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台所の鼠

「ニーハオ」

そうして満を持してエレベーターを降り、マンホールからそろり顔を出すと、いかにも「鼠顔」な料理人がこちらを覗き込んでいた。

「ニ、ニーハオ……」

そこは地上の猫派領地、香ばしい匂い漂う鼠派の中華料理店の裏口だった。

「母さんから聞いてるヨ。厄介な連チュウに狙われてるんだってネ。これ着て行くといいヨ。ステルス性あるから尾行を撒くのに便利ネ」

「あ、ありがとう」

何の冗談なのか。彼は私にドブネズミの着ぐるみを寄越してきた。

「モリサ、お前にはコレあげるヨ」

そう言って彼女に渡したのは数枚の福引券。

「この繁華街で利用できる券ネ。運が良ければ一日食べ放題が当たるヨ」

「た、食べ放題……」

モリサはアンドロイドだけどもちろん私たちと同じ味覚や消化器官、食欲もある。だけどモリサが食べてきたのは森田さんに合わせた質素倹約な精進料理的なものばかりだったから。油でこってりな中華なんてものは生まれてこの方、口にしたことがないんだと思う。

モリサは物珍しいものを見るような目で福引券をしげしげと眺めていた。

「食べたいの?中華料理」

「は?バカにしないでくれる?興味なんかないわよ!ほ、ほら、早く行くわよ!」

別に中華に興味があってバカにするような奴もいないと思うけど……。彼女は顔を赤くして店を出ると、ズンズンと迷いなく盆栽と反対方向へ行ってしまった。

「あれがオタクには堪らんのだろうな」

「そう言ってやるなよ」

女の子らしからぬガニ股の彼女を見守りながら、私とパンダは「超」のつく一級品に向かって手を合わせ、深々と頭を垂れて「ごちそうさま」をした。


 早朝にもかかわらず繁華街は賑わっていて、晴れ晴れとした活気は犯罪組織の待ち伏せの臭いを微塵も感じさせない。

 それでも鼠派の外の世界をまるで知らないモリサは顔をしかめ、警戒心と好奇心で終始キョロキョロと辺りをうかがっている。

「それにしてもうるさい所ね。鼠派とは大違いだわ」

「お気に召さない?」

「……別に」

モリサは本当に典型的な金髪ツインテールで、悪態を吐きたくても吐けない体質らしい。

口を尖らせ、どもる彼女がひどく可愛らしく見えた。それを指摘すると挙動不審になるのもポイントが高い。

「……ワコ」

そんな珍品に舌鼓したつづみを打つ矢先、モリサは敏感に敵の出現を察知し、私たちに警戒を促した。

「正面のオールバック、白いスーツの男。あれがポルミスよ」

50m先の見知らぬ男を視線で指し、モリサは言った。

「ポ……いきなり?」

なによ、このスーツまるで役に立たないじゃない。私は中華鼠に言われて律儀に着ていたドブネズミの皮を脱ぎ棄てた。

 ところどころ白髪の混じった、色白で渋めのヒゲ男。彫りの深い彼が顎を引いて睨みを利かせれば、目元にはサングラスのような濃い影が落ちた。

一見して彼自身が組織(マフィア)のドンだと思えるような風格さえある。さすがはママに盾突こうって連中の幹部。

 奇妙なことに、ポルミスは賑わう道の真ん中に立っているのに人混みに押されるどころか、誰もかれもが彼を避けて歩いていた。それは彼が危険な人間だからと意識している風ではなく、そこに柱でもあるかのような自然な感じだった。

