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第56話 セレスタイン王国再建共同プロジェクト発足ですわ

午前中いっぱいを署名式のリハーサルに取られるなど、退屈にもほどがございますわね。


「アメリア様、もう一度だけ入場からの動線を確認したいと、儀典局が」


「もう一度。先ほどまでの、三度のリハーサルは、幻覚でしたの?」


 公会堂の袖で、ため息をひとつ。


 ご苦楽シティ公会堂は、今日はいつもの市場説明会ではなく、飾り立てられた式典会場となっております。ライシア王国とセレスタイン王国の共同プロジェクト協定署名式。


 舞台中央には、両国の紋章旗と、ご苦楽シティの新しい紋章旗。三枚が並んでおりますのよ。うちの紋章が、堂々と並んでいるのは、見ていて大変気分がよろしいのですけれど。


「アメリア。今日は一応、主催側の一人なんだから、あまりあからさまな顔をしないで」


 隣で書類束を抱えたレオンが、小声でたしなめてくる。


「顔に出ておりました?」


「出てる。だいぶ出てる。式が始まる前から、再建委員会の連中を威嚇しなくていいから」


「威嚇ではございませんわ。退屈と睡眠不足の副作用ですの」


 昨夜遅くまで、第二王都南港の市場規約の最終文言調整をしておりましたからね。わたくしはともかく、儀典局の皆さまが、これ以上のリハーサルで体力を削られぬよう、むしろ配慮してあげているつもりなのですけれど。


「ともあれ、動線の確認はもう充分ですわ。あとは、数字と条文のほうを、最後に見直しておきたいところですわね」


 そう告げて、レオンから一部の書類を受け取る。


 表紙には、少々仰々しいタイトル。


 セレスタイン王国財政再建および第二王都南港共同管理に関する協定。


 中身は、もっと味気ない数字と条文の積み重ねですが。


「第一条、目的。第二条、共同管理港の設置。第三条、再建委員会の構成……」


 指先で紙をぱらぱらとめくりながら、頭の中でもう一度、全体の構図をなぞっていく。


 共同管理港。場所は、セレスタイン王国第二王都南港。かつて、わたくしが祖国の財務室で、幾度も予算表に数字を並べた港ですわ。


 そこに、ご苦楽シティ式の市場規約と税制を導入し、実務を担う再建委員会を三者混成で置く。


 ライシア代表。ご苦楽シティ代表。そして、セレスタイン王国側の実務官僚。


 名目上の主権は祖国に残しつつ、実際の収入配分とルール設計は、こちらががっちり握る。救済と乗っ取りの、きわどい綱渡りでございます。


「本当に、ここまで踏み込めるとは思っていなかったよ」


 レオンがぽつりと漏らした。


「第二王都南港を、ここまで共同管理に差し出すことを、向こうが飲むなんてね」


「ぎりぎり、ですわね」


 わたくしは、書類から目を離さずに答える。


「彼らにとっては、喉元に突きつけられた包丁を、自らの手で握り直したようなものですもの。手放せば即死。握り続ければ、傷は深いけれど、縫合の可能性が残る」


「物騒なたとえだなあ」


「例え話ですこと」


 もっとも、あの国の財政状態を思えば、例え話にしてはずいぶん生々しいのも事実ですが。


 袖の奥、控室のほうから、柔らかな咳払いの音がした。


「アメリア嬢、レオン殿、よろしいかな」


 現れたのは、セレスタイン王国側から派遣されてきた代表団の一人。老財務卿の右腕格だったという、中年の実務官僚だ。


 なまじ祖国の官僚だった顔ぶれだけに、最初に会ったときは少しだけ、胃がきりきりしましたけれど。今では、数字と条文で会話ができる相手として、それなりに信頼している。


「まもなく、国王陛下と代理殿下がお入りになります。最終案について、ひとつだけ確認をしておきたい」


「どうぞ」


「第二王都南港からの関税および港湾使用料収入のうち、共同管理枠として三割を、再建委員会預かりとする条項だが……」


 彼は、慎重に言葉を選ぶ。


「セレスタイン王国側としては、その三割の使途が、可能な限り国内向けにも明示されることを望んでいる。単なる対外債務の返済ではなく、国内の教室設置や地方評議会の立ち上げに、優先的に充てられるように、と」


