案の定分からないといった顔をしていた。
これ以上同じ話を重ねても反応は同じだろうと、ヴィクトリアは早々に話を切り替える。
「そうそう。私の弟が今日の昼に屋敷に着くようだ。ノワールも呼ぶから、そのつもりで」
ぱちぱちと、ノワールは濡れた目を瞬かせていた。それを確認してヴィクトリアはひらりと片手だけ振って部屋を後にする。
ノワールの涙は止まっていた。
それからしばらくして、再度化粧を直してもらい、ノワールは当主の執務室にいた。
大きな机いっぱいに書類を広げたヴィクトリアが仕事をこなしている。部屋にはペンの走る音だけが響いていた。
ノワールはふかふかのソファに可能な限り浅く座り、カチカチに体を固めていた。
「そう警戒するな。取って食うような男ではない」
「は、はい……!」
「ふふ、まだ硬いぞ」
そうして何分か経った頃、扉がノックされ、その先から声が響いた。
「姉上、ただ今戻りました」
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