再会
浅川家に警察から連絡が入ったのは早朝だった。容子と慎吾、友樹は警察から教えられた救急病院に駆けつけた。病院はまだ静まり返っており、廊下や待合室もほとんどの電気が消されていた。それでも詰め所の看護師は一家の身元を確認すると、快く出迎えてくれた。
静かな廊下にせわしい足音が響く。三人はICUと書かれた部屋の扉の前に案内された。
「意識は戻ってます。でも、煙で喉をだいぶ痛めているので喋れないと思いますが」
看護師は小声で注釈を入れながら扉を開けてくれた。
大樹はベッドの上で酸素マスクをかけながら目をつぶっていた。腕には点滴がつながっている。
「大樹……」
容子がよろめくように病室に足を踏み入れる。大樹は眠っているようだった。白い顔にはまだところどころ煤が残っている。布団の上に投げ出された右手には包帯が巻かれてあった。
「大樹、大樹……」
うわごとのように名前を呼びながら大樹に近づき、震える手で大樹の頬にそっと触れた。
大樹の瞼がかすかに震え、ゆっくりと目を開けた。ぼうっとした目はしばらく天井を見つめていたが、ふと自分の頬に触れている温もりに気付き、視線を動かした。
「お・か・あ・さ・ん?」
マスクの下からかすれた声がこぼれた。
「大樹……。わかる? わかる?」
容子は大樹の手を握り締めた。容子の目に涙が盛り上がり、ぼろぼろとこぼれる。
大樹は起き上がろうともがいた。慌てて慎吾と友樹が駆け寄り、上半身に手を添えてやる。
「お母さん?」
大樹は目を見開き、容子をまじまじと見つめた。
「お母さん? 本当に、お母さん? お母さん?」
手で容子の腕を、肩をさぐり、その存在を確かめる。そして点滴をされているのも忘れ、容子の身体にすがりついた。迷子がようやく母親を見つけて抱きついてくるように、大樹は容子に身体を預けてきた。鼻を突く煙の匂いと伝わってくるぬくもり。容子もまた震える手で大樹の身体を抱きしめる。自分はなぜこの温もりを忘れていたのか。言いようのない喜びと悲しみと愛おしさが込み上げ、胸がつぶれそうだった。
「お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」
大樹は泣きじゃくりながら掠れ声で繰り返していた。
翌日、個室へ移された大樹の元に中年の刑事が訪れた。看護師に「十五分ですよ」ときつく念を押され、へこへこと頭を下げる。
慎吾よりは少し年上のようだ。細身だがいかつい顔をしている刑事は出迎えに出た容子に丁寧に頭を下げ、警察手帳と中の写真を見せ、「吉田です」と名乗った。容子が緊張した面持ちで上目遣いに刑事を見上げた。
「お怪我が軽くてなによりでした」
「息子に……何か?」
「いえ、火災現場の状況が失火にしては不自然でしてね。こんな時になんですが、第一発見者である息子さんから、少しずつでもお話を伺えたらと思いまして。坂本さんは事情を聞けるような状態じゃないのでね」
刑事は愛想笑いを浮かべながらそういうと、容子に勧められた椅子に腰をかけた。
「すまないね。無理のない程度でいいから。で、調子はどうかな」
「……」
刑事の質問に大樹は小さく頷いた。正直、絶好調には程遠い状態だった。まともな声が出ないので、話すのは億劫だ。母ともまだ必要最低限の会話しかしていなかった。
刑事はいかつい顔に笑みを浮かべた。
「どういう状況だったか、覚えているかい?」
大樹は目をつぶった。
黒い煙の渦をかいくぐりながら廊下を走り、飛び込んだ奥の部屋。燃えさかるユキノのベッド。ベッドの横で静かに座っている武司の姿。ちりちりするような熱気と煙の匂い。
大樹は唇を噛みしめた。
「君と坂本さんは煙にまかれて、玄関付近で倒れていた」
大樹は黙ってうなずく。
炎に舐められているのにも関わらず、身動きしない武司を必死の思いで部屋から引きずり出したところまでは覚えている。玄関から出ようと思い、鍵を開けようとしていたところで煙を吸って失神した……のだろう。
「おとうさん……いえ、坂本さんの具合は、どうですか」
「良くない」
刑事は渋い顔になる。
「まだ集中治療室にいるよ。火傷が広範囲で、危篤状態だとか。ベッドに灯油を撒いて、自分で火をつけたらしくて。ベッドから奥さんのご遺体が発見されてます」
ベッドを挟んで刑事の向かい側で話を聞いていた容子が息を呑むのがわかった。
ユキノの白い死に顔が脳裏に蘇り、大樹は震えるような溜息をついた。
「ゆっくりでいいから、最初から聞かせてくれるかな」
「最初から?」
「そう。何故君が坂本家にいたのか。今まで何をしてたのか。何が起こったのか」
刑事の口調は意外なくらいに優しかった。
大樹は遠い目をした。この半月ほどの出来事が頭の中をゆっくりと巡っていく。
とても十五分では話し尽せそうになかった。
<続く>




