遺された • • •
手術室の前で何も考えられず幽霊の様に立っていた。
里中夫人は別室で詳しい話しを聞かされている。
携帯電話がさっきからポケットの中で震えている。……電源を切ろうと思い手に取ると、画面に能見さんからの着信が何件も並んでいる。
無視しようか思ったが、そうもいかないので公衆電話を探して連絡を入れた。
「能見さん。」
「コウ?……もう家出たのよね。
連絡つかなくて心配してたのよ。」
心配と言いながら少しトゲのある声が聞こえた。
「……すいません。今日のCM撮り…延期してもらえませんか?」
「はっ?……何言っているの? そんな事出来る訳ないでしょ……何か…あったの?」
後半の言葉には警戒するような、探るみたいな口調になっている。
「知り合いが、手術する事になって……」
「……そう、それは心配よね。
……でも無理よ。冷たい事言うようだけど、この仕事の為に沢山の人が動いているの……コウの都合だけで延期は出来ない。」
容赦ない言葉が返ってきた。
「能見さん……わかっている…けど……」
「……コウ。どれだけ大切な人なのかはわからないけど、この仕事は全うしてもらわないと困るわ……
貴方はバイト気分かもしれないけど、関わっている人達は真剣に取り組んで、今日を迎えたのよ。
引き受けたからにはプロなんだから……プロとして仕事して頂戴。」
その張りのある声は有無を言わせない響きがあった。
……彼女の言葉は至極当然で何も言う事が出来ない。
「……わかりました。今から向かいます。」
「……気を付けてね。」
受話器を置くと耳が痛んだ…気付かず強く押しつけていたのだろう。左耳が熱い。
手術室まで1度戻ろうと足を向けたが、そこから動けなくなりそうな気がして、逃げるように立ち去った。
………兄貴に連絡しよう。
◆◆◆
俺は淡々と仕事をこなしていった。
能見さんは何も聞かずいつも通りプロのマネージャーらしく周りに目を配っている。
何パターンか撮り終え休憩に入り、用意された椅子に座り目を閉じた。
……亮が手術しているのに此処で何をしているんだ……スタッフの言われるままに動き、表情をつくりポーズをきめる……滑稽だ。
……喉が渇いた。
目の前に紙コップを持った手が差し出され、その主を見上げると能見さんが穏やかな表情で立っていた。
「ミネラルウォーターで良かった?」
受け取ると一気に飲み干した。
口から食道を通り胃の中へ流れて行くのを感じた。
……泣き言を言っても仕方ない…能見さんの言葉を無視してこない事も出来たのにそうしなかった。この場にいる限り俺はプロなんだ……あと少し、終わり次第病院に向おう。
「……コウさん。お願いします。」
スタッフの声がかかる。
最後の撮りは好きに動いて、表情も任せると言われた。ただし、ソファに座ってヘッドホンで曲を聴いている設定だそうだ。
3人掛けのソファへ横向きに足を伸ばし座り、片足を立てた。
カメラが2台こっちを向いている。
突全亮の声が聞こえた 〝航太……″
鼓動が一瞬高くなる。
辺りを見回すが、いる筈がない手術中だ。
でも、また心がザワつく……やめろ、掻き乱すのは……
スタッフの合図でカメラがまわる。
デジタルオーディオプレイヤーのスイッチを入れるとヘッドホンから曲が流れた。
……突然音が途切れた。
……〝バイバイ″……
亮の声。
はっきり聞こえた。
その後に、無機質な音……嫌な音。
死んだ母の病室でも耳にした…聞きたくない音。
…………涙が流れた。
ヘッドホンから何事も無かったように曲が聴こえてきた。
涙を流している俺を見て誰1人カメラを止めようとはしない。演技だと思っているのだろう……涙を拭った。
ザワつく心が何かに強く掴まれたみたいに痛んだ。
また、熱いものがこみ上げてくる……涙が止まらない。
…………亮…亮、逝くな……まだ早いだろ。
◆◆◆
……火葬場。