「それは、もともとの設計意図でもありますわ」


 わたくしは頷き、別紙の説明用資料を差し出した。


「ほら、ここ。再建委員会基金の使途内訳。教室網整備と地方評議会準備金に、一定割合を固く縛っております」


「ふむ……」


「ちなみに、この一枚は、セレスタイン王国国内向けの読みやすい版でしてよ。難しい言い回しは避け、数字も丸めてあります」


 老財務卿の筆致を真似て、説明文を書いたのは、ユリウスとヘルマンである。わたくしは、構成と数字の確認をしただけ。


 自国民向けに、どこまで踏み込んだ説明をするか。それを決めるのは、最終的には彼ら自身だ。


「ここまで、開示してしまってよろしいのか、と、国内の一部からは不安の声も出ている」


「見たくない数字を隠し続けた結果が、今の状況ですわ」


 わたくしは、静かに言い切る。


「国民に、痛みの総額を見せずに、協力だけ求めるのは、もうおやめになったほうがよろしくてよ。内債の紙切れを抱えた未亡人や、給金遅配の兵士たちが、何を見ていたかを、思い出していただきたいものですわ」


 彼は、わずかに顔をしかめ、それから小さく頷いた。


「……君が財務室にいた頃に、もっと耳を貸すべきだったな」


「今さらでございますわ」


 口調はとげとげしいが、刃先は少しだけ鈍らせておく。


 この人たちは、今やこちら側に足を踏み入れつつある。突き放すより、数字を見せ続けるほうが、長期的な利が大きい。


「ともあれ、三割の使途は、再建委員会で逐次報告することになっております。セレスタイン王国内でも、その報告を元に、教室や評議会の受け皿を準備なさるのがよろしいでしょう」


「ああ。そのためにも、うちの若い連中を、こちらの教室にしばらく留学させる段取りを進めている」


「承知しました。ご苦楽シティのほうでも、官吏向けの基礎講座を増やしておきますわ」


 セレスタイン王国側の実務官僚は、深々と頭を下げて、控室へと戻っていった。


 入れ替わるようにして、袖の外からざわめきが近づいてくる。


 ライシア王国国王陛下と、その側近たち。セレスタイン王国からの代理王族。老財務卿の姿も、遠目にちらりと見えた。


 かつての上司は、少し痩せたように見えたが、背筋はまだ真っ直ぐだ。目だけが、あの頃より、いくぶん柔らかくなっている。


「アメリア。行こうか」


「ええ」


 レオンとともに、舞台袖から壇上へと歩み出る。


 正面には、満席の客席。ご苦楽シティの関係者と、ライシア官僚団。セレスタイン王国からの使節団。


 ざわめきが、すっと引き、静寂が広がる。


 国王陛下の開会宣言。形式的な挨拶がいくつか続き、そのあとで、再建委員会代表として、わたくしに発言の順番が回ってきた。


「自由都市ご苦楽シティ財政担当、アメリア・フォン・ラグランジュでございます」


 一礼し、顔を上げる。


 祖国の紋章旗が、視界の端に揺れた。


「本日ここに、セレスタイン王国とライシア王国、そしてご苦楽シティによる共同プロジェクトの第一歩が刻まれますこと、財政屋として、心より歓迎いたしますわ」


 声が、よく通る。公会堂の音響は、何度も数字を見直して設計しただけありますわね。


「わたくしは、かつてセレスタイン王国財務卿補佐として、王都の帳簿に数字を並べる役目を担っておりました。その数字が、やがて行き詰まり、今のような事態を招いた責任の一端が、わたくし自身にもあることを、否定するつもりはございません」


