110 国立植物研究所
シェリルには特別な力がありそうと言われて、納得したような不安が増したような気持でアシャール城に帰った。
フレッドはもう帰っていて、庭で畑を眺めていた。畑が濡れているから、水やりをしていたらしい。
「ただいま、フレッド」
「お兄ちゃん、ただいま」
「おかえり。俺、呼び出されたから研究所にこれから行くんだ。苗に何か問題が出たらしい」
研究所とは、国立植物研究所のことだ。フレッドは全種類の基本魔法を使えるけれど、特に植物関係の魔法が得意だ。二年前、フレッドは自ら研究所に手紙を書いた。
魔法使いであること、植物魔法が得意なこと、自分をお試しで雇ってほしいことを訴えたのだ。
すぐに返事が来て実際に植物魔法を披露した結果、研究所員として契約を結んでいる。
「私もお兄ちゃんと一緒に行きたい」
「フレッドは仕事で行くんだから、無理よ」
「いや、見るだけなら構わないぜ。ただし、何も触らないって約束できるならな」
「約束できる! 何も触らない!」
フレッドが「見学者はたまに来るから問題ない」と言うので、私もシェリルの監視役として同行することにした。
研究所まではタクシーで行くことにした。レクスさんに言えば車を出してくれるだろうけど、最近は執筆に行き詰っているらしいから、「ちょっと出かけてきます」とだけ言ってタクシーを呼んだ。
タクシーに揺られることしばらく。アシャール城からさらにパロムシティの端にある研究所に着いた。このあたりは住宅がほとんどなく、広い麦畑と野菜畑、放牧場が見えるだけだ。
その中に、ガラス張りの大きな温室が八棟並んでいて、その奥に真っ白な研究所の建物があった。研究所の建物に入ると、勤勉そうな五十代の男性が出迎えてくれた。
「夕方なのに悪いな、フレッド。そちらは?」
「俺の母さんと妹です。妹が見学したいというので連れてきましたけど、いいですか?」
「いいよ。あなたが記憶を見る魔女のニナさんですね? お会いできて光栄です。フレッド、早速だが、見てほしい苗がある。こっちだ」
温室に向かいながら男性が自己紹介してくれた。彼はベクターさんで、イチゴを担当する班のリーダーだった。
案内された温室にはたくさんのイチゴの苗が並んでいた。イチゴの苗は蜜蜂に頼らず人の手で受粉させているそうで、腰を曲げずに作業できる台の上で育てられていた。
「これを見てくれるか?」
「はいはい。これは俺が生育の途中で二回魔法をかけた苗ですね」
「そうだ。つぼみが膨らんできたんだが、ほら、花びらの色が少し変わっているんだよ。これ、もしかしてイチゴの色もちがうんじゃないかと思ってね。自然に花が咲いて受粉してしまう前に、魔法で咲かせて受粉させてしまいたいんだ」
「わかりました。受粉できる状態まで成長を早めればいいんですね?」
「そうだ。よろしく頼む」
私とシェリルも邪魔にならないように脇から覗き込んだ。イチゴの花弁は白いのしか見たことがなかったけれど、その苗だけは膨らみかけたつぼみがごく薄い紫色で、花弁の付け根に向かうにつれて紫が濃くなっている。
「じゃ、やってみますね」
そう言ってフレッドが両手のひらで苗を囲むようにして口の中で呪文を唱えた。もう「おっきくなあれ!」とは言わない。十五歳だものね。
見ていると苗が動き始めた。ユラユラと揺れながらつぼみが開く。薄紫の可憐な花は、花だけでも鑑賞できる美しさだ。
ベクターさんが大急ぎで白い花を咲かせている苗を持ってきた。作業用エプロンのポケットからケースに入った筆を取り出して、白い花の花粉を紫の花のめしべにつけた。
ベクターさんは紫の花の苗を持ち上げ、研究棟で今後の経過を観察すると言う。
「フレッド、まだ帰らないでくれるか? 他にも用事があるんだ」
「はい。ここで待っています」
「悪いな。すぐに戻る」
ベクターさんが温室を出て家族三人になった。
「フレッドは外の人には丁寧な口調でしゃべっていたのね。安心したわ」
