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第27話 人気取りヒロイン、増税の意味を知りませんわ

 ──前王国王都・謁見の間。


「アルノルト様、聞いてくださいませ!」


 白いドレスの裾をひるがえし、リリアーナ・ベルローズは、眩しい笑顔で玉座へと駆け寄った。


 手には、色とりどりの花が描かれた紙束。


 それは──彼女の新しい民のための政策案だった。


「民の嘆きを、わたくし、この耳で聞いてきましたの」


 彼女は、くるりと振り向いて廷臣たちを見渡す。


「市場で。村で。皆、こう言うのです。税が重くて暮らしていけない、と」


「そうだとも!」


 割れんばかりの声で、誰かが叫んだ。


 門の脇に控えていた若い商人だ。今日は、王太子の招きで民の代表として呼ばれているらしい。


「税を納めても、道は穴だらけ。橋は落ちかけ。なのに王都では毎月のように宴だ!」


「そう、そうですわ!」


 リリアーナは、勢いよく頷いた。


「ですから──民の税を軽くし、そのぶん金持ちから多く取るべきなのです!」


 玉座の王太子アルノルトは、満足げに頷く。


「良い考えだ、リリアーナ」


「まあ、アルノルト様……!」


 彼女は感激に目を潤ませた。


「やはり、アルノルト様も民の味方でいらっしゃるのですね!」


「当然だ」


 アルノルトは胸を張る。


「父上の代わりに、わたしがこの国の未来を見据えねばならぬ。民の苦しみを放置するなど、王たる者のすることではない」


 廷臣たちは、顔を見合わせた。


 老財務卿ゲオルグだけが、さりげなくため息を噛み殺す。


(見据えるなら、数字も一緒に見ていただきたいものだがな)



