第18話『秘密』
「どうなんだ、ノワールとは」
相変わらず執務室で書類を広げているヴィクトリアはそう訊ねた。
先程からペンは動いているものの、あまり仕事の進みは良くない。
「どう……とは?」
ソファに腰掛ける弟のレオンハルトは僅かに眉を上げて答える。
「仲良くやっているのかと聞いている」
「ええ。庭の花を見せれば喜んで下さいますし、今度買い物に出掛ける約束も交わしました」
「そうか。懐かれているようで何よりだ」
ふと、会話が途切れる。
ヴィクトリアの会話の裏に隠れているもう一つの質問を読み取って、レオンは溜息を吐いた。
「恋愛感情という意味で聞いているのでしたら、ありませんよ」
「ふむ、そうか。それは残念だ」
ヴィクトリアは言葉とは対照的に、事もなさげに答える。
「俺に限らず、貴族なんか恋愛結婚などする方が稀です。俺も姉上も、この歳まで婚約者がいない方がおかしい」
「お前には山程の求婚の手紙が届いていたが、全て蹴ったじゃないか」
「それは姉上もでしょう」
「私には父の代わりにヴァレンシュタイン家を支える責務がある。結婚などして、夫を名乗る人物に易々とヴァレンシュタインを明け渡すわけにはいかない」
「………………」
レオンハルトは黙り込む。
父は若くして病に倒れた。母も既に他界している。
当時、長男であるレオンよりも、少しだけ大人に近い立場にいた姉が当主代理に選ばれたことに不満はない。
姉は誰よりもヴァレンシュタインを大切に思う人だったからだ。大切に思うあまり、ずっと未婚のままきてしまったが。
「確かに、ヴァレンシュタイン家の名に涎を垂らす者よりはよほど安全です、神子様は。明らかに金や地位に興味が無い」
「それはそうだ。花が好きなようだから、庭園を別で一つ建ててやろうかと聞いたら必死に遠慮していたぞ」
「貢ぐ規模が、いきなり大きすぎます。怖がらせるなと言ったのは姉上でしょう」
呆れるように溜息を吐く。
それから少しの沈黙を挟み、レオンは座っていたソファの背もたれに大きく体重を預けた。
姉弟でいる時にだけ見せる、締まりのない姿。姉弟だけのこの空間にいる時に限っては、公爵家長男として飾る必要もないのだ。
「……正直言うと、扱いにくいです。闇の神子様というだけで触れるのも畏れ多いのに、生い立ちが『ああ』です。意図しなくても、いつか余計な言葉一つで傷付けて、折ってしまいそうで」
「確かに、一際繊細な子だ。だが――」
コッ、とペン先を鳴らしてヴィクトリアがペンを引く。
どうやら一枚の書類が仕上がったらしい。
それを机の端へと押しやりながらレオンへと告げる。
「もう行け。後で菓子を持ってきてくれと厨房に伝えておいてくれ。腹が減った」
「……はい、姉上」
中途半端に会話を切り上げられるが、ここで食い下がっても意味はない。こういう時は大抵まともな返事が返ってこないと知っている。
レオンはゆっくりと立ち上がり、振り返ることもなく部屋を後にした。
「お前も純粋な奴だ。ただ弱いだけの女などいるものか。どんな女も強かなものさ」
そう笑うヴィクトリアの声だけが、部屋に残っていた。
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