109 レクセンティウスの意見
フレッドから「アナベル様を苦しみから救うために婚約したい」と言われて、レクスさんは考え込んでいる。私はフレッドに「あなたの一生のことだから、少し時間をちょうだいね」と言ってレクスさんと共に夫婦の部屋に入った。
ソファに座って考え込んでいるレクスさんに話しかけた。
「反対なんですか?」
「貴族の結婚は大昔から打算的なもので、たいていは損得で決められた。二人の間に愛があるかどうかは考慮されなかった。家にとって都合のいい打算がまかり通ってきたわけだ。だったら、子供の側の都合による婚約があってもいいかなと思っている。ただ……」
「フレッドの年齢が気になるのね?」
「うん、そうだね。ニナはどう思った?」
「私は反対しません。ただ……不安はあります」
結婚が神聖であり神に誓ったもの、という背景は薄れつつある。神に誓った以上離婚は許されないという法的宗教的束縛は撤廃され、今では離婚も許されている。それなのに、私の胸の中にモヤモヤしたものがある。
「自分の思いをうまく言葉にできなくて、なんだかすっきりしないの」
「まとめなくていいから、思いをぜんぶ吐き出してごらん? 僕が聞くよ」
「そうですね。そうしてください」
二人は文通を十年も続けてきた。そこには私たち家族でも踏み込めない話のやり取りがあったと思う。
文通を十年続けた二人の間に恋愛感情はあるのかないのか。
アナベル様を救いたいというフレッドの気持ちは義侠心なのか愛情なのか。
同情と愛情を勘違いしてはいないか。
遠距離の二人だ。どちらかに好きな人ができる可能性だってある。そうなったらどうするのか。
八歳年上のアナベル様の都合に、まだ十五歳のフレッドが巻き込まれているのではないか。
フレッドにはまだ子供でいてほしい。
「私の気持ちはこんな感じです」
「なるほど。ニナの不安は、親として当然だと思う」
「そうよね……。レクスさんも心配でしょう?」
レクスさんは「うん」とは言わなかった。
「フレッドは僕らが『侯爵家のご令嬢と婚約か。でかしたな』とは言わないことを知っている。だからあの子は反対されるのを覚悟で、僕らに相談したんだと思うよ」
「そうね。きっとそう。来年になればフレッドは成人するわ。私たちの同意がなくても婚約できる」
「そうだ。一年も待たずに僕らの同意は不要になる。それでもフレッドは僕たちに敬意を払って、相談といういう形を取ってくれたんだ。そんな配慮ができるフレッドの選択だ。僕は尊重したい。さっきのニナの気持ちは、ニナの側の都合だと思うんだ」
冷静に考えたら、ダメになったらどうするんだという私の心配は、私の側の話だ。
フレッドは苦労することも覚悟で決めたのだ。失敗したらしたで、やり直せばいいのか……。
「とはいえ、あちらのご両親が許可するかどうかは、また別の話だけどね。それはあの二人が力を合わせて対処すべきことだ。僕はね、自分の価値観で小説を否定し続けた父のようなことはしたくないんだ」
フレッドの人生はフレッドのもので、私のものではない。あの子が決めたことを尊重すべきなのか。
「ニナの不安と寂しさは僕もわかる。だけど見守ろう。フレッドにこの先不安になることがあったら、力になればいい。そして若い二人の関係がもしダメになったら、アシャール城に帰っておいでと言ってやればいいさ」
すこし間をおいて、レクスさんが付け加えた。
「僕がこの世で一番嫌いな言葉は、『ほら見たことか』なんだ。フレッドは好きな道を歩く権利がある。失敗したとしても、彼の人生だ」
「そうね。今回のことは、他の子よりも早い親離れなのかも。フレッドはそのうちアシャール城からいなくなっちゃうのかしら」
「ニナ……」
「わかっています。シェリルがいるし、シェリルが親離れしても、レクスさんがいますもんね」
「僕は最後なんだね?」
レクスさんが苦笑しつつ、私の手を握ってくれた。
その手から、温かい思いやり、深い愛、それから少しの寂しさがやんわりと流れ込んでくる。
「ありがとう、レクスさん。フレッドには見守りますと伝えましょう」
「あの子を信じて任せよう。明日はラングリナ師匠に会うんだろう? たっぷり甘えておいで」
「ええ。久々に甘えてきます」
翌朝の食事中に二人を見守ること、応援することを伝えると、フレッドは安堵した顔になった
「母さんと父さんならやみくもに反対したりしないだろうと思ってた。婚約期間になるべくアナベル様と顔を合わせようとは思ってるけど、いますぐ結婚する予定はないから。二人で話し合って婚約を解消するかもしれないし」
