第五話 ベルサ山脈
もうすぐベルサ山脈に到着する。
俺にこっ酷く怒られた勇者様は、珍しくしょんぼりしながら隣を歩いている。反省しているのはいいが、これはこれでリズムが狂う。
「おい、舞。さっきは言い過ぎたよ。悪かった。お前のおかげで助かったんだし、元気を出してくれよ」
「本当……?」
イケメンは涙を浮かべて上目遣いで俺を見つめている。
……なんだろう。この気持ちは……。まさかこれは……殺意?
いやいやまさか。俺は相手がイケメンだからってなんとも思わないさ。元の顔が不細工だったことなんて、ちっとも気にしていないのだから。嫉妬なんてとんでもない。ナックルを握る手が震えているのも、きっと気の所為だ。
「それより翔。聖剣のことはどうするんだよ。あんな森の中に落ちちまった以上、探すのは無理じゃないか?」
「時間に余裕があれば良いのですが、森の中にはあまり長居したくありません。あんな鳥が巣食っているような場所、身が保ちません」
「そうだな……。仕方がない、諦めよう。あれがないと魔族を倒せない、なんてシナリオなら最悪だが、なんとかするしかないだろう」
「うう……本当にごめんなさい」
「だからもう気にするなって。ほら、そろそろ麓に到着するぞ。気を引き締めろ」
昨日までは遠くに見えていた山脈は、今や眼前に大きく立ちはだかり、鬱蒼とした森に覆われている。自然に包まれていることでの清涼感は一切無く、不穏な鳥の囀りが、木々の間から漏れ聞こえてくるのみだ。
「なんか……腰が引けるよな」
「気味が悪いです……」
「ここからはみんな、注意して進むぞ。いつ魔物に襲われるか、分からないからな。当分の間、遠い敵は彩、接近してきた敵は俺がなんとかする。義一と舞は索敵に専念してくれ」
「分かった!」
「オッケー」
と、言いつつも四人ともこんな状況は初めてだ。索敵なんてものはあくまで気分的なもので、おざなりもいいところだった。
しかし、幸運なことに、魔物の姿は一切見当たらず、静けさだけがひたすらに続いていた。
慣れない緊張感に身体は強張り、随分と疲れてしまったが、それで済むなら安いもの、そう割り切るしかない。
しばらく進み、そろそろ休憩にしようと皆に伝えようとした時、突然義一が口を開いた。
「何か聞こえないか?」
「何かってなんだ?」
今のセリフ、ホラー映画を思い出したぞ。
「泣き声だ。女の子の」
義一、俺が悪かった。本当に止めてくれよ。こんな薄暗い森の中で。怖い話は苦手なんだ。
「でも、私には聞こえないよ?」
「私もです」
「……本当だ。俺も聞こえないぞ。義一の気のせいじゃないか? 」
「そうかぁ? 確かに聞こえるんだけど……ほら、こっちの方だ!」
「バカッ!よせって!」
俺の制止を聞きもせず、義一は茂みの中をどんどん進んでしまう。
「義一さん待ってください!」
「はぐれちゃまずいよ!」
「おい二人とも!……待ってくれ!」
後を追う二人。それを追う俺。
おいおい、追いついたらみんな死体になってましたなんてオチ、シャレにならないぞ。
走っているうちに、泣き声がこちらにも聞こえてきた。女の子の啜り泣く、嗚咽の混じった声だった。
「いた!」
義一の声が聞こえたのは、走り始めて一分ほど走った後だった。
「あの……ぐす……あなた達は……?」
一人の少女が、年配の兵士の側に座り込んでいた。横たわる兵士の鎧は、土と血に塗れており、無数の傷跡が生々しかった。女の子も土埃を被ってしまっていたが、怪我は負わずに済んだようだ。金髪碧眼の可憐な女の子は、そんな状況の中でも美しく見えた。
「ほら、舞。なんとか言ってやれ。勇者として」
女の子には聞こえないよう、小声で指示。
「え? 私? 分かった!」
自信満々に頷くと、女の子に向かって一歩踏み出した。
