第53話 条件闘争、本番ですわ(政治編)
数字の次は、言葉の綱引きでございますのね。
経済条件の叩き台を投げつけた翌日。わたくしたちは再び、公会堂の長机をはさんで向かい合っておりました。
昨日と違うのは、机の上に置かれた紙の種類でしてよ。
税率や融資額の表ではなく、条文案と国印欄のついた「協定草案」。
前王国は、緊急食糧と資金が喉から手が出るほど欲しい。
ライシアとご苦楽シティは、「金と物」を出す代わりに、「口も手も出せる権利」を取りに行く。
本日の議題は、その「どこまで口と手を突っ込んでよろしいか」でございます。
◇
「昨日提示した経済条件については、概ね理解した」
開口一番、前王国の財務官がそう切り出しました。顔色は悪いままですが、目の焦点は昨日よりはっきりしております。
「ただし、我が国としては、政治的な主権まで譲るつもりはない」
はいはい、来ましたわね。そこを譲っていただきませんと、こちらも面白くございませんのよ。
「“主権”という言葉は、とても便利ですわね」
わたくしは、にっこり笑いました。
「主権を盾に、誰にも口を出させずに好き放題穴を掘ることもできますもの」
アルノルト殿下の眉がぴくりと動きました。
「アメリア。君は、祖国の主権を軽んじるつもりか」
「いいえ。主権を守るために、どこまで譲歩すべきかをお伺いしているだけですわ」
レオンが、机の中央に新しい羊皮紙を広げました。見出しには、「前王国財政再建協力協定案」と記されています。
「こちらが、政治面も含めた協力の枠組み案だ」
条文は、三つの柱に整理されておりました。
一つ。地方自治の見直し。
二つ。財政再建計画の承認権。
三つ。共同管理港の設置。
わたくしは、順に説明を引き取ります。
◇
「まず一つ目。地方自治の見直しですわ」
前王国側の視線が、一斉に紙へと落ちます。
「前王国の各地方には、それぞれ領主と、王都から派遣された官吏がいらっしゃる。そこまではよろしいですわね」
財務官が渋々うなずきました。
「そこに、地方評議会を重ねていただきますの」
「評議会、だと?」
「ええ。その土地で税を払っている者から選ばれる代表者で構成される会議体ですわ。領主と官吏に対して、歳出の優先順位や公共事業の必要性を意見として突きつける役目を持たせます」
リリアーナが、ぱっと顔を明るくしました。
「それは……民の声を直接政治に届けられる、ということですよね?」
「建前としては、そうですわ」
にっこり。
「ただし、選ばれる条件は、一定額以上の税を納めていること一定以上の識字・計算能力を持つこと。この二つを必須にいたします」
彼女の顔が、見る見るうちに固まりました。
「えっと……それは……」
「税を払っていない者が、人の財布の中身に口を出すのは、少々行き過ぎですもの。まずは、一度自分の財布から出したことのある人に、優先的に口を出していただきますわ」
アルノルト殿下が、皮肉を含んだ笑みを浮かべました。
「君は、金持ちの意見だけを重くするつもりか」
「税の重さは、金額”だけではございませんわ。小さな店でも、農地一枚でも、持っているものの一部を差し出している人の声は尊重されるべきですもの」
そう言って、わたくしは条文の一節を指さしました。
「一定額以上の基準は、その地方の平均所得に応じて決める。つまり、貴族だけ、大商人だけが評議会を独占しないように、あらかじめ調整いたします」
財務官が、驚いたように目を見開きました。
「……そこまで、考えているのか」
「地方の税台帳を見れば、誰がどれだけ払っているかは一目瞭然ですもの。それを使わない手はございませんわ」
リリアーナが、まだ腑に落ちない顔で口を開きます。
「でも……文字が読めない人たちの声は、どうなるんですか」
「そこは、ご苦楽シティ式の教室の出番ですわ」
レオンがさらりと補足しました。
「再建協力の一環として、基礎の読み書きと計算を学べる場所を各地方に設ける。評議会の候補者には、そこに通ってもらう。学んでから口を出しなさいという形だ」
リリアーナの顔に、言葉を失ったような表情が広がりました。
善意だけで走り続けるには、少し息が切れてきたと、そろそろ理解していただけるとよろしいのですけれど。
◇
「二つ目。財政再建計画の承認権ですわ」
わたくしは条文の次の節を軽く叩きました。
「今回の融資を含めた、前王国全体の財政再建計画。その大枠について、ライシア王国およびご苦楽シティ側の同意を必要とする、という条項です」
