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第4話 新米書記官くん、ようこそご苦楽シティへ

ご苦楽シティ――いえ、正式名称はまだ決まっておりませんけれど――のプレオープンから、三日。


 広場では、かつての店の主や近隣の農民たちが、少しずつ露店を広げ始めていました。


「お嬢様、本日の露店数は二十二。初日は七でございましたから、三倍以上の伸びでございますな」


「悪くありませんわね」


 セバスの報告に、わたくしは窓から広場を見下ろしながら頷きました。


 まだまだ寂しい光景ですけれど、人の流れは確実に増えております。

 それだけで、この街の空気が少し暖かくなったような気がいたしますわ。


「さて。では本日は――」


 と、執務室の扉が控えめにノックされました。


「レオン殿でしたら、もうこちらにいらっしゃいますわよ?」


「いえ、恐れ入ります。新任の者をお連れしました」


 入ってきたのはレオン……と、その後ろに隠れるように立った青年ひとり。


 黒髪をきっちり撫でつけ、銀縁の眼鏡。

 ライシア王国官僚の制服は着慣れていないのか、少し肩がこわばっております。


「し、失礼いたします! 本日付で自由都市プロジェクトに配属されました、王国書記官見習いのユリウス・フォン・ノートンと申します!」


 かちこちの敬礼とともに、早口で名乗りを上げました。


(……まあ)


 わたくしは、ぱちりと目を瞬かせました。


口調も名前も、どう聞いてもライシア生まれではございませんわね。

 訛りの端々に、懐かしい祖国の音が混じっております。


 それに丁寧な所作に、育ちの良さがにじみ出ております。

 でも、その手の震え具合といい、額に滲む汗といい――どうにも、放っておけない雰囲気ですわね。


「ノートン……ということは、あのノートン伯爵家の?」


「は、はいっ。分家筋ではございますが……」


 思わずレオンの顔を見やれば、彼は小さく肩をすくめてみせました。


「彼は元々セレスタイン王国の王都で書記官見習いをしていたんです。今はライシア側に編入して、この自由都市プロジェクトに回してもらいました。書類をまとめる腕は悪くありませんが、現場経験がまったくなくて」


