第3話 オープン準備ですわ 〜まずは“入店客数”の確保から〜
翌朝。
わたくしとセバス、それからレオンは、自由都市予定地――もとい、廃れかけの港町の中心に立っておりました。
「……なるほど。これはなかなか」
石畳はあちこちひび割れ、ところどころは土が覗いています。
看板も色あせていて、店の扉には「貸店舗」の紙が斜めに貼られている有様。
しかし、建物そのものはまだしっかりしていますし、川の流れも穏やか。
わたくしの目には、すでにここが賑やかな市場へと変わった姿が、うっすらと見えておりました。
「お嬢様、あちらに人だかりが」
セバスが顎で示した先には、広場の片隅で人々が固まっております。
粗末な服の男たち、子どもを抱いた女たち。
街の住人と、近隣の村から様子を見に来た者が混じっているようですね。
「レオン殿、彼らは?」
「この街の住人と、周辺の農村から集めた代表者たちです。
“新しい計画の説明会をする”と伝えておきました」
「まあ、説明会。すっかり役所らしくなさって」
「元々役人ですので」
わたくしはくすりと笑い、広場の真ん中まで歩み出ました。
「皆さま」
少し声を張れば、ざわめきがすっと引きました。
いい耳をしていらっしゃいますわね。
「このたび、この街で“新しい試み”を始めることになりました、
アメリア・フォン・ラグランジュと申します。以後お見知りおきを」
名乗りを上げると、あちこちからひそひそ声が起こりました。
「ラグランジュ……って、あの?」
「隣国の“悪魔”がどうとかいう噂の……?」
「え、悪魔が税金取りに来るのか?」
どなたか、その情報の出どころを今すぐ申告なさいません?
「心配はご無用ですわ。わたくし、税金を取りに来たのではなく――」
わざと一拍置いてから、にっこりと笑いました。
「皆さまに“稼いでいただきに”参りましたの」
ざわっ。
さすがに予想外だったのか、視線が一斉にこちらに向きます。
「この街は、かつて交易で栄えたと伺いました。
しかし戦と病で人は減り、店は閉じ、税だけが重くのしかかっている」
何人かが、うなずきました。
やはり、状況認識としてはその通りのようです。
「ですから、まず最初にするのは――税を軽くすることですわ」
「…………へ?」
間の抜けた声が上がりました。
「具体的には、商取引にかかる関税と市場税を、一時的に大幅に引き下げます。
一定額以上の取引には、免税枠も設ける予定ですわ」
レオンから借りた小さな木箱に乗り、できるだけ遠くまで届くよう声を張ります。
「その代わり、いくつか条件を付けさせていただきます。
まずひとつ。取引の内容と金額は、すべてこちらで記録させていただくこと」
ざわざわ、と今度は別種のざわめき。
「記録って……全部ですかい?」
「誤魔化しがきかねえってことか?」
「ええ、誤魔化しはあまりお勧めできませんわね」
軽く微笑んでみせます。
「わたくし、数字の匂いには少々うるさいほうでしてよ。
不自然な帳簿を見ると、つい、直したくなってしまいますの」
「……お嬢様、その言い方ですと余計に怖がられます」
後ろからセバスの低いツッコミが飛んできました。
失礼な。親切心から申し上げておりますのに。
「ふたつめ。
この街に店を構える方々には、三年間の“減税期間”を設けますわ」
ざわめきがぴたりと止まりました。
「三年間は、決められた最低限の税以外は取りません。
その代わり、その三年の間に、この街を“自分の店”だと思って育ててくださいませ」
目を丸くする人。疑わしげに睨む人。
反応はさまざまですが――どれも、生きるために必死な目をしていらっしゃる。
「道路を掃除して、看板を直して、隣近所と喧嘩する前に相談して。
わたくしたちは、“稼ぎたい人”を歓迎いたしますわ」
最前列にいた、日に焼けた中年の男が、おずおずと手を上げました。
「あ、あの、お嬢さん……お嬢様? あっしらみたいな貧乏人でも、店を持てるんで?」
「資金がなければ、まずは露店から始めてもよろしいですわ。
場所だけなら、いくらでも空いておりますもの」
わたくしは広場をくるりと指し示しました。
「ただし、粗悪品や詐欺まがいの商売はご法度ですわよ。
“客足”は、一度逃したら戻ってきませんもの」
男はごくりと唾を飲み込み、やがて深々と頭を下げました。
「……分かりました。
