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第17話『優しさ』


「本日もお疲れ様でございました。ノワール様」

 

「……あり、がとう……」


 ノワールは丁度入浴を終えたところだった。

 使用人に敬語を使わないこと。それはこのヴァレンシュタイン家で過ごす上でのルールの一つだった。

 ノワールは注意して言葉を発する。

 髪を乾かし、梳かしてもらう間、ノワールは繰り返しそれを口にしていた。


 数日をかけて徐々に食事はしっかりしたものに戻っていき、今日はようやく初日に口にして倒れてしまったステーキを完食したところだった。

 満たされたお腹を押さえながら、ふと鏡越しに、髪を梳かしてくれているメイドを見上げる。鏡の中で、そのメイドと目が合った。


「どうされましたか?」


 メイドは柔らかく微笑む。ノワールは慌てて俯き、しかしおずおずともう一度視線を合わせにいく。

 これも、この数日でのノワールの進歩の一つだ。


「ううん。……嬉しいなって、思っていたの」


 目を合わせること。自分の気持ちを伝えること。

 それはノワールがヴィクトリアと約束した、自分なりの『努力』の形だった。

 もちろん裏では、どれだけ忙しくともそれを避けることがないようにと、当主代理から直々に使用人に対し徹底した命令が下されている。

 

 まるで幼子を慈しむような眼差しに少しだけ恥ずかしくなる。

 が、誰かが優しく見守っていてくれると知ったおかげか、ノワールは当初のように頻繁に体を固くして怯えることはしなくなった。


 ベッドに入ると、メイドが肩まで布団を掛けてくれる。


「ありがとう……」

 

「おやすみなさい、ノワール様」


 ノワールは無自覚だったが、それは確かに笑みの形だった。

 メイドもまた微笑み返し、最後に恭しく頭を下げ、部屋を去っていった。

 夜間に点灯させるための、ぼんやりとした明かりを灯すランプが薄暗い部屋を僅かに照らす。

 

「…………」


 ノワールは、何気なくサイドテーブルへと視線を向ける。

 枕元に用意された冷たい水。ノワールが気に入った花を庭師が摘んでくれたので、それも一緒に枕元に飾ってある。

 傍らには、ヴィクトリアが贈ってくれたぬいぐるみが一緒にベッドに潜っていた。ドラゴンという伝説の生き物らしい。もっとも、かなりデフォルメされてつぶらな瞳をしているが。

 

 それは全て、ノワールに向けられた優しさの形だった。


「……怖い、な」


 ぽつりと、ノワールは呟く。それは、紛れもない本心だった。

 意図せず手に入れてしまった、あれだけ憧れた優しさ。

 憧れるだけなら、まだ耐えられた。でも、一度向けられてしまった優しさが失われたら、自分はどれほど悲しくなるのだろう。

 ほんの数日だけで、こんなに愛しいのだ。耐えられるだろうか?


「怖い……」


 思わず涙が滲む。

 誰が見ているわけでもないのに、ぬいぐるみに顔を押し付けて隠した。

 

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