其の肆
翌日、舞台美術の徳三と一緒に再びホームを訪れた。
徳三に舞台を見せて芝居の下準備を頼んだ。ベニアや紙に背景を描く『書割』の技術で徳三は芝居の世界で一目置かれ、『書き徳』と呼ばれている。
「この舞台の広さじゃ大したことは出来ないな。簡単な書き割り程度を作るからあとは役者次第だな」
それでも芝居だけなら三十分が限界だろうとトオルも思った。いま温泉町に来ているメンバーでは難しい芝居をするのは無理だし、自分も踊るつもりはない。役者たちに芝居の裏話でもしてもらって時間を持たせることにした。一緒に来ている三人にはすでに慰問のことは頼んで了解を取っている。
「あと徳さん、見てもらいたいものがあるんだ」
トオルは徳三をホームの庭へと連れ出して大きな楠の所へ行った。
「もしこの木で首を吊るとしたら徳さんならどうする?」
「お、お、俺が首を括って死ぬのか?」
「例えばだよ」
首のあたりを押さえて徳三が楠の枝ぶりを確認している。
「それもね、自分で首を吊るんじゃなくて、誰かを吊り上げるとしたら?」
「おいおい、物騒なこと言うなあ」
「結構体重のある人だとして、滑車を使ったらどうかな?」
「そうだな三つあれば体重の三分の一の力で引き上げられるだろうな。舞台でも良く使う手だ」
「それでね、吊り上げられた人間が死なない方法ってないかなあ?」
徳三もトオルの推理劇のようなものに何度か付き合わされている。また何か考えていることはわかった。
「まあ無いこともないが、いま持って来ている道具じゃどうしようもないな。取りに行ってる時間はないんだろう?」
「うん、なんとかならないかな。あとね、警官の服装も用意して欲しいんだ」
徳三は何も答えずに考え込んでいる。
「どうかなあ、徳さん?」
「まったく親父さん以上に厄介な奴だな。俺の昔の手下でいまテレビ局の美術をやっている奴がいるんだ。あいつなら揃えられるだろうけど、一体何に使うつもりだ。ばれたら大変なことになるぞ」
「でも揃えて欲しいんだ」
「まあボンに頼まれたらしょうがねえな。今日のうのうちに行ってくるよ」
「お願い」
徳三はトオルの父親である先代雪之丞に一方ならず世話になっていた。その息子の頼みなのだから聞く他はない。徳三はホームから帰るとすぐに東京までの新幹線に飛び乗った。
夕方、ホテルにウマが戻って来た。
「どうだった、ウマさんわかった?」
「ああ一応な。まず榛澤と言う爺さんは植木のレンタルで会社をでかくした元は鳶だ。波間田というのは結構有名な動物写真家だったよ」
「それって、紳士録とかいうのでわかったの?」
「まあな。あとホームの経営をしている会社は元々ここで観光関係の仕事をしている会社だったよ。ホームを始めたのは五年前、社会的な地位と評価が欲しかったんだろうけど評判はあんまり良くないな」
「良くない?」
「ああ、湾内観光の船とか釣り船の手配とかもしている会社だけど、地元にある同じような会社といつも揉めてるそうだ。永田という社長がホームの館長もしていて、金に汚い奴で、良く言う人間はいなかったな」
「あと働いている人たちは」
「まず近田という介護士だけど、介護の先進国のスウェーデンに留学した経験もあるそうだ。将来を期待されていて、とてもいまのホームで働くような人材ではないらしいよ。あと介護士の美帆は元々は永田の会社の観光部門の事務員だったそうだ」
「それが何故介護の仕事に付いたの?」
「知らないよ。ただな、あの娘と小学校から高校まで一緒だったという女事務員から聞いたんだが、彼女は三回姓が変わっているんだ。まず初めが高橋、両親が離婚して母親の姓の清水に戻り、その後母親が再婚して竹内になったんだ。どうだこの程度で大丈夫か?」
「うん、ありがとう。でもさ、ホームの事はどうやって調べたの?」
「いや、お袋を入居させたいからスタッフのこととかを聞きに来たと言ったら、上等なお茶にカステラまで出てきたよ。この辺りは有料の老人ホームも増えて客の奪い合いらしい。聞けば何でも話してくれたから楽なもんだった」
ウマは簡単だったと言うが、調べ物にはセンスが必要だ。
