隔離開始
50、隔離開始
赤地嵐子は嵐のような女だった。綾のことを親友のように扱ったかと思えば、すっくと立ち上がり千石を睨んだ。
「こいつの車でここまで来たの?」
「はい」
「こいつに乗せてってもらうなんて御免よ! 如月さんの車で帰る」
そしてさっさと喫茶店を出て行ってしまった。綾はぽかんとしてしまった。
「ま、気分屋なのよ。綾ちゃんもじきに慣れるわよ」
慣れる日が来るのだろうか……。気に入られたのは良かったと思うが。
しばらくして三人も喫茶店を出て、駐車場に向かった。千石の車が停めてあった。
黒柳は助手席を希望した。後部座席だと車酔いする可能性があるという。意外と繊細な人だ。
「ま、乙女だからねー」
と、黒柳は千石の肩に触れたり、意味もなく通行人に手を振ったりしてはしゃいでいた。本当は千石にちょっかいを出したいだけなんじゃないだろうか。車酔いとかしそうなタイプに見えない。
綾が黒柳、千石と共に加貫総合研究所まで戻ったときのことだった。千石と黒柳のケータイが同時に鳴った。車のエンジンを切ったところだった千石は、鍵をコンソールの上に放り投げ、ケータイを手に取った。
「もしもし」
「はいはい、こちら最愛」
二人が同時に電話に出た。そして二人は顔を見合わせた。後部座席に収まっていた綾は首を伸ばした。
何かあった。二人の反応からしてそうだ。千石が振り返って綾のほうを見る。
「悪いが、用事が出来た。あんたのガードは一旦終わりだ。元々、その必要は希薄だったようだが……」
「用事ですか」
黒柳が通話を終え、ふああと欠伸を漏らした。
「はっきり言えばいいじゃない。ダンジョンの隔離が始まったって」
「え!?」
綾はシートから尻を浮かせ、二人に近付こうとした。
「隔離って、琴歌さんが入っている――私が迷い込んでいた、あのダンジョンのですか!?」
「他にどこのダンジョンを隔離するっていうのよ。そうよ、そう、そこの隔離が始まった。すぐに完了するでしょうけど……。攻略組の中から、観測隊を編成するみたい」
綾にはよく分からない。黒柳がそれで説明を終えた顔をしていたので突っ込んで訊ねた。
「観測隊って何ですか。実際に隔離ダンジョンに潜るんですか?」
「まさか。違うわよ。外から眺めるだけ。それでも相当な情報が手に入るらしくて、実際に突入する際の準備に役立てるわけ」
黒柳は言う。そして車外を指差した。綾と黒柳が車から降りると、千石が軽く手を振って駐車場から車を出した。あっという間に車は見えなくなった。
分かっていたことだが、とうとう始まってしまったのか。琴歌たちはまだあのダンジョンの中で戦っている。一週間以上もダンジョンに潜ること自体負担だろうに、星の核から隔離されたダンジョンは本来の姿を変えて、人間の生存に適さない環境へと激変する。
「ダンジョンの中はお腹が空くことはないし、喉が渇くこともない。その辺はまだ大丈夫だけど、魔物が際限なく出現したり、フロアが潰れてしまったり、もうしっちゃかめっちゃかでしょうね」
黒柳の言葉に綾は震えた。あと一日で二勝しなければ、救出部隊に選抜されることはない。しかし本当にこんなことをしていて良いのか。今すぐ助けに向かうべきではないのか。
「綾ちゃん、焦るのは分かるけど、私たち攻略組もぼんくらじゃないわ。神ちゃんと志村ちゃん、そして相沢さんを助ける為に最善を尽くす。もちろん、私も含めてね」
「黒柳さん……」
そう、今は信じるしかない。琴歌たちが生き残っていること、そして攻略組の面々の実力を。
二人は構内に入り、エレベーターに乗り込もうとした。すると上階から到着したエレベーターの箱はぎゅうぎゅう詰めに混んでいた。
