第七十二話 イーシ王国制圧(3)
人口90万人を抱える巨大城塞都市スオン。それはイーシ王国最大の都市であり、同時に、この過酷な世界において「人族の尊厳」を辛うじて保つための最後の砦でもあった。天を衝くようにそびえ立つ王城を中心とし、半径2キロメートルに及んで張り巡らされた城壁は、厚さ5メートルを超える硬質の巨石で築かれている。さらにその周囲を深く抉られた水堀が囲み、歴史上、幾度もの外敵の侵攻を撥ね退けてきた。200年前の大戦でも、ドワーフ・エルフ連合軍を何とか押しとどめることが出来たのもこの城塞のおかげだ。
大軍で包囲したところで、半年以内の攻略は不可能
それが、この世界の兵法における絶対の常識だった。この世界の戦争は、平民を駆り出した農民兵が主軸である。貴族や騎士が中心のエルフにおいても、その兵站を支えるのは平民だ。半年も膠着状態が続けば、彼らは故郷の作物の植え付けや刈り取りのために帰郷せねばならず、大軍の維持そのものが不可能になるからだ。だが、その「難攻不落」の神話は、城壁の外側で見捨てられ、泥をすするようにして建ち並ぶ平民たちの貧民街を踏みつぶす形で成り立っていた。
本陣の天幕。張り詰めた空気の中、パチパチと音を立てて燃える蝋燭の光が、地図を囲む将たちの顔を照らし出していた。
「信長様、斥候より報告です。国王軍は民衆から最後の蓄えである食料まで根こそぎ略奪し、完全な籠城体制に入った模様です。現在、城内には約8000の近衛兵と、利権にしがみつく王族・貴族ども1500が立てこもっております」
蘭丸が、忌々しげに、しかし冷静な声で告げた。その瞳には、かつて本能寺で主君と共に死線を潜り抜け、21世紀の日本で新たな知識を得て覚醒した若き冷徹な参謀としての光が宿っている。
信長は組んだ膝の上に頬杖をついたまま、不敵に、そして氷のように冷たい笑みを唇に浮かべた。
「ふん、民から食料を取り上げて籠城か。イーシ国王という男は己の体を維持するために、自らの手と足を食いちぎる愚行を犯したわけだ。そんな真似をして、その後どうやって生きていくつもりなのか。まさに文字通りの暗君だな」
信長の声は低かったが、天幕の布を震わせるほどの圧倒的な覇気と、イーシ国王への底知れない侮蔑が込められていた。民をただの搾取対象としか見なさず、未来の国力すら食いつぶす王の姿は、信長の掲げる「天下布武」の理念から最も遠い、唾棄すべき存在だった。
「信長殿、まさにその通りですな」
深く頷いたのは、大軍を翻して信長に合流した門閥貴族、タンソウ侯爵だった。彼は艶やかな毛織りのマントを揺らし、怒りに震える拳を机に叩きつける。
「今の国王は、列強にへつらうばかりか、ついに我が国の血肉たる民を安んじることすら放棄した。もはや奴に王を名乗る資格などない! 我ら門閥の誇りにかけても、今こそ腐り切った王権を奪い取り、新たな王朝を打ち立てるべきときだ!」
「タンソウ侯爵のおっしゃる通り、一秒たりともあの愚王を玉座に置いておくわけにはまいりませぬ」
続いて、ユーイ伯爵が眉をひそめながら、慎重な面持ちで口を開いた。
「しかし、事はそう単純ではございません。無謀な城攻めを強行すれば、城内の民衆に多大な犠牲を強いることになります。それに、時間をかけて兵糧攻めにするにしても、ぐずぐずしていれば、未だ王に忠誠を誓う公爵家どもが、救援のために大軍を率いてやってくる。できれば、余計な血を流す大きな戦いは避けたいのですが・・・」
数万の連合軍を率いる貴族たちの顔に、焦りと困惑の色が浮かぶ。彼らの頭にあるのは、あくまでこの世界の「古い兵法」、泥沼の包囲戦だった。
だが、その常識の枠組みを、若き信長の声が容易く打ち砕いた。
「そこは、我がアンジュン軍にお任せください」
信長は隣に座しているレイン・アンジュン辺境伯と視線を交わし、不敵に微笑む。
「我らが主、アンジュン辺境伯様が服従させ鍛え上げたオーガの精鋭たち。彼らを中心とする300の兵で、あの難攻不落のスオン城を瞬く間に落として見せましょう」
「なっ、300だと!?」 「馬鹿な! 冗談を言っている場合では・・・!」
タンソウ侯爵とユーイ伯爵が、驚愕のあまり椅子から立ち上がりかけた。8万の反乱軍をもってしても数ヶ月はかかると踏んでいた巨城を、たった300で落とすというのだ。正気の沙汰ではない。
確かに数万のドワーフ軍を退けたことは知っている。しかし、それはこちらが守る側であり新兵器を存分に使うことが出来たからだ。今回は城を攻める側であって、しかも民衆に被害を出さないようにしなければならない。砲撃による支援攻撃などもっての外だろう。
