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コクリと頷いた後、どちらからともなく言葉が消えた。
何を言っても正しくて、何を言ってもどこか間違えているようで。痛いくらい気持ちがわかるから、そこから一歩も動けずにいた。
わかっているのはここから先に、安全圏などないということ。自ら飛び込んだのに、リコはきっと自分を責めてしまう。そんな残酷な答えもわかっていたのに、俺は自分の気持ちを曲げられずここにいるわけで。
ただ一つだけわからないのはリコの本当の気持ち。
目的も、欲望も何一つわからない。今までに何度も重ねたはずの唇さえ、どこか儀礼的に感じてしまっていて。
人の心は見えない。だからこそ知りたい。だけど、目を凝らしたところで見えるのは過去の傷。月のない夜のような漆黒。そこには光なんてない。まるで黒い朝みたいで。
未だに沈黙は続いている。
沈黙は心の内側を雄弁にする。ネガティブな思想に基づく、終わらない自己討論。
俺にとっては薬やそのシンジケートなどどうでもよくて、ただリコを救いたいだけ。遠い昔に無くしてきたはずの"普通"を取り戻したいんだ。
環境は人を大人にしてしまうから。
ベッドスプリングの反動を使い、器用に立ち上がると黙ったまま彼女は俺を見つめた。
その視線を横切るように、冷蔵庫からビールを取り出した。小気味良い音を立て、昇る泡の微粒子。言えない言葉を飲み込むように、グイッと流し込んだ。
その瞳には何が映っているのだろう?少しだけ潤んでいるけど、何かを見据えている大きな瞳。強い意志を感じるけれど、それがわかるようなエスパーにはなれないよ。
缶の底にわずかに残った滴まで飲み干して、俺は腰を上げた。
「リコ…言ってくれなくちゃわからないよ」
結局、沈黙に音を上げたのは情けないけれど俺の方で。頭の意思とは裏腹に、眠ったはずの感情が目を覚ます。
伝わらない思いは、いつしかトゲに変わり、身をえぐるんだ。
『あたしだってわからないのよ。こんな時に冷静でなんていられない』
本心からの叫びなのだろう。小さく震える肩が、より切なさを増す。
捨てたはずの感情がリコの中でも、戻ってきたのだろう。
『きっと出会わなければ、こんな思いをしなくて済んだのに…』
「お互い様だろ?でも、俺たちはもう出会ってしまったんだよ。今さらなかったことにはできないし、だったら…進むしかないんだ」
…そう、全てはあの日の出会いから、始まったんだ。