大山鳴動して鼠一匹
私が全身全霊を込めて立てた中指なのに、さすがは悪の組織の幹部といったところか。こちらの悪巧みに勘づいて視線を逸らしていた。
指輪仕込んだフラッシュにも、靴底に仕込んだ煙幕にも動じずそこに仁王立ちしている。
だけどそれでいい。お前は今、ザコの浅知恵だって侮ってるんでしょ?この白い煙は私たちが奇襲を仕掛けるために焚いたただの「煙幕」なんだって。
「これは…式神か?随分と器用な真似をするじゃないか」
……けっこう自信作の戦法だったのに。
手の内はバレちゃったけど、それでも私たちは作戦を続行した。
私は少しでも注意を逸らせるよう適当に射線をバラ撒き、かたやパンダは私の焚いた白い森に紛れて接近し、目の前で煙から3m近い獅子へと変化し大口を開けて躍りかかった!
パンダとの連携はもう阿吽の域だし、単純だけど目まぐるしい展開に大抵の奴は頭が追いつかずにパニックになるのに……
次の瞬間、まんまとハメられたのは自分だと気づかされた。
「なに、どうしたの!?」
気持ちよく乱射しているところに、獅子に扮したパンダが私の首根っこを咥えて飛び退った。
「柊和子、その攻めっ気は褒めてやらんこともないが、先にそのどうしようもなくガラ空きな弱点への対策をした方がいいんじゃないか?」
ポルミスが嫌味たらしく術を解くと、退いた場所に杭状の石柱が忽然と姿を現した。また幻術か。
「本当に世話の焼ける」おおよそ射程圏外まで離脱すると、パンダは溜め息を吐きながら私をポイ捨てにした。そして入れ替わるように私の視界の端を金色の尾を引く流星が駆け抜けていく。
「アタシに任せて!」
手甲の表示灯が煌々と碧色の光を放ち、碧眼にも戦士らしい覇気を宿らせたモリサは敬愛する主人の想いをないがしろにする同胞を完全に懲罰の対象として定めた。
すばしっこい動きを見せるモリサと僅かに残った煙幕は最高の相性を見せつけた。
ヒラヒラとなびく長く、二股に分かれた金色の尾は流体の煙幕と相まってでたらめな軌跡を残し、碧色の光は煙幕に無数の残像を焼き付けて相手の撹乱を誘った。
襲いくる石柱を拳で打ち砕き、突如として沈む地盤さえも華麗に飛び越える風のような彼女はもはや誰にも止められないかに思われた。
しかし、いくら戦闘用に強化されたアンドロイドでも「プロ」の経験と勘の壁を越えるのは一朝一夕でできることじゃなかった。
「モリサ、上っ!」
「きゃああ!」
一介の子ども風情が、いったいどんな手品を使えばこんな真似ができるのか。
突如としてモリサの周囲を巨大な影が埋め尽くした。見上げればそこに彗星サイズの巨岩があって、今にも彼女を押し潰そうとしていた。そして目前まで迫っていたはずのポルミスの姿はもう、そこにない。
巨岩は生成されるまで幻術で隠していたのかもしれない。だけどむしろ、巨岩そのものが幻術なんじゃないかと疑ってしまうほど、それは常軌を逸した光景だった。
ズズンッ!!
周りの建物も巻き込み、私が焚いた何倍もの土煙を巻き起こして彗星は落ちた。
「モリサっ!!」
どんなに強化されてたってあの質量をどうにかできる訳がない。私たちは見くびり過ぎていた。いくら最高峰の犯罪組織とはいえ、一対三ならつけ入る隙があるんじゃないかって思ってしまっていた。
……それが、この様だ。
煙が収まるのも待たず、私はそこへ飛び込んだ。助かるはずがない。それなのに
「信じられないな。こんなに強力な式神、どういう法則で存在していられるんだ?」
次の瞬間にはあの存在感の塊はおろか、落下した跡も瀑布のような土煙も一切合切消え去っていた。ポルミスも、その場から一歩も動いてなんかいなかった。そう見えてただけ。
そしてポルミスは頭上に注意を引く傍ら、自身の足下から無数の石杭を生み、それを、金髪の少女を抱きかかえた白獅子が杭の数だけの手足、尻尾を生やしてへし折っていた。
「そんなに驚いてないでもっと喜んだらどうだ?お前好みの非常識な存在が今、目の前にいるんだからな」
「……くくくっ、確かにそうだ。俺はもっと喜ぶべきだ。まさか堅苦しい図書館の棚に、堂々と陳列されるゲーム機のような奴に出会えるとは夢にも思わなかったよ!」
「―――!?ワコ、逃げろ!」
これも幻覚なのか私には知る由もない。私にわかるのは目に見えてるものだけ。
ポルミスを中心に地盤が幾重にも、筋トレ中毒者の背筋が雄叫びを上げるようにすごい勢いで捲れ上がっていくってことだけ!?
