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   住宅火災 焼跡から老妻遺体 

 三日午後八時ごろ、○×市旭丘三丁目の坂本武司さん(七十九)宅より出火。一時間後に消し止められたが、焼跡から妻ユキノさん(七十八)の遺体が発見された。武司さんと親戚の男性一人も負傷し病院に搬送された。(毎朝新聞・地方版)



   老々介護の悲劇

   妻病死 後追い心中の放火か

 三日の火災で遺体で見つかったユキノさんは出火の時点よりも先に病死していたことが警察の調べで判明した。また同時に救出された男性は、捜索願の出ていた中学生男子と判明。警察は病死した妻の後を追い武司さんが放火したものと見て、武司さんと男子の回復を待って事情を聴く方針。(毎朝新聞・地方版)


     *


 新聞の地方版に載った小さな火事の記事は、一週間後にはワイドショーにとりあげられるような騒ぎになった。たまたま世間を騒がせる大きな事件がしばらくなかった事もあり、世の中は刺激を探し求めていたのだろう。予想外の、そして必要以上のセンセーショナルな取り上げられ方だった。

 忘れかけられていた静かな田舎町に、マスコミと称する怪しげな人間がどっと押し寄せた。そんな騒ぎで住人達は初めて近所に住んでいた老夫婦の生活を知ったのだった。

 焼け落ちた坂本家の前では、わざとらしいまでに神妙な表情を浮かべたワイドショーのレポーターが、何人も現場の取材をしていた。

「焼跡からは妻のユキノさんの遺体が発見されました。ユキノさんは数年前から認知症を患っており、夫の武司さんが献身的な介護をしていたといいます。そして、一緒に病院に搬送された少年は、二月に家出をして捜索願が出されていたという事が判明したのです。

 一体この場所で何が起こったのでしょうか」


 島野実花は病院の待合ロビーでぼんやりとテレビを見ていた。膝の上には可愛らしいブーケと小さな包みの入った紙袋。入院中の大樹への見舞いの品だ。大樹が入院しているという話を聞いて、勢い込んでここまで来たが、急に不安が膨らんで先に進めなくなっていたのだった。

 事件の中学生が大樹である事は、あっという間に塾内に広がった。受験で溜まったストレスもあってか、その話題は異様な盛り上がりを見せた。

 実花は極力その話の輪には入らないようにしていたが、あまりにもいい加減な同級生とマスコミの話を聞いているうちに、いても立ってもいられなくなった。

 自分の知っている大樹は優しくて、繊細な神経の持ち主だ。がさつな自分なんかよりもずっとデリケートなのだ。こんな騒ぎの渦中にあって、どんな思いをしているのだろうと思うと、心が痛んだ。

 自分の部屋で携帯電話を開けたり閉めたりして随分長い時間迷っていたが、夜遅くに思い切って大樹の自宅へと電話をかけてみた。

 電話に出たのは大樹とよく似た、でも少し軽そうな印象の声だった。兄の友樹だ。

「取材ならお断りですよ」

「違います! 浅川君の、塾の友人なんです。島野と言います!」

「もしかして、彼女?」

「いえ! そんなんじゃなくて! あの、一緒の高校を受ける予定で、勉強をよく教えてもらってて!」

 実花のしどろもどろの説明に電話の向こうの友樹が笑いだすのがわかった。

「そうだよね。大樹に彼女がいたなんて話聞いたことないし。……なんだかマスコミの電話が多くて、うざいんだ。ごめんね」

 友樹は素直に詫びた。

「……塾にも何人か取材に来ました」

 実花は塾の入口でマイクを持ったおばさんとカメラマンに捕まった事を思い出した。実花は無視して建物に駆け込んだが、同級生の何人かはインタビューに答えていたようだった。得意そうに大樹の事を語る同級生どもが無性に腹立たしい。塾長にも取材の依頼があったようだが、高校の入試の直前という時期のため、堀川は頑として申し入れなかったようだった。聞いたところでは、その後、テレビ局へ抗議の電話をかけたらしい。それから塾の周辺にマスコミの姿は見られなくなった。堀川は穏やかな見掛けによらず熱血漢なので、こんなばかな騒動に加担し、大樹の傷を広げるような真似をするのは嫌なのだろう。

「こんな騒ぎになっちゃって、困ってるんだ。そりゃまあ、人騒がせな事したのは確かだけど。でも、大樹は悪い事したわけじゃない。あいつはあいつなりに、この何日かを一生懸命生きてた。それだけだと思う」

