初陣
78、初陣
「如月さん、今ならまだ間に合いますが」
第150層というかなりの深層に降り立った如月は、汗を拭いながらも前だけを見据えていた。そんな彼に追従するのは夏八木。全身改造を施した戦闘のスペシャリストも、これほどの深層となると、それなりに緊張するらしかった。
如月は力なく笑う。
「異邦人には異邦人の貢献の仕方がある。本当は嫌で仕方ないのだが、瀬山さんが命を張ってダンジョンに挑んでいるのに、私だけデスクの前で頬杖を突いているというわけにもいかないだろう」
「しかし」
夏八木は如月の立ち居振る舞いを批判的な目で見た。
「まともにダンジョン探索もしたことがないのに、少々無謀では」
「確かに私一人だったら死しかないだろう。しかし今は夏八木さん、あなたがいる」
「言っておきますが、これは私の気紛れですよ。入口であなたをたまたま見かけなければ、あなたは単独でダンジョンに挑むことになり、今頃魔物の餌になっていた」
「それは確かに。感謝しているよ」
「礼など不要です。そうではなく」
夏八木は表情にこそ出さなかったが相当に呆れているようだった。
「……もう止めはしませんが、この先で何が起ころうと安全は保障できません。私自身の命さえも超深層では儚い」
「承知している。しかし今は地上のどこにいようとも安全なんて享受できない、そうじゃないか?」
如月の言葉に、夏八木は小さく頷いた。二人は深層をゆっくりとした足取りで進む。魔物が時折出現したが夏八木の敵ではなかった。彼女は卓抜した近接戦闘者であり、専用武器の弄火は応用に富む刀剣だった。弄火の設計開発及び改良には如月も一枚噛んでいる。その性能は熟知していた。
「如月さん、私の指示に従って動いてください。積極的に死んでみたい、というのであれば、無視して頂いても構いませんが」
「まさかそんなはずがないだろ。頼りにしているよ」
如月は余裕を取り繕っていたが、内心は今すぐ逃げ出したかった。自分がどうしてこんな死地に挑んでいるのか分からない。自分は格別勇敢な人間ではないし、戦闘にもセンスがあるわけでもない。一応トレーニングは積んでいるが、研究所内の猛者たちと比べるまでもなく、実力は劣る。標準的な冒険者の戦闘能力を100とすれば、贔屓目に見ても、如月は40か50といったところだろう。
もし夏八木がついてこなければ、途中で恐ろしくなって引き返してしまったかもしれない。しかしこんなときにも男の意地というものが働くもので、美人の女性の前で情けない判断を下すというのに抵抗があった。夏八木がいれば大抵の魔物など敵ではないというのも影響した。
「瀬山さんたちは、今頃どれくらい進んでいるだろうな……」
ダンジョン探索を続けながら如月は呟いた。夏八木はかぶりを振る。
「今頃200層に到達しているでしょう。200層となれば精霊が用意した階段もなく、フロアの秩序も失われ、一歩進むのにも相当な労力を必要とする魔境です。まあ、制圧部隊には木伏さんがいるでしょうからスムーズに階層移動はできるでしょうが」
「木伏さんか。あの子、ダンジョンに潜る前、武器やギフトのみならず、日用品とか雑貨もしこたま武器庫に詰め込んでいったからね。彼女がいれば快適だろう」
木伏の持つアーセナルは、事前に仕込んだ衣嚢を無限の広がりを持つ異空間に変換する特殊な代物で、武器庫になるほか、中で休憩を取ることも可能で、緊急退避先としても有用である。木伏は制圧部隊の人間で、加貫総合研究所とは無関係だが、その特殊な道具は開発組の人間が設計開発したものだった。日頃からダンジョン管理局と加貫総合研究所は短い期間の敵対と提携を繰り返しているが、それに伴い人材の流出・引き抜きが行われ、アーセナルはそういった経緯で制圧部隊に渡ったものだった。ただし、研究所内でアーセナルを使いこなせる人間がいなかったので、如月はそれが木伏の元へ渡ったことを好ましく感じている。
如月と夏八木はこれといった問題もなく先へと進む。洞窟のダンジョンがしばらく続いている。ダンジョン内は突然青空が出現したり、海が現れたり、気候が急変することもあるが、結構安定していた。如月はそれに感謝していた。
しかしいつまでも穏やかな探索とはいかなかった。夏八木が突然如月を突き飛ばした。
地面を無様に転がった如月は顔を持ち上げるのにも数秒を要した。気付いたときにはもう、夏八木の躰が吹き飛んでいた。
間もなく代替心臓によって彼女の躰は復元されたが、彼女は大量の汗をかいていた。如月も代替心臓を持っていたが、それほど数は多くない。夏八木ほどの実力者が一度死んだ。如月はぞっとした。
