第七十五話 イーシ王国制圧(6)
王城の最奥、きらびやかで虚飾に満ちた謁見の間。その重厚な大門は、シュテンが振るった剣撃によって、悲鳴のような破砕音と共にねじ切れ、室内へと吹き飛んだ。
人族の匠が何ヶ月もかけて彫り上げた重厚な木製の扉など、オーガ最強の戦士であるシュテンにとっては、腐った板切れと何ら変わりはない。
「ハッ、呆気ねえもんだぜ!」
粉塵が舞う中、シュテンとユウシュンを先頭にした突入部隊が雪崩れ込む。
「立ち去れ、反逆者ども! 陛下をお守りせよ!」
謁見の間の両側から、王国最高の錬度を誇る近衛騎士団が一斉に襲いかかってきた。全身を鏡のように磨かれた重装歩兵のフルプレートアーマーで包み、大剣を構えた騎士たちだ。
「うおおおぉぉぉぉぉーーー!」
腹の底から雄叫びを上げ、決死の覚悟で大剣を振り下ろしてくる近衛騎士の隊長。しかし、シュテンとユウシュンは、その騎士に視線すら向けなかった。
ユウシュンの片刃剣とシュテンの剛剣が一閃する。
銀色の閃光が交差した次の瞬間、襲いかかった近衛騎士たちは鎧ごと縦横に切断され、断末魔すら上げる隙もなく、床にぶちまけられる物言わぬ肉塊へと変わっていた。
「正面の敵は制圧! 脇道と抜け道を塞げ!」
ユウシュンとシュテンの指揮の下、鍛え上げられた三〇〇名のアンジュン兵が速やかに展開する。彼らは迷いなく王宮の裏通路、地下道、隠し部屋に至るまでを完璧に掃討し、捜索を開始した。
そして——刻を置かずして、彼らは玉座の裏に隠されていた秘密の退路で、震えていた男の捕縛に成功する。
◇
「貴様がゾンゲ・イーシか」
ユウシュンは冷たく冷え切った床に伏せる男を見下ろし、吐き捨てるように言った。
そこにいたのは、丸々と太った体を粗末な縄で無様に縛り上げられ、みじめに床へ這いつくばる男の姿だった。かつてこの国で絶対的な権力を誇り、万民の上に君臨したはずの男、ゾンゲ・イーシである。
その脇では、同じく捕縛された宰相のコーキや上級貴族たちが、恐怖と屈辱に全身をカタカタと震わせていた。
ユウシュンの口から「国王」という敬称が出ることはない。ただ世界の澱みを見つめるような、底冷えのする軽蔑の眼差しだけがそこにあった。
「ぶ、無礼であろう! この下郎どもが! 国王陛下に何ということをするのだ! 控えよ、控えぬか!」
真っ先に狂ったような悲鳴を上げたのは、宰相のコーキだった。怒りと屈辱で顔を真っ赤に染め、床に額を強く擦り付けながらも、旧体制の宰相としての最期の責務を果たそうとするかのように叫び散らす。
だが、その咆哮も、シュテンがドスンと踏み鳴らした地響きのような一歩の前に、一瞬でかき消された。
「おい、静かにしろよ、クソが」
シュテンが低く唸る。その獰猛な眼光と、巨大な剣から床へとぽたぽたと滴り落ちる王国兵の返り血が、コーキの言葉を喉の奥へと強制的に押し戻させた。
「俺たちの主が来られるんだ。見苦しい真似をしてみろ。その首、今ここで叩き切るぞ」
コーキはひっと短い悲鳴を上げ、二度と口を開くことができなくなった。
広大な謁見の間を支配したのは、あまりにも重苦しい敗北の静寂だった。
◇
一方、王城の外——赤く染まった外郭の広場では、王国幹部たちのほぼ全員を捕縛したという一報がもたらされていた。
「……終わった、のか。本当に、あの不落と謳われた堅牢極まる王城が、これほどあっけなく……」
「信じられん。これが、信長殿の『戦術』と『兵器』の威力というのか……!」
報告を聞いたタンソウ侯爵とユーイ伯爵は、顔を見合わせ、驚愕とそれ以上の深い安息の表情を浮かべて深く息を吐き出した。長年彼らを縛り続けてきた旧体制の終わりが、今まさに現実のものとなったのだ。
信長は、傍らに立つ少年に向き直ると、口の端を歪めて不敵な笑みを浮かべた。
「ではアンジュン辺境伯、王城に行きましょう。新たな時代の幕開けを、あの愚王の目に焼き付けてやるのです」
信長は芝居がかった洗練された手つきで、大袈裟に一礼してみせた。
アンジュン領を起点とし、ここまで共に歩んできた名目上の主君、レイン・アンジュン辺境伯を立てるための完璧なパフォーマンスであった。