「具体的な案は、こちらに」


 リリアーナが広げた紙には、いくつかの甘い夢が並んでいた。


「まず、小麦税の大幅減税。パン一斤が、今の半分のお値段で買えるようになりますわ」


「おおっ」


 若い商人が、目を輝かせる。


「それから、橋通行税の完全廃止。市場へ向かう農民たちの負担も軽くなります」


「いいぞ、民の足を自由にするのだ!」


 アルノルトは、満面の笑みを浮かべた。


「さらに、小さな商いをしている者の税を免除。露店や小屋台は、五年間、税を取らないのです!」


「すごい……!」


 商人が感嘆の声を漏らした。


「これなら、貧しい者たちも、自分の力で立ち上がれます!」


 廷臣たちのあちこちから、小さなざわめきが起こる。


 その中で、老財務卿は静かに口を開いた。


「リリアーナ様」


「はい?」


「減税する税目と、その合計額は、おいくらほどになるおつもりで?」


「え?」


 リリアーナは、ぱちぱちと瞬きをした。


「おいくらとは?」


「国庫に入らなくなるお金の額でございます」


 老財務卿は、にこりともせずに続ける。


「小麦税、橋通行税、小商い税。それぞれ、昨年度どれだけの額が入ってきておりましたか、把握しておいでですか?」


「そ、それは……」


 リリアーナは、ちらりとアルノルトを見る。


「アルノルト様?」


「細かい数字は、財務卿が把握しておる」


 王太子は、さも当然のように言った。


「我々は方針を示せばよい。苦しい者の税を軽くする。それで十分だ」


「その苦しい者の中に、すでに税を払っている者も、払えずに滞納している者もおります」


 老財務卿は、淡々とした声で答えた。


「減税を打ち出せば、今まで我慢していた者が、払わなくてもいいのではと考え始める可能性もございます」


「ですが!」


 リリアーナが、食い下がる。


「苦しい者を助けることに、何の問題が?」


「問題がある、とは申し上げておりません」


 老財務卿は、静かに首を振った。


「問題は、別の場所に移る。と申し上げているだけです」


「……?」


 リリアーナには、その意味がすぐには飲み込めないようだった。



「では、こうしよう!」


 アルノルトが、ぱんと手を叩いた。


「減税したぶん、そのまま富裕層への追加課税で埋めればよい」


「さすがアルノルト様ですわ!」


 リリアーナが、うっとりと彼を見上げる。


「贅沢をしている者には、それだけの義務がありますもの!」


「具体的には、贅沢品税の税率を上げ、貴族たちの邸宅税も増やす」


 王太子は、指を折りながら言った。


「宴会一回ごとに祝賀税をかけてもよい。民が苦しんでいるときに宴をするのだから、そのぶん多く払えとな」


 若い商人が、思わず笑った。


「それは……痛快ですね。いつも王城で飲み食いしている連中に、少しは痛みを知ってもらう」


「そうだとも!」


 アルノルトは、得意げだ。


「どうだ、財務卿」


「……」


 老財務卿は、一瞬だけ目を閉じ、それからゆっくりと開いた。


「話の筋としては、理解いたしました」


 話の筋だけは、だ。


「では、数字を見てまいりましょう」



 彼は、机の上から一冊の帳簿を取り上げた。


「昨年度、小麦税で入った額は」


 ペンで指し示す。


「……王国歳入全体の、およそ一割でございます」


「そんなに?」


 リリアーナが、目を丸くした。


「パンは、毎日食べるものでございますからな」


 老財務卿は続ける。


「橋通行税は、全体の二パーセントほど。小商い税は、さらにその半分以下」


「ということは、小麦税を大幅に下げれば、国庫の一割が消える」


 アルノルトが、眉をひそめた。


「しかし、小さな税なら、大したことはあるまい」


「その小さな税を免除することで、誰がどれだけ得をし、誰がどれだけ負担を増やすか、考える必要がございます」


 老財務卿は、別の紙を取り出した。


「贅沢品税と邸宅税は、確かに額が大きうございます。ですが、すでにここ数年、何度か引き上げております」


「まだ取れるだろう」


 アルノルトは、軽く言った。


「贅沢品など、なくても生きていける」


「今でも買っている者からは、まだ取れるでしょうな」


 老財務卿は、冷ややかに一言添えた。


「しかし、税率が上がる前に買っておこう、他所の国から買おう、と考える者が増えれば、こちらで取れる額は減ります」


「……」


 アルノルトの顔に、わずかな不快感が浮かぶ。


 リリアーナは、なおも食い下がった。


「でも、苦しい者を助けるという大義があるなら、富める者たちも納得してくれますわ!」


「納得するかどうかと、実際に支払うかどうかは、別でございます」


 老財務卿は、やわらかな笑みを浮かべた。


 だが、その目は少しも笑っていなかった。



「では、こうしたらどうかしら」


 リリアーナが、ぱっと新しい紙を取り出した。


「民のための特別基金を作るんです。空腹の子どもたちに無料のパンを。橋を直すための寄付を」


 彼女は、紙にきれいな字でこう書いた。


『神の御心にかなう寄付を。あなたの一枚の金貨が、誰かの一斤のパンになります』


「寄付……」


 アルノルトが、腕を組んだ。


「いいな。それなら、税ではない」


「そうですわ。税は義務ですが、寄付は善意ですもの」


 リリアーナは、にっこり笑う。


「善意でお金を出してくれる人たちが増えれば、減税しても大丈夫ですわ!」


 老財務卿は、深く、深く息を吐きそうになるのを、必死で堪えた。


(それは、すでに試しておる)


