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隣のダンジョン  作者: 軌条
第三部 超深層攻略
79/111

針山

77、針山





 現実は非情。人は生まれながらの自信家で、自分が死ぬかもしれないという可能性を真剣に考え始めるのは、その可能性が危険水域に達してからだ。


 破壊された人体が散らばるその場所に、綾たちは到達した。階層は185。間もなく超深層の壁に達するという極めて危険な地帯であった。

 出現する魔物も凶悪で、綾が単独で挑めば為す術もなく喰われてしまうほどの強さを誇った。しかしそんな魔物も抗体の危険性と比べればなきに等しい。腕に覚えのある冒険者たちが徒党を組み、順調にこの深層まで探索を続けていたようだが、抗体と遭遇した瞬間に彼らの人生は終わった。


「未確認の抗体の仕業のようだ」


 神が散らばっている死骸を跨ぎながら言う。綾はその地獄のような光景に堪えられなかった。直視できない。獣が臓物を食い漁ったかのような凄惨な状況だった。


「殺し方が野蛮だ。乙型や丁型なら人体を消し炭にするだろうし、甲型ならもっと丹念にミンチにするだろう。お前はどう思う、志村?」


 志村は平然と死体を直視していた。どころか落ちていた誰かの腕を拾い上げ、じっと見つめている。


「死体の断面が綺麗ですね。鋭利な刃物で切られたかのよう。これが抗体の仕業だとすれば、確かに脅威ですが」

「どうした」

「抗体の仕業ではないですね。これ、試し切りです」

「試し切り?」


 志村は頷き、手に持っていた遺骸の一部を放り捨てた。


「人間の仕業か、はたまた精霊がやったのか、分かりませんが、殺し方に低俗ながら知性を感じます。抗体はこのような殺し方をしません」

「自分の力を試していると? この異常事態に乗じて、殺人欲求を満たしている狂人がいるということか」

「かもしれませんし、力をつけた精霊が調子に乗っているのかもしれません。どちらにせよ、これをやった連中は味方にはなり得ませんね」


 志村の眼光がいつもより鋭い。


「地上の法など、超深層において何の役にも立ちません。これをやった連中と遭遇したら問答無用で排除しますが、構いませんね」

「ああ、お前の判断で対処して構わない。だが、本当に抗体の仕業だという可能性はないのか」

「なくはないでしょうが……、何か気になることでも」

「いや……。一応、今って人類存亡の危機だろう? 抗体や精霊に殺されるのならともかく、人間同士で争って死体が出来上がるなんて、どうにも釈然としない」


 神の言葉に志村が目を見開いた。彼女が驚いたのだということが綾にも分かった。


「……神隊長、人間は薄汚い生き物です。地上の光に晒されている間は見栄を張って高潔な人間を演じるかもしれません。しかし仄暗いダンジョンの奥地では本性が暴かれます。人類が超深層の突破という大きな目標を掲げ、同じ方向を見ているとき、これ幸いと彼らの背中に兇刃を突き立てる下衆がいたとしても不思議ではありません」

「お前の言葉は理解できるがな」

「弱気になっていませんか、隊長。目に見えるもの全て敵。そう見做せば問題はシンプルになる。誰が味方だ、誰が敵だと気を回すから動きが鈍くなる。我々は特殊制圧部隊、全ての事態を収拾しダンジョンを制圧する者です」


 神はふっと息を漏らし、笑みを浮かべた。


「お前の言う通りだ、志村。頼りにしているぞ」

「はい」


 神と志村が話している間、綾は鼻を押さえながら現場の惨状を見ないようにしていた。人間の死体を見たことがないわけではない、初めて抗体と邂逅したとき、白手帳の早坂一真の死を間近に見ている。しかし慣れるものでもないし、ここは死臭が漂っている。頭がくらくらした。


 ふと隣を見ると、狗巻も気分が悪そうだった。頭を軽く押さえている。ああ、こんな凄腕の冒険者も人間の死に慣れているわけではないのだ、と思うと気が楽になった。


「大丈夫ですか、狗巻さん」

「ああ……、大丈夫。瀬山は平気なのかよ?」

「平気なわけないですよ。でも狗巻さんが参っているのを見たら少し楽になりました」

「何だよそれ……。ったく、俺はあんまり人殺しには慣れてないんだよ。そういうのに長けているのは、隊長と志村、それから姜だな……」


 姜は眼鏡越しにぼうっと死体を見ていた。その顔には嫌悪感も緊張も感じられず、ただ路傍に生えている雑草を眺めているかの如き無感動な様子が見て取れる。


 もし、姜のような人間だけが供だったら、綾の精神はやられていたかもしれない。苦しみや恐怖を共有できる人間というのはそれだけ貴重だった。


「先に進むぞ、お前ら」


 神が言う。綾はこんな現場は一刻も早く立ち去りたかったから、その言葉を歓迎したが、姜が手を上げた。


「隊長、何か聞こえませんか?」

「なんだ、姜」


 神を含め、綾たちは耳を澄ませたが、特に不審な音は聞こえてこなかった。


「……何も聞こえないな。聴覚を強化している俺が聞こえないのだから、ほぼ無改造のお前にだけ聞こえるということはないはずだが」

「そうですか。いやあ、勘違いならいいんですがね。しかしどうも……」


 そのとき姜を睨んでいた志村がすっと顎を下げた。そして辺りを見回す。


「隊長、姜の言う通りです。何か聞こえます」

「はあ? 俺には何も……」

「下階からです。聴覚ではなく霊力に訴えかけるような……。段々近づいてきます」


 綾は首を傾げたが、しばらくして姜たちが何を言っているのか理解した。躰の霊力が乱れ、波紋が生じるかのような地響きを感じる。極めて感覚的なもので言葉では説明しづらいが、胸騒ぎと形容するのが一番近い。