十七歳の少年、レイン・アンジュンは顔色を失ったまま無言で頷き、歩き出す。
それに続いて信長、蘭丸、そして配下の将たちが堂々と歩を進める。しかし、その光景を目にした者なら誰しもが、言葉にせずとも即座に理解できた。
レイン・アンジュン辺境伯は、どこまでも扱いやすい「お飾り」に過ぎないのだと。
これからこの国を、この大陸の歴史を支配し、統べるのは——その後ろで冷たい光を瞳に宿して歩く、織田信長という男なのだと。
◇
王城の二階、かつて執務室であった豪華な部屋に入ると、信長は王の椅子に勝手に腰掛け、足を組んだ。そこへ、影のように控えていた蘭丸が素早く歩み寄る。
「信長様、吉報にございます。逃走を許していたイーボチヤ伯爵一家と、敵方の通信使を務めていたバンボン男爵の身柄を確保いたしました」
報告を受けた信長は、ふんと鼻を鳴らし、邪悪な笑みを深めた。
「ククッ……逃げ切れぬと分かっておらぬ愚か者どもが。上出来だ、蘭丸」
「はっ」
「では、手はず通りに運べ。イーシ国王をはじめ、男子王族は全員殺せ。……表向きは『反乱軍による殺害』または『戦死』とな」
今回の王都攻めにおいて、信長はあらかじめ巧みな謀略を仕掛けていた。イーボチヤ伯爵とバンボン男爵が裏で反乱を起こし、王城を襲撃した——自分たちはその逆賊を討ち、王家を救援するために駆けつけたのだという「わりと身勝手な筋書き」を作り上げていたのである。
これには明確な政治的理由があった。
この異世界において、イーシ王国が新しい国王へと代替わりをする際、人族の上位に君臨するエルフや魔族で構成される「真・賢人国家連合」からの正式な戴冠の許可を得なければならないという不条理なルールが存在する。
もし信長たちが王族を皆殺しにして、全く無関係の血統の者を力ずくで国王に据えようとすれば、「真・賢人国家連合」が介入し、全面戦争へと発展する可能性が極めて高かった。
今の段階でエルフや魔族の巨大勢力と正面から事を構えれば、いくら信長の近代兵器や魔法技術があろうとも、この人族の王国全体が灰燼に帰すほどの甚大な被害が出る。
それを避けるための知恵が、この自作自演の謀略だった。反乱によって王族男子が「悲劇的にも」皆殺しにされ、生き残った王女の誰かを女王として即位させる。これならば、連合側も介入の口実を失う。
蘭丸が手元の羊皮紙の書類に目を落としながら、さらに詳細を報告する。
「丁度、エルフ族への人質として差し出されていたチアン王女が、一週間ほど前に王都へ帰着しております。年齢は十三歳。現地で著しく体調を崩したため、予定を早めて緊急帰国し、代わりに十歳のローユン王子が新たな人質として送られました」
「ほう……。十三歳のチアン王女か」
信長は椅子の肘置きを指でトントンと叩き、薄い唇を釣り上げた。
「なるほど、丁度良い駒が転がり込んできたものだ」
信長はギラギラとした、欲望と野心に満ちた瞳で、黙って傍らに立っていたレインを睨みつけた。
「レイン。お前、そのチアン王女と結婚しろ」
「……え?」
突然振られた話に、レイン・アンジュンは素頓狂な声を上げた。
信長は気にも留めず、淡々と、しかし圧倒的な威圧感をもって言葉を重ねる。
「チアンが女王になれば、お前はその『王配』だ。アンジュン辺境伯の名のまま、実質的にこの国の上たかみへと上り詰めることになる。これ以上の誉れはあるまい?」
「の、信長様……? 本気で仰っているのですか?」
レインの顔から血の気が引いていく。十七歳の常識的な感性を持つ彼にとって、ついさっきまで戦火に包まれていた王城で、親兄弟を殺されたばかりの十三歳の少女と結婚しろという命令は、あまりにも狂気に満ちていた。
「なんだ? 不満か?」
信長はあからさまに不機嫌な顔をし、鷹のように鋭い眼光でレインを射殺さんばかりに睨みつけた。
「不満というわけでは……ただ……」
レインは意を決し、震える声で問いかけた。胸の中で、ずっとくすぶっていた疑問と混乱が限界を迎えていたのだ。
