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「断罪6:人食い洞窟──旅人を呑む影」

 王都レガリアの玉座の間は、朝の光を斜めに受け、石床の上に長い光条を描いていた。私は玉座に腰かけ、冷ややかな眼差しで進み出る男を見下ろした。男は旅装のまま、髪も衣も埃にまみれ、ひざまずいた瞬間に涙が頬を伝った。


「陛下……どうかお助けください……!」


 その声は擦り切れ、叫ぶというより掠れた祈りだった。男の手には革の旅袋と、女物のスカーフが握られている。震える指でそれを差し出し、言葉を続けた。


「妻と旅をしておりましたが……村の外れで突然……いなくなったのです。荷物もそのまま残されて……足跡さえ……」


 広間がざわめいた。廷臣たちが顔を見合わせ、民衆の列からも不安げな囁きが漏れる。

「また旅人が消えたのか」「噂は本当だったのだ」と。私は黙ってその光景を眺め、目を細めた。


(やはり……旅人が消えるという噂は、ただの風聞ではなかったか)


 男の指先は白くなるほどスカーフを握りしめていた。彼の瞳には恐怖と、理解できない現実への憤りが浮かんでいる。玉座の上からその様子を見つめながら、私はゆるやかに声を落とした。


「旅人が消える噂……これまでも耳にしていた。だが、動かぬ証がなかった」


 その言葉に群衆が一瞬静まり返る。私の横で控えていたルシアンが眉をひそめ、低く息を呑んだ。彼の漆黒の近衛鎧が朝の光を鈍く反射する。


「……陛下、まさか……」


 彼の声はわずかに震え、視線が私に問うていた。私は頷き、視線をガレスに移す。


「ガレス」


「御命に」


 近衛兵長ガレスが前に進み出る。彼の顔は石のように無表情だが、瞳の奥に冷たい光が宿っている。私は冷ややかな声で告げた。


「近郊の街道沿い、村の外れを調べよ。洞窟でも森でも、すべて洗い出せ。影を暴き、光にさらせ」


「御意」


 ガレスは短く返し、すぐに近衛兵団の名簿に指示を飛ばし始めた。鎧のぶつかる音が広間に響き、緊張が走る。


 ルシアンはその傍らで視線を落とし、深く息を吐いた。彼の胸中には複雑な思いが渦巻いているのが私にはわかる。これまで私の断罪は「王国の民」を巡るものだったが、今回は“外から来た者”が被害者だ。彼の瞳には疑念が浮かび、内心の声が聞こえるかのようだった。


(これは正義か、それとも……王国が恐怖で縛る舞台の延長か)