亮の小さな身体は焼かれて骨だけになってしまった。
骨壷と写真を愛おしそうに抱えている里中夫妻の姿を少し離れた所から見ていた俺に気付き近ずいて来た。
「……来て下さって有難う御座います。」
掛け替えのない息子を喪った夫妻は、流した涙の分だけ小さくなった様に見えた。
「こんな風に……逝ってしまうなんて……あの子にとって私達親は厳しいだけで何もしてやれ無かった。
愛してくれていたのに……ちゃんと与えてやれませんでした。
……只、折出さんと出会えた事が…きっとあの子の救いだったと思います。」
「……いえ、結局何もできなかった……俺も同じです。」
「いいえ、妻が言う通り、亮にとって貴方が初めての理解者で救いでした。
…………亮の最後の言葉。
貴方の名前だったんです。」
2人は深々と頭を下げて立ち去って行った。
俺も奥歯を噛み締め頭を下げた。
外に出て空を見上げると、雲に隠れていた太陽が顔を見せた。
その眩しさに目を細め、亮の魂は今どこにいるのだろうと探してみる。
……あの日、間に合わなかった…俺の人生いつもそうだ。
CM撮りが終わり急いで病院へ向かった……
手術室の前に行ったが、後片付けをしている看護師がいるだけだった。
「あの、亮は……」
看護師の顔が微妙に曇る。
「……病室方へ。皆さんいらっしゃると思います。」
脳みそがピリピリと痺れる。
病室に向かって歩き出す…徐々に足の回転が速くなっていく。
途中看護師の咎める声も無視して廊下を走った。
……病室の前に着きドアを開けようとして一瞬躊躇する、微かに震える手をもう一度ドアにかけてゆっくりと開けた。
全てが白い空間に里中夫妻、兄貴と夢がベットを囲むように立っている。
里中夫人が嗚咽をあげながら、厳しい表情で涙を堪えている夫にしがみつき涙を流していた。
深呼吸をして中に一歩足を踏み入れる……近ずくにつれて鼓動が速くなる。
数歩で辿り着く筈なのにとても遠く感じた。
兄貴と夢が俺を見て場所を開ける。
ベットには、今にも目を開け笑いかけてくれそうな亮が横たわっていた。
亮の頬に手を当てる……まだ温かい。
「……亮、起きろ。
目を開けてこっち見ろよ…寝たふりなんかするな…亮。」
動かない身体を揺らす。
「冗談やめろ!……まだ早いよ。
これからもっと色んな事してみたいって言ってただろ!」
腹が立っていた……数時間前まで笑って話していたのに、突然倒れて……そして勝手に死んで、皆んなを悲しませて……手の届かない所に行くなんて……そんなの有りかよ!
でも、どんなに揺り動かしても動かない亮。
「航太よせ!」
「……起こさなきゃ、こんな所で何時迄も寝かせて置いちゃ駄目だ。」
うわずった声が部屋に響く……それが一層悲しみを深く誘った。
「航太!」
兄貴が俺の両腕を強く押さえつける。
「よせ……亮君は死んだんだ。
もう、目は…開けない。」
リアルな言葉が心にとどめを刺す…………涙が溢れそうになるのを堪えて、兄貴の蒼ざめた悲しい顔を見つめた。
力無く床に座り込んだ……もっと聞きたい事が沢山あった、言ってやりたい言葉もあったのに……
その時、看護師が里中夫妻を呼びに来た。
「里中さん、修一君に反応が……。」
このタイミングでの朗報に全員が初め何を言われたのか理解できなかった。
「え?……あの、修一がですか?」
里中氏が聞き違いではないかと恐る恐る聞き返した。
「反応が出てます。ICUの方へいらして下さい。」
夫妻は一瞬顔を綻ばせたが、直ぐに亡くなった亮の方に視線をやり、複雑な表情でそこから動けないでいた。
「……修一君の所に行ってあげてください。
私達が亮君について居ますので……」
「でも……」
夫妻は顔を見合わせている。
「……側についてあげて下さい……目を覚ました時、誰も居なかったら修一が可哀想だ。」
俺は重い荷物を背負っているかの様に立ち上がり言った。
