マーカー
80、マーカー
道中一人だけ精霊と遭遇した。言葉を交わす間もなく襲いかかってきた。狗巻の死で苛立っていた神が容赦なく反撃し、その息の根を止めた。綾はそれを見てひりついた感覚を覚えながらも、まさにこれを目的として超深層に潜っているということを忘れまいとした。精霊たちを放置すれば、際限なく霊力を吸い上げてこの世界を滅ぼす。
「霊力はこの星の中心からダンジョンを通じて地上に流れ込み、いまや人類の暮らしに不可欠なエネルギー源となっている」
神は精霊の死骸を蹴飛ばしながら言う。
「しかし人類は格別霊力の扱いに長けているわけではない。その道の専門家である精霊の助けがなければ、その可能性を十全に引き出すことはできないだろう。いかに精霊どもからそのノウハウを吸収していると言ってもだ」
神の言葉に綾はどう反応すればいいのか分からなかった。こちらの世界の常識を十分に身に着けているわけではない。ダンジョンに潜っているか、研究所で演習に明け暮れているかだった。こちらの世界の日常はどのような様子だったのだろう。もしかするとそれを知る機会は二度と訪れないかもしれないのだ。
「何を言いたいんです?」
「精霊との協力関係が切られた今、人類は大きな痛手を負っている。もしそれが顕在化してくれば、精霊との再結託を目論む輩が出てくるだろう。だがそれは誤りだ……。人類は覚醒のときを迎えた。これを好機と捉えるべきなんだ」
神はそして前を見据える。
「精霊は見つけ次第殺す。一匹たりとも逃さない。たとえそいつがこちらに友好的だったとしてもだ。瀬山綾、お前にもそうしてもらう」
「……どうして私にだけ言うんですか」
「俺の部下はいずれも精霊に同情なんてしない。お前はいかにも甘ちゃんって感じだからな」
「分かりましたよ。でも……、ダンジョン内だけでなく地上にも精霊は多く残っているでしょう。彼らもそうするつもりですか」
「いずれはな。連中も一生命体には違いない。絶滅危惧種とかで保護対象になる前に殺し尽くさないとな」
それ以前に、精霊は高度な知的生物なのだから、倫理的な問題があるだろう。心情的には人を殺しているのと変わらない。絶滅危惧なんて、おかしなことを言う。
だが、確かに、精霊が根絶やしになって困る人はきっと大勢いるだろう。議論の余地を与え、抵抗勢力が力を持つ前に全てを終わらせることは重要なのかもしれない。神が「好機」と表現するのはつまりそういうことで、混乱に乗じて自分の理想の展開を作り出す、それは混乱期に実行力を発揮した人間の特権と言えるだろう。
「さて、200層が近づいてきたわけだが……。抗体の数が劇的に増えるわけでもないな」
ハリネズミが開けた穴を通りダンジョンを下り続けた一行も、ダンジョンが自動的に修復され、通常の階段での移動に移行した頃には、超深層の入口に近付きつつあった。嵐の前の静けさか、交戦があっても一瞬で終わり、危険を感じることは全くなかった。
「瀬山綾、お前には期待しているんだ」
神が突然言う。綾は驚いてしまった。
「私にですか? 異邦人だから?」
「お前には生命力がある。苛酷なダンジョンを生き抜き、研究所の攻略組に揉まれ、なお成長を続けるお前を、俺は高く評価している。異邦人であるということを抜きにしても、数年後には制圧部隊にスカウトしたい才能だと思っている」
「そんな……。大したことはないです」
突然何を言い出すのだろう。綾は訝しみながら言った。
「俺は、攻略組の佐久間楓や開発組の小田木と対立しているとよく言われる。実際、良好な協力関係とはいっていないかもしれない。だが目指している部分は同じだと思っている」
「同じ、ですか……」
「俺も佐久間も、俺の部下連中も全員、ダンジョンでの探索が好きなんだよ。それを奪おうとしている精霊どもには我慢ならん。お前はどうだ、瀬山綾」
綾は返答に窮した。探索が好きかって? 正直に言ってしまうと、良いイメージはなかった。こちらの世界の住民は日常的にダンジョンに潜る。もし予期せぬ事故がなければ、ダンジョンは安全に冒険を楽しめる施設であり、生活の糧を得ることのできる仕事場でもある。だが綾はそんな牧歌的なダンジョン風景をほとんど知らない。綾が知っているのは殺伐とした迷宮、そこで悲嘆の声を上げる人間たちの姿だけ。
「私は……。ダンジョンに完全に慣れたわけではないので」
「そうか。そういうものかもしれんな。だが、お前には素質がある。それは俺が保証してやる。だから一つ助言をする」
