第1話:聖女の遺言
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全91話、完結まで執筆済みです。
毎日20時10分に更新予定です。
コメディ多め、たまーにしんみり。そんな婚活ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
結婚相手に求める条件は、それほど多くない。
優しくて、誠実で、生活力があって、できれば年齢が近い人。
贅沢は言わない。ごく普通の幸せな家庭を築ければ、それでいい。
――そう思っていた時期が、私にもありました。
ところが、いざ婚活を始めてみると、候補に挙がったのは百歳以上年上のおじいちゃんと、胡散臭い邪術士だった。
……待ってほしい。
どうして、そんな二択になったのだろう。
私は普通の結婚がしたいだけなのに。
ルツィエ様。
結婚相手は生活力で選べとおっしゃいましたよね。
ですが、生活力以前に、もう少し考慮すべきことがあると思うのです。
例えば、年齢とか。
職業とか。
……そもそも、邪術士って何をして生計を立てているのでしょうか。
ルツィエ様。
**普通の結婚相手は、どこにいるのでしょうか。**
*
*
*
朝の柔らかな陽光が、教会の診療室を満たしていた。朝の柔らかな陽光が、教会の診療室を満たしていた。
開け放たれた窓から吹き込む風が、白いカーテンをふわりと揺らす。
「……はい、もう大丈夫ですよ」
ミリヤムは少年の膝へそっと手をかざした。
掌から零れた淡い光が傷口を優しく包み込む。
深く裂けていた皮膚は、雪が溶けるようにゆっくりと閉じ、やがて何事もなかったかのように元の肌へ戻っていった。
少年は何度も膝を曲げ伸ばしし、ぱっと顔を輝かせる。
「治った!」
「良かったですね」
ミリヤムが微笑むと、少年は勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます、ミリヤムさま!」
その声を聞いて、診療室の外で順番を待っていた子どもたちが一斉に騒ぎ始める。
「聖女さまだ!」
「次はぼくだー!」
「違いますよ」
ミリヤムは少し照れたように笑った。
「私はまだ聖女見習いです」
そう答えながらも、胸の奥がほんのり温かくなる。
怪我が治った人や、病気から回復した子ども。
涙を浮かべながら礼を言う家族。
そんな笑顔を見るたびに、自分はこの教会へ来て良かったと思えた。
人を救うこと。
それが、ミリヤムの願いだった。
その時、コンコン、と扉が叩かれた。
「ミリヤム」
振り返ると、一人の神官が立っていた。
「はい」
「任務だ。街外れで不死者の群れが確認された」
優しかったミリヤムの表情が、すっと引き締まる。
「……分かりました」
*
街を出てしばらく進むと、草もまばらな荒れ地に出た。
そこは、数か月前まで激しい戦争が続いていた場所だった。
風に晒された錆びた鎧。土に埋もれた折れた剣。
その間を、十数体の人影がゆっくりと歩いている。
どれも生者ではない。
虚ろな瞳をした、不死者たちだった。
「まだ残っていたか」
神官戦士の一人が苦々しく呟く。
「戦争ってのは、本当にろくなもんを残さんな。何十年経っても終わらない」
ミリヤムは黙って彼らを見つめた。
かつては誰かの父だったのかもしれない。
誰かの夫だったのかもしれない。
誰かの息子だったのかもしれない。
そう思うだけで、胸が締め付けられる。
「始めるぞ」
神官戦士たちが剣を抜く。
ミリヤムは両手を組み、祈りを捧げた。
「どうか、その魂に安らぎがありますように」
祈りと共に、聖なる光が大地へ降り注ぐ。
不死者たちは苦しむこともなく、淡い光へ溶けるように崩れていった。
やがて荒れ地には、風だけが残る。
「……終わりましたね」
ミリヤムは手を合わせた。
その横で、神官戦士が肩を回す。
「まったく、魔素ってやつは厄介だ。魔域の近くで人が死ねば、こうして不死者になる」
ミリヤムは小さく頷く。
この世界には、目に見えない〝魔素〟が満ちている。
普段、人々が暮らす街では薄く拡散しているため害はない。
だが、魔素が濃く淀む土地――〝魔域〟だけは別だった。
そこで命を落とした者の亡骸には魔素が染み込み、魂を歪め、不死者へと変えてしまう。
だから教会は定期的に討伐隊を送り、魂を浄化し続けていた。
「……本当なら、眠らせてあげなきゃいけない人たちなのに」
ミリヤムは崩れた骨へ、もう一度だけ祈りを捧げた。
*
街へ戻る途中、広場の一角が妙に騒がしいことに気付いた。
「あれは……」
錬金術師の工房だった。
ちょうど扉が開き、一人の青年が姿を現す。
その瞬間、人々が蜘蛛の子を散らすように距離を取った。
「穢れ持ちだ」
「近寄るな」
「気味が悪い」
青年は何も言い返さない。
俯いたまま、人混みを避けるように歩き去っていく。
ミリヤムは思わず立ち止まった。
「……あの人」
神官が、嫌なものを見るように目を細める。
「半端者だ。魔素に適性はあるが、魔域で生きられるほどじゃない。だから人間にも、穢れ者にもなれない」
この世界には、生まれつき魔素への適性を持つ者がいる。
彼らは魔素を操る〝魔素術〟を扱え、常人なら命を落とす魔域へ立ち入ることもできた。