 友樹がきっぱりと言い切った。実花も電話口で頷いた。そうだ、浅川君が悪い事をする訳がない。あんなに優しい人だもの。

 見舞いに行きたいと切り出すと、意外にも友樹は快く承諾してくれた。

「あいつ、まだあんまり元気ないし。仲の良い友達に会ったらちょっとは元気でるかもしれない」

「身体、つらいんですか?」

「いや、怪我は大したことない。心の問題……かな。難しいよね、家族って」

 溜息の混じった少し重い声に、実花はどう答えたらいいのかわからなかった。

 次の日、早速病院を訪れた実花だったが……。

 自分が見舞いに行ってもいいのだろうか。厚かましい女だと思われて、嫌われるかもしれない。前に大樹と話したのは彼が滑り止めに落ちた日だった。あの時、大樹は随分と険しい目をしていた。大樹の事が心配で一緒に帰ろうと思っていたのに、結局大樹をひどく傷つけたに違いないのだ。そんな自分がこんなややこしい時期に大樹の前に顔を出してもいいのだろうか。大丈夫だろうか。

「……やっぱ、帰ろうかな……」

 紙袋を見つめて溜息をつく。

 ロビーのテレビの番組が変わり、ワイドショーが流れてきた。それもタイムリーな事に、大樹の事件ときている。

 ロビーのソファーに座っている人達の目がテレビに吸いつく。件の少年がここに入院しているという噂を皆知っているのだろう。

 報道というにはあまりにも感情的で中途半端なナレーションが事件の概要を説明していた。その後はスタジオのコメンテーター達のわかったようなわからないような感想。訳知り顔で無責任な事を言い放っている。

  一見大人しい子の凶悪犯罪が増えている傾向がある。

  老人宅に入り込んで住人を軟禁していたのではないか。

  ストックホルム症候群ってご存知ですか? 

  押し入った少年に軟禁されるうちに住人の老夫婦が同調してしまったという事も……。

  お年寄りは孤独ですからねぇ。

  いやいや、これは現代社会が抱える問題を凝縮した事件とも言えるかもしれませんね~。

  さ、では次のコーナーは可愛いワンコちゃん達です。

 テレビから流れる声を聴いているとだんだん吐き気にも似た怒りがこみ上げてきた。実花はテレビに映る芸能人の顔を睨みつけた。

「…んな訳ないだろ。この、ばか!」

 思わず小声で吐き捨てる。隣に座っていた老人がびっくりして実花を見た。

 大樹が押し入っただとか、老人を監禁するだとか、そんな事をするはずがないではないか。なにも知らないくせに好き勝手な推測を無責任に垂れ流して。それも次のコーナーは可愛いワンコちゃんだって! 大樹の事件とワンコちゃんが同レベルなのか? デリカシーなさすぎ! これ以上ここに座っていたら脳みその血管がぶち切れそうだ。

