三
むか~し むかし あるところに おじいさんと おばあさんがすんでおりました。
こどものない ふたりは まいにち かんのんさまに おねがいしておりました。
どうか わしらに こどもを さずけてください。
そのねがいがかなって、あるひ ふたりのあいだに
かわいい たまのような おとこのこが さずかったのです。
大樹は熱い湯船に身を沈めながら、窓から差し込む光に沸き立つ湯気を見上げていた。
まるで昔話の登場人物になったみたいだった。老夫婦の生活にひょっこり現れた子供。桃太郎は桃から生まれたのだった。一寸法師は……、おばあさんが産んだんだっけ。じゃあ、自分はなんだろう。公園のベンチから生まれた……。公園のベンチに生えているキノコ? キノコ太郎か?
思わず笑ってしまう。キノコ太郎はないだろう。でも、キノコ太郎でもナニ太郎でもなんでも良かった。浅川大樹でなければ、それで充分だ。
頭を洗い、体を洗い、三日間の垢を、今までの全てを、浅川大樹を洗い流そう。
新しい身体になって、狭い湯船で、暖かい湯に浸かっているうちに、きっと自分は胎児に戻れるに違いない。
生まれ変わり。そう、生まれ変わろう。
大樹は湯船にゆっくりと顔を沈めた。
武司は食卓の椅子に座りながらぼんやりと居間のソファーでうたた寝をしているユキノを眺めていた。
うっかり「昌平」と呼んだ時、大樹は当たり前のように振り向いた。その光景を何度も頭の中で繰り返し再生する。
「これで、いいのか……?」
自問自答してみる。心の中の「ばかげた話だ」という声は、「これでいいじゃないか」という声にかき消されそうだった。
「ありがとうございました」
風呂場から大樹が出てきた。武司が買ったスウェットの上下はぴったりだった。洗いざらしの髪のまま、頬を上気させている姿はますます大樹を子供っぽく見せていた。
何か切り出さなくてはならない。この子は昌平ではない。そう心の中で叫ぶ声はどんどん小さくなっていく。このままこの子がここにいてくれたら……。
「あの」
大樹はもじもじと言いにくそうに立ち尽くしていた。
「サイズ、ぴったりみたいだな」
武司は混乱する心を無理やり抑えつけながら、ぎこちない笑みを浮かべ、大樹を見つめた。この子は、昌平ではない。昌平ではないのだ。
「あの、お願いがあるんですけど……」
武司ははっと我に返った。
「なんだ、改まって」
自分でも情けなくなるくらい弱々しい声だ。
大樹はしばらく言いよどんでいたが、意を決したように大声で叫んだ。
「もうしばらく、ここに泊めてもらえませんか。何でもお手伝いします。お願いです」
大樹はその場に正座して、額を床にこすりつけた。
「お願いです」
大樹の声に驚いてユキノが目を覚ました。目を丸くして二人を見ている。
「や、やめなさい」
武司は慌てて大樹の傍に座る。
大樹は壊れたように「お願いです」と繰り返していた。
「お父さん! もういいじゃありませんか。昌平を許してやって」
ユキノが泣き声をあげながら、這いつくばって近寄ってきた。昌平の肩を抱きながら、武司を見上げる。
「お父さん! ね、お願いだから」
武司は呆然と二人を見比べた。
頭の中がひどく混乱してくる。
昌平が何をしたのか、細かい事はもう忘れてしまった。とにかく、何かひどく悪さをして武司は昌平を張り飛ばした事があった。普段滅多に息子に手を上げることのない武司が、烈火の如く怒った。其の時、昌平は泣いて土下座をして謝り続け、動転したユキノが必死で昌平をかばっていた。
そうまるで、今のように。
武司はユキノを見た。泣きながら懇願する顔はまさしく母親の顔だ。
「怒ってるんじゃないから。大丈夫だ」
振り絞るようにようやく言葉を口にすると、大樹の肩を抱いているユキノの手にそっと自分の手を重ねた。
「昌平は悪い事した訳じゃない。怒ってるんじゃないんだ」
できる限り優しい口調で言ったつもりだったが、ユキノはまだ武司の顔色を伺っているようだった。
「許してあげて、ね?」
「ああ。許す、許すよ。だから、ほら」
武司は大樹の頭に自分の手置いた。柔らかい髪だ。昌平のイガイガ頭とは随分と違う。
「好きなようにしたらいい」
「ありがとうございます」
大樹は消え入るような声でようやくそう言うと、声を上げて泣き始めた。
「良かった、良かったわね。昌平、ほら、もう泣かないの、ね?」
大樹の肩を抱きしめるユキノの両腕は限りなく優しかった。
<続く>




