第5話 外回り営業ですわ 〜商人は口で落とすもの〜
午後。
わたくしとレオン、それからユリウスは、川沿いの街道を馬車で下っておりました。
「お嬢様、川向こうに見えますのが本日の“ターゲット”の町でございます」
セバスが、向かいの席から窓の外を顎で示します。
古い石橋の向こうに、そこそこ賑わった港町が見えておりました。
「ここは、“そこそこ成功している”中規模の港町ですね」
レオンが補足します。
「大国との取引もそこそこ、税率もそこそこ、治安もそこそこ。
……要するに、“決定打に欠けるが、今さら冒険もしない”タイプの町です」
「つまり」
わたくしは、にっこりと笑いました。
「“もう少し稼ぎたいけれど、失敗はしたくない”と考えている商人がうじゃうじゃいる、ということですわね?」
「そうなります」
「最高ですわ」
ユリウスが、向かいで小さく震えました。
「さ、最高なんですか、そういう人たち……?」
「ええ。だって、そういう方々こそ、“条件の違い”を冷静に見比べてくださいますもの」
わたくしは指を一本立ててみせました。
「本日の目的は、三つ」
「三つ……!」
ユリウスの喉が、ごくりと鳴りました。
「ひとつ。
この町の“顔役”クラスの商人に、“ご苦楽シティ”の名刺を配ること」
「名刺……?」
「これですわ」
セバスがすかさず、数枚の厚手の紙を差し出しました。
そこには、簡潔な文字が踊っています。
『自由都市(仮称) 港湾・市場使用優遇のお知らせ
関税三分の二/市場使用料半額/倉庫一年目ほぼ無料』
「最後の一行の“ほぼ”に、数字を入れておいてくださいませ、ユリウス君」
「は、はい!」
「ふたつめ。
“実際に一度荷を下ろしてみようか”と思ってもらえるような、“安心材料”を提示すること」
「安心材料……」
「そして三つめ。
この町の酒場に、“あの港は最近なんだか儲かるらしい”という噂を置いてくること」
「それ、営業っていうより情報工作じゃないですかっ」
「ユリウス様、世の中の営業の大半は、情報工作で成り立っております」
セバスの淡々とした補足に、ユリウスが絶望の目をしました。
よろしい、その調子で現実に慣れていただきましょう。
◇ ◇ ◇
橋を渡り、港町の門をくぐると、さすがにご苦楽シティとは比べものにならない活気でした。
荷車が行き交い、魚の匂いと香辛料の香りが入り混じる。
商人たちの呼び声が飛び交い、子どもたちが走り回り……。
「ふむふむ、それなりに繁盛していらしてよ」
わたくしは通りを歩きながら、さりげなく建物を観察します。
石造りの倉庫。二階建ての商館。看板のデザイン。
どれも“平均点以上”ですが――だからこそ、伸び悩んでいるのが見て取れます。
「まずはどこに?」
「この町で一番大きな穀物商、“バルド商会”に当たりましょう」
レオンが先導し、港近くの一軒を指しました。
大きな看板と、忙しそうに出入りする職人たち。
間違いなく、この町の一大勢力ですわね。
「では、営業スマイルの準備はよろしいかしら?」
「営、営業スマイル……?」
「そうですわ。
“この人から買えば儲かりそうだ”と思わせる顔のことですの」
わたくしがにっこりと微笑むと、ユリウスが思わず目をそらしました。
「ま、まぶしい……」
「お嬢様、その笑顔は“営業”というより“捕食前”に近いかと」
「セバス、酷評ですわよ?」
◇ ◇ ◇
バルド商会の事務所に入ると、すぐに店員らしき若者が飛んできました。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「ライシア王国財務局より参りました、レオン・ハルトマンと申します。
代表のバルド様はいらっしゃいますか?」
レオンが手際よく身分証を見せると、若者の態度が一変しました。
「し、宰相補佐様!? す、すぐに奥からお呼びします!」
ほどなくして、ずんぐりとした体格の中年男が、汗を拭きながら現れました。
「こりゃまた、えれえ人が来なさった。
バルド・グランデルと申します。わしがここの主でさあ」
「お忙しいところ恐れ入ります、バルド殿。
こちらは――」
レオンが紹介しようとしたところで、わたくしは一歩前に出ました。
「初めまして。自由都市計画担当の、アメリア・フォン・ラグランジュと申しますわ」
「じ、自由都市……?」
バルドの目が、じろりとわたくしを値踏みするように動きました。
それでいいのですわ。商人というものは、まず“相手の懐具合”を測るものですもの。
「本日は、少々お耳に入れておきたい話がございまして」
「ほう?」
わたくしは、持ってきた紙――先ほどの“名刺”を差し出しました。
「先日より、この川上の港町を“自由都市(仮称)”として再整備することになりましたの。
関税、市場使用料、倉庫使用料を、期間限定で大幅に優遇いたしますわ」
バルドは紙を受け取り、ぱっと目を走らせました。
「関税が周辺の三分の二……?