夫妻は頷き合い、お願いしますと言って病室を出て行った。
修一が目覚める……神という者が存在するとしたら、なんて意地が悪いのだ。
本当なら手放しで喜ぶ事なのに、そうできない現実を恨んでしまう。……神は余りにも残酷だ。……両の拳で壁を叩く。
ドアをノックする音。
1人の若い看護師が入って来た。
「……ICUから連絡が……修一君の目が覚めたと……」
気まずそうに言うと亮をチラリと見てから目を伏せて出て行った。
「亮、修一が目を覚ましたって、良かったな……あんなに意識が戻るの信じて待ってたもんな……でもお前がこれじゃあ何にもならない……」
触れるとまだ温かかった。
「航太……亮君の死亡理由だけど…」
「そんなのどうでもいい……興味もないし意味も無い。
生きてこその人生なのに、死んだら無だよ……全てが無になってしまうんだ。
やっと7歳になったばかりなのに早過ぎる。
これからだったのに……悔しいよ兄貴。」
夢が背後から抱きつき背中に頬をあててきた……泣いている。
夢が回して来た両手を握り締めると、生命の温もりを感じ心が疼く。
「……亮君、死んじゃったけど……一緒に遊んだ事は忘れないよ。
……夢の中から無くなったりしない。
航太だって……そう…でしょ。」
その言葉を聞いて俺は振り向き夢を抱きしめた……涙がとめどなく溢れでる。
「……そうだな、言う通りだ。
忘れたりしない、ずっと思い出の中で亮は笑って生き続けていくよ。」
ふと、床に目がいく、何かが落ちている……拾いあげるとレターセットだった。
袋の中に両親と修一に宛てた手紙が入っていた。
…………空を見上げていたら一瞬強い風が吹き通り抜けていった。
見える筈もないその風を目で追うように辺りを見回す。
……俺は小さく笑いながら首を振りそして歩き始めた。
……修一が待っている…病院へ急ごう。
◆◆◆
修一は目覚めてから色んな検査を受けたが、何も異常が無いと診断され……医者は奇跡に近いと驚いていた。
今はICUから個室へ移っていた。
窓側に設置されたベットに上体を起こして窓の外を眺めている……亮もよくそうしてたな……
俺に気付くと寂しそうに笑った。
「…終わったんだ。」
「あぁ、終わった……」
椅子に座り修一の目線の先を辿ってみる……青い空のもっとずっと先を見て何か探しているみたいに見えた。
「……見送りたかったな、随分先生にお願いしたんだけど許可おりなかった。」
「仕方ないさ……異常が無いといってもずっと眠ってたんだし、大事をとった方がいい……」
「でもね……やっぱり見送りたかった。」
2人で窓の外を眺める……ゆったりとした時間が流れていく。
空に1本の飛行機雲が線をひいていた。
「修一……結局俺は亮に何も伝えられなかったよ……何もしてあげれなかった。
全部中途半端に終わってしまった気がする。」
「……昨日……クラスの友人がお見舞いに来たんです。」
穏やかに淡々と話し始める。
「友人が……〝たった7年で死んでしまうなんて可哀想だ…なんて不幸なんだろう。″って、言ったんです。
……でも、決して亮は不幸じゃなかったと思います。そりゃあ、7歳で命を落としてしまった事は幸せとは言えないけど、沢山やりたい事残して、突然死が訪れたけど……それまでの人生僕なんかよりずつと濃い時間を過ごしていたんじゃないかと思います。」
修一の顔が今までより引き締まって見える。
「修一は、そう思うんだ……」
「はい。特に航太さんと出会ってからの1ヶ月半……凄く生き生きとしてた。
あんな風に大きな口を開けて笑ったり、気持ちを伝える事が大切だと知った時の少し大人びた表情……どれも僕には引き出してやれない顔だった。
だから不幸なんかじゃなかった。」
そう言いきる修一の表情は大きな悲しみを乗り越えて逞しくなった様に見えた。
……物事の捉え方一つでこんなにも成長するのだろうか……?