あっし、もう一度だけ、ここで店をやってみようと思います」
「ありがとうございます。どうぞ、お好きなだけ働いて、お好きなだけ稼いでくださいませ」
わたくしが微笑むと、周囲からもぽつぽつと声が上がり始めました。
「おらの畑の野菜も、ここで売れるだか?」
「腕は悪くねえ鍛冶屋なんだが、材料さえあれば」
「宿屋の建物は残ってるんだ。修理さえできりゃ、また……」
その一つ一つに、わたくしとレオン、それからセバスが簡潔に答えていきます。
「宿屋については、王国からの資金で最低限の改修を支援しましょう」
「鍛冶屋殿には、道具と炉を整えるための補助金を」
「農村の方々には、定期的な市の日程を決めて――」
「セバス、まとめておいていただける?」
「既にこちらに」
セバスは、いつの間にかびっしりとメモの書き込まれた紙束を差し出しました。
まったく、できる執事ですこと。
「では皆さま。詳しい条件は、今後数日のうちに文書でお配りしますわ。
ご質問のある方は、そのときにまた」
最後に一礼すると、広場に控えめな拍手が起こりました。
大歓声ではありません。
けれど――さっきまでの諦めきった空気が、少しだけ和らいでいるのが分かります。
(まずは、一歩目としては上出来ですわね)
◇ ◇ ◇
「いやはや……」
説明会を終えて、臨時の執務室に使い始めた古い役所の一室で、レオンが大きく息を吐きました。
「あなたは本当に、噂通りの人だ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。
噂の内容については、あとで一部訂正させていただきますけれど」
「“ラグランジュの悪魔”は不服ですか?」
「女帝のほうがまだマシですわね。
悪魔だなんて、可愛い服が似合わなくなってしまいますもの」
レオンがふっと笑います。
セバスはというと、机の端でさりげなく書類の山を分類しておりました。
「しかし、本当にあれほど大胆な減税をして大丈夫なのですか?」
「税を取るには、まず“元手”が必要ですわ」
わたくしは机の上に広げた地図の横に、簡単な数字のメモを並べました。
「今のこの街には、取るだけの余地がほとんどございませんの。
だから、最初は“客寄せ”に徹しますわ」
「客寄せ……商人たちですね」
「ええ。川沿いの交易ルートにいる商人たちに、“この街はお得ですわよ”と知らせなくては」
わたくしはペン先で地図の線をたどりました。
「上流には穀倉地帯。下流には海港都市。
この街はその真ん中。
通り道である以上、立ち寄っていただかない手はありませんでしょう?」
「しかし、今は誰も寄りつかない」
「だから条件を変えるのですわ」
わたくしはさらさらと数字を書き込み始めました。
「ここ十年の関税率と、周辺主要都市の税率を比べて――」
「お嬢様、こちらがその資料です」
セバスが、タイミングよく一冊の帳簿を差し出しました。
さすが、話が早い。
「ありがとうございます、セバス。
それでは、ライシア王都と、隣国三都市の平均関税率を……」
紙とペンの上で、数字が踊り始めます。
頭の中では、すでに無数の仮定と仮定が掛け合わされておりました。
「……ふむ。こんなところでしょうか」
しばらくして、わたくしはペンを置きました。
「関税は、周辺平均の三分の二。
市場使用料は半分。
倉庫使用料は、最初の一年はほぼ無料」
「ほぼ、ですか」
「ええ。“完全無料”にすると、逆に怪しまれますもの」
レオンが、へえ、と感心したような声を漏らしました。
「なるほど。
そこまで大胆だと、むしろ“何か裏があるのでは”と警戒される……」
「それともうひとつ」
わたくしはにっこりと笑って、紙に大きく一行を書き足しました。
「“違法な品物は一切お断り”」
「……そこは、きっちり線を引くのですね」
「当たり前ですわ。
この街の“評判”を最初に決めるのは、最初にやって来る商人たちですのよ」
わたくしは椅子の背もたれに体を預け、指先で机を軽く叩きました。
「“ここに寄れば儲かるが、危ないモノは扱えない”。
そのくらいのバランスが一番長持ちいたしますわ」
「短期のぼろ儲けより、長期の安定収益……ということですな」
セバスが静かにまとめてくれます。
「さすが、お嬢様が十代で財務卿補佐になられた理由がよく分かります」
「セバス、十代どころか、今でもまだ二十代前半ですわよ?