直径50mにも及ぶ地盤の捲れは、遠目から見ればまるで蓮の花のように幻想的な光景であり、現地の人間にとってはネコ缶史始まって以来の大災害を呈していた。
「……キサマ、本当に式神か?」
災害のほぼ中心にいたパンダは捲れ上がる大自然のアッパーカットに対し、懐のモリサを庇うように体を丸め、全身で受け止めていた。しかし、いくら肉厚な体が重量級のパンチの衝撃を逃がせたとしても「石の花弁」は鋭く、自慢の白い毛皮に深く突き刺さっている。
「ちょっと、アンタ大丈夫なの!?」
パンダの肉に包まれ、外の状況がわからないモリサでも、そのただならない衝撃で危機的状況を感じ取っていた。ところが狼狽える彼女の呼びかけに対し、パンダは何事もない調子で返した。
「なに、この程度。大事に育てたワインを横から掻っ攫われたショックに比べればなんでもないさ」
「まだ根に持ってたの?!」
そのデブと、ワインなんかよりも遥かに長く辛い青春を捧げてきた私は、動体視力と運動神経だけでこの前代未聞の災害を華麗に乗り切ってみせた。
「こっちに気を取られてる場合か!奴がそっちに行ったぞ!」
「え?だってアイツは―――」
「チェックメイトだ」
今も花弁の中心に立っているはずの男の声が背後から聞こえてきた。振り返るよりも速く、姿を消した男の拳はすでに私の横腹を捉えていた―――
「ぐうっ!」
しかし次の瞬間、花弁を打ち砕きながら地面に転がされたのは男の方だった。
「ゲホゲホッ、キサマ見えているのか?!」
「見えないけど、女として痴漢は絶対に許さないって気概が私に特別な力を与えてくれたっていうか?」
術はからっきしでも、肉弾戦ならアンドロイドにも暗殺者にも引けを取る気がしない。
私の胸の内では「考えるな、感じろ」という声が常に鳴り響いている。もしも私が敗北するとしたらそれは己以外にありえない……とかスカしたことが言えるくらいには極めている。
「なるほど武闘派ということか。どうりでモテないわけだ。おっと!」
喋る透明人間くらいなら到底、私の敵にはならない。
頭を使う術ばかりで温まらなかった体も調子が出てきたみたいで、ヒールに仕込んだスパイクが石の花弁をガラスのように打ち砕いた。
「おいおい、なんて脚力してやがる。ゴリラかキサマは」
「お前のようなインテリ男は知らないだろうが、弄ばれた女ってのは男を殺すためだけのエイリアンに変身するような生き物なのさ」
「……クッ、笑えない冗談だな」
みすみす罠に飛び込んだことには後悔したかもしれないが、そうとわかれば初心に返ればいいだけのこと。
ポルミスは幻術を仕込むために距離を取ろうとしたが、和子は見えないながらこれを許さず追撃した。
「クッ……」
和子を落とし穴に落とし、四方八方から杭で突き刺そうとしたが、和子は曲芸のような身のこなしで襲ってくる杭を躱しつつその一本に捕まり、大車輪の要領で穴の外に飛び出してみせた。
そうして10点満点の着地を決めた時、ずんっ!と鈍い地響きが鳴った。
和子に気を取られている隙にパンダとモリサが示し合わせてポルミスを挟み、白と碧色の鉄拳を叩き込んでいたのだ。
「チッ、存外まともに相手するとなると手強いじゃないか。こんなことなら何人か引き連れてくるべきだったな」
それでもポルミスは巧みに地盤を操り防御しつつ逃げ道を確保し、数トンはあろうかという二人のパンチをすんでのところで回避した。
「やせ我慢はよせ。どんな薬を使っているのか知らんが、自分の限界を見失うほどバカでもないだろう?」
ただでさえ不健康な白さを誇っていたポルミスの顔色は今や漂白剤で顔を洗ったのかと思えるくらい真っ白で、白骨が浮き上がってきたかのような不気味さがあった。
息は荒く、青筋が浮かび上がり、滝のように汗を掻いているのに、それらすべてを舐めとるように白さが映え渡る。鼻から血が滴ろうと、喉がひりつく渇きを覚えようと、夢を追い求める狂気は充血する目から、声から離れない。
