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10 おいはぎ・杵柄

  おいはぎ


解散後、直ちに気の合った者同士がグループを作った。

私は同室でもあった山形県の吉岡、長野県の丸山、栃木県の真崎、

香川県の越野、部屋は違うが同郷の千代田と名前は知らないが

千代田の同期の7人で班を作り、意志を統一して行動することを誓い合った。

19歳から15歳の7人である。千代田たちが15歳で、この4月に

ここに来たばかりだ。難民になるために来たようなもので、気の毒で仕方ない。

自分たちがしっかりと引っ張って、必ず一緒に還るんだと決意を新たにした。


さっそく荷作りに取り掛かる。分配した米は先日、自分たちの部屋の者が

朝鮮人の応援を得て取り返した米だ。一人4升余りの分け前で

程よい荷物になった。こんな事態になるとは誰も予想していなかった。

リュックサックなど持っている者は誰もいない。

布団袋は皆持っていたので、それを小さくして紐で背負えるようにして、

暴徒の取り残した、下着、飯盒、石鹸、制服、米などを精一杯詰め込んだ。

父の遺言の生命保険証や郵便貯金通帳・印鑑もちゃんと入れた。

服や外套は取られないようにまだ寒くもないのに重ね着をして、

汗をかきかき我慢していた。ロスケも着ているものを脱げとは言わなかった。

ただ、時計は大好きなようで、時計はもう誰も持っていなかった。


7時過ぎのうす暗くなった頃、各班が動き始めた。

それと時を同じくして私たちも寮の裏山に登った。

これが難民生活の第一夜だった。

 