 実花は勢いよく立ちあがり、そのまま病棟に向かって歩き出した。


 実花は病棟のナースステーションを覗き、近くの看護師に声をかけた。

「すみません、島野といいます。浅川君のお見舞いに来たんですけど」

 看護師は面会者のノートをパラパラとめくり、貼り付けてある付箋と実花を見比べた。

「何か身分証明みたいなの、ありますか?」

 実花は定期入れから学生証を出して提示した。友樹に学生証を持っていくるように言われていたのである。マスコミ対策という事だった。

「確かに。どうぞ、家族から聞いてます」

 看護師は大樹の部屋を教えてくれた。

 実花は扉の前に立つと一つ深呼吸をした。そして恐る恐るノックを二回した。

「はい」

 小さな声がして大樹によく似た女性が顔を出す。

「あの、島野です。押しかけて、すみません」

「いらっしゃい。どうぞ」

 容子は実花を招きいれた。実花は中に入った。何故か胸がどきどきしていた。

「あ、島野さん」

 ベッドに寝ていた大樹が手をあげた。久しぶりに見る大樹は少し痩せたように見えた。元々色白だが、白さも増したように思う。

「よっ」

 実花は不意に泣きそうになり、わざとそんな言い方をした。そして手にしていた紙袋をぬっと大樹に突き出した。

「意外に元気そうじゃん。これ、お見舞い」

「ありがとう」

 大樹はゆっくりと身体を起こし、紙袋を受け取る。

「お母さん、お花」

 大樹は花束を袋から出すと、容子に差し出した。容子は微笑を浮かべながらその花束を受け取り、実花に礼を言った。

「活けてくるわね」

 容子は病室を出た。

 二人きりになり、なんとなく気まずい沈黙が訪れる。なんと言えばいいのか二人ともよくわからなかった。

「ええっと……。で、どう。体調は」

 沈黙に我慢できず最初に口を開いたのは実花だった。ほっとしたように大樹は表情を和らげた。

「うん。マシになってきた。声はまだ出にくいんだけど」

「そう? そんなに気にならないけど」

 実花は傍のパイプ椅子を引き寄せ腰をかけた。

「退院はいつ頃とか、決まった?」

 大樹は首を横に振った。

「夜、なかなか寝られなくて。……フラッシュバックとかって言うヤツかな」

 炎の光景が甦り、胸を締め付けられるような苦しみと悲しみに襲われる。耐えられなくなって悲鳴を上げて飛び起きる。そんな夜が続いていた。

「そっか……」

 実花は視線を布団の上に落とした。

「……大騒ぎになってるんだってね」

 大樹は呟くように言った。

「色んな人に迷惑かけてるみたいで……」

 窓の外にはテレビ局の名前の書いた車が何台かいる。大きなカメラを抱えたカメラマン、照明やらマイクを携えた男達の姿が駐車場付近で時々見られた。病室にテレビはなくても、なんとなく騒々しい空気は伝わってくるものだ。

「浅川君のせいじゃないよ」

 実花は低い声で答えたが、大樹は首を横に振った。

「やっぱ、皆に迷惑かけてる。ほんと、ごめんなさいって感じだよね。もうすぐ試験じゃん。……そうだ、いいの? 島野さん」

「なにが?」

「あと何日だよ。こんな時に僕なんかの所に来て」

 実花は黙り込んだ。

「これで島野さんが、受験失敗なんかしたら……。なんか、気ぃ使わせて、ほんとごめん……。僕、本当に莫迦だと思うよ……。」

 大樹は申し訳なさそうにうつむいた。罪悪感に押しつぶされそうな顔をしているのがわかった。

「この……」

 きっ、と実花が顔を上げる。

「このバカタレ!」

 思い切り怒鳴る。怒鳴られた大樹は、実花のあまりの剣幕に目が点になった。きょとんとしている。

「そうだよ、もうすぐ試験だよ! でも心配で顔見ないと勉強もできないだろ! 無理に来たのは私なんだし、謝ってばっかすんな!」

「し、島野……さん?」

 実花は少年のように腕でぐいっと目を擦った。

「帰ってきて良かった。私は嬉しい。ホントに嬉しいんだからね!」

 しゃくりあげながら一気に言葉をぶつけてから、はたと我に返る。ああ、またこんなリアクションをしてしまった。私ってどうしてこんながさつなんだろう。また大樹を傷つけてしまったに違いない。ばかばかばかばか……。悲しいのだか、悔しいのだか、よくわからないが、涙が出てくる。ハンカチを出して涙をぬぐうのはなんだか嫌だった。でもあまりに涙と洟が出てくるので、見苦しい事になっているに違いない。実花はまた腕で顔を拭った。

 大樹はしげしげと実花を見つめた。なにか言おうとして、また口をつぐむ。

 何度かそんな事をしていたが、笑顔になった。

「泣いてんの? 嬉しいの? 怒ってんの?」

「うるさい……」

 実花は拳で布団をぼかんと叩く。

「泣かしてごめん……じゃなかった。ありがとう。……でいいのかな」

 大樹の言葉に実花は泣きながらプッと噴き出した。

「ヘンだよ、その文章」

「そうだね、ヘンだ」

「そうだよ」

 大樹は笑いながら枕元のティッシュペーパーの箱を取ると実花に渡した。実花はティッシュを何枚か取ると顔を拭いた。こすって赤くなってしまった鼻の頭が小さな子供のようで可愛らしいと大樹は思った。

「なんだよ。じろじろ見ないでよ」

「ごめん」

「あ、ほらまた謝る」

「今のもカウントされるの?」

 大樹は唇を尖らせた。

「今のは無しにしたげる。……でも、本当にもう謝らないでよ。今度ごめんって言ったら二度と見舞いに来ない」

「……そしたらもう数学教えてやらない」

「あ~? そんな事言う?」

 実花は大樹をにらみつけた。大樹はわざとあさっての方を向く。しばらくしてから、急に二人して笑い出した。

 久しぶりの、軽やかな時間だった。


<続く>


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