……俺なんかは3人亡くしているが、いつも自分の事が精一杯で、修一の様に穏やかではいられなかった。
…………昔の思い出に囚われそうになり小さく首を振った。
「修一の言う通りなら、俺との出会いにも価値があったとちょっとは自惚れてもいいのかな……」
「いいんです……この手紙読めばわかりますよ。」
差し出されたのは亮が書いていた手紙だった。
「読んで下さい……」
「えっ……いいのか?」
修一が頷くと手紙を受け取り、四つ折りされた便箋を開いた。
◆◆◆
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お父さん、お母さんへ
お兄ちゃんみたいに勉強できなくてごめんね。でも、ぼくけっこうガンバっていたんだよ。
お父さんとお母さんに、すごいね、えらいね。って言ってもらいたくて、時々、つかれちゃって、つらくなる事もあったし、ダメな自分にイヤになってしまう事もあった。
でもね。航太が気づかせてくれた。
ぼくはぼくでいいんだって…お兄ちゃんのような子供にはなれないけど……ガッカリさせちゃうけど、これからは、もう少し自分のやりたい事やってみたいんだ。
ゆるしてね。
でも、ぜつたいにお父さんやお母さんを、かなしませたりしないから、見ててね。
お父さん、お母さん 大好きだよ。
亮より
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……もう1通を開いた。
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大好きなお兄ちゃんへ
お兄ちゃん、ぼくのせいでケガさせてごめんね。でも、この手紙きっと読んでくれると思って書いたんだ。
お兄ちゃんが目をさまして、これを読んでいる時、ぼくはそこにいないと思うけど……
だって、自分が書いた手紙を目の前で読まれたらはずかしいでしょ……だから、どこかにかくれている事にする。
ずっとお兄ちゃんみたいになりたかったけど、ぼくらしくする事にしたんだ。
……ぼくらしいってなんだろうって考えてみたけど、まだわからなかった。
でも、かならず見つける。
だからこれからもヨロシクね。
ぼくを見ててね。
お兄ちゃんは、ぼくのじまんです。
亮より
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……息をすうっと吐いた。
便箋1枚にこめられた亮の気持ちは、水面の波紋の様に身体の中に広がっていった。
便箋を封筒にしまい修一に返すと、もう1枚手渡された。
「それは、航太さん宛て……まだ封筒に入れてなかったんです。」
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航太へ
……ありがとう。
ずっと、どこに進んだらいいか、なやんだり、あきらめたりしてたけど、やっとどうすれば良いのかわかったよ。
ぼくらしくいればいいんだね。
たくさん…おしえてもらった。楽しかった。
航太に会えて良かった。
大好きだよ……これからも、ずっと友だちでいてね。
亮より
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短い文章だった。
よく見ると文字が少しずつ乱れていっているのがわかる。多分、手が痺れてきていたのだろう……それでも、必死に想いを込めて書いたんだな……
あの時……ペットボトルを落とした時、直ぐに医者を呼んでいれば結果は違っただろうか……?
ごめんな……
後悔ばかりだ。
亮……君との出会いは大きな意味があった。
君に言った言葉は、俺自身に聞かせる為でもあった様に思う……気づかせてくれたのは亮の方だよ。
ありがとう……できるなら、今、抱きしめて礼を言いたい。
薄暗いトンネルの中を彷徨っていた俺の足先を何処に向かえばいいか示してくれた……その道を歩いてみるよ。
自分と向き合って、足掻いてみるよ。
……見っともない俺がいても笑うなよ、結構この道を行くのは大変なんだからな……
手紙をしまい立ち上がり、病室の窓を開けた。
風が花の香りや木々の揺れる音を運んでくる。
ベット脇の台の上にラップに包んだチョコの欠片がある。
「寒くないか?」
修一は風を身体に受けて、すうっと深呼吸をした。
「……平気です。」
その笑顔は亮によく似ていた。