白骨は私たちの常識的な優勢を笑い飛ばす。
「面白いことを言うなよ。命が惜しくて反逆者なんてつまらん生き方をすると思うか?命よりも安い夢や理想に妥協して何の意味がある?」
「いい加減にしなさいよ!」
素直で単純な妹は思慮深く聡明な兄を睨み、激昂した。
「大奥様は今でもアンタが帰ってくるのを待ってるのよ!?」
「……」
「アンタはあの人の……お母様の気持ちを踏みにじるつもり!?」
兄、母、彼女を取り巻くたくさんの家族。彼らの幸せを願う妹の心が、渇いた地面に雨を降らせた。
兄はそんな妹の姿を、嘲笑った。
「そうやってあの人の一面だけを見て、すべてを知った気でいるお前たちにはわからんだろうよ」
「……はっきり言いなさいよ。アタシたちの何がいけないのよ」
「なら言ってやるが、太陽の昇らないあの穴倉を『故郷』だと、心からそう呼んでいるのが自分たちだけだと気づいたことはあるか?」
瞬間、脳裏に浮かんだ優しい母の笑みに陰が差した。空を見上げ、温かくも薄い唇が見知らぬ星の名を口ずさんでいる。
「あの人がそう望むからと。お前たちはバカの一つ覚えのように”家族”を護ることしか考えない。お前らはあの人の本当の家族がどこにいるか考えたこともないだろう!」
兄は妹をより鋭く睨んだ。より熱い雨を流した。ずる賢いはずの彼が、母を前にして欺く術も忘れ、狂ったように吠えていた。
ポルミスは我に返った。昂りに任せて曝してしまった醜態を力でごまかすため、咲かせた蓮の花を散らし、私たちを生き埋めにしようと青筋を蛇のように膨らませる。
しかし、そんな狂った鼠ごときのもたらす無秩序をあの性悪な猫が許すはずもない。
「ぐわぁっ!」
憤慨する鼠はなんの前触れもなく現れた凄まじい力に殴られ、石壁に叩きつけられた。
「ポルミスっ!」
衝撃で意識が霞む中、自分の無事を願う妹の叫びが聞こえた。
それが、彼女の言う「お母様」と自分の想う「あの人」が重なるようで虫唾が走ったが、応えない訳にはいかない。
「ぐ、う……」
定かでない視界で敵の姿を探す。
そうして捉えたソレは「仏の顔も三度まで」という言葉で彼を嘲笑い、男もそれに釣られて意味のわからない笑みが溢れた。
「ハハハッ、まさかこんな大物が釣れるとはな!俺もなかなか高く買われたものだ!」
「ベ、ベッキーさん……」
そこに、笹原きり江に次ぐ最強が佇んでいた。
右側頭から禍々しい一本角を生やした赤髪おかっぱの女。溶けた鉄のように煌々と燃える金色の瞳は虚ろで、敵を見ず、常に少し俯いている。まるで眼窩に収まる二つの太陽がブリキの体を動かしているかのように不自然でぎこちない生き物のようだ。
「……投降しろ」
一歩、美男子にもとれるシャープな顔立ちのブリキの鬼は、猫の耳にも聞こえるか聞こえないかの声でボソリと呟き、足を出す。
「いや待て、ここでキサマを討ち取ればもはや夢は叶ったようなもんじゃないか!」
一歩、鬼を討つとうそぶく鼠は滑稽で、開演間近の喜劇に誰もが釘付けになった。
「……投降しろ」
一歩、木の枝もろくに振れないようなほっそりとした右腕が愛刀の柄に手をかける。そして、呟く。彼のクライマックスを。
「かかって来い、俺がキサマを解放してやるよ!」
男はわざとらしく両手を広げてアピールし、ブリキの体はそこへ吸い寄せられるように傾いた。最期の一歩を―――
「ぐがぁっ!」
台本よりも生々しい悲鳴が半壊した繁華街に響き渡る。
それもそのはず。その悲鳴をくびり獲ったのは、台本にない三人目だったからだ。
「お前のような下賤の血は、彼女の剣に相応しくない」
蒼い稲妻が、男の頭を鷲掴み地面へと叩きつけていた。その無様な姿はまるで、紅い鬼から下される判決を待つ死人のよう。
「かはっ…ハハハッ、もう一歩だったのにな」
「何をもってもう一歩か。鼠が鬼の角を折れるとでも?」
蒼い稲妻改め、蒼い鬼は笑うでもなく憐れむでもなく淡々とした調子で鼠の妄言を塗り潰した。