だが、その力は人々から忌み嫌われている。
魔域へ移り住み、人間社会を捨てた者は〝穢れ者〟。
人間社会に残る者は〝穢れ持ち〟と呼ばれ、蔑まれる。
そして、そのどちらにもなりきれない者たちは〝半端者〟と嘲られながら、危険な魔域で素材を採取し、日銭を稼ぐしかなかった。
「悲惨なもんさ」
神官戦士はそれだけ言った。
遠ざかっていく青年の背中は、小さく見えた。
*
その日の夕方。
ミリヤムは教会の奥にある部屋を訪れていた。
窓辺には小さな花瓶が置かれ、白い花が陽の名残を浴びて揺れている。
ベッドに横たわる老女は、扉の音にゆっくりと目を開けた。
「来たのね」
「ルツィエ様」
ミリヤムは嬉しそうに駆け寄り、椅子を引いて腰を下ろす。
ルツィエ。
かつて〝聖女〟と呼ばれ、多くの命を救ってきた女性。
今は第一線を退き、後進の育成を担っている。
ミリヤムにとっては、師であり、家族であり、祖母のような存在だった。
「今日は調子はいかがですか?」
「ええ、悪くないわ」
そう言って笑う顔は穏やかだった。
けれど、その頬は日に日に痩せ、手は驚くほど細くなっている。
ミリヤムは胸の奥が締め付けられた。
「治癒をします」
そっと手を伸ばす。
しかし、ルツィエは首を横へ振った。
「駄目よ」
「でも……」
「寿命なの」
その一言は、あまりにも穏やかだった。
悲しみも、恐れもない。
長い人生を歩き終えた者だけが浮かべられるような微笑みだった。
「そんな……」
「泣かないの。人はいつか死ぬものよ」
「……嫌です」
思わず漏れた声は、子どものようだった。
「私だって嫌よ」
ルツィエは少し肩をすくめる。
「もっと美味しいものも食べたいし、お昼寝もしたいし」
「ルツィエ様……」
「でもね。だからこそ、生きている間を大切にするの」
ミリヤムは何も言えなかった。
やがて、ルツィエが口を開く。
「ミリヤム」
「はい」
その表情は、今までになく真剣だった。
「約束して」
「……何をですか?」
「魔素術は、絶対に使わないこと」
ミリヤムの瞳が揺れる。
「え……?」
優しいルツィエが、これほど強い口調で言うのは初めてだった。
その言葉を聞いた瞬間、幼い日の記憶が蘇る。
*
教会へ来て間もない頃。
中庭で一人遊んでいたミリヤムは、夢中になって掌から光を生み出していた。
「ルツィエ様!」
小さな両手から、きらきらと光の粒が舞う。
「見てください!こんなことができるんです!」
嬉しくてたまらなかった。
褒めてもらえると思っていた。
けれど、ルツィエの顔から血の気が引いた。
(……魔素術)
一目で分かった。
この子には魔素の適性がある。
聖女見習いでありながら、誰よりも強い聖力を持ち、次代の聖女と期待されるこの子が。
もし知られれば、教会にはいられない。
穢れ持ちとして蔑まれ、居場所を失う。
そんな未来だけは、絶対に許せなかった。
ルツィエは膝をつき、幼いミリヤムの肩へ手を置く。
「ミリヤム」
「はい?」
「その力は、決して使ってはいけません」
「どうして?こんなに綺麗なのに」
無邪気な問いに、胸が痛む。
「もし、その力が知られたら……あなたは教会にいられなくなります。私とも、一緒にいられなくなります」
その瞬間、幼いミリヤムの瞳に涙が溢れた。
「嫌です!」
首を何度も横に振る。
「ルツィエ様とずっと一緒にいたいです!」
ルツィエは微笑みながら、その小さな身体を抱き締めた。
「……では約束してください。その力は、決して使わないと」
「約束します!」
幼い声が、青空へ響いた。
*
「……分かりました」
ミリヤムは頷く。
「約束します」
その言葉を聞いて、ルツィエはようやく安堵したように笑った。
「ありがとう」
少し息を整え、再び口を開く。
「それから」
「はい」
「素敵な結婚相手を見つけて、幸せな家庭を築きなさい」
「……はい?」
予想外の言葉に、ミリヤムは目を瞬かせる。
「私は結婚できなかったから」
「今、それ言います?」
「今だから言うのよ」
ルツィエは小さく笑い、それから少し咳き込んだ。
「顔で選んでは駄目です」
「はい」
「生活力を見なさい」
「はい」
「胡散臭いという直感は、大事よ」
「はい」
「あまり歳が離れすぎているのも望ましくありません」
「はい」
ミリヤムは真面目な顔で何度も頷く。
今にも紙と羽ペンを取り出して、書き留め始めそうな勢いだった。
ルツィエはそんな彼女を見て、少し笑う。
「そして、一番大事なのは……」
ミリヤムは身を乗り出した。
「はい!」
「けいざ――」
そこで激しく咳き込む。
「ルツィエ様!?」
「違うわ、今のは違う……」
最後の力を振り絞るように身体を起こす。
「一番、大事なのは……」
ミリヤムはごくりと息を飲む。
「はい!」
ルツィエは優しく微笑んだ。
そして――そのまま、瞳を閉じた。
「…………」
部屋は静まり返る。
「…………ルツィエ様?」
返事はない。
ミリヤムはしばらく待った。
本当に、しばらく待った。
「……え」
恐る恐る肩を揺する。
「ルツィエ様?」
沈黙。
「えっ」
もう一度揺する。
「えっ、ちょっと待ってください」
まだ待つ。
「最後なんですかーーーっ!!?」
教会中に、ミリヤムの絶叫が響き渡った。