“昔とった杵柄”みたいに言うのはやめていただける?」
「お若いのは重々承知しております」
表情ひとつ変えないセバスの顔を、じとっと睨んでやりました。
「……しかし」
レオンが、机の上の紙束を見下ろして呟きます。
「これだけの案が、こんな短時間で……。
正直、驚かされてばかりです」
「驚かれるうちは、まだ楽ですわよ?」
「と、申しますと?」
「そのうち、驚く暇もなく数字が転がり始めますもの」
わたくしは立ち上がり、窓の外を見やりました。
まだ人通りの少ない通り。
けれど、昨日よりも、ほんの少しだけ往来が増えている気がします。
「さて。次は“宣伝”ですわね」
「宣伝、ですか」
「はい。いくら条件を整えても、知られなければ意味がありませんわ」
わたくしは指を折りながら、項目を挙げていきました。
「まずは、この街の古株の商人たちに話を通しましょう。
それから、周辺の街に出入りしている行商人たちにも、噂話として流していただいて」
「噂話、ですか」
「正式なお触れ書きも出しますけれど、それだけでは足りませんの。
“あそこが儲かるらしい”という話は、酒場で広がるのが一番早いですから」
「なるほど……」
レオンが感心しきりで頷きます。
「セバス、酒場の場所は把握して?」
「既に、こちらの地図に印を付けておきました」
「さすがですわ。では、さっそく今夜から――」
そこで、扉がノックされました。
「失礼いたします!」
入ってきたのは、先ほど広場で一番に手を挙げていた中年の男でした。
帽子をいじりながら、おずおずとこちらを窺っています。
「先ほどのお嬢……お嬢様。その、ひとつお願いが」
「どうぞ、お入りになって。
立ち話で済むようならそれでも構いませんけれど?」
「い、いえ。その……」
男はごくりと唾を飲み込み、意を決したように顔を上げました。
「店の名前を、一緒に考えていただけませんか?」
「店の、名前?」
思わず、わたくしとレオン、そしてセバスまでが同時に首を傾げてしまいました。
「せっかくもう一度やるなら、ちゃんとした看板を掲げたくて……。
でも、字もろくに書けねえし、格好いい名前なんて思いつかなくて……」
言葉を濁しながらも、男の目は真剣でした。
――ああ、なるほど。
わたくしはすぐに理解しました。
(この街は、やっぱり“店”なのですわね)
都市全体という大きな店の中に、無数の小さな店が並ぶ。
そのひとつひとつが看板を掲げて、お客様を呼び込む。
「承りましたわ。
あなたのお店は、何を売るつもりでして?」
「は、はい。前と同じく、小麦粉と乾いた果物を。
それから、できれば……妻が焼くパンも」
「まあ、素敵」
思わず、口元が緩みました。
「では――“麦と陽だまり”なんて、いかがかしら?」
「むぎ、と……ひだまり」
「ええ。小麦畑と、奥方様の焼くパンの匂いは、きっと陽だまりのようでしょうから」
男はしばし、口をぱくぱくさせておりましたが、やがて目尻をぐいっと袖で拭いました。
「……そんな立派な名前、あっしには、もったいねえです」
「立派にするのは、これからですわ」
わたくしは、にっこりと笑ってみせました。
「看板は、わたくしが書いて差し上げます。
代金は――三年後、この街が“満席”になったときにいただきますわね?」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
男は何度も頭を下げながら、部屋を飛び出していきました。
扉が閉まるのを見届けてから、レオンがぽつりと呟きます。
「……あなたは、やっぱり悪魔なんかじゃない」
「まあ。今さらですわよ?」
「どう見ても“商売熱心な看板屋”じゃないですか」
「レオン殿、それはそれで失礼ではなくて?」
セバスの冷静なツッコミに、わたくしたちは同時に吹き出してしまいました。
◇ ◇ ◇
――その夜。
街の小さな酒場の片隅で、行商人たちが集まっていました。
「なあ、聞いたか」
「聞いた聞いた。“税を安くする”って話だろ?」
「それだけじゃねえ。“三年はほとんど税を取らねえ”ってよ」
「そんなうまい話があるかよ」
「でもよ、昼間に広場で見たぜ。
あの女――なんつったっけ、“ラグランジュ”とかいう――
あいつの目は本気だった」
「お前、女の顔しか見てねえだろ」
「それはそれ、これはこれだ。
美人で頭が切れるってんなら、乗らねえ手はねえだろ?」
「へへ。
“帳簿の女帝”が本気なら、一度はこの港に荷を下ろしてみてもいいかもな」
安い酒の匂いに混じって、新しい噂話が静かに広がっていきます。
――こうして、ご苦楽シティの「プレオープン」の夜は、更けていきましたの。