その夜東京から戻った徳三を交えて翌日のホームでの舞台の打合せが行われた。芝居の名場面だけをピックアップして、あとは舞台のミニ知識や裏話をすることに決めた。
「お嬢吉三、切られ与三郎、石川五右衛門あたりかな?」
役者の中で一番年嵩の新左が言う。今回来ている役者のリーダー的な男だ。
「そうですね、あとは芝居の裏話は、徳さんが夜中に二十人分の草履の入った風呂敷包を担いでいて警察に捕まったとか……」
トオルとあまり年齢の変わらない新吉が言う。
「よせやい」
徳三が新吉の頭をひっぱたいた。
「声色の実演とか、仕掛けだと戸板返しか」
三人の中で一番大柄の新悟がぎょろりと目をむきながら不気味な顔を作った。
「戸板返しって何ですか?」
おりんが聞いた。
「そうか、お前が来てからまだやったことがなかったかもな。四谷怪談で戸板の裏表に役者がいて、幽霊に変わったりするんだ」
「それって忍者屋敷の壁の仕掛けのようなものですか?」
「まあな、似たようなもんだ」
それぞれに事情があって一座に転がり込んだ男たちだったが、元はと言えば人の良さが災いとなって身の振り方を間違えただけだ。年寄りを喜ばせたいという点で純粋に一生懸命になっている、気の良い連中だ。
翌日の昼、一座のホームでの公演がささやかに行われた。トオルもまた切られ役で参加した。芝居を初めて見るという入居者が多く、懐かしがるより驚いてばかりだった。役者たちも村の公民館よりさらに近い距離での芝居に結構緊張していた。
一座が帰るとき、美帆と近田が見送りに出た。
「ありがとうございました。うちのお年寄りたちに必要なのは刺激です。その意味でも本当に意義がありました」
近田が笑顔で礼を言う。こんなにも人懐っこい笑顔の作れる人間とは思っていなかったので、トオルには近田の子どものような笑顔が意外だった。
「本当にありがとうございました。いつも慰問は無理に見せられている感じがあるのに、今日は皆さん本当に喜んでいました。私からもお礼を申し上げます」
美帆が心底嬉しそうに言う。二人の介護士の老人たちへの思いが伝わって来た。
昨日が宿直だった近田はこれから帰って寝るが、ぐっすり寝られると笑ってみせた。自然の笑顔もまた魅力的で、とても老人たちを怒鳴り飛ばしていた男とは思えない。
ホテルでのいつもの舞台を終えた役者たちの顔に安堵の色が浮かんでいる。
「ああ、明日は休みだ。二週間ぶりだもんな。新悟、どうだ箱根の温泉に行かないか?」
新左が新悟に水を向けた。新悟は三人の中で一番体格が良く、力の必要な役が専門の役者だ。
「なんで、休みの日にまた温泉ですか?」
「ここはここ、箱根は箱根。温泉の質が違うんだ」
新左が知ったような顔を作る。
「新左兄さん、女の子と一緒に水着で入る温泉でしょう?」
一番年下の新吉が寝転んでテレビを見たまま言う。小柄で線が細く、女形の役が多い。小憎らしい話振りの新吉に新左が馬乗りになった。
「皆さま、お願いがございます」
トオルが突然畳に手を付いた。
「明日のお休みを何卒私めにくださいますようお願いいたします」
「ええ、そち、今なんと申した?」
「はい、皆さまの大切なお休みを私めにくださいと申し上げました」
「ええい、ならぬ、ならぬ。待ちに待った、それこそ鶴よりも首が長ごうなるほど待った休日なるぞ。おいそれと渡してなるものか。なあ、皆の者」
「しかし新左様、他ならぬボンの願いとあれば、簡単に断るわけにもまいりません」
「そうでございます。思えば物心ついてから共に育った仲ではございませぬか。それを断ってはそれこそ犬畜生にも劣るというもの。ここはひとつアチキの顔に免じて、どうぞお話だけでも聞いて上げてくださいませ」
「ううん、左様か」
「かたじけのうございます」
トオルたちが暇なときにやる芝居ごっこだ。舞台で台詞につまったときに案外役立つこともある。同時に頼みごとをする時の約束のようにもなっていた。
「でね、明日もう一日付き合ってほしいんだけど、兄さんたちお願い」
「なんだよ、まだなんかやるのか」
新左が面倒臭そうな表情を作りながら言ったが、目には優しい光があった。トオルは自分が考えていることを話し、手伝ってくれるように頼んだ。