市場使用料半額、倉庫一年目ほぼ無料……? こりゃまた、大盤振る舞いですな」
「お得でしょう?」
にっこり。
「お得には、裏があるのが世の常でさあ」
バルドは、にやりと笑いました。
このくらいの警戒心がなければ、この位置にはいられないでしょうね。
「で、その“裏”はなんで?」
「簡単ですわ」
わたくしは、あっさりと答えました。
「わたくしたちには、今、“お客様”が必要ですの。
お客様が来てくださらないことには、税を取るにも取れませんもの」
「……それは、まあ、そうでしょうが」
「ですから、まずは“バルド商会のような大口のお客様”に、
この街を一度“試して”いただきたいのですわ」
バルドの目が、きゅっと細くなりました。
「試すってえと?」
「穀物の一部を、いつもより少しだけ、上流の港で下ろしていただく。
その上で、保管状況や荷の流れ、取引のしやすさを、実際に確かめていただきたいのです」
「……そいつは、あんたらのほうにリスクはねえが、こっちにはある話でさあ」
「そのリスクを、どのくらいまで下げられるか。
それが、わたくしたちの腕の見せ所ですわね」
わたくしは、紙にさらさらと数字を書き込みました。
「例えば――
ここ、“バルド商会”が扱う穀物の、月間取引量がこれくらいだとして」
「なぜそれをご存じで?」
「あら、商人ギルドの登録情報は、王国に開示されておりますもの」
もちろん、細部までは分かりませんけれど、だいたいの規模は推測できますわ。
「そのうちの、一割だけを、わたくしたちの港に回していただく。
そうすると――」
わたくしは、紙をくるりとバルドの前に向けました。
「このくらいの“倉庫費用・関税・市場使用料の節約”になりますわ」
「……こいつぁ」
バルドは、数字をじっと見つめました。
「……本当で?」
「もちろん。
嘘をついても、後で数字が証明してしまいますもの」
わたくしは肩をすくめました。
「もしも、実際にそれ以下の削減額しか出なければ――
差額分は、わたくし個人が“広告費”として負担してもよろしくてよ」
「アメリア様!?」
レオンとユリウスが同時に声を上げました。
セバスだけが、特に驚きもせず、静かにメモを増やすだけです。
「セバス、総額はいかほどになりますかしら?」
「一割分であれば、お嬢様の個人資産から見れば“趣味の範囲”かと」
「では、問題ございませんわね」
「待ちなせえ、待ちなせえ」
バルドが手を振りました。
「そんな大盤振る舞いをして、あんたの懐が痛まねえんで?」
「もちろん、少しは痛みますわよ?」
正直者ですもの、わたくし。
「でも、それで“バルド商会が自由都市に一度荷を下ろした”という実績が手に入るのでしたら――
十二分に元が取れますわ」
「…………」
商人というものは、数字だけを見ているようで、
本当は“評判”や“実績”も重く見ております。
それを知っているからこそ、わたくしは自分の財布を差し出したのですわ。
「それに」
わたくしは、にっこりと笑ってみせました。
「“悪役令嬢”というのは、こういうときにこそお金を使うものですのよ」
「悪役令嬢……ってあんた、自分で言いますかい」
「あら、悪役は“自覚的”でなければ務まりませんもの」
バルドは、しばしぽかんとした顔でわたくしを見ていましたが――
やがて、どがははは、と大笑いしました。
「気に入った! あんた、面白え女だ!」
「光栄ですわ」
「よし、その話、乗りましょう。