そこには南條もいた。綾の顔を見て申し訳なさそうになる。
「あっ。瀬山さん、すみません、僕、行くことになっちゃいました」
「え?」
「模擬戦をする約束なのは承知しているんですが、隔離ダンジョンの観測隊に選ばれちゃって……。隔離ダンジョンの変化が収束するまで出動することになります。ごめんなさい」
南條が深々と頭を下げ、そのまま綾の脇を通り過ぎて行ってしまった。南條の取り巻きと思われる男女がにやにやしながら綾を見やり、彼らも駐車場へと向かって行った。
綾はぽかんとしていた。南條と模擬戦ができない? 勝ち星一つ挙げられると既に計算に入れていたのに。
「楓ちゃん、やってくれるわね。きっとこれはわざとよ」
黒柳はぼやく。
「観測隊を編成するのは妥当だけど、そこに南條ちゃんをねじ込むとは。あんなの雑用にも等しいんだから、南條ちゃんにやらせる必要はないのよ。ただでさえ希少な支援特化タイプなんだから」
「楽に勝利することはできないってことですね」
「うん。ま、仕方ないよね。くよくよしててもしょうがない」
黒柳はエレベーターに乗り込みながら言う。
「綾ちゃんが勝てる相手は限られる。慎重に模擬戦の相手を選ばないと」
「そうですね……」
「……ごめんね、綾ちゃん」
綾は驚いた。
「どうして謝るんです?」
「私が如月さんと会わせようとしなければ、南條ちゃんと戦えていたでしょうね。それだけの時間はあったわけで」
「ああ……、でもいいんですよ」
綾は大きく頷いてみせた。
「楓さんが私にこういうノルマを課したのは、私が隔離ダンジョンで足手纏いにならないようにでしょう。ある意味、私の安全の為の措置でもあるわけです。楽して一勝を稼いでも、あまり良い結果を招きそうにありませんから」
「うーん、良い子だなあ、綾ちゃんは」
黒柳は感心したように言った。
「私はこんなに良い子を見捨てようとしたのだなあ……。よっしゃ、任せて綾ちゃん。模擬戦の相手を連れてくるから!」
エレベーターが攻略組のフロアに到着するなり、黒柳は勇んで走り出した。綾は追い掛けようと思ったが黒柳の動きは想像以上に俊敏で、すぐに見失ってしまった。
「あーあ、黒柳さん、行っちゃった」
綾は嘆息した。そして初めて自分が腹を空かせていることに気付いた。丸一日寝ていて、まともな食事を取っていない。そう言えばここにも食堂はあるのだろうか。綾が廊下の真ん中に突っ立ってそんなことを考えていると、廊下の角を曲がって男が現れた。
「ん? 見ない顔だな……、ああ、もしかして噂の」
無精髭にぼさぼさ髪の、だらしない風采の男。しかし俳優をやっていますと言われても信じてしまうような、渋い魅力のある男性だった。よれよれのジャケットに裾の少し短いスラックス、サンダル履きという恰好だった。
「噂になっているかどうかは分かりませんけど……。瀬山綾です。よろしくお願いします」
「ああ、それはどうも。俺は池添弌朗。イチローさんって気軽に呼んでくれて構わんぜ」
池添は言った。綾は頷く。
「はい。弌朗さん」
「おうよ。で、こんなところに突っ立って、何をしてるんだい。もしかして模擬戦の相手でも探してるのか」
「それもあるんですけど、その……、お腹が空いてしまって」
綾は正直に言った。弌朗はくすくすと笑う。
「なるほど。自分の部屋を割り当てられただろ、軽食くらいならそこでも摂れる」
「初日はそうしたんですけど、今日一日活動するのに、もっとがっつり食べたほうがいいのではと思いまして」
「ははは、そうかい。じゃあ、食堂に行くか。俺もこれから行こうと思ってたんだ」
「食堂……って、無料ですか?」
「当然。肉、野菜、果物、栄養補助食品、何でもある。もちろん白飯も」
