赤と金の邂逅
舌を吹き飛ばしたときよりも大量の血が、滝のように降り注ぐ。返り血で制服が赤くないところの無いほど汚れてしまった。
校則第三条「服装の乱れは厳禁」以下略に抵触――もはや明らかに反逆している。十六年間、長いものに巻かれ続けてきた彼としては、買い替えが最も妥当な選択だ。もっとも、もうその心配は必要ないのかもしれないが。
見上げたとき、そこにあったものは、すでに燃え盛る猛獣などではなかった。
動きを止めた黒い肉塊。それは瞬きのうちにもとの形を失い、数百の断片となって地面に崩れ落ちた。
小さな湖一つ分ほど血溜まりが広がる。ニーズヘッグは体温が高かったせいか、その体内を流れていた血も熱い。
「うえぇ……こういうのほんと嫌い。げほっ……」
強い鉄の臭いに顔をしかめていると、十メートルほど離れたところで、黄金の靴が血溜まりを踏んだ。
「………団長」
アルスが呟く。語尾に被さったため息は、緊張が解けたせいなのか、それとも心底嫌な気持ちを表していたのか、あるいは安心の意味なのか。
「うわぁ。ブーツ新調したのに、また汚れちゃったー……残念」
ニーズヘッグを撃退した女性は、足に跳ねた血を嫌悪の視線で睨む。
視線を女性の足から頭まで移したアオイは、あまりの眩さにため息を漏らした。ブーツ、膝当て、腿当て、ブレストプレート――彼女が着込む細身の金属鎧は、その全ての部位が黄金に輝いていたのだ。いったい、総額おいくら万円になるのか想像もつかない。
そして肩の高さに切り揃えられた髪もブロンド。終いには両目まで金色……と思いきや、右目には黒い眼帯を巻いている。
眼帯とマントの黒、肌の白がアクセントカラーの女性は、美しいブーツを朱に染めながらこちらに歩いてきた。
「こりゃあまた酷いわね。平野に沸いたトカゲにやられるなんて、こっちのほうが残念よ、アルス」
近くまで来た彼女は腕を組み、少々ふんぞり返った姿勢でアルスに話しかける。
恐らく、アオイの苦手なタイプだろう。高飛車だから。
「申し訳ありません」
アルスが頭を下げる。それは見事な棒読みの口調だった。これでは、団長殿も怒るのではないか――
しかし、直後に金髪の女性が見せた反応は、予想とだいぶ異なるものだった。
「………ぅえぇ!?べっ、別に責めてるわけじゃないんだよ!?ちょっとからかっただけなのっ………ごめん」
「分かってるわ」
そうなるのか……と、アオイは少し引いた。謝罪は明らかに適当だったというのに。こんな素直な、悪く言えば騙されやすい人がトップで大丈夫だろうか、帝国というところは。
「最初に軽く人をおちょくるのは、あなたのアイデンティティだから。ね?」
「あっ、アイデンティティ!?」「ええ」
「これ定着してるの!?」「そういうこと」
「もしかして、私って悪い人に見えてる!?」「初見では、まずそうなるわね」
"団長"。アイデンティティがあまり好印象ではないが、素の人格を見れば悪い人でもないらしい。また、彼女と話すときはアルスがタメ口になっている。立場の壁を超えるほどで、仲は良いようだ。
「あの、アルス?」「どうしたの」
「……いろいろと無理してない?……してるよね」
初見でのイメージは悪かったが、しばらく見てみると、確かに良い人である。
「………いや、そこまでは」
「してるよね?」「………」
「戦えなかった原因だって、どうせまた寝不足か何かでしょ?それに今だって、腕も脚も………伸ばしてても、内側はコナゴナなんでしょ!?一人で我慢しないで、もっと頼ってくれてもいいのに!!」
「まったく、大袈裟ねー……中で二、三か所ポッキリいってるだけなんだけど。
頼れと言われても、事実を見てない人に報告書は頼めないし、ニーズヘッグが出てきたとき、近くに戦える人なんて………いなかったといえば嘘になるけど、いなかったも同然だった」
「っぐ………そうじゃなくて!普段からってことよ!!」
真剣に心配、だけではなくもはや説教までする団長。一部を冷静に否定されて自棄になったが、言っていることは間違っていない。
彼女自身が無理を否定したので口出しするつもりはないが、出会ってからたった一日の俺ですら、アルスは色々なことを抱え込んでしまうクチだと感じていた。片膝立ちを続ける今も、彼女は眠気と骨折の痛み、そこからくる極度の疲労感に苛まれているはずだ。加えて、精神的苦痛か。
彼女の精神の疲労原因には、アオイの乱入も含まれているだろう。ニーズヘッグに致命傷を与え、それを団長が倒すまでの時間稼ぎができたという結末だったため、完全なアウトではない。しかし、あの行為は結果的にアルスを裏切ることになり、彼女の余計な心労に繋がってしまった。考え直してみると、悪いことをしてしまった。
ところで。
「……俺は?」
左腕の火傷は液体が沁みて痛みが増し、右腕に至ってはもうわけが分からないのに、アオイはうつ伏せのまま放置されてしまっている。
痛い、悲しい、気まずいと三拍子揃った最悪の状況。いっそこのまま気絶してしまいたかったが、どうやら血を見ただけで気絶できた幼少期とはわけが違うらしい。
「だから私が………」
「分かってる。そっから先はもう何度も聞いた。――それで、本題本題」
無理矢理丸め込む勢いで、アルスが話を転換した。
「……そうだった!えっと、そう、百足の!!」
「百足………あぁ。情報が早……ごぼっ。たぶ……んぇっ………それ、おぇです」
口を開くと、どろどろの液体が舌を絡めとった。
「こちらが、アオイ・タカナシさん。――民間人……?……です、よね?」
「たぶん、そうだね。そうだよ」
細かいことを言えば、この世界に属する民間人ではない。初日からトラブル続きの、不遇な転生者。そういった分類になる。とりあえず民間人という括りでもいいのだが、液体が口を満たしているせいで言葉の肯定ができず、うつ伏せなので首肯もできない。
「なるほど……はじめまして。帝国騎士団団長のユノ=フェネリーです。あっ、まさかあのカッコつけた台詞も……いえ、何でもないです!………ちょっと失礼」
頬を少し赤くしたユノが俺の体の下に右手を入れ、「よっ!」と掛け声を一つ。うつ伏せだった体がぐるりと九十度起き上がる。
「ごほっ!……げほ、ぺっ………助かりました。このまま転がされっぱなしだったらどうしようかと」
「親友との話に耽ってて、忘れてました……ほんとごめんなさい。本題はタカナシさん、あなたでしたね。………あははっ!顔、真っ赤ですよ」
ユノは手拭いを差し出したが、
「どうぞ……あれ?ああ、両腕使えないんでしたっけ」
それから彼女自身で血を拭ってくれた。
「ごしごし、っと………むぅ、なかなか取れない……」「うわぁ!いててててっ!!」
布は柔らかいのにユノの力が強すぎて、アオイの頬は強烈な痛覚を味わうことになった。