「母さん、俺を何歳だと思ってるのさ。子供じゃねえって。場所に応じて使い分けてるって」
「そうでしたか。アナベル様への手紙ではどうしているの?」
「家にいるときと同じ」
苦笑していたら、シェリルが私のスカートを引っ張った。
「お母さん、あのね、この温室、めちゃくちゃになるよ」
「えっ……。めちゃくちゃって、どんなふうに?」
「んんん。えっとね、ガラスが割れる」
慌てたのはフレッドだ。
「それは大損害だ。ガラスだけじゃない。ここの苗は。どれも交配用だったり新しい品種だったりするんだよ。シェリル、それははっきり見えるのか?」
「お兄ちゃんには見えないの? ガラスが全部割れて、この中もめちゃくちゃになるじゃん」
「いや。俺には見えないよ。母さん、どういうこと? 今日、師匠に会いに行ったんでしょう?」
「シェリルにはもしかしたら先見の能力があるかもしれないって言われたけど、まだはっきりしないのよ」
シェリルが「わっ!」と声を上げて飛び上がった。
「お母さん、ラングリナばあばは、私も魔法使いって言ってたの?」
「まだはっきりしないって。でも、もしかしたら先見ができるのかもって言っていたわ。シェリル、『かも』だからね。決まっていないの」
「やったぁ! 私も魔法が使えるんだぁ!」
聞いていない。今はまだ『魔法使いかもしれない』段階なんだけど、私はほぼ確実だと思っている。さて、この先見の情報をベクターさんにどう伝えたものか。
「フレッド、ベクターさんに教えてあげるべきかと思うんだけど、信じてもらえるかしら」
「いったいなんでめちゃくちゃになるんだろう。天気は良さそうだし。嵐が来るわけでもないよね。八棟の温室を全部板で囲うとなると、とんでもない大仕事だな。何も起きなかったらあまりに申し訳ないし。どうすっかな。そもそもなんで温室がめちゃくちゃになるんだ?」
「全部じゃないよ。めちゃくちゃになるのは……ここと、あの温室だけだよ」
シェリルが指さしたのは隣の棟。あれとここだけということか。
そこへベクターさんが戻ってきた。私がどう伝えたものかと迷っている間にフレッドが話を始めた。
「ベクターさん、明日八号棟とここの七号棟がめちゃくちゃになるらしいです。妹はそういうことがわかるらしくて。どうします? 板と藁の敷物でガラスを保護しませんか?」
「え? このお嬢さんがわかるってどういうこと?」
そこで私も加わって、ベクターさんに事情を説明したが、「先見? それって魔法なんですか? このお嬢さんは魔法使いってことですか?」と聞かれた。
さて困った。シェリルはまだ魔法使いとして認定されていない。よって私はまだこの子の能力を保証できない。
ベクターさんは半信半疑の様子。
高さのある大きな温室を保護するのはちょっとやそっとの作業ではないし、どうしたものか。
「そうだ。シェリル、お母さんにあなたの記憶を読ませてもらえる?」
「今? いいよ」
差し出された小さな手を、立ったまま両手で挟んだ。
すぐにシェリルの記憶が流れ込んでくる。学校や読書の記憶などと一緒に、その記憶が見えた。
めちゃめちゃに破壊された温室が確かに見える。経験したわけでもないのに、普通の記憶として残っているのが不思議な感じ。
「うわ!」
「母さん? どうした?」
「この温室は確かにめちゃくちゃになりますが、原因がわかったの。今夜、この温室のガラスを割りに来る人がいる」
ここまでずっと困った顔で聞いていたベクターさんが、「あっ」という顔で私を見た。
「ニナさん、ガラスを割る犯人の特徴はわかりますか?」
「わかります。夜中なので暗くて顔までははっきりわかりませんが、わりと小柄で細い……男性ですね。月明りでわかる髪の色は明るい茶色か金色です」
「ジェスか。あいつならやりかねない。今から仲間に相談してきます」
そう言ってベクターさんは走っていなくなった。






