90 夏休みへ向かって出港
出港前の一時をデッキで風に吹かれながらジュースを飲んでいた。
大人にはシャンパンが配られている。キャプテンの合図で乾杯をすると、いつの間にか静かに船が動き出した。
岸壁から離れていき、見送りに来た人々が遠くなって行く。全く揺れなかったので龍一郎君に教えてもらうまで気が付かなかった。
”ブゥォォォォォォォォォ~~~~~~”
大きな汽笛の音に驚いて尻餅をつきそうになったら、後ろで龍一郎君が受け止めてくれた。
ビックリしたぁ~~~!
停泊していたクルーズ船もそれに答えた様に汽笛を鳴らしている。汽笛の音は何だかタイムスリップしたみたいで不思議な気分。ワクワクして来ちゃった。
今宵は港で花火が上がるのでそれが終わると港を出て北へ向かっていくんだ。
出港すると龍一郎君と虎太郎君の3人でクルーズ船のタイムスケジュールを確認する為にラウンジへ。
ラウンジには人をダメにするソファーが置いてあった。身体が沈み込んで起き上がれなくなってしまうソファーだ。
ソファーに身を沈めて、私はのんびりとアフタヌーンティーを楽しむ。横では龍一郎君が虎太郎君と話しながらスケジュールを決めてくれていた。
やっぱり年上がいると楽ちんだ。
しかし、これを後で後悔する事になるとは……トホホ……
お祖父様は東郷寺のお祖父様と2人でラウンジでのんびりと談笑中。
高島は不審物や不審者がいないか見回りに余念がない。千鶴は先にお部屋を整えてくれるみたいだ。お部屋はお祖父様との2人部屋。高島は護衛なので部屋続きのベッドルームで千鶴はシングルルームがあてがわれている。
医療班としていつものお医者様まで乗船していた。さっきお祖父様にご挨拶していたよ。船の医務室のお手伝いもするんだって。
西園寺様は会社のスタッフと早速懇親会やら会議と忙しく、虎太郎君のお母様も奥様方のお相手があるみたいだった。
何だか私の夏休みを西園寺様の会社の方々や色々な人を巻き込んで、無理矢理付き合わせてしまっている感じがしないでもない。
虎太郎君のお母様曰く”あら、良いのよ。あの人ものんびり出来るし、ゴルフも邪魔されないでしょう”と笑っていらっしゃった。
そうなんです年末には、決して私のせいではないと思うのですが、ハワイ弾丸ツアーになりました。すみません。
部屋に戻ると、千鶴が浴衣を出してくれていた。初日のドレスコードは浴衣。
去年着たというその浴衣は、水色で裾にむかって濃くなっていくグランデーションが綺麗。小さなピンク色の花がちりばめられていた。
全く記憶にはないけれど……可愛い。
桜色の帯をして鈴のついた下駄を合わせたら出来上がり。これは気をつけないと転びそう。背中に朝顔模様のうちわをさしてもらった。髪も水色のリボンを入れた編み込みに。
ふふ……我ながら可愛い。
「愛梨花、可愛く出来たな」
お祖父様もいつの間にか浴衣に着替えられていた。シックな焦げ茶色が浴衣には見えない。前世でよく見かけた旅館の浴衣とは偉い違いだ。それにしてもお祖父様は着物がよく似合う。
「お祖父様もとっても素敵です」
言いながらお祖父様に駆け寄ろうとして早速つまずいた。お祖父様が慌てて抱き上げてくれた。
「危ないから、サンダルに履き替えなさい」
浴衣にサンダルなんて嫌だ。私はプルプルと首を振った。
「気をつけるから」
お祖父様が笑う。何だか幸せだ。心配してくれる人がいるんだ。
部屋のインターホンが鳴って龍一郎君と虎太郎君がお迎えに来てくれた。今日は和食のレストラン。花火はそのままレストランから見えるらしい。
さすがに浴衣だと洋食やバイキングは食べにくい。和食で良かった。花火もデッキで見るよりも安心して見られる。大きな音が苦手だからね。
お祖父様に降ろしてもらって部屋のドアを開けると浴衣姿の2人がたっていた。
「愛梨花ちゃん!可愛い!」
虎太郎君はそう言うとハグをしてきた。小学校に上がってからは止めてね。と言ってたんだ。恥ずかしいから。夏休みだからまっ、良いか。
「ふふ、虎太郎君も龍一郎君もカッコイイ」
龍一郎君も屈んでハグをしてくれた。龍一郎君は背が高いから龍一郎君のお腹ぐらいにしか私の背が届かない。今はまだって事。これから私だって背は伸びるんだからね!
龍一郎君がどこからか携帯を取りだして3人で写真を撮った。それから何枚か私の写真を撮ってお祖父様に送るんだって。
そうなんだ、どうやら写真班らしい……
「危ないから手を繋いでいくよ」
龍一郎君に言われて虎太郎君と3人で仲良く手を繋いでレストランまで行く。レストランではもう西園寺様ご夫妻も東郷寺のお祖父様もテーブルについていらっしゃった。
「愛梨花ちゃん、可愛いわ」
虎太郎君のお母様が微笑む。浴衣姿のお母様は髪もアップにされていてとても素敵だ。
浴衣姿は女性の方が素敵に見えるね。もちろん虎太郎君のお父様も格好いいけれどお洋服の方がお似合いだもの。
落とさないように気をつけながら箸を進めていくとその内夜空を花火が彩りだした。
「デッキに上がってもいい?」
虎太郎君がお父様に聞くと頷いている。
「愛梨花ちゃん。デッキに行こうよ」
私の手を取を取ろうとするので慌てて引っ込めた。首を振る。
「えっと……まだデザート食べたいから後で」
私が口ごもりながら言うと隣で龍一郎君がクスッと笑った。
「愛梨花ちゃんは大きな音が苦手なんだよ」
げっ、やっぱり龍一郎君にはバレている。ガーデンパーティーの時に腰を抜かしていたのを見られていた?
「せっかくだから少しだけ覗いてみようか?怖かったら直ぐ戻れば良いしね」
優しく龍一郎君に言われれば、嫌とは言えない。中身32歳なんで大丈夫です。きっと……
周りを見渡しても肝心なときに高島が見当たらなかった。腹をくくって席を立った。
3人でデッキに上がると心地よい風が頬を撫でた。綿アメに焼き鳥などの屋台も出ている。
デッキチェアに虎太郎君と並んで座ると後ろに回った龍一郎君がバックハグのように身体を包み込んでくれた。
「これなら安心でしょう」
そう言って顔を覗き込まれても逆に恥ずかしいから。
曖昧に頷きながら、いつの間にか虎太郎君と夜空の花火に夢中になっていた。
最後の花火が上がる頃には、花火の音にも慣れて虎太郎君とキャッキャッと騒いでいた。
それを見守る龍一郎君はどこまでも優しいお兄さんだった。




