嗚呼、父の日
エッセイです。
以前わたしが書いたものでウケがよかったので、もしよろしければ・・・。
(蓮舫議員が仕分けしてた頃の文章ですねー(笑))
日本の6月には何の行事もないのかと思えば、父の日がある。
私が生まれる前からあるはずなのに、毎年あるのに毎年忘れる。どころか、明らかににわか商業路線に乗るハロウィンのほうがまだ有名になってしまっている気もする。こんなに印象の薄い父の日。もはや祝日にするくらいしか知名度を上げる手立てはない。
ただ、幼稚園くらいの子達には一応ひとつのネタになっているようだ。先日、私の近隣のスーパーでは父の日に際して父親似顔絵コンクール(だったんだと思う)が開かれていた。
レジを越え、買った物を袋に詰める場所の一角を陣取って壁一面に並んでいるお父さん。…いろいろな意味でピカソを超える鬼才たちが腕によりをかけて描いた作品が展示されていた。
目が二つ鼻が一つ口が一つという、人類の暗黙のルールをかろうじて守っているお父さんも中にはいるが、中には全身緑色の物体が随所にちりばめられて、もはやどれがどのパーツだかわからないお父さんもいて、思わず「この子のお父さんは地球外生命体ですか?」とつぶやきたくなってしまうほどにすさまじい。
たまに小学校の上級生くらいの子も参加しているのだろうか。明らかに何かの漫画に影響された、でも、それだけにいろいろなポイントをちゃんと抑えてかわいらしく描かれている作品もある。
女の子が描いたのだろう。背景も宝石箱の中のようにきらきらと輝いた七色をあしらっており、上のほうにはそっと「お母さん☆」と書かれている。
お母さんじゃないかー――――!!!
…やはり父の日は祝日にしないとこのままではその存在が危ぶまれてしまう。れんほー議員に仕分けされてしまうことも近かろう。
そんな中、いくつかの作品にはその右上に、よくギフトなんかで用いられる、テープを織り込まれて作られる花が飾られていた。これは「~~賞」みたいな栄誉なんだろうか。
受賞作は黒いたこ糸のようなモノが複雑に絡み合った「たわし」のようなものが中央に据えられている意欲作で、「これはお父さんのどこの部分なのか」を嫁に聞いてみたら、そのたわしの隣に浮いておられる全身灰色のなにかを指差して「これがお父さん」と教えてくれた。私はその存在に、いわれてはじめて気づいた。それくらい薄い。
作者宅のお父さんはたわし職人なのか、それともたわしより存在価値が薄いことを表現しておられるのか謎だが、みごと審査員の心をつかんだ受賞作である。まぁ、「お母さん☆」を選ばなかった主催者の、最後の抵抗ともいえなくもない。
そんな父の日。ほほえましいけどなんか悲しい父の日。いつか私に子供ができたとしても、おそらく存在を知られることもなく成人するであろう父の日。
たわしに負けないようにするにはやはり祝日にするしかないのではないだろうか。