アルノルト殿下の表情が、目に見えて険しくなります。
「それは……政策決定権を、そなたたちに握らせるということではないか」
「いいえ。国庫を潰すような計画には、金を出さない権利を明文化しているだけですわ」
レオンが、落ち着いた声で続けます。
「こちらとしても、どんな政策でも黙って頷くつもりはない。増税と減税の乱発、人気取りのばらまきを再びやられては、支えている意味がなくなる」
「だからこそ、一定以上の歳出増を伴う政策や、大規模な減税策については、再建委員会の承認を条件にする」
王弟殿下が、条文を拾い上げました。
「再建委員会とは?」
「ライシア側代表、ご苦楽シティ代表、前王国側実務官僚で構成される三者会議ですわ」
わたくしは、さらりと言いました。
「そこに、老財務卿の後継者候補を座らせておけば、王国の現場の声も反映されますわね?」
ラウエンシュタインが、驚きと困惑の入り混じった目でこちらを見ました。
「……そんなものを、我々に託すつもりか」
「託す、というより、一緒に首を突っ込んでもらうのですわ」
私は肩をすくめました。
「ご苦楽シティとライシアだけが“嫌われ役”になっても、長続きはいたしませんもの」
◆◇◆
「そして三つ目。共同管理港でございます」
最後の柱に触れたとき、財務官たちの顔色が一段と強張りました。
「先ほど申し上げた、第二王都と第三都市の港。そのうち一つを、共同管理港といたします」
レオンが、別紙の地図を広げました。前王国の海岸線に、赤い丸印が一つ。
「ここだ」
アルノルト殿下が目を細めました。
「第二王都の南港か」
「あそこはもともと、交易の要所ですわね」
わたくしは、地図の周りに小さな丸をいくつか描き足しました。
「この港に、ご苦楽シティ式の市場規約と税制を導入していただきます。港の一角を、自由取引区域として区切る。
関税率の明示、屋台と倉庫利用料の一覧、公平な抽選で決める一等地の配置。談合禁止と、違反時の罰則」
「つまり、ご苦楽シティのコピーを、前王国内に置くつもりか」
アルノルト殿下の声には、あからさまな警戒が混じっていました。
「はい。縮小版ご苦楽シティですわ」
わたくしは、にこり。
「そこから上がる税収と手数料の一部は、融資の返済に。その代わり、その港には、ご苦楽シティからの商人と職人を優先的に送り込みます」
バルド商会の親方が、この話を聞けば、きっとにやりと笑うでしょうね。
「一国の中に、他国が口出しできる市場を作るなど……」
財務官のひとりが呻きます。
「そこまでして、生き延びたいのか、と問われれば?」
わたくしは、あえて柔らかく問い返しました。
「そこまでするくらいなら滅んだほうがましだとお考えなら、そもそもここにはいらしていないはずですわ」
アルノルト殿下が、歯を食いしばったように口を閉ざしました。
リリアーナが、小さく震える声で言います。
「でも……そんな形で助けられて、王国の誇りは……」
「誇りで腹は膨れませんわ」
わたくしは即答しました。
「自分たちの失敗を認めて、他人と一緒に片付ける覚悟を持つこと。それを誇りの喪失と呼ぶか、次の世代への責任と呼ぶかは、殿下方次第でしてよ」
◇
しばしの沈黙のあと、王弟殿下が静かに口を開きました。
「アルノルト殿下」
「……何だ」
「この協定案を飲めば、王国は確かに完全な意味での独立国ではなくなる」
王弟殿下は、淡々と続けます。
「だが、国そのものが地図から消える未来は、かなり遠ざかるだろう」
レオンが、視線だけでわたくしに問いかけてきました。
わたくしは、ほんの少しだけ肩をすくめてみせます。
「殿下方がどうお決めになろうとも、ご苦楽シティはこの位置で商売を続けますわ」
アルノルト殿下の目が、ぎろりとこちらを向きました。
「どういう意味だ」
「協定を結ぶ国が王国であろうと、別の政権であろうと、この海岸線に港があり、人と物が動く限り、わたくしたちはそこに店を出しますの」
それが、商人の論理ですもの。
「でしたら、今のあなた方のうちに、条件を決めておかれたほうが、まだお得ですわよ、殿下」
アルノルト殿下の拳が、机の下で小さく震えました。
怒りか、悔しさか、恐怖か。
いずれにせよ──
数字と条文の前では、どれも同じ色に見えるのが、少々申し訳なくもあり、同時に、とても楽でもあるのですわ。