「助言ですか」
「そうだ。素直に聞け。何があろうと死ぬな」
綾は首を傾げた。
「……それが助言ですか?」
「そうだ」
綾にはよく分からない。死なない為の助言を貰えるかと思っていたのに、「死ぬな」というのが助言とは。そりゃあ、誰だって死にたくないに決まっているし、綾自身、自ら死を選択する理由がない。助言になっていない、と思った。
「訝しげな顔だな。素直に聞けと言っただろう」
「はい……」
「まあ、じきに分かる。分からないに越したことはないんだがな……」
神の言葉に綾は理解を示せなかった。綾も綾なりに死地を潜り抜けてきた。しかし神は綾とは比較にならないほどの場数を踏んでいる。そういった歴戦の戦士の境地に、綾はまだ辿り着けていないということだろうか。
「神隊長、レーダーに反応」
志村が言う。神は首をぼきぼきと鳴らしながら肩を回した。
「抗体か?」
「いえ。人間です」
「人間? 味方か」
「しかし、こちらに急速に近づいています。警戒を要する速度です。普通の状態ではありません」
志村の言葉に、神が姜に目配せした。姜は木伏から刀剣を受け取ると、一行の前に進み出た。
「少しでも危険な輩だと判断したら一刀両断にしますが、よろしいですね」
姜の言葉に神は頷いた。当然だろうと言いたげな志村の眼差しを浴びながら、姜が更に一歩、進み出る。
ダンジョンの奥から現れたのは女だった。目立った外傷はないが埃まみれで、機動靴を発動して凄まじい速度でこちらに向かっている。女は神たちを目視することができなかったようでそのまま通り過ぎようとしたが、姜が立ち塞がった。女は息も絶え絶え、立ち止まった。
「はあっ……! はあっ……!」
「何があったんですか、ご婦人」
姜が眼鏡の位置を直しながら尋ねる。女は姜を胡散臭げに眺め、それから神と志村を目視した。
「あっ……。特殊制圧部隊の……」
女の態度が一変した。それまで急いでいたのが嘘のようにゆったりとした動作で神に近付く。
「大変なんです、抗体の群れが現れて……。一緒にいた仲間が、全滅……」
「超深層の壁にぶち当たったか。このすぐ下か?」
「い、いえ、199層です。ここより三つ下です」
神は顎に手を当てて考え込んだ。
「……199層。事前の予測よりやや浅いな。冒険者から刺激を受けて上層に上がったのか」
「あるいは、超深層に潜り込んだ精霊どもに触発されたか、です」
志村が捕捉し、じっと女のほうを見る。女は安堵の表情を浮かべていたが、志村から睨まれていることに気付くと挙動不審になった。
「な、なんですか……」
「199層の様子を詳しく教えろ。どんな編成で挑んだ」
「え、えっと、ネット上で有志の冒険者を募って、50名ほどの部隊で挑んだんです……。一応、全員赤手帳以上、白手帳の方も二人いて、これなら大丈夫ってここまで順調に進んでいたんですが、でも私以外全滅して……」
「199層の様子を詳しく教えろ」
志村の鋭い眼差しに、女はますますおどおどし始めた。
「199層に進入した途端、奇妙な緑色のクラゲみたいな抗体がふわふわ浮かんで近づいてきたんです。誰かがそのクラゲを撃ったら、反撃してきて……。その攻撃自体は、大したことがなかったんですが、その直後から他の抗体が続々と集まってきて、一気にやられてしまいました」
「集まってきた抗体は何体くらいだ」
「分かりません。ただ、感度を鈍くしたレーダーが一面埋まってしまうくらいの数です……。少なくとも100体以上は集まったかと」
志村がぴくりと眉を持ち上げる。それきり黙り込んでしまった。女は困惑している。見かねた神が辺りを見回しながら尋ねた。
「どうしてさっさと撤退しなかった。話を聞く限り、全滅する前に撤退する余裕はあったようだが?」
「ええと、そうするべきだったんでしょうが、そのときはまだ危機感が欠如していて……」
「クラゲの抗体、と言ったな。そいつの攻撃はどんな感じだった」
「ええと、粘液を飛ばしてきたみたいな感じですね。私は後方にいたのでよく見えませんでした。でも、問題ありませんよ。クラゲの攻撃でやられた冒険者はいませんでした」
「問題があるかないかはこちらで判断する。いいか、お前にとっても極めて重要な質問だ、心して答えろよ」
神が言う。女はびくびくしながら頷いた。
「な、何ですか……」
「お前、急いでどこかに行こうとしていたな。今は随分のんびりしている。どういうわけだ?」