 私はその揺らぎを横目に、唇に冷たい微笑を浮かべた。外の者にまで広がる“断罪”の波は、私の望む秩序をさらに強固にするのだから。


 玉座の間に朝の光が差し込み、石床の上に長い影を描いていた。私は玉座に腰掛け、膝を折ったルシアンを見下ろしていた。彼の鎧にはまだ森の湿気と血の匂いが残っている。


「陛下……ご命令通り、街道沿いと村の周辺を探索いたしました。その結果、村外れの森の奥に怪しげな洞窟を発見しました。旅人が行方不明になった現場の近くでございます」


 廷臣たちの間からざわめきが漏れる。「洞窟……」「噂は本当だったのか」と。私は黙ってその光景を眺め、目を細めた。


 ルシアンは一瞬息を整え、続けた。声はかすかに震えていたが、言葉は鋭く真実を刻んでいた。


「洞窟内には旅人の遺品や人骨が散乱し、奥には鎖に繋がれた生存者もおりました。まさに人食い蛮族の巣窟にございました」


 私は彼の顔を見据えた。血と灰を背負って帰還したその瞳に、かつて裏切りに炎を浴びた私自身の記憶が重なっていく。


「人食い……洞窟……」


 低く呟く私の声は、広間に落ちる鐘音のように響いた。ルシアンは拳を固く握りしめ、さらに告げる。


「彼らは人を喰らい、生贄のように旅人を閉じ込めておりました。陛下の断罪を……お待ちしております」


 私はゆるやかに立ち上がった。長衣の裾が石床を擦り、冷たい空気がひとつ波打った。


「よい……ご苦労だったな、ルシアン」


 私はその報告を胸の奥で反芻し、目を細める。森の奥に潜む洞窟──血と骨と影の巣。人を喰らう者たちがひそみ、旅人を狩り、腐臭を吐き出す穴。私は内心で冷ややかに笑った。


(ようやく、引きずり出せる……これまで影だけだったものを、今ここで光にさらすことができる)


 玉座の間に集う者たちの視線が私に集まっているのを感じながら、私は静かに宣告した。


「ガレスを呼べ。洞窟の入口を封じ、光も食糧も与えるな。人を喰らう者は、飢えに喰われよ」


 私の声が低く広間を渡ると、廷臣たちの間にざわめきが走った。ルシアンは一瞬だけ眉をひそめ、深く頭を垂れた。彼の胸中に生まれた疑念の影を私は見逃さなかったが、それすらも今は断罪の燃料に過ぎぬ。私は玉座に腰を下ろし、冷たい微笑を浮かべた。これから始まる光景を、既に思い描いていた。


 王宮からの命を受けたガレス率いる近衛兵団は、夜明けとともに森へと向かった。霧が漂う街道の先に、旅人たちを飲み込んできた黒い裂け目──人食い蛮族の洞窟が口を開けていた。


 「陛下の命に従い、封鎖を開始する」


 ガレスの声は低く、鋼のように冷たい。兵士たちは頷き、巨木を切り倒し、岩を転がし、洞窟の入口に積み上げていく。鉄鎖が軋む音、杭を打ち込む槌の響きが森の中にこだました。まるで暗黒そのものを封じる儀式のようだった。


 洞窟の奥からは獣じみた唸り声と怒号が響く。「出せ!」「殺してやる!」その叫びは、封鎖が進むにつれ恐怖と焦燥を増していった。石の隙間から伸びた血まみれの手が鉄鎖を掴もうとしたが、ガレスの合図で槍が突き出され、すぐに引っ込む。兵たちの顔に冷や汗が滲むが、誰ひとりとして後退しない。


「……光も、食糧も与えるな」


 私の伝令が女王の言葉を伝えると、ガレスは深く頷き、そのまま作業を続けた。彼の背には長年断罪を執行してきた重さと、いまこの瞬間に自らが地獄の門番となる覚悟が刻まれていた。


 封鎖を見守る森の木陰には、救出された旅人や村人、そして好奇心と恐怖に駆られた民衆が集まっていた。囁きが波紋のように広がる。「生かしたまま飢えさせるのか……」「人食いに相応しい裁きだ……」恐怖と興奮に頬を紅潮させ、祈るように手を組む者、拳を突き上げて歓声をあげる者、視線は洞窟の暗い口へ釘付けだった。


 私の傍らにはルシアンが立っていた。彼は剣の柄に手を置き、静かに洞窟を見据えている。眉間に寄せられた皺が、彼の胸に去来する疑念を隠しきれない。


「……陛下、これは処刑よりも……」


 彼が小さく言いかけたとき、私は視線だけを彼に向け、微笑を浮かべた。


「正義は多くの形を取る。今ここで、その姿を覚えよ」


 ルシアンは唇を噛み、黙り込んだ。彼の目はなおも洞窟に釘付けで、その奥から聞こえる断末魔のような声にわずかに身を震わせた。


 ガレスは最後の鎖を締め、深く息を吐いた。封鎖は完了し、洞窟は闇と石と鉄に閉じ込められた。奥から聞こえる声は獣の吠え声から哀願へ、そしてやがて低いうめきへと変わっていく。


