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3/7

幸福とは、手放さないことなのか

 


さて、諸君。


実は、この物語はまだ終わっていなかったのである。


いや、正確には、終わらせることができなかったのかもしれない。


ここまで、我々は一人の少年が何を失い、何に傷つき、なぜ愛する人を疑うようになったのかを見てきた。


しかし、最後にもう少しだけ、語らなければならないことがある。


この男は、彼女以外の人間の前では、どれほど殴られても、どれほど辛い思いをしても、涙を流すことはなかった。


苦しくても耐えた。

悔しくても飲み込んだ。

誰かに弱さを見せることなく、何事もなかったかのように振る舞ってきた。


そんな男が、初めて涙を流した。


それは、愛する女性を信じられなくなったときだった。


彼は、彼女のことを信じたかった。

疑いたくなどなかった。

ただ、安心して隣にいたかった。


それなのに、心の中に積み重なった不安を抑えきれず、初めて彼女の前で涙を流したのである。


しかし、返ってきた言葉は、


「なんでお前が泣いてんの?」


というものだった。


男は、その言葉を聞いて何を思ったのだろうか。


自分が泣くことさえ、許されないのだろうか。

自分が傷ついたことを伝えることさえ、間違いなのだろうか。


彼は、彼女を責めるために泣いたわけではなかったのかもしれない。


ただ、もう苦しかったのだろう。


そして、もう一つ。


第一章では、男が仕事を見つけられず、家にいる時間が長くなっていたことを語った。


だが、彼は何もせずに毎日を過ごしていたわけではない。


仕事を探している間も、彼女のために家事を毎日こなしていた。


掃除をし、食費のことを考え、自炊をし、二人の生活を少しでも快適にしようとしていた。


仕事がないからといって、何もしていなかったわけではない。

収入がないからといって、何も差し出していなかったわけでもない。


また、二人で出かけるときには、デート代として月に五万円ほど使っていた時期もあった。


十七歳の少年にとって、それは決して小さな金額ではない。


もちろん、お金を使ったから愛されるべきだという話ではない。

家事をしたから、相手が自分の言うことを聞かなければならないという話でもない。


しかし、彼が何もしていなかったかのように語られるのであれば、それは違う。


彼なりに働き口を探し、家のことをし、彼女との時間を作り、限られたお金を二人のために使っていた。


彼は、ただ家にいるだけの男ではなかったのである。


それでも、彼の心には、満たされないものが残っていた。


自分はこれだけ頑張っているのに。

自分なりに彼女を大切にしているのに。

どうして、安心することさえできないのだろう。


その疑問は、少しずつ彼の心を蝕んでいった。


ここまで聞けば、諸君の中には、もう彼女との関係を終わらせるべきだと考える者もいるだろう。


確かに、このままではいけない。


男自身も、それは分かっている。


彼は、自分がこのままの生活を続ければ、一生苦しみ続けることになるかもしれないと理解していた。


自分の夢を諦め、生活の基盤を失い、相手を信じられないまま、それでも相手のために生き続ける。


そんな生活が、幸福と呼べるはずはない。


それでも彼は、彼女との未来を望んでいた。


いつか自分が十分に働けるようになったら。

いつか生活に余裕ができたら。

いつか彼女を自分の力で支えられるようになったら。


彼女を幸せにしたい。


そのためなら、美容師になる夢さえ諦めてもいい。

自分が思い描いていた未来を変えてもいい。


そう考えてしまうほど、彼は彼女を愛していた。


だが、諸君。


ここで一つ、考えてほしい。


夢を諦める覚悟があることと、夢を諦めなければ愛してもらえないことは、まったく違う。


彼女を養いたいと思うことと、自分の人生を犠牲にしなければ彼女を幸せにできないと思い込むことも、まったく違う。


本当に二人で幸せになりたいのなら、男自身も幸福でなければならないはずだ。


彼女だけが笑っていて、男だけが苦しんでいる。


そんな未来を、彼は本当に望んでいたのだろうか。


それでも、彼の気持ちは簡単には変わらなかった。


どれだけ傷ついても、彼女の寝顔を見れば幸せにしたいと思ってしまう。

どれだけ不安になっても、二人で過ごした楽しい時間を思い出してしまう。

どれだけ自分の人生を見失いかけても、彼女と笑って暮らす未来を想像してしまう。


人間とは、なんとも不思議な生き物である。


自分を苦しめるものから離れたいと思いながら、その相手の幸福を願ってしまうことがあるのだから。