逆に私の脱ぎ捨てたネズミの皮や、自分の頭よりも大きなゴリゴリにいかついグローブを装着するモリサに興味を示すくらい、彼に無関心なのだ。

「これがアイツの力なの?」

「さあね。アイツはクソが付くほどの秘密主義者よ。大奥様にだって聞かれたこと以外は話さないことで有名なんだから」

注意深く観察する私たちに対しポルミスはほくそ笑み、仁王立ちのままこちらをジットリと睨みつける。

「まったく、そんなだからお前はきり江に遊ばれるんだ。あれは偏向性の幻術だろうが」

デブが溜め息混じりに言うそれは、特定の相手、ここで言うなら通行人にだけ影響を与えるような限定的な幻術らしい。私にはそれに幻術の「げ」の字も感じないけど。

 なにせ私は来る日も来る日もこのデブと殴り合ってばかりで、術なんてものは一度だって練習したことがないんだもの。

そういうエリートっぽいものは本物のエリートだけが使えればいいのよ。私には似合わない。

「そういうダメなところがアタシのチャームポイントでしょ?」

甘酸っぱさの欠片もない訓練漬けの青春時代を思い返す傍ら、私はモリサに通行人の中に武装している人間がいないかスキャンさせた。

「いるにはいるけど、護身用ってところね。十中八九、アイツは一人で私たち全員を仕留めるつもりよ」

「はっ、強者の余裕ってやつ?どうりで無駄な演出をかましてくれるわけだわ」

こんな複雑な幻術が使えるくらいの手練てだれなんだから。私たちに奇襲を仕掛けることなんて朝飯前だったはず。それすらも必要ない。「胸を貸してやろう」と言わんばかりに堂々としている。

「どうする?引き下がるの?」

がっつり臨戦態勢に入っておきながら、モリサは引き腰だ。彼がかつて自分の護るべき対象だったからか。碧眼の輝きにも冴えがない。

私だって、できることなら痛い遣り取りはしたくないタチなんだけど。

「ごめんね。あんな、人の背中を平気で刺せるようなツラを前にして素直に逃げられるほどアタシもバカじゃないの。覚悟を決めてもらえると助かるわ」

私が抜いた銃を見てようやく危険を察知し始めた通行人たちを尻目に、私は慎重に男に近づいた。


「こんばんは、調子はどう?」

臆病な猫派の一般人たちはあっという間に姿を消し、通りには私たち四人の姿だけが残った。男は近くで見ると余計に白の肌が強調して見え、佇まいも含めて森田さんによく似ていた。

「アナタ、一人なの?」

言葉を変えてもう一度挨拶すると、男は不敵な笑みをこぼしながらようやく口を開いた。

「くくく、お前の目には他に誰かいるように見えるのか?ああ、返事には気をつけろよ。生憎、俺はオカルトが嫌いでな」

「あらそう。アンタ自身がジェイソンみたいなツラしてるくせに」

似てるって言っても、あくまでホッケーマスクありきだけど。

「ほお、アレを知っているのか。かなり偏った趣味だな」

「アタシのママは大のホラー好きなのよ。その影響かもね」

「道理で。あの女の噂を聞くだけで吐き気を催す訳だ」

確かに世間が主張するママ像は恐怖体験に似たものを感じさせるけど、反社会組織の幹部にそこまで言われる筋合いもないと思う。

「それで、私たちはここを通っていいのかしら?」

ダメもとで聞くと、ポルミスはネクタイでしまった首元を少し緩め、にやりと笑って答えた。

「お前の見てきたジェイソンは、少し辛口な世論を語るだけのマスコットか何かだったのか?」

「知らないの?彼、コメディにだって出演したことがあるのよ?」

「ふん、そのコメディでさえ彼は自分の仕事に真摯しんしだったと思うが?」

レビュー上で「ホラーと言うよりもコメディだった」なんて書かれてたからなんとなく言ってみただけなのに。コイツ、もしかしたら本当はホラー好きなんじゃない?