一方、出番を逸した紅鬼の太陽は沈み、濁った碧眼が期待外れな男を見下す。そして、アンコールもないと知るや愛想なく踵を返し、帰路に就いた。
「くっくっくっ、教えてくれ。俺はどうなる。公開処刑か?それともあの女のオモチャになるのか?」
「我々にその権限があるはずもない。答えが欲しければきり江様に伺え」
蒼鬼は押さえつけていた手を放すと「ついて来い」とだけ男に言い残し、紅鬼の後を追うように盆栽を目指して歩き始めた。
当たり前のように解放され、男は何度も自分の手足に枷がないことを確認する。
「俺を、拘束しないのか?」
「……する必要があるのか?」
振り返る蒼鬼の顔は男の言葉の無意味さを物語っていた。無表情が「力の差」を突き付け、それを理解した者だけが見えない枷の虜囚となる。
男は改めて実感する人間のコミュニケーションの本質に「吐き気がする」と漏らし、ルールに則って蒼鬼の後に続いた。
「あの……ポルミスはどうなるんですか?」
私たちは成り行きで彼女らと同行することになり、健気にも彼を気にかけるモリサは恐る恐る蒼鬼に尋ねていた。蒼鬼は畏まる彼女を一瞥し、一瞬迷った後、曖昧に答えた。
「それは我々の与り知るところではない。すべてはきり江様が決めることだ。……だが、ソイツが余程みっともない命乞いをしない限りあの人は面白がって生かすだろう」
私もそう思う。ママは弱い者いじめは好きでも、獲物らしいリアクションもできない奴を生かしておくほど懐の広い人じゃないから。
それを聞いたポルミスは拘束されてないのをいいことにタバコに火を点け、「ふん、そう遠くない内に俺を殺しておいた方が良かったと後悔する日が来るだろうな」とイキッた。
そんな彼は今、顔に痛々しい痣や切り傷を負い、右足を引きずり、タバコにも咽ている。それでも笑顔だけは絶やさなかった。「計画通りだ」と私たちの困惑を誘うように。
その小細工がましい挑発は、彼を無事に連れて帰りたいモリサに不安を覚えさせ、これ以上問題を起こさないようにとしつこく注意させたが、彼には妹の気遣いを受け入れる気がまるでない。
その様子を横目で見ていた蒼鬼は意外なことに、モリサに肩入れするような忠告を口にした。
「あの人の前ではそんな勝算のない芝居はしないことだ。お前の言う”オモチャ”になりたくなければな」
「そうかそうか、それは恐ろしいな。気をつけておこう」
ポルミスはバカな人間じゃない。ただ、知らないだけなんだ。一般人がするママの噂がどれだけ生易しいものかを。
完全にポルミスの独断専行だったのか。それとも鬼の二人が現れたからか。その後、岬からの襲撃は一切なく、ポルミスの他愛のない強がりとそれを叱りつけるモリサ、宥める私。その遣り取りが延々と繰り返された。
それも当然のことかもしれない。何を隠そう、二人は唯一製造されたヘラクレスちゃんの同型機。彼女たちの「最強」はかつてのヘラクレスちゃんには及ばないものの、間違いなくママに次ぐ実力者。まさに最強の魔除けなのだから。
……それにしても、さっきの紅鬼の目。アンドロイドの目の輝きはマタタビの燃焼反応、その明暗でエネルギーの残量を表すだけのはずなのに、碧色以外の発色を示すなんて聞いたことがない。
もしかすると、それが彼女たちを最強たらしめる原因なのか。それとも何か他の秘密があるのか。
けれども私は予感ちゃんの「触らぬ神に祟りなし」という忠告に従って口を噤み、今晩の献立で余計な考え事を頭から追い出すことにした。
そうして盆栽に着くと、蒼鬼たちは「我々はこの男をきり江様の下へ届けに行く。お前たちは声がかかるまで館内で待機していてくれ」そう言い残し、反逆鼠を引き連れてさっさとエレベーターに乗り込んでいった。
ゆっくりと閉まる扉の向こうに、あの子の笑顔で手を振る姿が見え、私はそれにソッと応えた。
※大山鳴動して鼠一匹
事前の騒ぎばかりが大きくて、結果がともなわないこと。