そして今、この文章を書いている男は、彼女が眠っている寝室のすぐ横にいる。


廊下で、一人。


彼女を起こさないように。

彼女に気づかれないように。

自分の感情を、今だけは誰にも見せないように。


男は、この物語を書いている。


誰かに怒りをぶつけるためではない。

彼女を悪者にするためだけでもない。


自分が何を考え、何を失い、何に苦しんできたのか。


そして、まだ彼女との幸せを願っているという、矛盾した自分の気持ちを、どうにか言葉にしようとしているのである。


彼は、誰かに助けてほしかったのかもしれない。

ただ、自分の気持ちを理解してほしかったのかもしれない。


それでも、誰にも愚痴をこぼさず、彼女の前では平気なふりをしてきた。


だから今夜だけは、こうして文字にすることを選んだのだろう。


諸君。


私は、この物語を読んだ人たちに、一つだけ願いたい。


どうか、同じ思いをする人が増えないでほしい。


誰かを愛するために、自分の人生を失ってしまう人が。

誰かを信じたいのに、信じることが怖くなってしまう人が。

自分が悪いのではないかと考え続け、気づけば一人で苦しんでいる人が。


そんな人が、これ以上増えないことを願っている。


そして、もし身近にそのような人がいたなら、どうか理解しようとしてほしい。


嫉妬深いから。

面倒くさいから。

いつまでも過去を引きずっているから。


そんな簡単な言葉だけで片づけないでほしい。


人が人を信じられなくなるまでには、そこに至るまでの理由があることもある。


もちろん、傷ついた経験があるからといって、誰かを縛っていいわけではない。

疑いを正当化していいわけでもない。


だが、信じることが怖くなってしまった人間を、ただ弱いと笑わないでほしい。


そして、もう一つ。


人を信じられなくなるような傷を、他人に与える人間がいるのなら、私はそれを許したくない。


自分の行動が相手に何を残すのか。

自分の都合だけで相手の気持ちを扱っていないか。

謝ればすべてが終わると思っていないか。


どうか、考えてほしい。


人の心は、目に見えない。


だからといって、何をしてもいいわけではないのだ。


そして、男は最後に、あることを考える。


彼女を最初から信じられていたら、どれほど幸せだっただろうか。


彼女の言葉を疑わずに受け取れたら。

彼女の行動に不安を感じずにいられたら。

誰かと比べることもなく、ただ隣にいる彼女を大切にできたら。


二人で過ごした時間は、もっと穏やかなものになっていたのかもしれない。


彼女が眠る寝室の隣で、男はそんなことを考えている。


彼女を責めたい気持ちもある。

自分を責めたい気持ちもある。

それでも、彼女と幸せになりたい気持ちもある。


どれか一つだけが本心なのではない。


すべてが、彼の中にある本心なのだ。


だからこそ、この物語には簡単な結論を用意できない。


彼が彼女と別れるのか。

それとも、二人で関係を立て直すのか。

美容師になる夢を取り戻すのか。

彼女を養うという未来を選ぶのか。


それは、まだ分からない。


ただ、最後に一つだけ。


男は、幸福とは何なのかを考えるようになった。


今まで彼は、幸福とは手に入れるものだと思っていた。


仕事を手に入れること。

夢を叶えること。

愛する人と一緒になること。

将来、彼女を幸せにできるだけの力を持つこと。


しかし、今は少し違う考えを持ち始めている。


幸福とは、何かを手に入れることだけではないのかもしれない。


今あるものを、大切にすること。

自分の人生を、自分自身の手で守ること。

愛する人を大切にしながら、自分のことも大切にすること。


そして、何よりも。


本当に大切なものを、失わずにいること。


幸福とは、手に入れるものではなく、手放さないことなのかもしれない。


ただし、それは自分自身を手放してまで守るものではない。


男はまだ、その答えを見つけていない。


それでも、明日になればまた朝が来る。


仕事を探さなければならない。

自分の生活を立て直さなければならない。

彼女と話さなければならない。

そして、自分の人生についても、もう一度考えなければならない。


彼が本当に望んでいた幸福は、まだ遠い場所にあるのかもしれない。


だが、願わくば。


いつの日か、この物語を書いた男が、自分のことを不幸な男だと呼ばなくて済む日が来ることを。


そして、愛する人の隣で、何も疑わず、何も恐れず、心から笑える日が来ることを。


諸君。


これが、一人の少年が幸福を求めた物語である。



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