「な、ないと言い切らないでください、先輩!」


 ユリウスと名乗った青年が、真っ赤になって抗議します。

 真面目で、反応が素直。

 ――ええ、たいへんからかい甲斐のありそうな人材ですわ。


「ようこそ、地獄の底へ」


「えっ!?」


 つい口が滑ってしまいましたわ。


「冗談ですわよ。ここは、ちょっとだけ苦労して、たくさん楽をするための職場ですの」


「た、たくさん楽を……?」


「ええ。お金と人と物をうまく回せば、皆がご苦楽になれますもの」


「お嬢様、ご苦楽は造語でございますからな。新任の方には通じますまい」


 セバスが淡々と補足してくれます。

 細かいところで有能な執事ですこと。


「ともあれ、ユリウス様。お若いとはいえ、王都の官僚の卵に、わざわざこんな辺境まで足を運んでいただけるとは」


 わたくしが軽く会釈すると、ユリウスは慌てて頭を下げました。


「い、いえ! そんな、もったいないお言葉……!こ、こちらこそ、アメリア様のようなお方の下で学べるなんて、光栄の極みで……!」


「まあ。最初からお世辞がしっかりしていらして?」


「お、お世辞じゃありません! 本当にそう思っておりまして!」


 真っ直ぐに目を見て言い切るものですから、思わずわたくしも少しだけ頬が緩みました。


「……どこで、わたくしのことを?」


「財務卿閣下の補佐としてのご活躍、王都の官僚で知らぬ者はおりません!特に、歳入局の先輩方はみんな、アメリア様のことを――」


「――ユリウス」


 レオンの低い制止の声が飛びました。

 ユリウスははっとして口をつぐみます。


 ……なるほど。

 あまり、わたくしの前で前職の話をするのは、気が引けるのでしょうね。


「構いませんわよ?」


 わたくしは肩を竦めました。


「悪魔だの女帝だの陰で好き放題呼んでいたのでしょう? 慣れておりますもの」


「い、いえ、それはその……」


 ユリウスは、眼鏡の奥の目を泳がせました。

 図星でしたのね。


「よろしいですわ。どう呼ばれていようと、仕事さえしていただければ」


 と、言いながら、わたくしは机の上から厚めの書類束をひょいと持ち上げました。


「それではユリウス君。さっそくですけれど、これを」


「は、はいっ!」


 勢いよく一歩前に出て――受け取った瞬間、肩がずしりと沈みました。


「お、おおお……?」


「住民台帳と、現在確認できている土地台帳、それからここ三日分の取引記録ですわ。まずは、これを読み込んで頭に叩き込んでいただきます」


「よ、読み込む……?」


「ええ。一人一人の暮らしと、お店と、お金の動きを把握していただきませんと。机上の空論に陥ってしまいますもの」


 ユリウスは青ざめた顔で書類の山を見つめ――その場で、ぺたりと正座しました。


「……あの、覚悟はしてきたつもりだったんですが」


「はい?」


「やっぱり、地獄の底なんじゃないですかここ!?」


 たいへん良い悲鳴ですわ。


「ユリウス様、ご安心を。お嬢様のもとでの修行を生き延びれば、どの部署に行かれても大抵のことには動じなくなります」


 セバスが、さらっとひどいことを申しております。


「セバス、それは褒め言葉として受け取っておきますわね」


「事実の述懐でございます」


◇ ◇ ◇


「それで、ユリウス君」


 書類の山と格闘しはじめた青年の前に、わたくしは一枚の紙を滑らせました。


「い、いま必死に名前と数字を覚えているところなんですけど……?」


「ちょうどいいですわ。テストですの」


「テ、テスト……!」


 彼の顔から、さらに血の気が引いた気配がいたします。


「そんなに怯えなくてもよろしいですわ。間違えたからといって、処刑台に送ったりはいたしませんもの」


「基準が重いんですよ、基準が!」


「では基準を少し下げて――間違えたら、今夜の夕食後の片付け当番ということで」


「う、うちの実家の躾と同じレベルです……!」


 なかなか良いご家庭で育っていらっしゃるようでなによりですわ。


「さて、この紙をご覧になって」


 わたくしが差し出したのは、ごく簡単な一覧でした。


 ・住民の総数

 ・就業人口の割合

・登録されている店の数

 ・三日間の取引総額


「はい……?」


「この数字から、今のこの街の問題点を三つ挙げてみてくださいませ」


「も、問題点を……この数字だけで?」


「ええ。数字は何でも教えてくれますのよ。

 読み方さえ分かれば、ですが」


 ユリウスは、眉間に皺を寄せながら必死に紙を見つめました。


 ――ちなみに、この小テスト。

 王都の歳入局の新人官僚たちに出したときは、まともに答えられたのは全体の一割でしたのよ。


(さて、この子はどのくらいできるかしら)


 興味半分で眺めておりますと、ユリウスはしばらく唸り続け――やがて、恐る恐る口を開きました。


「えっと……まず、住民の半分以上が無職ってこと、でしょうか」


「ほう?」


「台帳上の無職には、臨時の日雇いとか、家事手伝いも含まれているみたいですけど……それにしても、就業人口が少なすぎます」


「いいですわね。では、二つ目」


「はい……。登録されている店の数に対して、取引総額が小さすぎる。つまり、一軒あたりの売上が、かなり低いのではないかと」


 わたくしは思わず、セバスと目を合わせました。

 セバスも、わずかに口の端を上げております。


「最後に、三つ目」


 ユリウスは紙をぎゅっと握りしめ、言いました。


「子どもの数が、意外と多いです」


「……」


 レオンが、はっとしたようにユリウスを見ました。


「住民の総数に対する、十五歳以下の割合がかなり高い。ということは、これから働けるようになる人が多いってことで……でも、今のままじゃ、その子たちの働き口は、ほとんどない」