だが、約束どおり、“一割だけ”だ。
結果が良けりゃ、二割、三割と増やしてやらあ」
「ありがとうございます。
では、“一割分の実験”のための契約書を、ユリウス君」
「は、はいっ!」
突然話を振られたユリウスが、慌てて書類とペンを取り出しました。
「ええと、契約内容は、月間取引量の一割を対象に――」
「条項のひとつに、“不自然な数字が出た場合は、双方で再検証すること”と入れておいてくださいませ」
「再検証……はい!」
「それから、“この契約内容のうち、節税額の詳細については第三者に漏らさないこと”」
バルドがにやりと笑います。
「そいつぁ、他の商人に教えたくねえってことですかい?」
「いえ、“バルド商会だけが少し得をしている”と思っていただくためですわ」
「……あんた、本当に悪魔みてえだな」
「最高の褒め言葉ですわ」
◇ ◇ ◇
バルド商会を出たあと、ユリウスはずっと口をぱくぱくさせておりました。
「あ、あの、アメリア様」
「何かしら?」
「いまのって、王都だったら、まず許可が下りないレベルの交渉なんですけど……!」
「ここは王都ではありませんもの」
わたくしは肩をすくめました。
「それに、王都でもやっておりましたわよ? 規模を変えて」
「や、やっぱり悪魔じゃないですか!」
「ユリウス様」
セバスが、静かに口を開きました。
「いま、お嬢様がなさったのは、“最初の一人”を口説き落とすための投資でございます」
「最初の、一人……」
「一人目が成功すれば、“バルド商会がやっているなら”と、二人目、三人目が続きます。
つまり、広告塔でございますな」
「でも、お金を自分で出すなんて……」
「それを“自腹”ではなく“広告費”と認識できるかどうかで、
商人としての器が分かれますのよ」
わたくしは、くすりと笑いました。
「それに、わたくしにとっては――」
通りを歩きながら、川のほうを振り向きます。
夕陽が水面に反射して、きらきらと輝いておりました。
「この街全体が、“わたくしの店”ですもの。
自分の店を満席にするためなら、看板くらい買って当然でしょう?」
「……」
ユリウスはしばし黙り――やがて、小さく笑いました。
「やっぱり、ぼくの常識は、ここじゃ通用しないみたいです」
「常識は、場所によって変わりますもの」
「でも……」
彼は、少し顔を上げました。
「すごいです。
数字の話をしているのに、“人の顔”がちゃんと見えてる感じがして」
「まあ。上手にお世辞を言えるようになりましたわね?」
「お、お世辞じゃなくて本心です!」
レオンが、そんなわたくしたちの会話を横目に見ながら、ふっと笑いました。
「次は、酒場だな」
「ええ。噂話という名の“調味料”を、少々振りかけておきませんと」
「調味料って、なにを……?」
ユリウスが首を傾げるのを見て、わたくしは声をひそめました。
「“税が安い港ができたらしい”
“王国の若い役人が、目を輝かせて帳簿を抱えて走り回っている”
“妙に綺麗なドレスの女が、穀物商と笑って握手していた”」
「最後のは完全にアメリア様じゃないですか!」
「事実ですもの」
わたくしは、くすりと笑いました。
「さあ、ユリウス君。
あなたも今夜から、“噂話の火種”になっていただきますわよ?」
「ひ、火種……!」
「そうですわ。
火は、最初の一振りがいちばん大事ですもの」
――こうして、ご苦楽シティの“外回り営業第一日目”は、
順調に火種をばらまきながら、更けていきましたの。