第一目的地は咸興の鉄道養成所である。

つい数ヵ月前、私が機関士になるために訓練を受けていたところである。

そこが咸興地方以北とその近在の鉄道員の集合場所と決まった。

ここ城津から咸興までは約300キロある。進む方向は前もって決めていたが、

実際に歩いてみると道らしき道はない。

当時朝鮮の人たちは物を運ぶのにリヤカーなど使わず、女は頭上、男はチゲと

いう運搬用の背負子だったから、たんぼのあぜ道のような道しかなかった。

3時間ほど歩いたところで、休憩を取ることにした。

一眠りして早朝出発した。4.5時間歩いたころだろうか、

4人の朝鮮人に会ってしまった。


「おい、お前ら。これから歩くのにその荷物は重いだろう。置いて行けよ」

彼らは着ている物まではぎ取った。

それでも野宿するのに寒いだろうと外套だけは残してくれた。

米も残してくれた。炊事するための飯盒は取られた。

その代り「これをやる」と近くからバケツを持ってきた。

挙句には、「気をつけて行けよ」となんとも親切な言葉を掛けられた。

人から物を取り上げておいて、お前らだけには言われたくないと思った。

通帳類もアシがつくからか取られなかった。

駅の方向を聞いたら線路がすぐそばだと判り、足早に歩いた。

確かに身軽ではある。それにもう取られる物がないので逃げ隠れする必要がない。

線路伝いにいけば道に迷うこともなかった。

どこに部落があり、どんな木があるか3年間も走り続けた線路だから、

自分の庭のようなものだ。

日新にっしん駅を過ぎたあたりで谷川から流れる水を汲み、

おいはぎからもらったバケツで第一回目の雑炊を炊いた。

具は近くの畑から大根葉と人参葉を失敬してきた。

根菜の葉部分だからあまり気が咎めなかった。

というより、根っこの方を食べたくても、刃物がないので料理できないのである。


  杵柄


食事のあと小休止して、龍台りゅうだい汝海津じょかいしんと歩いた。

汝海津ではホームの待合室で一泊した。その間一列車も来ない。

駅の流しを借りて炊事をし、夜明けと同時に出発した。

瑞川たんせん五夢里ごむり龍崗りゅうこう奇岩きがんと一気に走破した。

駅の近くには畑があってこのときはトウモロコシが食べごろだったので、

炊事の必要はなかった。今日も列車は来なかった。

水平線の彼方が明るくなった未明に奇岩を出発し、谷口こっこう双岩そうがん

郡仙ぐんぜん利原りげん塩盆えんぼんと昼飯も取らずに歩き、

3時頃、曽山そうざんに着いた。


この駅では機関車に給水するので、どの列車も停まるはずだ。

おそらく混乱と人員不足のため列車の運行ができないのだろう。

だがそろそろ今日あたりは運行するだろうと強行軍でここまで急いだのである。

給水塔の近くで体を休ませ、淡い期待で列車が来るのを待っていた。

線路は二つ手前の利原から上りにかかり、次の塩盆駅とここ曽山駅の中間が頂上で

トンネルになっている。トンネルの出口からは下り坂なので、

曽山駅に列車が入るときは勢いよく入ってくるはずなのだが、

待ちに待った列車は、やけに静かに入ってきた。

ふと気がついたら目の前に列車が停まっていた。夢かと思って目をこすった。

神の助けか仏の導きか、待っていてよかった。


近寄ってみるとこの列車は軍用で、貨車30両にロスケが屋根の上にまで乗っている。

ロスケとはソ連兵のことである。機関車にも自動小銃を持った番兵が二人いる。

機関士は誰だろうと覗いてみると、朝鮮人で四年先輩の金山さんという人だった。

「金山さん!」

こちらから声をかけると、とてもびっくりしていた。

金山さんはいきなり上がってこいと手招きした。

番兵を気にしてためらっていると、金山さんが朝鮮語と身振り手振りで番兵に

話をしてくれた。番兵も了解したようだ。「ヤポンスキーダワイ」と言っている。

ヤポンスキーというのは日本人という意味だ。ダワイはよくわからないが、

乗れとかやれとか何か命令しているような言葉かなと思った。

金山さんは私に向き直って言った。

「さあ、早く釜を見てくれ。私も助手も思うように釜を焚けないのだ。

もう2時間以上遅れている。このままではいつ咸興に着けるかわからない、頼む」

番兵さえ良ければこちらも願ったり叶ったり、七人全員を乗せてもらうことにした。

2時間遅れたのは私たちには幸運だった。時間通りだったら途中追い越されていて

会えなかったと思う。

30分ほど時間をかけて釜を仕上げて発車した。

終戦まで乗っていた区間はここ曽山より先は羅興らこう幹自かんじ居山きょざん

新昌しんしょう新北青しんほくせいまでである。この列車は軍用列車なので、

新北青までノンストップだ。

単線だから、行き違いの列車がなければだいぶ遅れた時間を回復できる。

新北青に着くとロスケの偉い人であろう、胸に勲章を着けた兵隊が

機関車にやってきた。私たちがいるのに驚いて番兵に何か聞いていた。

その人もダワイと言って敬礼をして後方へ行った。

機関車を動かすのに必要だから、日本人だけどおとがめなしということだろうと思った。


ここ新北青では2000人程の兵隊に用便をさせるために長い停車時間を取ってあるようだ。

ここには長いホームの両端に100人用の仮設便所があるのだ。

この施設は関東軍の移動が激しくなった頃、主要な駅に造られたものである。

とはいえ、日本軍が使っていたときには戦局にも時間にも余裕がなく

停車時間が短かったため、この仮設便所を使えない兵隊も多かった。

「時間があまりない!便所に入りきれない兵隊は貨車の陰で用を足すように!」

司令官にそう言われ、兵隊は側線に停まっている貨車の陰で一列になって用を足す。

だがそんなことはお構いなしに、突然貨車が移動して丸見えになったことが度々あった。

機関車の中からそれを見て、仲間と声を出さずに笑ったものだ。 


機関車は一旦切り離され給水のため、機関庫へ。

石炭も補充して、新北青を出たときは薄暗くなっていた。

そこから先は咸興機関区で、城津機関区から回されてきたばかりの金山さんは

肝心な線路の状況がよくわからないと言う。

そもそもが戦後、機関助手から機関士に格上げされたばかりの新米ではある。

私は機関士養成中にこの区間は半分だが走ったことがあった。

問題は残り半分だ。急な坂や急なカーブがあるだろうか。

線路の状況にあった運転をしないといけない。石炭をどんどんくべればそれでいい

という訳ではないのだ。しかし、14.5の常用圧力で釜を維持すれば、

蒸気は間に合うからそれでいいだろうと割り切り、鼻歌まじりに釜を焚き続けた。

昔とった杵柄、いやそうじゃない、つい最近取ったばかりの杵柄だ。

ロスケも順調に走るのがうれしかったのだろう、ダワイダワイと喜んでいた。

幸いなことに小難しい線路ではなかった。


それにしても、やはり運行している列車が少ない。

西湖津サイコシンで初めて反対列車に出会った。

次に停車した興南コウナンでは駅構内が混雑していたのだろう、信号機が降りない。

線路を走るべき列車が駅に皆溜まっているのだから当然混雑している。

私たちの乗った列車は構内に入れなかった。戦後の鉄道は大きい駅程混乱していた。

ここに機関車を動かせる人間がいるのだけどなあ、まだ働きたいなあと思った。

そして状況が落ち着いたら、運行が軌道に乗った列車で帰還する。

その方が朝鮮人やロスケだって混乱を避けられて都合がよいのではないか。

だが都合うんぬんの合理的さよりも、朝鮮人の日本人に対する積年の

恨みつらみの方がどうやら勝っていたようだった。


そしてやっと着いた咸興も同じように混乱していて機外停車だった。

金山さんが辺りを見回して言った。

「機外停車でかえってよかったかもしれんぞ。咸興で降りるんだろう?

駅まで行くと面倒なことになるかもしれない。ここで降りた方が良いだろう」

「わかりました。本当にどうもありがとうございました」

「さ、早く行け。もう九時だ。サイレンが鳴る。日本語ではおたっしゃでえ

とか言うんだったな」

素早く飛び降りて駅構内を走り抜けた。


それと同時にサイレンが鳴り始めた。

午後9時の時報と今から朝の6時までの外出禁止の知らせである。

軍の一方的な戒厳令であった。その間出歩いていれば射殺されても仕方ない。

だからといってそこに居るわけにもいかない。

とりあえず身を寄せようとしていた鉄道養成所までは歩いて30分のところにある。

死に物狂いで一生懸命走った。途中どこからともなく銃声が聞こえ、

ヒューンという銃弾の音が耳元で鳴った。

ここまで来たがもう終わりかと思いながら、必死で走った。



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