池添は綾と共にエレベーターに乗り込もうとした。しかし綾は彼について行くのが憚れた。
「どうしたんだい、俺みたいなおっさんとは食べられないってか」
「い、いえいえ、そんなことは。黒柳さんが私の為に動いてくれているので、一言断ってからのほうがいいかなって」
「黒柳! 早速あの女とつるんでるのか。なかなか見る目あるな、あの女は取り入る価値のある同僚だぜ。ダンジョン内であれほど頼りになる仲間はいないからな」
綾はそこで黒柳に興味が湧いた。
「そんなに凄い人なんですか?」
「総合的な冒険者としての実力なら、楓さん以上だろうな。つまり攻略組でも随一ってわけだ。好き嫌いが激し過ぎて、俺みたいなおっさんにはまず力を貸してくれないのが玉に瑕だが」
池添は寂しそうに笑った。
「俺もなあ、黒柳と組めれば、あんな嵐子みたいなクレイジーな戦闘狂と組む必要もなかっただろうにな。綾さん、黒柳とは仲良くしたほうがいい。自分の為にもな」
「はい……」
そこで池添はぽんと手を叩いた。
「おっと、黒柳に一言断りたいなら、俺のほうから連絡しておくよ。あんた、あの女の連絡先、知らないんだろ?」
「あ、はい」
「食堂に一緒に行こうぜ。いつもはよ、超深層から帰ってきたら開発組の連中が話を聞きに集まってくるのに、今回はなぜか寄ってこないんだよな。一人でメシ食べるのに慣れてないのよ」
「御一緒させていただきます」
綾と池添はエレベーターに乗り込んだ。エレベーター内で池添はケータイを取り出し、黒柳にチャットか何かでメッセージを伝えたようだった。
「おっ。返信速いな。黒柳も食堂に来るってさ」
「そうですか。わざわざありがとうございます」
「なあに、大したことじゃない。それによ、俺、いつもあんたくらいの年頃の女と一緒にダンジョンに潜ってるんだけど、どうにもこうにも非常識なんだよ。あんたみたいなまともな女の子もいるんだなあって感心してるとこ」
綾は曖昧に頷いた。
「そうなんですか……」
「そうなんだよ。一人はやたら声が大きくてすぐ怒鳴るし、もう一人はやる気ないのか俺の背中にへばりついて昼寝しようとするし。ダンジョン内で、だぞ」
「それは」
呆れてしまうような、その神経の図太さに感心してしまうような。
「ま、二人とも実力は確かなんだがな。元々俺たち三人は、支援がなくとも超深層で通用するだけの火力を持っている。言うなれば脳筋チームだが、これが結構、安定して戦果を挙げることができるんだな」
エレベーターが着いた。二階だった。攻略組の拠点がある五階と比べて、人通りが遥かに多かった。食堂を示す標識が頭上にあり、他にも床屋や衣料店などもあるようだった。
「商業施設みたいですね」
「そうだなあ。髪切ってく?」
「い、いえ。さすがにそんな余裕はないです」
「悪い、悪い。冗談だよ。食堂はこっちだ」
朝食を取るには遅く、昼食を取るには早すぎる。そんな時間帯だったので食堂はさほど混んでいなかった。綾はハンバーグ定食とやらを頼み、池添はカレーライスと野菜ジュースを選んだ。
「さて、いただきます」
「いただきます」
着席してすぐ、二人は食事を始めた。久しぶりの食事だったので食べるペースがいつもより早かった。あまりにがつがつ食べてしまったので、池添が目を丸くしている。
「綾さん、なかなか良い食べっぷりじゃないか。ほれぼれするよ」
「あっ、ちょっとはしたなかったですかね?」
「いやいや。気持ちが良いよ。おかわり自由だからね、ここ」
「はい」
綾は満腹になるまで思う存分食べた。池添が持ってきてくれたジュースで肉の塊を流し込み、少しデザートにも手を出した。池添は楽しそうだった。