「な、なんだ、何が」
「抗体です」
夏八木が如月の躰を抱え、走り出した。如月は何とか転ばないように脚を前に運ぶことしかできなかった。
「抗体? まだ出てくるのには早いだろう」
「ダンジョン内に大量の不純物が持ち込まれているのですから、抗体が現れるのは当然です。ただし、ダンジョンに潜った冒険者があまりに多い為に、抗体が分散され、これまで遭遇しなかっただけです」
「あ、そ、そうか。なるほど」
如月は普段より頭の働きが鈍い自分を情けなく思った。緊張と恐怖でまともに思考できない。咄嗟に自分の身を守れるか自信がない。
夏八木は如月を壁際まで運んでから大きく深呼吸した。
「あの抗体は、必殺抗体丁型と呼ばれるものです。強力な光線を発射する難敵です。準備さえ整えば敵ではありませんが、不意打ちを食らうと対処の仕様がありません。もう少し私がまともにレーダーを扱えたら、問題はなかったのですが」
「も、申し訳ない。きみも本来ならチームで超深層に挑みたかっただろうに」
「いいえ。むしろ謝罪しないといけないのは私です。丁型は異邦人を認識しません。私さえいなければ、あの抗体は姿を見せなかったでしょう」
夏八木はすっくと立ち上がった。
「しかし、私がいなければ如月さんは魔物に食われてしまうでしょう。これからも一緒に進む為には、あの抗体はここで仕留めなければなりません。少しここで待っていただけますか」
「一人で大丈夫なのかい?」
「ええ。問題はありません」
夏八木が走り出した。如月は慌てて彼女を目で追ったが、あまりに速く気付いたときにはもう夏八木は遠くにいた。
如月は汗を拭った。異邦人の優位性は抗体に認識されないこと……。だが抗体戦においても力になれそうになく、夏八木の言う通り撤退したほうが邪魔にならずに済むかもしれない。如月は悩んでいた。
しかしどんな手練れであっても、超深層の探索は困難を極めるだろう。人間の能力を超えた作戦に挑むとき、如月のような特性を持った人間が貢献できることがあるかもしれない。
ダンジョン内が一瞬明るくなった。あの宇宙人のような姿をした丁型の光線が放たれたのだ。夏八木は無事だろうか。如月はもぞもぞと躰を動かした。様子を見ようと辺りを見回す。
「……夏八木さん?」
如月が身を乗り出すと、夏八木が丁型の銀色の躰の上に跨り、コアを破壊するところだった。夏八木は燃え盛る剣を突き立て、コアから放たれる霊力の奔流を全身で浴びていた。
如月はほっとした。数百の冒険者を単騎で薙ぎ倒すと言われる抗体も、夏八木ほどの実力者ならば問題なく対処できる。頼もしい人だと思った。
しかしダンジョンの奥から光が放たれた。夏八木の躰にまともにかぶさり、一瞬、彼女の躰が消し飛ぶ。
間もなく夏八木の躰は復元されたが、衝撃でよろめいた。そこに次なる光線が別の角度から襲いかかる。その一撃を夏八木は回避したが、咄嗟に霊力のコントロールがままならず、敵の射程距離から退避することができなかった。
「夏八木さん!」
抗体が複数いるのか。如月はぞっとした。そして咄嗟に背後を見る。如月が手を伸ばせば届く位置に、銀色の亜人たる丁型が佇んでいた。もし如月が異邦人でなかったら、至近距離から連続攻撃を受けて消し炭にされているところだった。
囲まれている。抗体が出現して夏八木を抹殺しようと動いている。いったいどこから現れたのか――いやそんな問いは無意味。抗体について分かっていることは驚くほど少なく、どんなことが起ころうとも不思議ではない。
「夏八木さん、逃げろ! 囲まれている! 私は平気だから」
夏八木は小さく頷いた。壁に張り付き、機動靴を発動して凄まじい速度でダンジョン奥へと突進した。そこにも抗体が立ち塞がっていたが燃え盛るその専用武器で一刀の下で処理した。一対一となれば圧倒できるが、様々な角度から攻撃を受けるとなると分が悪い。なにぶん、丁型の光線はまさに光の速度で飛んでくる。
如月は大きく息を吐いた。近くでうろうろしている丁型の姿を見るのは不気味だったが、完全にこちらを無視している。なるほど異邦人が抗体に知覚されないという現象を初めて実感した。
これならば超深層でも役立てることがあるかもしれない。如月は持っていた武器で丁型を攻撃すべきか悩んだ。もしかすると攻撃をきっかけにこちらを認識するかもしれない。そんなことはあるはずがない、と分かっていても、実際に戦うとなるとそんな想像が頭をよぎり思い切ることができない。
「情けないな、私は……」
如月は呟いた。そのとき、近くでカチカチという音を聞いた。
