第30話『毛布』
その夜。
レオンハルトはノワールの寝室にいた。
とは言っても、夜の支度を終えてベッドに入ったノワールを見守るように、ベッドの側のソファに座っているだけだ。そこで眠れるようにと、事情を知った使用人が用意してくれた毛布もある。
「ソファで寝ると、体を痛めてしまいます……レオンさんもベッドに」
「そういうわけにはいかない。俺はここで十分だ」
「で、では、私がソファで……」
「許可出来ると思うか……?」
そんなぎこちない会話の後。
結局ノワールはレオンの言葉に従うまま、一人でベッドで眠っていた。
小さなランプの明かりを頼りにレオンは暇潰しの本を読みつつ、時折ノワールへ視線を向ける。
額の傷は塞がり、包帯は外れた。が、傷に何も触れないようにと、代わりにガーゼが貼られている。
ノワールが連れ去られた日から何日かが経ったが、未だにレオンですら繰り返し思い出し、その度自分に苛立っていた。被害者であるノワールがすぐに忘れられるはずもない。
短い溜息を吐き、本に視線を戻したが気が散っているのか、どこまで読んだかを忘れてしまっていた。
「っ……う……」
ふと、静かな部屋に小さなうめき声が響いた。
ページを捲る指を止め、顔を上げる。
一見すればただの寝返りのようで、しかしその指先は縋るようにシーツを握り締めている。
額には汗が滲み、乾いた唇が息苦しさから逃れるように開かれた。
「あ、っ……や……!」
何かを掴もうとするように、あるいは何かを振り払おうとするように、細い指が宙を掻いた。
慌てて腰を上げたレオンはその手から読みかけの本が滑り落ちたことにも気付かず、ベッドに歩み寄る。
「ノワール……!」
名前を呼んでも、瞼は開かれない。苦しげに閉ざされた瞼から一筋の涙が伝うのを見て、咄嗟に伸ばした手はノワールの手首を掴んだ。
その瞬間、大きく肩を揺らして黒い双眸が開かれる。
「っ、は……、はぁ……」
ノワールの瞳は最初にレオンを捉えた後、忙しなく周囲を巡った。やがてここが自室だと確認した後で、ようやくその視線をレオンへと戻す。
「……レオン、さん……?」
どうしてここに、とでも言いたげに名前を呟くが、すぐに事情を思い出したように、恥ずかしげに目を逸らす。
手の内にあるあまりに細い手首に思わず息を吐き、レオンはその手でノワールの濡れた頬を拭う。
「毎晩これだと、クマも出来るはずだ」
呆れたような、独り言のようなそんな声を漏らす。
一瞬の躊躇の後で、レオンは寝具の上へと自分の体を横たえた。ノワールの頭の下へと腕を差し込み、もう片腕は寝具越しにノワールの体を包むように回す。
「…………!?」
ノワールは今までで一番と言っていいほど、体を固くしていた。レオンもまた耳の先を赤く染めていたが、ノワールに背を向けさせている今気付かれることはない。
「俺も、幼い頃は母によくこうしてもらった。……人の体温というのは、思いの外、安心出来るものだ」
だから他意はないと、そう自分に言い聞かせるように告げる。
腕の中でノワールは何度か固く頷く。
「で、でも……それだとレオンさんのお布団が……」
「俺はいい。寒くなったら自分の毛布がある」
「…………」
腕を枕の代わりにしていては、ソファに残してきた毛布を取りにいくことも出来ない。そんなことは分かっているはずだが、ノワールは言及せず、また小さく頷くだけだった。
やがて強張っていた肩からも力が抜けていき、代わりに規則正しい寝息が響く。その晩、ノワールが悪夢にうなされることは、もう無かった。
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