しかし、信長は動じず、ただ鋭い眼光で二人の貴族を圧した。
「貴殿らの軍は、城塞の周囲を蟻の這い出る隙間もないほど完璧に包囲していただきたい。王族、貴族を、誰一人としてこの王都から逃がさぬようお願いする」
信長の言葉には、反論を一切許さない絶対的な自信があった。貴族たちは気圧され、息を飲み込んで席に座り直すしかなかった。
◇
本陣の作戦室から、さらに前線の突撃陣地へと移動した信長は、目の前に整列する300の精鋭たちを前に大号令を下した。
「シュテン、ユウシュン。それぞれ150の兵を率いて城内へ突入し、あの腐った国王を捕まえてこい。ただし、向かってくる敵兵にはまず降伏を呼びかけろ。それでもなお愚王のために牙を剥く愚か者には、容赦はいらん。すべて肉塊に変えてやれ」
「「はっ!」」
信長にとって敵兵がどれほど死のうと問題では無いのだが、攻撃する前に降伏を促した事実だけ作っておきたかったのだ。その方が征服した後の支配がやりやすいことを学習していた。
「エーリカ。お前は衛生兵部隊の護衛だ。敵であっても、戦意を失った負傷兵は治癒してやれ。だが、負傷者を救う衛生兵に襲いかかるような、戦場のルールも分からぬ畜生がいたならば、その時は容赦なく切り刻んでやれ」
「はい! 信長様!」
信長に名指しで命じられたエーリカは、その可憐な容姿に満面の笑みを浮かべて返事をした。信長に期待されることが嬉しくて仕方ない様子だ。
その時、隊列の後方から、落ち着かない様子でじっと信長を見つめていた人影が、意を決したように一歩前に進み出た。
「ねぇ、信長くん。私は行かなくて良いの?」
細川ガラシャだった。ユウシュンと色違いの鎧を身に纏った彼女は、どこか挙動不審にモジモジしている。
「ユウシュンの部隊は人族が中心でしょ? オーガほど強靱じゃないし。念のため、私がついていった方が、みんなも安心じゃない?」
ガラシャの視線は、信長の後方に控えるユウシュンへほんの一瞬だけ泳いだ。
信長は、そんなガラシャを見て、少し面倒くさそうに片眉を上げた。
「ああ? ガラシャ、お前、敵とはいえ人が無惨に死ぬところを、あんまり近くで見たくないんじゃなかったのか?本当にいいのか?」
信長の指摘に、ガラシャは女子高生のように頬をぽっと赤く染め、指先をモジモジと動かした。
「だ、だって、突撃前にみんなに強化魔法はかけておくけど、やっぱり戦場は何が起こるか分からないし、心配なんだもん! それに・・・万が一、誰かが瀕死の大怪我をした時は、私の魔法が一番確実に治癒できるから・・・!」
必死に言い訳をするガラシャの姿は、戦場にはおよそ似つかわしくない少女そのものだった。だが、彼女の言う通り、21世紀の医学知識を内包したガラシャの「至高の治癒魔法」は、この世界においては異次元の効果を発揮する。彼女が戦列に加わる意味は、軍事的に見てもあまりに大きかった。
信長はため息混じりに、さらに面倒くさそうな表情を作ってみせた。
「まあいい。ならばついて行ってやれ。ただし、自分の身は自分で守れよ。敵の刃はお前が女だからといって止まってはくれんぞ」
「賢者様! 誠にありがとうございます!」
ガラシャのことを「世界を救う高潔な賢者」と信じて疑わないユウシュンが、感激のあまり深く頭を垂れ、彼女に心からの感謝を告げた。その真摯な態度にガラシャは胸をときめかせながら、精一杯大人ぶって胸を張る。
「いいのよ、ユウシュン。これもすべて、あの愚王を倒して、人族が笑って暮らせる平和な国を作るためなんだからね!」
もっともらしい大義名分を口にするガラシャだったが、その本音は「ただ大好きなユウシュンの近くにいたい」という、恋する乙女の純粋な願いに過ぎなかった。
ガラシャは頬の赤みを誤魔化すように拳を握りしめ、ユウシュンの隣へと一歩歩み寄る。その小さな背中には現代日本で培った知識と、異世界で手に入れた魔法という、誰も寄せ付けない絶対の自信が秘められていた。
「賢者様、お命に変えてもお守りいたします」
ユウシュンは胸に手を当て、真摯な眼差しでガラシャを見つめた。彼にとって彼女は単なる美しい少女ではなく、虐げられていた人族に光をもたらした文字通りの聖女であり大賢者なのだ。その真っ直ぐな言葉に、ガラシャは胸の高鳴りを抑えきれず、小さく「う、うん、よろしくね」と微笑み返すのが精一杯だった。