「いやあ、綾さん。嵐子も言ってたが、感じの良い子というのは本当みたいだな。楓さんのノルマとやらに取り組んでいるみたいだが、模擬戦の相手に困ってるなら、いつでも応じるぜ?」
綾は頷いた。
「ありがとうございます。でも私はそんなに強くないので……、できればあまり強くない人とやりたいんですよね」
「ははは、正直だな。まあ、俺は一対一ではそれほど強くないよ。タイマンとなれば、火力重視の前衛はカモになりがちだからな。手数の多い小技タイプや、姿を晦ましながら戦う遠距離型、あるいはオールラウンダーなんかが成績良好になりやすい」
「弌朗さんは、前衛なんですね?」
「防御無視の攻撃特化だ。嵐子も同様。峠本菜桜って女は、もう少しバランスの取れた戦闘スタイルだが、火力重視ってところは変わらないかな」
なるほど。嵐子や菜桜も模擬戦相手としてはそれほど悪くないということか。火力重視ということは、綾がもしやり合うとすれば、攻撃を回避することを前提に戦わないといけない。
「ところで、聞いたぜ、あの鹿取に勝ったんだって?」
「え……、あ、はい」
「俺も鹿取には勝ったことがないのに、やるな。まあ、俺とあいつは相性が最悪だってのもあるんだが」
「いえ、あの、鹿取さんは手加減してくださったので」
「謙遜するなよ」
池添はにやりと笑った。
「楓さんから手加減するなと言われてるんだから、それはありえない。後で俺とやらないか。興味があるんだ」
「いえ、その」
綾は困ってしまった。まともに戦って勝てるとはどうしても思えなかった。
「ほらほら弌朗ちゃん。私のアイドルにちょっかい出さないで」
黒柳が池添を指差しながらこちらに歩いていた。池添が肩を竦める。
「おう、黒柳、相変わらずファンシーな恰好をしてるな」
「うるさい。綾ちゃん、次の模擬戦の相手を連れてきたわよ」
黒柳が指差す。綾と池添がみやると、そこには小柄な女性が立っていた。
「菜桜じゃないか」
池添が言う。菜桜はうつらうつらとして、立ったまま眠りそうだった。黒柳が彼女の肩を支える。
「彼女は峠本菜桜。変則的前衛で、嵐子ちゃんの相棒とでも言うべき存在ね。そして……」
綾は憶えていた。峠本菜桜の名前を。
如月との会話で出てきた。抗体のコアに秘められた莫大な霊力を取り出せる、攻略組でも三人しかいない希少な人間、その内の一人である。つまり綾と同じ資質を備えている。
果たしてその事実が模擬戦においてどれほどの意味を成すのか分からなかったが、綾は緊張した。黒柳が連れてきたということは、勝ち目が全くないというわけではないのだろう。
しかし超深層から帰還したばかりという猛者を相手にどれだけやれるのか。
「ほら、菜桜ちゃん起きて、起きて。模擬戦するよ」
「へええ? あっ、黒柳さーん、おはようございます」
菜桜はふらふらしながら、綾に気付いた。途端、まじまじと見つめてくる。
「あ、あの……?」
「……可愛いなあ。枕にしたい」
「え?」
菜桜は首の骨を鳴らし、肩を回しながら、綾に笑いかけた。
「模擬戦やってもいいけど、もし私が勝ったら、今日一日、枕になってね。本気でいくから」
「え」
綾が返事しかねていると、黒柳が横から口を出した。
「いいよいいよ。綾ちゃん枕は快眠と安らぎを約束するわよ」
「えっ。ちょっと、勝手に……」
「じゃ、演習室行こうかー」
菜桜がてくてくと歩き出した。黒柳がウインクしてくる。
「大丈夫、大丈夫。この私を信じなさい。思い切り戦ってきなさいっての」
「は、はあ……」
綾は頷くしかなかった。峠本菜桜。前衛タイプ。正面から激突することになるだろう。綾は緊張しつつも菜桜の後ろを歩き始めた。