 綾が気付いたときにはもう、神も事態を察知していた。そして叫ぶ。


「散れ!」


 神が綾のほうに突進した。首根っこを掴まれる。そのまま強引に跳躍したので綾は危うく絞め殺されるところだった。しかしもしその対応がなければ死んでいただろう。


 突如地面が罅割れ、隙間から無数の針が突き出された。その針の先端から毒々しい液体が噴出し、綾の足を掠めた。瞬間、凄まじい激痛が走り意識が飛びかけた。神が素早く何か薬品を振りかけたので痛みはすぐに去ったが、ぞっとするような事態だった。


 逃げ遅れた狗巻が右足を針に貫かれ、壁に叩きつけられていた。まともに毒液を浴びて声にならない叫びを上げている。綾は息をするのも忘れて狗巻の最後の表情を見ていた。毒液が瞬く前に彼の躰を蝋のように溶かした。後には彼が纏っていた衣服と武具だけが残った。針の先端に服が引っ掛かり毒液を滴らせている。


 助けようと身構える暇さえなかった。地面から生え出た針が律動している。地面を割りながらそれらはせり上がり、下階から姿を現したのは背中に無数の針を体毛として蓄えた獣だった。鼻が長く狐のようでいて双眸が異様に小さく退化している。黒い鉤爪で地面を破砕しながら躰を下階から引き揚げ、幼子の悲鳴のような鳴き声を上げた。


 綾のその獣とまともに目が合った。獣はゆっくりとこちらに歩み寄り――ゆっくりと言ってもその巨躯のおかげであっという間に間合いを詰められたのだが――背中の針から毒液を噴き出しながら声を上げた。


「これは抗体だな……。ハリネズミと命名しよう、まんまだがな」


 神が言いながら綾の首根っこを再び掴む。強引に引き戻されて綾は窒息しそうになった。


「い、狗巻さんは!?」

「見てただろ、死んだよ。あいつ、前衛の中では志村に次ぐ実力者だったんだがな……。装備を過信したんだな、ときどきあいつ自分の防具を試すようなことするんだ。まさかこんなときに試さんでもいいだろうに」


 綾は首を押さえながらなんとか体勢を整えた。神からハリネズミと命名された抗体は完全にこちらに狙いを定めている。じりじりと近づいてくる。


「見ろよ、瀬山。あいつの針……」

「毒液が噴き出るみたいですね。人体を溶かす毒液……」

「そうじゃなくて。あの針の先端に妙なものがぶら下がってるだろ」


 綾は目を凝らした。確かに無数の針の中で、何本か布きれをぶら下げているものがある。いや、何本どころではなく、何十本もある。


「あれ、何ですか」

「マジで分からんのか? あの針に突き刺されて死んだ冒険者の形見だよ。あの抗体、下階で多くの冒険者を屠ってきたようだな」


 綾はぞっとした。どうして言われるまで気付かなかったのだろう。狗巻の死にざまを見ていたというのに。ハリネズミが躰を縮めた――否、背中の針をこちらに向けた。神が素早く反応し綾を突き飛ばす。


 背中の針が射出され、凄まじい勢いで飛んできた。地面に突き刺さった針の一本一本が爆裂して辺りに毒液をばらまいた。綾は機動靴に全霊力を注ぎ込み、毒液を浴びないように細心の注意を払った。その危険性さえ理解していれば避けられない攻撃ではない。だがその威力ゆえに内心恐怖に囚われていた。


 神が安全圏に避難しつつも肩を竦める。


「こりゃあ、迂闊に手を出せんな。一撃で倒せるなら話は簡単だが、タフな野郎なら返り討ちに遭う可能性もある」

「どうします……、逃げますか」

「いや」


 神はかぶりを振った。


「上階には他の制圧部隊のメンバーや、一般冒険者が超深層目指して探索を続けている。このハリネズミ、下手したら上階の冒険者を根こそぎ殺すぞ。獲物を求めて上へ上へと進んでいる。ここで倒すしかない」