「封鎖、完了いたしました」


 彼が振り返り、私に報告する。その声には一片の躊躇もなく、ただ冷ややかな職務の響きがあった。私は馬首を返し、森の奥を見渡しながらゆるやかに言葉を落とす。


「人を喰らう者は、飢えに喰われよ。これより、この国の裁きの意味を骨身に刻ませる」


 その瞬間、森にざわめきが広がり、風が吹き抜けた。松明の炎が揺れ、青白い光が民衆の顔を照らす。彼らの瞳に映るのは、慈悲深き女王ではなく、断罪を与える炎の女王の姿に見えたであろう。


 洞窟が完全に封鎖されてから三十日が過ぎた。森の奥にはもう松明の光もなく、ただ風に揺れる鎖の音だけが残っていた。私は玉座の間で報告を受けていた。ガレスから届く文には、「内部からの声が日に日に弱まり、いまや呻きと物音だけ」と記されていた。


「……蛮族どもは、まだ生きているのか」


 私の問いに、傍らに立つルシアンは短く息を呑み、低く答えた。


「今朝、ガレスから伝令が届きました。内部からの叫びは絶えず弱まり……昨夜には、奇妙な咀嚼音が響いたと」


 広間の空気が凍りついた。廷臣たちの顔に浮かぶ恐怖と嫌悪が、かつて蛮族が旅人に与えた恐怖そのものの鏡のように見えた。


「咀嚼音……共食いか」


 私の声は低く、鉄を擦るように響いた。ルシアンは頷き、拳を固く握った。その横顔には怒りと、どこかしら諦めにも似た哀しみがあった。


「彼らは……互いに喰らい始めたようです」


 廷臣の一人が小さな声で祈りを呟く。だがその声さえも広間に吸い込まれ、静寂が広がった。私は目を閉じ、かつて火刑の柱に縛られた自分の姿を思い出していた。誓い、裏切り、炎、そしてこの飢え。すべては繰り返す。


「陛下……ガレスは、洞窟内を調べる準備を進めております。最後の断罪の確認を、と」


 ルシアンがそう告げると、私はゆっくりと頷いた。


「よかろう。飢えの果てを見届けるのも、裁きの一部だ」


 森の奥。ガレス率いる近衛兵団は再び洞窟前に立っていた。巨大な石と鎖を外し、ゆっくりと入り口をこじ開ける。腐臭が一気に吹き出し、兵士たちの目に涙がにじむ。


「……後退するな。進め」


 ガレスの声が鋼のように響く。松明が奥を照らすと、そこに広がっていたのは地獄絵図だった。壁一面に血と爪跡が残り、床には骨と肉片が散乱し、そして中央には蛮族の少年がひとりだけ残っていた。


「……子ども、か」


 兵の一人が呻くように呟いた。少年は血にまみれた顔でこちらを見上げ、骨を握ったまま低く唸った。周囲には喰い荒らされた大人の蛮族の死骸が山のように積まれている。眼窩はえぐれ、手足は千切れ、皮膚は剥がされ、冷たい光の中で赤黒く照り返していた。


「こいつが……全部、喰ったのか」


 別の兵が吐き気をこらえながら言う。ガレスは表情ひとつ変えずに少年に近づき、剣を抜いた。その背に長年の断罪を背負う男の冷たさがあった。


「陛下に報告せねばならん。捕縛する」


 少年は牙を剥き、低く唸った。その瞳には獣の光と恐怖の奥にひそむ人の影が揺れていた。兵士たちが鎖を投げ、少年の腕を縛る。骨が床に落ち、鈍い音を立てた。


 森の空は曇り、冷たい風が吹き抜けた。ガレスは松明を持つ手を強く握りしめ、洞窟の奥を一瞥した。彼の胸の奥にあるのは職務の冷徹さか、それとも言葉にできぬ嫌悪か。彼自身にも分からなかった。