もし、振り向くのが一瞬でも遅れていたなら、心臓を一つ潰されていたに違いない。そこには防御抗体甲型と種別される、歯車型の抗体が道を塞いでいた。その甲殻類のもののような足で如月を攻撃してくる。帯電するその足に触れればそのまま嬲り殺しにされる。如月はそれを知っていたから慌てて逃げた。
「こ、こいつは……!」
異邦人か否かも関係なく生命体を狙って攻撃する甲型。如月はよろめいた。逃げなければならない。しかし足が動かなかった。そのとき初めて自分が感電していることに気付いた。直撃はしていないが足の感覚が全くない。どこから電撃が伝わったのか。
「まずい……」
如月は唇を噛んだ。夏八木なら問題なく対処できるだろう、しかし彼女は今、丁型と距離を取りつつ戦っている。彼女には期待できない……。
如月は駄目元で剣を振るった。しかし丁型の足に当たった刃が呆気なく折れた。防御抗体と呼び称されるだけあって、丁型の頑丈さは抗体でも随一だった。
「くっ……!」
如月はもう、地面に伏していることしかできなかった。甲型の足が迫る。間もなく自分は死ぬのだろう、心臓が幾つ残っているのか憶えていなかったが、何度肉体を復元しても、この状況から逃げ出せるとは思えない。
「まずったな……。超深層どころじゃなかった。これでおしまいか。もっと真剣に戦闘訓練を受けておくべきだったかもな」
如月は笑んだ。いや、訓練なんて受けても仕方ない。きっと出しゃばるべきじゃなかったのだろう。異世界に迷い込んだ時点でもっと慎重に行動すべきだった。臆病なくらいでちょうど良かったのに、瀬山綾という変わった異邦人の存在を目の当たりにして、触発されてしまった。
不相応な勇気を持つべきではない。如月はこれを最後の人生訓として自分の胸に刻みつけた。今後一切役に立つことのない人生訓――
「迎えに来ましたよ、如月さん」
声が降ってきた。と同時に甲型の機械のような肉片が目の前で散った。如月は唖然とした。あの堅牢な甲型の肉体を乾酪か何かのように裂き、コアをも破壊したのは、双刀を携えた小柄な女性だった。
赤地嵐子。抗体の死骸を蹴飛ばし、ゆっくりとした足取りで如月に近付いてくる。
「こんにちは、如月さん。いつぞやの借りを返せましたね」
「借り?」
「ほら、如月さん。ダンジョン帰りの私たちを車で迎えに来てくれたことがあったでしょ」
そう言えばそんなこともあった。如月は躰を起こし、嵐子の余裕の表情をまじまじと見た。
「どうしてここに」
「本当は佐久間部長と一緒に超深層に挑む予定だったんですけど、如月さんが単身ダンジョンに乗り込んだと聞いて、助けに行くよう派遣されたんです。さ、帰りますよ」
如月は力なく笑んだ。そうか、やはり自分の行為は迷惑だったか。嵐子はにっこりしていたが、突然、如月の太腿を蹴飛ばした。
「いたっ! 何するんだ」
「冗談ですよ。超深層に行くんでしょ? 夏八木さんも一緒ですよね。後続の攻略組と合流して、超深層に行きましょう」
「……いいのか? 私のような足手纏いが」
「ついさっき聞いたのでアレなんですけどね、如月さんって異世界から来たっていうじゃないですか。いきなり言われたからよく分かりませんけど、でも超深層攻略に不可欠な特性を持っていると聞きました。貴重な戦力です」
「しかし……」
嵐子は近くにいた抗体丁型を一刀の下に退治しつつ、如月に向き直った。さすが攻略組の中でも随一の戦績を誇る戦士だ。抗体を前にしても全く緊張している様子はない。
「大丈夫。いけるところまでは私がサポートしますよ。だからさっさと歩く! 夏八木さんと合流しましょう。この赤地嵐子が来たからには、少なくともつまらない死に方はさせません」
それはいったいどういう慰めの仕方なのだろう。如月は思いつつも、不思議と勇気づけられた。近くの抗体を容易く駆逐した嵐子は、やがてぼろぼろになっていた夏八木を発見して合流した。夏八木は目を丸くしていた。
「随分機嫌が良さそうですね、赤地さん」
「夏八木さんはいつになく余裕がなさそう。そんなんで大丈夫かな?」
「もう大丈夫です。あなたが来てくれて良かった。頼りにしていますよ」
赤地嵐子の専用武器、影嚮刃。その双刀は今日だけで数十の抗体の霊力を吸っていた。その破壊力を如月はよく知っている。その扱いの難しさも。武器の開発者としては、その武器でどれだけ超深層を支配できるのか興味があった。
赤地嵐子は活き活きとしている。恐らく彼女は戦闘を愛しているのだろう。スリルを歓迎しているのだろう。日常では疎外されるような狂人こそ、超深層の攻略には不可欠だった。如月は自分が手にしている汎用武器のあまりの頼りなさに、滑稽な気分になった。