 言いながら、ユリウスの声が少し震えました。


「きっと、そのせいで、この街を出ていった人も多いんじゃないかと……」


 執務室の空気が、少しだけ静まり返りました。


「セバス」


「……ひとまず、合格点かと」


 セバスの評価に、わたくしは満足げに頷きました。


「ユリウス君」


「は、はい!」


「あなた、とても良い目をお持ちですわ」


「えっ」


「数字の裏にある人の生活を見ようとなさる。それは、帳簿を扱う者にとって、何より大事な素質ですのよ」


 ユリウスの頬が、みるみるうちに赤くなりました。


「も、もったいないお言葉です……!」


「お世辞ではございません、お嬢様はそういうときははっきり貶されますので」


「セバス、余計な暴露はやめていただける?」


 わたくしたちのやり取りに、レオンが小さく笑いました。


「……よかったな、ユリウス。帳簿の女帝に褒められるなんて、王都の役人なら喉から手が出るほど欲しがる経験だぞ」


「そ、それはちょっと複雑ですが……嬉しいです!」


◇ ◇ ◇


「さて。では、あなたが見つけた問題に対する、こちらの解決案をお見せいたしましょう」


 わたくしは、別の紙束を取り出しました。


「関税引き下げ、市場使用料の減額、三年間の減税期間……これは、就業人口が少なすぎるという問題に対する処方箋ですわ」


 ユリウスが、こくこくと頷きながら聞いています。


「そして、店あたりの売上が低すぎる問題。これは、商人とお客様を増やすことで解決するしかありませんの」


「だから、商人を呼び込む客寄せ施策を?」


「ええ。そのための宣伝役としてあなたに頑張っていただきますわね?」


「えっ、えええっ!?」


 ユリウスの眼鏡が、ずり落ちかけました。


「せ、宣伝役って、ぼ、ぼくがですか!?」


「そうですわ。王都から来た若手官僚が、この街は本気だと周辺の商人たちに説明して回れば、説得力がありますもの」


「ちょ、ちょっと待ってください! ぼく、そういうの、ほんとうに向いてなくて……!」


「大丈夫ですわ、ユリウス様。王都で窓口対応を三年やっていたという経歴は、こういうときにこそ役立ちます」


「レオン先輩、なんでそんな細かい勤務歴まで把握してるんですか!?」


「人事ファイルは一通り目を通した」


 レオンはさらっと言ってのけました。

 有能な男は、時に恐ろしいものですわ。


「安心なさいませ。わたくしも一緒に参りますわ」


「アメリア様も!?」


「ええ。新しいご贔屓様には、オーナー自らご挨拶しておきませんと」


 わたくしは軽くスカートの裾を摘み、くるりと一回転してみせました。


「このドレス、川沿いを歩くには少し派手すぎますかしら?」


「いえ、そのくらいのほうが、話題性があってよろしいかと」


 セバスの即答に、わたくしは満足げに頷きました。


「では決まりですわね。ユリウス君、午後からの外回りに備えて、昼までにその台帳の半分は頭に入れてくださいませ」


「半分!?」


「全部と言わなかっただけ、優しいほうですわよ?」


「お嬢様、それは確かにお優しい」


「セバス、あなたも若いうちに同じ量を半日で覚えさせられましたわよね?」


「ええ、おかげさまで、今も帳簿を見ると条件反射で目が冴えます」


「それをトラウマと言うのではなくて!?」


 ユリウスの悲鳴が、執務室にこだましました。


◇ ◇ ◇


 ――その日の午後。


 わたくしとレオン、それから半泣きのユリウスを連れ、

 ご苦楽シティの外回り営業第一日目が始まるのでございます。

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