「僕は、フレッドたちの考えを応援するよ」
「ありがとうございます」
フレッドが深々と頭を下げてお礼を言った。この子が私たちにこんな礼儀正しい言葉をくれたのは、初めてじゃないだろうか。
「アナベル様はパロムシティに部屋を構えて、こっちで生活するつもりみたい。おそらく、家に居づらいんだと思うよ」
「そう」
聞きたいことはいろいろあるけど、何も聞かなかった。
フレッドが転ぶ前に彼の足元から石を取り除くようなことはすべきじゃない。私がレクスさんにそう言うと「そうだね」と同意してくれた。
「僕らはフレッドより先に死ぬ。彼の人生を守り続けることはできないし、すべきじゃない」
「うん。そうね」
そう答えると、レクスさんが私の顔を見るなり、「よしよし」と言って私を抱きしめてくれた。私はどんな顔をしていたのかな。
◇
「ラングリナばあば、クローディアおばさま、こんにちは!」
「いらっしゃい。シェリルは会うたびに大きくなっているね」
「ほんとほんと。どんどん赤ちゃんじゃなくなっていくのが寂しいわ」
「クローディアおばさまったら! 私はとっくに赤ちゃんじゃないのに!」
シェリルは赤ちゃん扱いされるのを嫌がるが、ラングリナ師匠とクローディアさんはシェリルを見ると赤ちゃん扱いしたがるし、甘々な顔になる。
居間のテーブルの上には(そんなに大量に出さなくても)と言いたくなるほどお菓子が用意されていた。そして「さあお食べ」と師匠に言われてシェリルがブルーベリーパイを食べ始めた。これでは夕食が食べられなくなるだろうけど、たまのことだから目をつぶることにした。
師匠とクローディアさんは、ミルクを飲みながらパイを食べているシェリルを見つめている。
シェリルが食べ終わる頃を見計らって、クローディアさんが「魔法の道具を見せてあげる」と言ってシェリルを連れていった。
「師匠、どうでしょうか」
「何かしらの見慣れない力を持っているね。三ヶ月前に会った時は何も感じなかったけれど、今日はぼんやりと感じるよ。これから先、あの子の能力が強くなるにつれて、もっとわかりやすくなると思う。あの子はどんなことができるんだい?」
「夕食がパイになるとか、私が仕事でスパイクさんに呼び出されるとか」
「可愛らしいね。それは古の魔女が使っていた先見かもしれない。ただ……先見の力だとしたら、ほどほどだといいけれどね」
師匠が視線を私から自分の指先へとそらした。
「心の準備をしたいので、師匠が何を心配しているのか、教えてください」
「そうだねえ」
しばらく迷ってから、師匠は「取り越し苦労になる可能性は高いけど」と前置きして教えてくれた。
「今夜のおかずや、母親が出かけることを先見するぐらいならいいんだけど。古の魔女の中には、戦争が起きることや、他人の人生をだいぶ先まで見通せる人もいたらしい。そこまでの力をこれから持つとしたら、シェリルの人生に大きな影響を与えるだろうね」
「ああ……そうですよね」
私はたくさんの人の心を読んだ結果、他人にあまり期待せず、恋愛や結婚に及び腰になった。
シェリルの力が強くなれば、他人の幸せも不幸も、もしかしたら寿命まで見えてしまうかもしれない。
黙り込んだ私に、師匠が優しい声で慰めてくれる。
「特別な能力は、喜びと苦しみの両方を連れてくるものだ。それは覚悟しておいた方がいい。それは私もニナもクローディアも同じだよ。魔法使いはみんな同じだ」
「はい……。そうでしたね」
「ところで、フレッドは今日、来られなかったんだね?」
「ええ。実は夕べ、フレッドから婚約したいと言われたんです。私とレクスさんは応援するつもりです」
「へえ。相手は?」
「ヴェルマイア侯爵家のアナベル様です。アナベル様は、もう魔法使いとして認定されています」
師匠は何度もうなずいた。
「いいご縁だ。絶滅寸前の魔法使い同士が結婚することはほとんどない。そんな世の中で、互いに相手の苦労を理解して思いやれるんだから、きっといい夫婦になるよ」
「アナベル様はフレッドより八歳年上なんです。私はそこが少し気になりましたけど」
「なに言ってんだい。クローディアを見てごらん。クローディアは五十三で、アルフィーは四十だ。十三も年が違うけど、仲睦まじい、いい関係だよ?」
そうだった! 十三歳も違うのに、二人はとても仲がいいんだった。
「八歳の年の差なんて、気にすることないさ」
私は一気に肩の力が抜けた。