「でも……、どうやって」


 神は腕組みをし、飛んできた針を軽やかに躱しながら顔を顰める。


「正直な話、俺や志村でも対応はできる。だが最も安全で確実な方法は、姜と木伏に任せることだな。少しこのまま待ってろ」


 神は言い、毒液を躱し続けた。綾もそれに従うしかない。攻撃自体は単調で、躱すのは難しいことではない。不意打ちさえされなければこのまま時間稼ぎをするのは容易い。


 しばらく綾と神はハリネズミと距離を保ちながら注意を引きつけていた。いつまでこうしているのかと懸念していたそのとき、神が叫んだ。


「瀬山、念の為に距離を取れ! 俺の背後に回れ!」


 何が何だか分からなかったがそれに従った。二人はハリネズミから逃避し、距離を取った。神が綾の前に立ち警戒する。


 それを見届けたのかどうか知らないが、姜と木伏が姿を見せた。徒手空拳の姜が街中にぶらりと繰り出したかのような緊張感のなさでハリネズミに接近する。木伏が少し離れたところで手を翳していた。


「姜氏、剣でいいですか」

「何でもいいよ。僕にとっては同じだ」

「武器を調達する側としては、なかなか侮蔑的な言葉です」


 ハリネズミが狙いを姜に変え、毒針を発射した。姜はそれらをすれすれで躱した。毒液が降りかかるかと思いきや、針からは毒液が絞り出されなかった。


 神が溜め息をつく。綾は神の背中に隠れながら事態を見守っていた。


「姜の野郎……、やはり天才的だな。針の毒液を分泌する器官に霊力を送り込んで不能にした」

「そんなこと、できるんですか? 初見ですよね」

「普通はできない。どう考えてもできない。初見どころか俺なら何百回練習しようとおっかなくてできない。誰もしようとしない。しかしあの男はそれをやってのける。肉体改造なしで深層に挑む人間なんて姜くらいのものだが、それくらいぶっ飛んでないとついてこれないのも事実」


 神は言い、姜たちを指差した。


「ほら、見てみろよ。躊躇なく突き進んでいくぞ。やはり準備や用意ができない状況でこそ輝くな、姜は」


 姜が突如空中に出現した剣を手に取り、ハリネズミに突進した。背中の針から大量に発射された針を寸前で躱し、毒液を分泌できないように細工しながら、ハリネズミの懐に潜り込む。


 剣がハリネズミの腹部に突き刺さった。ハリネズミは奇声を上げ、ジャンプした。そして自らの針を天井に突き刺し、鉤爪で岩盤を破壊し始めた。


 上階へ逃げようとしている。姜はバランスを崩して地面に伏せた。木伏がちらりと背後に目をやった。物陰から志村が現れる。刀身が黒くぬらぬらと濡れる魔剣を手に、ハリネズミに突進した。


 魔剣がハリネズミの脇腹を切り裂き、光の奔流が噴き出した。それは霊力の輝きだった。抗体たるハリネズミのコアが破壊され、みるみる躰が萎んでいく。姜がほうと息を吐く。


「さすが志村さんだ。頼りになるなあ」


 志村は着地し、天井に挟まったまま絶命した抗体から垂れ流される光を浴びながら、姜を睨みつけた。


「貴様は詰めが甘い。心臓も持っていないのにどうしてそう軽率な行動を取れる」

「でも、狗巻くんは心臓を幾つも持っていたのに、呆気なく死んだよ? あの毒液が代替心臓ごと躰を溶かしたから効力がなかったんだろうね。道具に頼り過ぎるとああなるんだ」


 姜は笑み、埃を払いながら立ち上がった。


「結局頼れるのは自分の躰さ。そうだろう、志村さん。その魔剣の輝きだってきみの霊力がなければ存在しない」

「道具に頼り過ぎると破滅する。道理だな。しかし私に言わせれば、道具を自らの手足の延長として自在に駆使できないようなら鍛錬が不足している。道具に頼るのではなく活用する。所詮、それができない貴様も、私からすれば未熟者だ」

「ご教授痛み入るよ、志村さん。僕にとって道具は消耗品だ。使い込んで手に馴染ませることに魅力を感じない。まあ、道具を活用している自負はあるんだけどね」


 姜は言い、天井に張り付いたハリネズミの死体を見た。


「コアの位置を確認しておかないとね……。次会ったときは5秒で仕留める。危険な部類の抗体だから」


 姜が綾のいるほうに振り返った。綾はよくもまあこんな恐ろしい男に一度は命を狙われて、無事に切り抜けられたものだと感じていた。未だに彼に対して不信感はあったが、頼もしい味方であることは頭で理解していた。


 神は少し不満そうだった。


「それにしても、今のハリネズミ、瀬山のことを認識していたな。生命体が近くにいたら無差別に攻撃するタイプのようだ。気を付けろよ」

「はい」

「ああいった手合いが大勢いるようなら、異邦人の利点はあってないようなものかもしれないな。そのときは……」


 神は黙り込んだ。そのときはどうするのか。今回のように守ってはくれない。そういうことだろうか。綾は自分の価値を証明しなければならないと感じていた。少しでも役に立ちたい。このまま守られるだけならダンジョンに初めて潜ったときと何も変わらないままではないか。


 狗巻を欠いた五人はそのまま奥地を目指した。綾は動揺していたが悲しみに耽っている暇はなかった。もしかすると、いやきっと、世界各地のダンジョンで見られる光景なのだろう。綾はこんなことはすぐに終わらせないといけない、と決意を新たにした。












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