 仲を深めるお喋りはさて置き、今後、少しでも有利に動けるよう何か情報を引き出したいところなんだけど……。

「じゃあ一つ教えてほしいんだけど、アタシって何でそんなにアンタたちから目の敵にされないといけないの?知らない内に物語のキーアイテムでも持ってたりとかするの?」

この点で私に言えるのは、他の人よりもちょっとばっかしヘラクレスちゃんと仲が良いってことぐらい。それでも人質になれるほどじゃないし、ママもそれくらいのことでヘラクレスちゃんをあの箱から出したりなんかしない。

大杉たちがママに渡すはずだったものを届けようかと申し出ても森田さんに断られてるし。

……まさか私自身が「主人公」だなんて妙ちきりんな話もある訳ないし。

 モリサがわざわざ「秘密主義だ」と言うだけあって、ちょっと仲良くなっただけでボロを出す訳もなく「知らない方が幸せというやつだよ、お嬢ちゃん」なんて、ありきたりなセリフであしらわれてしまった。

「私がそんなに繊細な女に見える?ここでアンタにフラッシュモブ付きのプロポーズをされても秒で断れるくらい図太いわよ、私」

「……それ、なんか違くない?」

呆れ顔で私を見上げるモリサとは違い、ポルミスはこのジョークを気に入ってくれたようで「その上、恐いもの知らずなようだな」そう言ってひとしきり笑った後、もう少しだけヒントをくれた。

「四面楚歌がお前の好みだと言うなら考えてやらなくもない。ただし、その時は俺も対応を変えなきゃならん。よくよく考えて答えることだな」

ポルミスが私を見逃してくれないのは初めからわかってたことだけど。四面楚歌っていうのはまさかママまで私の敵になるとか言わないわよね?正直、それだけは勘弁してほしいわ。


「ポルミス!」

まだその時じゃないってのは彼女自身わかってる。それでも、彼女を前にして彼の自己中な態度に我慢ならなかったんだと思う。業を煮やした同郷の女の子はとうとう叫んでしまった。

「アンタ、大奥様がどれだけアンタのことを心配してるかわかってるの?!」

同情だったり苛立ちだったり。森田さんから頼まれてることも含めて、色んな気持ちが彼女の中で渦巻いてる。そんな彼女をポルミスは冷めた目で見つめた。

「ふん、もちろんわかっているさ。それともあの人を理解しているのは自分だけだとでも言いたいのか?仮にそうだったとして、どうしてお前ごときの言うことを聞かなきゃならん?」

「……なんですって?」

モリサの顔から同情が消え、苛立ちだけが残った。彼は私に向き直った。

「さあ、どうする?お前の言う通り、いつまでもここでカカシでいる訳にもいかんだろう?嬉し恥ずかしいサプライズか、全員がスッキリできる殺し合いか。お前が決めろ」

 急に雲行きが怪しく思えてきた。具体的に言うなら、安全なホームに帰ってきたと思ってたのに、実は敵の手中にまんまと飛び込んでいっているような。飛んで火にいるなんとか、みたいな。

どんなに図太い女でも、そこが酔い潰れていい場所なのかどうかくらいは判断できる。そう男に返した。

「そうか。賢明ではあるが、常識的過ぎて興醒めだよ」

四面楚歌を避けた私に吐き捨て、ポルミスは緩めたネクタイを締め直したかと思えばなぜか、いよいよという空気をかもし出した。なんで?もしかして聞いた方が良かったパターン?

だからってリテイクなんて彼が許すはずもない。……だったらこのまま突っ切るしかないじゃない!

「常識がつまらないなんて、随分疲れた人生を送ってるのね」

「つまらないさ。正義は必ず勝つ。そのせいで面白い女がまた一人、この世から消えるんだからな」

「はは、それってアタシたちが悪って言いたいわけ?」

「なら、お前には俺が地面に這いつくばる未来が見えるのか?ハハハ、それこそ悪い冗談だな」

はっきり言って、この男の陰湿な殺気を前にしたらバッサリと否定してやることもできない。パンダがいくらママのつくった式神だって言っても、ママとは比べ物にならないザコなんだから。

「そういうジメジメした考え方しかできないところが……」

やるしかない。それだけが否定できる唯一の手段だ。私はポルミスに向かって中指を真っ直ぐに立てた。

「疲れてるって言ってんのよ!」

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