「怪我はねぇかい、お嬢ちゃん?」
……なにか意味を履き違えてるな。いや、確かに主旨はそういうことではあるんだが。
「舞、もっと勇者っぽくいけ! 今のだとダンディなおじさまだぞ」
またもや小声である。
「分かった!」
少女は俺と舞のやりとりを不思議そうに眺めていた。
まあ、泣き止んでくれるならなんでも構わないけどな。結果オーライだ。
「大丈夫? 君は……街の子なのかい?」
「はい……兵士の父が帰らないのが心配で、一人で森の中に入ってしまったんです。出会えたのは良かったけれど……魔物に襲われてしまって」
「そうか……すまない、間に合わなくて」
「いえ、そんなことは……ところで、みなさんはどういった方なのですか? こんな森の深いところまで来る人は、なかなかいません。今は魔物が多く潜んでいますから、尚更不思議です」
「ああ、私達は勇者一行だ。行方不明になった者の捜索と、ここに巣食う魔族の退治を頼まれている」
突然会話に入り込んできた義一。顔はクールにキメていたが、目に下衆の色が浮かんでいるのを俺は見逃さなかった。
こいつ、可愛い女の子となれば本当に見境ないな。時と場所を選ぶべきだろうに。
「ゆ、勇者様ですか! でしたらお願いです!この先に砦らしき建物を見つけました!魔物から逃げながら見つけたので、詳しい位置は定かでありませんが……」
「わ、分かりましたわ。しかし、あなたをここに放っておくわけにはいきません。一度街に戻って……」
「いえ! 私のことは心配しないでください! もともと死んだも同然の命ですから!」
俺たちが勇者だと分かった途端、少女は興奮気味に喋り出した。俺がシェリーとして宥めようとしても、全く取り合おうとしない。
親の仇を取りたくて、必死なのかもしれないな。
「仕方ありませんね。あなたもついてきて頂けますか? 」
「えっ!ちょっとしょ……シェリー! それは危険だよ!」
舞のやつ、翔と呼ばなかったのは偉いが、口調は元に戻ってるぞ。まだまだ慣れるまで、時間がかかりそうだな。
「ケイト。シェリーの言う通りだ。ここに置いていくのはもったいな……危険すぎる。私たちが帰って来るまで魔物と接触せずに済むとは思えない」
「……同意だ」
義一、お前もう帰れよ。そして彩。意思を示すのは大事だが、いきなり喋るからみんなビックリしてるぞ。
「ありがとうございます……お邪魔にならないよう努力しますので、よろしくお願いします」
「みんなもいるし……分かった。一緒に行こう!」
頭を深々と下げる少女に、結局は舞も折れたようだ。
「しかし、ここからどう進みましょうか? 走ってきてしまったせいで、元の場所が分からなくなってしまいました。敵の砦が近いのならば、より注意して行動しなければなりません」
……あれ? そういえば。義一の奴、あんなに遠くの位置から、微かな泣き声をよく聞き取れたな……。もしかすると、あいつの身体の『シン』はかなり聴力が優れているのかもしれない。
今は確かめられないが、街に戻ったら確認してみよう。
相手が女の子である故の地獄耳だった、という可能性も捨てきれないが。
「とりあえず前進しよう。君のお父さんを埋葬してあげられないのは辛いけど……」
「大丈夫です。全てが終わった時、またここに来て、私がしっかりお祈りしますから」
「……すまない、ありがとう。さあ! いつまでも同じ場所にいるのは良くない。わた……俺が先頭になるから、みんな付いてきてくれ!」
守るべき相手ができた途端、急に勇ましくなったな。きっと聖剣のことは忘れてしまったんだろう。調子のいい奴だ。
俺たちは少女を囲むようにして進み始めた。一度父親の方を振り返り、瞳に涙を浮かべる様を見た時は心が痛んだが、そのあとは二度と、少女が振り返ることはなかった。