 客席の一部が、かすかにざわめく。


「だからこそ、ここから先の数字は、あの頃とは違う書き方をしたいと思っております」


 わたくしは、背後の三枚の旗に視線を向けた。


「一つの国に閉じた帳簿ではなく、複数の国と都市が、同じ数字を見て、同じ条文を読み、同じ市場を共有する帳簿ですわ」


 第二王都南港共同管理。教室網。地方評議会。内債再編。


「セレスタイン王国の南に位置する第二王都南港は、古くから交易の要衝でありながら、その潜在力を十分に発揮できてはおりませんでした」


 内心では、過去の予算会議が脳裏をよぎる。


 防波堤補修費の削減。倉庫整備の先送り。港湾労働者の賃金カット。


 あの時、わたくしが強く食い下がれなかったことも、今となっては苦い記憶だ。


「今回の共同管理により、港の設備投資と市場ルールの再設計を、三者で分担しつつ進めてまいります」


 わたくしは、手元の簡易図面を掲げた。


「まず、市場区画の再編。自由出店エリアと登録制倉庫エリアを明確に分け、関税と使用料の体系を分かりやすくします。税率は段階的で、一定額以上の取引には、帳簿提出と簡易監査を義務づけます」


 帳簿を提出させる。数字を見せさせる。そこから先は、こちらの得意分野ですもの。


「次に、再建委員会基金。第二王都南港からの関税および港湾使用料収入のうち、三割を共同基金とし、その使途を、教室網整備、地方評議会準備金、内債再編費用など、あらかじめ明示された用途に限定いたします」


 客席のあちこちで、メモを取る音が聞こえる。


「この三割を、単なる黒字穴埋めに使うことは許されません。再建委員会が四半期ごとに収支報告を行い、セレスタイン王国国内にも、その内容を公開することになります」


 数字を公開する。嫌な顔をする者も、きっといるでしょう。


 けれど、それを嫌がっているうちは、再建など夢のまた夢ですわ。


「教室についても、一言申し添えますわ」


 わたくしは、視線を少し和らげた。


「ご苦楽シティでは、すでに読み書きと計算を学ぶ教室を開いております。そこに、セレスタイン王国から来た子どもたちも多く通っておりますの」


 クララの子どもの顔が、ふと頭をよぎる。小さな手で数字を書き、目を輝かせていた姿。


「今回の協定により、セレスタイン王国内にも、同じような教室を順次設けていく予定です。納税者である庶民が、自らの目で税金の使い道を読み解けるように。地方評議会に参加する人々が、数字を前にして怯えずに済むように」


 民の味方を名乗るなら、数字から逃げないこと。


 先ほど、リリアーナ様に伝えたばかりの言葉が、頭の片隅で反芻される。


「わたくしは、断罪され、この国を追われた人間です」


 敢えて、そこも言葉にしておく。


「そのわたくしが、今こうして、外側からセレスタイン王国の帳簿に指を入れております。屈辱だと感じる方も、いらっしゃるでしょう」


 代理王族の表情が、ぴくりと動いた。


「ですが、もしあの時期に、誰かが、外からでも内からでも、はっきりと数字の異常を突きつけてくれていたなら。ここまで事態が悪化する前に、別の道もあり得たのではないでしょうか」


 老財務卿が、わずかに目を伏せる。


「今回の再建委員会は、その役割を担います。外からの目と、内からの目を交え、善意だけでなく、数字と条文で政策を検証する場として」


 善意は間違う。だからこそ、検算が要る。


「最後に、ひとつだけ。ご苦楽シティの財政担当としての、わたくしの利己的な理由も、正直に申し上げておきますわね」


 客席に、かすかな笑いが漏れる。


「わたくしは、この海域での商売が、これ以上ややこしくなるのを、心から嫌っております」


 本音ですわ。


「セレスタイン王国がこのまま沈めば、難民は増え、密輸も増え、戦争の火種も増える。ご苦楽シティの帳簿は、しばらくのあいだ黒字でも、その先で一気に赤く染まる可能性がございました」