「以前……私の妹であるユウミを、信長様の側室にとして差し出そうとした時のこと……。 あの時、信長様は私を力任せにボコボコに殴り倒し、こう仰いました…… 『妹は物ではない! 政略結婚の道具にするな! 人の望みをねじ曲げてはならぬ! お前が命にかえても妹を守ってやれ!』と……」
レインの脳裏に、あの日の光景が鮮明に蘇っていた。
妹を差し出すことで信長の機嫌を取り、領地を守ろうとした弱小貴族の自分。それに対して信長は激怒し、容赦ない拳でレインを殴り飛ばしたのだ。あの時の信長は、理不尽で乱暴ではあったが、どこか一本筋の通った、弱者を気遣う男の器量を見せたはずだった。
「あの時、私は信長様の言葉に感銘を受けたのです……。妹を一人の人間として守ろうと誓ったのです……。なのに……なのに、なぜ今回は真逆のことを仰るのですか? 十三歳のチアン王女様は、家族を奪われ、政治の道具にされようとしているのです……」
レインは混乱と憤りに体を震わせ、必死に訴えかけた
「ああん?」
信長は、鬱陶しそうに顔を歪め、指で耳をほじくるような仕草をした。
「そんな昔の戯言、いちいち覚えてねぇな」
(……ああ、そういえば、そんな青くさいことを言ったような気もするな)
信長は心の中で思い出していた。あの時はあの時で、愚鈍なレインに「兄としての覚悟」を叩き込むためのパフォーマンスであり、同時に使い物にならん小娘を身内に抱え込むのが面倒だったから突っぱねただけに過ぎない。
「レイン。お前は大きな勘違いをしているぞ」
信長は椅子からゆっくりと立ち上がると、圧迫感のある足取りでレインに歩み寄った。そして、少年の肩にどっしりと重い手を置く。
「お前は、この国の苦しむ民衆の窮状を救いたいとは思わんのか?」
「え……? いや、それは……救いたいです、が……」
「チアン王女も可哀想な娘だ。反乱によって愛する家族を悉く皆殺しにされ、幼い身でありながら孤独の深淵に叩き落とされたのだぞ?」
(いや……その家族を皆殺しにするよう命じたのは、今まさに目の前にいるあなたでしょうが……!)
レインは喉まで出かかった叫びを、信長の威圧感によって必死に押し殺した。
しかし、信長は一切の悪びれもなく、さも自分が慈悲深い聖者であるかのような真顔で言いのけた。
「家族を失い、絶望の淵にいる哀れなチアン王女の『心』を救い、支えとなってやるのが、男たるお前の役目だろうが。お前が彼女の力になってやるのだよ」
「な……」
信長は心底失望したと言わんばかりに、大きく溜め息をついて首を振った。
レインは唇を固く引き結び、拳を握りしめた。爪が掌に食い込む感覚だけが、辛うじて頭の中の混乱を繋ぎ止めていた。
「お前も貴族の端くれなら、民のため、そして悲劇の姫君のために、己の身を犠牲にすることくらい理解できるはずだ。……フン、どうやらお前には、上に立つ者として不可欠な『自己犠牲』の精神が著しく足りないようだな」
「……申し訳、ありませんでした」
レインはガクッと肩を落とし、深く頭を下げた。
信長はレインの返答に満足したように頷くと、過去に自分が発した言葉など最初から存在しなかったかのように指示を出した。
「まあいい、とりあえず近いうちに盛大に婚約発表を執り行う。レイン、お前はさっそく、病に伏せっているチアン王女の見舞いに行け」
「……見舞い、ですか?」
「そうだ。毎日通え。ただ顔を出すだけではないぞ、差し入れを持っていけ。ガラシャに言って、プリンやチーズケーキを作らせろ。あの女の作る日本のスイーツは絶品だからな」
信長は楽しそうに指を折り折り、計画を口にする。
「この世界には存在しない甘美な味覚……傷ついた幼い心に、甘い菓子は劇的に効く。毎日健気に通い、珍しいスイーツを差し入れしてやれば、十三歳の女心などイチコロだ。落ちないはずがなかろう」
政略結婚の残酷な謀略の中に、唐突に混ぜ込まれる「プリンとチーズケーキ」という謎の具体策。そのギャップに、レインは眩暈を覚えた。
「わかったな、レイン。お前の『誠意』と『スイーツ』で、新しい女王をしっかりと骨抜きにしてやれ」
信長は不敵にニヤリと笑い、レインの肩をポンと強く叩いた。
「……はい。かしこまりました、信長様……」




