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翌朝。ハーキントン侯爵から、ルファが着るためのドレスが数着送られてきた。ここまで質の良い生地で仕立てられたドレスをもらったのは初めてで、一着箱から出して部屋の窓辺に飾った。
ルファは下働きをするためのシュミーズとエプロン、それから灰色の古びた外出用のドレスしかなく、侯爵の元に赴くには心もとなかったのだ。
「綺麗なドレス! 私にはとても着こなせないだろうけど、とても素敵だわ」
自分には似合わない。似合うはずがない。
だけど、たとえ似合わなくても眺めているのは好きだ。綺麗なものを見ているのも好きだ。
あの侯爵はなぜ、ルファを選んだのだろうか。美人でもなく、誰も見向きもしない自分などを。
人魚ならもっと美しい者もいるし、なにより噂が立っていたエリーチェではなくて良いのだろうか。
他の人魚達は自分より劣るルファを侯爵が選んだので納得できなかったが、これがエリーチェであったなら、彼女達は愚痴をこぼしながらも受け入れたに違いない。
白髪の、人魚よりも誰よりも綺麗なあの人は、なぜ自分を選んだのだろう。
変わり者だと言われているが、あの容姿なら確かに信奉者も多いはず。それこそ、王妃に選ばれるような、最高峰の美女だって手に入れることができるのに。
「……私、嫌な女だわ」
理由などなんだって良いではないか。人魚達から疎まれ、蔑まれ、泣くしかないこの地獄から抜け出せるのなら、なぜ自分を選んだのかなんて気にすることはない。
せっかくの贈り物だと言うのに、暗くなる考えに嫌気がさす。情けない考えばかり搾り出す自分を叱咤し、贈り物をもう一度眺めてから立ち上がってホールの掃除に向かった。
***
日が暮れ初め、一日が終わりを告げようとする。長い時間をかけて広いホールを掃除し終えたルファは、疲れた手足を引きずるように動かしながら部屋に向かう。
居住区の棟。三階の端。静かな廊下を歩いて、やがて見える自分の部屋。木製の扉には、ナイフで刻まれた《ネズミの巣》の文字。
かなり前に彫られた、ルファが忌む刻印。いつものようにそのドアノブへ手をかけ──回す前に扉が軽く開いた。
「……え?」
鍵などついてはいないが、きちんと閉めて出たはず。それなのに、なぜ……。
混乱するままドアを押して開き、頬に何か飛んできて、指でそれを掴む。
「なに、これ……」
薄桃の、小さな布の欠片。それは部屋の床一面に広がっていて、さらに青、紫、緑の布の欠片が落ちていた。
部屋の隅には長方形の箱が刃物でボロボロにされていて──ようやくそれらが美しいドレス達だと理解した。
数刻前までは、美しく、煌びやかであったもの。ルファが持つ、唯一の綺麗なもの。それらが、この国でもてはやされ、崇められもする人魚達の手によって、無残な姿に変えられていた。
「なんで……、だって、こんな……」
美しいものは似合わない。けれど、初めて自分のために仕立てられたもので、初めて婚約者が自分に送ってくれたもの。
こんなことがあって良いはずがない。全て夢で、自分はちょっと悪夢を見ているだけ。
「……酷いわ」
だけど、いつまで経っても夢から醒めるはずもなく、段々と日が落ちて部屋が暗くなるのと同時に、ルファの心も暗く沈んだ。
帰国した今話題の侯爵様。大公殿下からの信望も熱い公爵家の跡取りであるご長男。
対するルファは、仲間から疎まれネズミと蔑まれる半端な人魚。誰からも好かれず評価されず、ただ窮屈な毎日を送るだけ。
自分は、都合の良い夢を見ていた。幸せに暮らせて祝福もされるだなんて。制裁を受けないはずがないのに。
明日は素敵なドレスを着て、素敵な婚約者に合う。自分には似合わないけれど、やっぱり着てみたくて、恥ずかしいと思いながらも、豪華な馬車に乗って、新天地へ向かう。──そんな事を想像していた。
だけど現実は、綺麗なドレスは全て切り裂かれていて、残ったのは惨めな自分だけ。明かりもつけずにベッドに潜って泣くことしかできない臆病者。
無残に引き裂かれたドレスを握り締めて涙で枕を濡らしてから、いくらか経った頃。
自分の無力さに悔しさを噛み締めていると、扉を数度ノックされた。
「……はい」
小さな声で答えると、深い落ち着いた声が返ってきた。
「ルファ様ですね? ハーキントン家の執事を勤めておりますコリアランと申します。夜分にお尋ねして申し訳ありませんが、少しよろしいでしょうか」
思いがけない客人に、ルファは慌ててベッドから抜け出し、身なりを軽く整えてドアを開けた。
「こ、こんばんは。……ハーキントン家の執事さんが、なぜここに?」
黒い燕尾服を着こなす老執事は、丸い眼鏡の奥にある目を優しく細めて微笑んだ。
「こんばんは。バセット夫人から連絡がありまして、ドレスが紛失したと聞きました。……急なことでしたので、少しサイズが違うかもしれませんが」
そう言って綺麗に装丁されている箱を渡されて、目を丸くする。
「あ、ありがとうございます。夫人が連絡を? 全然知りませんでした」
まさか夫人が連絡してくれるなんて。意外に思いながら感心していると、コリアランは純白の手袋をはめた指で、そっとルファの目元をぬぐう。
「失礼。 ……泣いていらっしゃったのですか?」
「い、いえっ!」
突然のことに真っ赤になりながら反射的に否定するが、涙をぬぐわれたのだからなにを言っても無意味だろう。
コリアランはそれ以上なにも言わず、柔らかく微笑むと、腰を折って一礼した。
「明日お迎えに上がります。ゆっくりとおやすみください」
なぜ、この人を見ているとこんなに落ち着くのだろうか。人を癒す力があるに違いないコリアランの言葉が耳に響き、いつの間にか自分も微笑んでいた。
「ありがとうございます」
ドアを閉めながらコリアランを見送る。完全に閉ざされるまで目に映していると、 不思議と元気が補充されていく。
悲しい気持ちが少しだけ和らいで、ゆっくり眠りにつけそうだと確信した。
人魚達のことは考えないようにしよう。他の誰がなにを思っても、自分を待ってくれている人がいる。
たとえそれが、 どんな理由であっても今は安らげた。
明日は、ここから出られる。ただそれだけに意識を向けることにした。




