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「あのさ、修がどんな思いで、何もないって言ったか、少しは察してやれよ。
あいつ、何ていったよ。ほとんど意識が飛んでるような状態で、お前は悪くない、全部自分が悪いんだって、そういったの聞いてなかったのか?
他の誰が、修の事を、自分の事しか考えてないんだって誤解したって、お前だけはわかってやれよ」
言いながら、自分自身の言葉に、はっきりと認識しないままでいた本心を理解した。
誰よりも、いっち自身のために。
自分は、修に、一番大事だと思っているヤツに、守られていると、そこまで想われているのだと。
いっち、安心して、穏やかに笑っていてくれ。
「それと、戸川の事は、もう放っておけ。相手にする事はない」
「ふざけんな、あいつだけは絶対許さない」
俺の言葉を聞き流していたいっちが、噛みつくように怒声を上げた。
「許さない、か。で、どうするんだ?
殴るのか? それですっきり気持ちよくなって。
それで、修はどうする? 伊月は悪くない、悪いのは自分だって矢面に立つぞ。お前を守るために。
これからも、戸川みたいなやつはでてくるだろう。そのたびいちいち突っかかっていくのか? そのたび、修を傷つける気か?」
「関係ないだろ、ほっとけよ!」
「ほっとけるか!」
だめだ。
イライラに任せて、心の内にあるモノ全てを言葉にしそうになって、急ブレーキをかけ、続く言葉を飲み込んだ。俺は、お前の事を、と。
俺を睨みつけているいっちに、同情した。
苦しいだろう。きっと。
なんでこんなに、苦しまないといけないんだろうな。いっちも、修も。
「俺に、ダチを見捨てるようなやつになれっていうのか。
くっつくにしろ離れるにしろ、覚悟なら自分で決めろ。
だから最初っから、中途半端な気持ちで修に手、だすなっていったんだよ」
いっちは、目を見開いて俺を見て、痛みに耐えるように唇を噛んだ。
はじめから、わかっていた事なのに。
いっちの苦しみは俺のためのものではなく、想いを受け入れられる事も、ましてや返してもらえる事もなく、想いを乗せた指で触れる事すら許されないと。
(見返りが無ければ、不満か? 報われなければ、意味はないか?)
再び、過る言葉のイメージ。
いらねえよ、見返りなんて。もう、何もいらない。
いや、違う。見返りは、ちゃんとある。それは。なんだろう? 上手く表現できないけれど。
ああ、全く、損な性分だなあ。けど、しょうがない。
楽になりたいと、いっちと修を見捨てると決めて、逃げ出して距離をとる自分より、損得なんて考えずに、そばでできる事をなんでもしてやろうと思ってしまう自分の方が好きなんだから。てめえを嫌いになってウジウジ生きるくらいなら、吹っ切れるまでとことん付き合わせてもらおうじゃないか。
そう決めた途端、ふわりと緊張が解けた。力が湧き上がる。例えるなら、船の帆を膨らませる順風。強い、強い推進力。
自分が決めた様にしか、そんな風に生きる事でしか、俺は俺自身を受け入れられない。思いを通じ合わせる事よりも、俺にとってもっと大事な何かが得られる気がした。そうか、それが。
「みー」
思いに耽っていると、いっちが俺の名を呼んだ。
「何もなくなんて、ないよ。僕にとっては、修に関する事全部が、すごく大事だ。
それに、誰かが悪いんだとしたら、僕の方だ。修は何一つ」
いっちの静かな言葉の最後が、かすかに震えた。膝を抱えて嗚咽に肩を揺らす。
その姿勢も、髪も、うなじも、とてもきれいだと思った。
ガキで、バカで、頑張り屋のクセにチャラいフリをして、実は繊細で傷つきやすい内面を持っているのに、それを隠すように尊大に振る舞うようなヤツだけど。俺以外のヤツを、こんなにも思い続けているヤツだけど。なんで、こんなヤツって思うけれど。
あたたかな諦めと、誇らしさが胸を満たす。しょうがねえなあ。
いっちは数秒、そうして泣いていて、ヴー、と、ケータイの震動音に顔を上げ、ポケットから取り出して操作し、メールを読んだらしかった。
ふ、と、目付きが変わった。纏う空気も変わる。ケータイを元のポケットに戻して立ち上がった。
「なかった事になんてさせない。
少なくとも、あのわからず屋のド天然に、大事に思っているやつらがいる事をわからせないうちは。少しでも自分を大事にする気を起こさせないうちは、絶対」
なんなんだよ、急に。メールには、何が書かれていたんだろう。まあ、いい。元気になったのなら、何より。思わず、笑ってきてしまう。
「教室に戻る」
力強い言葉に、おう、と返した。