 彼女が知らないところで。



 数ヶ月前──。


 歳入局の一部で、慈善寄付金の募集がひっそりと行われていた。


 名目は戦災孤児支援と被災橋梁修復。


 老財務卿は、その結果をよく覚えている。


「想定額の、三分の一も集まらなかった」


 小さく呟いた言葉は、誰の耳にも届いていないようだった。


「閣下?」


「いえ」


 彼は、再び今の会話に戻る。


「殿下、リリアーナ様。寄付というのは、確かに美しい言葉でございます」


「であろう?」


 アルノルトは、満足そうだ。


「だが、寄付だけで、消える税収の穴を埋めるのは、不可能に近い」


 老財務卿は、淡々と告げた。


「寄付をする余裕のある者は、すでにかなり限られております。彼らに、さらに寄付を求めるなら、別の形での税と、ほとんど変わりません」


「でも──」


「寄付を募ることそのものには、反対いたしません」


 彼は、言い方を変えた。


「なけなしの余裕を、弱き者に回す心は、確かに尊い」


 リリアーナの顔が、ぱっと明るくなる。


「ですが、寄付があるから減税しても大丈夫。という考え方は、危ううございます」


「なぜ?」


「寄付は、いつまで続くか分からぬものだからでございます」


 老財務卿は、一瞬だけ目を伏せた。


「景気が悪くなれば、真っ先に削られるのは、善意のお金」


「……」


 リリアーナは、うまく反論できなかった。


 アルノルトは、不満そうに腕を組む。


「お前は、毎回数字がだの現実がだのと言って、理想を潰す」


「潰しているのではなく、形を変えているだけでございます」


 老財務卿は、穏やかに微笑んだ。


「絵に描いたパンは、誰の腹も膨らませません」


「……!」


 リリアーナの顔が、わずかに赤くなった。


「わたくしの理想を絵に描いたパンとおっしゃるのですか?」


「理想を否定しているわけではございません」


 老財務卿は、静かに首を振る。


「理想を、数字の上に落とし込んでから語っていただきたいと申し上げております」



 その日。


 王太子とリリアーナの華やかな減税・増税案は、老財務卿とその部下たちの手によって、かなり薄められた形で発表された。


 小麦税の減税は、一時的な値下げと特定地域での試験的軽減にとどまった。


 橋通行税の廃止は、一部老朽橋の通行料免除に姿を変えた。


 小商い税の免除”は、売上がごく少ない者に限るという条件が付いた。


 贅沢品税の増税は、ほんの数パーセント。


 邸宅税の追加は、空き屋敷を持て余している一部貴族にのみ。


 民のための特別基金は、立ち上がったものの、

寄付の額は、やはり思うようには集まらなかった。





 その頃──ご苦楽シティ。


 役所の一角で、わたくしはライシア経由で届いた前王国の公示文の写しを眺めておりました。


「小麦税軽減、橋通行料一部免除、小規模商い税の優遇、贅沢品税の見直し……」


 張り紙さながらの、綺麗な言葉の羅列。


 ユリウスが、隣で眉をひそめる。


「なんか、いいことばかり書いてありますね」


「ええ。いいことだけ書いてありますわね」


 わたくしは、紙を指で弾いた。


「小麦税軽減は、特定の期間と地域に限る。橋通行料免除も、老朽橋の補修が終わるまで。小商い税の優遇には、売上上限の細かい条件つき」


「つまり……」


 ユリウスが、紙を覗き込む。


「思ったほど、楽にはならない?」


「短期的なガス抜きにはなるでしょうね」


 わたくしは、肩をすくめた。


「でも、財政の穴は、埋まってはおりませんわ」


「贅沢品税増税と邸宅税増税も……この程度では」


 ヘルマン殿が、冷静に言った。


「取れるところから、さらに取るだけです。取れなくなるまで」


「人気取りヒロインの民のため策も、数字の前では、ほんの飾りですわね」


 つい、口に出てしまった。


 ユリウスが、苦笑する。


「人気取りヒロインって言い方……」


「事実でしょう?」


 わたくしは、紙を丸めながら言った。


「 民のためと言いながら、数字の裏側を見ていないのですもの」


「でも、彼女は本気で民のためを信じてますよね」


 ユリウスの声には、ほんの少しの戸惑いが混じっていた。


「偽善、って感じもしないし」


「そこが、余計に厄介ですわ」


 わたくしは、ため息をついた。


「悪意がある愚策より、善意だけで突っ走る愚策のほうが、始末が悪いのですもの」


「……」


 レオンが、窓の外を見ながらぽつりと言った。


「でも、老財務卿は、少しでもマシな形にして出している」


「ええ。完全な紙芝居にはしていない」


 わたくしは、紙を机の上に置いた。


「彼がいる限り、一気に破綻はしないでしょう。ただ」


 ただ、そのぶん。


「じわじわと、ですわね」


 ユリウスが、ぞっとした顔をした。


「アメリア様、じわじわって嬉しそうに言わないでください」


「嬉しくはありませんわよ?」


 わたくしは、扇で頬をあおいだ。


「ただ、数字の崩れ方としては、実に興味深いですわね、と言っているだけですもの」


「それを嬉しそうって言うんです……」



 窓の外では、ご苦楽シティの市場で、子どもたちが数字を練習している。


「いち、に、さん……じゅう!」


「あかじはこわい!」


「でも、みればこわくない!」


 子ども教室の掛け声が、今日も賑やかだ。


「さて」


 わたくしは、椅子から立ち上がった。


「向こうが人気取り減税と増税”で自滅の準備を進めているあいだに、こちらは地味な数字を積み上げましょうか」


「地味な数字?」


 ユリウスが首を傾げる。


「ええ。長期契約の数、移住者の数、預かり所の残高、工房の稼働率」


 レオンが、頷いた。


「どれも、すぐに派手な花は咲かないが、五年後に効いてくる数字ですね」


「そうですわ」


 わたくしは、にっこり笑った。


「今日の拍手より、五年後の黒字のほうが、わたくしは好きですもの」


「それは、間違いないですね」


 ヘルマン殿の静かな同意に、わたくしは満足げに頷いた。



 前王国では、今日も民のための素晴らしい政策が、華々しく謳われています。


 だが、その裏で。


 数字は、静かに、確実に赤く染まりつつあったのです。


 人気取りヒロイン、増税の意味をまだ知らず。


 ご苦楽シティの悪役令嬢財務卿(私)は、その様子を「数字」という双眼鏡越しに眺めながら、今日も淡々と自分の街の帳簿を黒く塗っていくのでございました。

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