「そ、それは、あの誉れ高い制圧部隊の方々に会えたので、安心して……」
「それは光栄だがな、俺たちはたったの五人だ、はっきり言って100体以上の抗体の前には無力だ、お前は俺たちと一緒にしたら間違いなく死ぬぜ、断言する」
女は上目づかいで神を見ている。
「……何が言いたいんですか」
「お前、レーダーを持っているんだよな。それも、通常映らないはずの抗体をも映し出すことのできる高性能のレーダーだ」
「え?」
「そんなレーダーを持っていたのに、俺たちの存在に気付かずに行き去ろうとした。どういうことだ」
「逃げるのに夢中で……。おかしなことですか、慌ててたんですよ!」
「抗体から逃げるというのであれば、ますますレーダーを確認しないのはおかしいだろう。俺ならこまめにチェックするが」
「だから、慌てていたんです!」
「そうか。まあ、いい。話は変わるが、お前以外の仲間が全員抗体にやられたのか?」
いつの間にか女を神、志村、姜、木伏の四人が囲んでいた。綾は少し離れた位置でそれを見ていることしかできなかった。不穏な空気だった。
女ははっきりと頷く。
「はい。無残にも」
「どうしてお前だけ逃げられたんだ。それも無傷で」
「後方にいたので……」
「後方にいたのに、クラゲの攻撃を受けたのか?」
「えっ?」
「お前の髪に付着しているぞ。緑色の粘液が」
女が慌てて自分の髪に触れた。確かにそこには粘液があり、彼女は気味悪そうな顔をした。
「うわあ……」
「気付いていなかったようだな。さっきから臭うんだよ、その粘液」
「そうですか。でも、それがどうしたっていうんです?」
「クラゲの抗体がいたのは本当らしいが、それ以外は全て嘘。お前は餌だな。お前だけじゃない、他にもばらまかれているだろう」
女はひたすら怪訝そうにしていた。不安そうでもある。
「だから……」
「お前、一般人じゃないな。精霊騎士……、違うか?」
女は黙り込んだ。ほとんど肯定しているようなものだった。既に志村が魔剣の柄に手をかけている。女はじっと動こうとしなかった。
「大方、上司から命令を受けたんだろう。めぼしい冒険者に接近し、保護を求めろと。その粘液は恐らく抗体を呼び寄せるマーカーのようなもの。お前は詳細を知らされていなかったようだが」
「……どうして……」
「ばればれだ。抗体が映るレーダーを持っているのは、攻略組か、精霊騎士、そのどちらかだからな。そしてお前は攻略組にしては少々動きがとろい」
「……私をどうするつもりですか」
「どうもしない。どうせ、マーカーたるお前は、抗体に殺される運命だ」
神は言った。そのとき綾は見た。地面から生え出るように出現した銀色の抗体――あの必殺の光線を放つエイリアンのような姿をした抗体を。
「神さん!」
「言われんでも分かってる。行くぞ」
銀色の抗体は志村が跳躍して接近、一撃で屠った。しかし次から次へと抗体が地面や天井から現れてきて、全てを相手していられなかった。精霊騎士の女は悲鳴を上げながらその場から逃げようとしたが、間もなくして発射された光線に巻き込まれて蒸発した。
「この期に及んでも精霊に味方する精霊騎士の愚かさには呆れる」
神がダンジョンの奥へと駆けながら言う。
「精霊がこの星の霊力を奪い尽くしたら、世界に何が起こるのか。完全にそれを理解している人間はいない。とはいえ、それが破滅的な変動を呼ぶことは、ガキでも分かりそうなものだがな」
抗体が次々出現し、神たちは必死に攻撃を避け、ときに反撃し、奥へと目指した。
綾は完全に逃げ遅れたが、抗体たちは綾を全く無視していた。綾は抗体の群れに巻き込まれる形で神たちを追走したが、危険はほとんどなかった。神たちへの攻撃の射線上に入らないように気を付けていれば安全と言っていい。
このまま超深層の壁に突撃するつもりだ。神たちの移動速度を見て綾はそれを悟った。遠く人間の悲鳴が聞こえた気がした。いよいよだ、いよいよ神たちが最も危険視していたエリアに突入する。綾は緊張していた。隣を歩いていた抗体を切り飛ばし、少しでも数を減らそうとしたが、あまりにうじゃうじゃと湧いてくるので、すぐに無駄なことはやめた。今は移動に専念し、神たちを見失わないようにしなければならない。
綾は前を見据えた。この先で自分の価値を証明してやる。そして精霊たちを捕捉する。冷静に、そして冷酷になれと自分に言い聞かせた。