「これが……飢えの果てか」


 ルシアンの呟きが私の脳裏に届いた気がした。私は玉座の上で目を閉じ、その光景を想像し、心の奥底で冷たく呟いた。


(人を喰らう者は、飢えに喰われる。それが私の断罪だ。だが……この子の瞳にある影は、次の炎の種になるのかもしれぬ)


 広場は、冬の光が薄く差し込む中に張りつめた沈黙を抱えていた。王宮の石畳は凍りつくように冷たく、そこに鎖でつながれた蛮族の少年がひとり、膝を折らされていた。鎧に身を包んだ近衛兵が取り囲み、その後方には見物に集まった民衆が幾重にも列を作っていた。ざわめきは低く、まるで祈りとも呪いともつかない囁きが波のように押し寄せていた。


 鎖が鳴る音。猟犬たちの荒い息づかいが、鋭い牙の奥から白い蒸気となって吐き出される。鉄の爪が石畳をひっかく音が、張りつめた空気をさらに細かく裂いた。群衆は目を覆いながらも、指の隙間からその光景をのぞいていた。


 私は玉座からその様子を見下ろしていた。冷ややかな視線の奥で、胸の内は静かに波立っていた。

(誓いはいつも偽り……だが、ここで何が示されるか。恐怖か、正義か、それとも……)


 傍らに立つルシアンの横顔は固く、彼の瞳は犬たちの牙よりも冷たい光を宿していたが、その奥にかすかな動揺を私は見逃さなかった。


「……陛下、これはあまりにも……」

 ルシアンの声はかすれ、しかし確かに私の耳に届いた。


 私はゆるやかに彼を見やり、言葉を落とした。

「正義の形は一つではない。これは恐怖のためではない。罪の重さを、国そのものに刻むためだ」


 その時、ガレスが一歩前に進み、群衆に向けて短く命じた。

「――放て」


 鎖が外れ、猟犬たちが一斉に飛びかかった。低い唸り声と共に、鎧に食い込む牙の音、布が裂ける音、鎖が引きずられる音が交錯し、広場全体がその響きに包まれる。


 少年は短く叫び声をあげたが、すぐに喉を塞がれ、声が途切れた。観衆の前に見えるのは、ただ黒い群れが蠢く影と、飛び散る布と髪の断片だけ。石畳に濃い影が広がり、鐘の音がかすかに風に揺れる。

「やめろ……」

 ルシアンの喉からかすかな呟きが漏れた。だが、誰も止めない。モルガーナの瞳は冷ややかに光り、すべてを見下ろしていた。


 やがて犬たちの動きが収まり、静寂が戻る。鐘の音がひときわ大きく鳴り響き、群衆の悲鳴とも歓声ともつかない声が渦を巻く。誰もが目を逸らしながらも、瞼の裏に焼き付いた断片から逃れられなかった。


 その瞬間、鐘の音が鳴り響いた。低く、腹の底を揺らすような音。

 群衆の中から悲鳴とも歓声ともつかない声が爆ぜた。「これぞ裁きだ!」「女王の正義だ!」と叫ぶ者、祈りの言葉を吐く者、肩を抱き合って震える者。


 私は静かに瞼を閉じた。暗転した視界の奥で、犬たちの足音と鎖の鳴る音、そして押し殺されたような声が重なり、やがて鐘の音と群衆のざわめきにかき消されていく。


 やがて全ての音が静まり、広場には風の音だけが残った。私は目を開け、ゆるやかに立ち上がった。

「人を喰らう者は、飢えに喰われよ。これで終わりだ」


 その言葉に群衆は再びどよめき、恐怖と興奮の混ざった熱を吐き出した。ルシアンは沈黙したまま剣の柄を握りしめ、顔をわずかに背けた。彼の胸の内に芽生えたもの――それは恐怖か、疑念か、あるいは別の何かだった。

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