 だからこそ、こちらから条件付きの手を差し伸べた。


「今回の協定は、セレスタイン王国を助けるためだけのものではありません。ご苦楽シティとライシア王国が、自分たちの帳簿を守るためにも、必要な投資なのですわ」


 その点を、隠すつもりはない。


「利息は、きっちり取ります。条件も、厳しめです。その代わり、数字から目を背けない限り、わたくしたちは、あなた方の再建に付き合う用意があります」


 正直であることは、時に最大の説得材料となる。


「どうか、今回の協定を、屈辱だけの紙切れとは思わないでいただきたい」


 わたくしは、深く一礼した。


「これは、あなた方が、自分たちの国の数字と向き合うための、新しい帳簿の第一ページなのですから」


 静寂のあと、拍手がわき起こる。


 形式的なものも多いでしょうが、それでも、ゼロよりはましですわ。


 そのあと、国王陛下や代理王族の挨拶が続き、いよいよ署名の時間となる。


 舞台中央の大きな机の上に、協定文書が二通。そして、それぞれの署名欄。


 ライシア王国代表。セレスタイン王国代表。そして、ご苦楽シティ代表。


 わたくしの名前が、しっかりと印字されている。


「ラグランジュ嬢」


 老財務卿が、反対側から、ふっと視線を寄越した。


「あなたの署名を、まさかこちら側から見る日が来るとは、思わなんだ」


「わたくしもですわ」


 ペンを取り、インクを軽く含ませる。


 アメリア・フォン・ラグランジュ。


 すらすらと、署名欄を埋めていく。


 かつて、祖国の予算表に書き連ねた数字たちとは、まるで違う重みが、指先に宿る。


 これで、第二王都南港は、名目上は祖国の港でありながら、実務面では、ほぼご苦楽シティの妹分となる。


 都市を、二つ抱えた気分ですわね。


 ペンを置き、印章を押す。


 赤い印が、紙の上にくっきりと浮かび上がる。


 この瞬間から、この港の数字も、わたくしの帳簿の一部となる。


「これで、引き返せませんわよ」


 小声で呟くと、隣のレオンが、同じく小声で返した。


「もともと、引き返すつもりなんて、なかっただろう?」


「まあ、そうですけれど」


 式典は、その後も滞りなく進み、無事に閉会した。


 人々がロビーへと流れ出し、歓談と名刺交換の時間が始まる。


 わたくしは、少し離れたバルコニーに出て、港のほうを見下ろした。


 ご苦楽シティの港。その向こうに広がる海。そのさらに向こうに、第二王都南港がある。


「アメリア」


 背後から、レオンがやってきた。


「疲れた?」


「儀式部分は、退屈でしたけれどね。署名そのものは、まあ、悪くありませんわ」


 港から、細かな人と荷の動きが見える。


 ここから先、第二王都南港にも、同じような喧騒が生まれるのだろう。


「さて。これで、本当に国ひとつぶんを運転し始めることになりますわね」


「大げさじゃないよ」


 レオンは、欄干にもたれながら笑う。


「ご苦楽シティと共同管理港を合わせれば、一つの中規模国家くらいの人と物と金が動く。それを、制度で回すんだ。君の好きな、大きな帳簿仕事だろう?」


「大好きですわ」


 即答すると、彼が呆れたように肩をすくめた。


「その顔で言われると、本気で言っているとしか思えないから、怖い」


「本気ですもの」


 冗談ではない。


 わたくしは、数字が好きだ。帳簿が好きだ。都市という巨大な店を、どう動かすかを考えるのが、何よりの娯楽だ。


「ただし」


 欄干をとん、と指で叩く。


「国ひとつぶんの帳簿を抱えるからには、こちらのミスが、何万人分もの生活に跳ね返ります。そこだけは、肝に銘じておかねばなりませんわね」


「そのための再建委員会だし、ヘルマンたちだし、僕たちだろう」


 レオンの横顔は、ひどく真面目だ。


 この男となら、多少帳簿を派手に動かしても、大事故にはしないで済みそうだと、改めて思う。


「さて。式典は無事終わりましたし」


 わたくしは、くるりと踵を返した。


「これからが、本番ですわよ。第二王都南港の市場開き。ご苦楽シティからも、きっちり手を打っておかねば」


「ヘルマンとフリードリヒとユリウスには、もう出張の覚悟をしてもらっているよ」


「あら、それは楽しみですわ」


 彼らが、新しい港でどんな顔をするのか。どんな数字を持ち帰ってくるのか。


 ご苦楽シティの帳簿は、今日からまた、一段と賑やかになる。


 断罪された悪役令嬢財務卿としては、これ以上ないおもちゃを、国ぐるみで差し出されたようなものですもの。


 退屈している暇なんて、どこにもございませんわ。

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