其の参
その夜、トオルとウマはホテルのロビーにいた。缶ビールから噴き出た泡と目を白黒させながら格闘しているウマを見て、相談することを少しためらったが、それでもトオルはウマに自分が考えていることを話してみることにした。何より自分自身の推理を整理する必要があると考えたからだ。
「あのね、ウマさん、今日行って、何か気が付かなかった?」
「何かって何だ?」
「あのね、まず携帯電話だけどさ、山本敏江さんいたでしょ、あの人の短縮番号が変なんだ」
「変?」
「そう、山本さんだけじゃなくて、あのサトちゃんというおばあさんの短縮も変更されてたんだ。ホームではワンタッチの一番に施設の電話番号を入れて渡してるんだって」
「良くわからん」
ウマは携帯電話を持っていない。旅芝居に身を置くようになってから必要のないものなのだ。
「普通はスターを押してから番号を押すんだけど、あそこの携帯は年寄り用で別にボタンが三つあるんだ」
「スター?何だ?」
「米のようなマークのこと。それを押してから番号を押すのが普通の短縮。それ以外に押すだけでかかるのがワンタッチ。サトちゃんの電話の一番は山本敏江さん、二番は榛澤有三さん、三番は話はできなかったけど波間田淳一さんに繋がったんだ」
「誰かが入れ替えたってことか?でも年寄りには難しいだろう?」
「だけどね、サトちゃんの電話は一番が〈トシエ〉ってなってて、あとのふたりは〈サン〉付けになってたんだ。普通に考えると自分には〈サン〉を付けないでしょう?」
「すると、山本ってあのばあさんか入れ直したってことか?ふぅぅん、あのばあさんなら出来るかもな。死んだ亭主が映画監督だって言っただろう。あの監督はシナリオも描いたけど実は女房が書いているんじゃないかって言われていたんだ。あのばあさんは石田多美というペンネームの小説家だったんだ」
「へえ、そうなんだ。でも介護士の人が、四人が特別に仲が良い訳ではないって言ってたでしょ。でも何かやろうとしているんじゃないかと思えて仕方がないんだ」
長い人生経験を持つ人間が暮らす限られた空間には常識では測れないものがあるとトオルは感じていた。
「全くお前はどうしていつもそうなんだ?つまんねえことばかり気にする奴だな」
トオルが行く先々で事件に出会う星の元に生まれていることはウマも知っている。
「しょうがないでしょ、気になるんだから。それでね……」
「わかってるよ。何か調べて来いってことだろ?」
新聞記者時代に培ったウマの調査能力は確かだ。
「うん、まず榛澤さんと波間田さんの経歴」
「それはすぐにわかると思うぞ」
ウマが事もなげに言う。
「どうして?」
「あそこのホームに入るだけの金を持っていたんだろ、それなりの地位にいたと思うぞ。個人情報の保護とかで今はだいぶうるさくなったけど、『紳士録』ってのがあってな、政財界なんかの主要人物の生い立ちや家族構成、あと住所や電話まで載せた本があるんだ。本というよりは事典かな。それを見ればすぐわかるだろう。どうだ、たまには自分で調べてみろよ」
「へえ、そうなんだ。それでね、あとあの竹内美帆っていう介護士さんのことも知りたいんだ」
「どうした、あの娘に惚れたか?」
「うん、そう、って馬鹿なこと言わないでよ。ほらあの小さな体で介護士になったのがまず不思議なんだ。介護士さんってみんないい体格してるじゃない、力仕事だから」
「それはそれで偉いじゃないか」
「そうなんだけど、ウマさん、長袖を着ていたおばあさんがいたのに気づいた?」
「ああ、夏なのに長袖と長いスカートのばあさんだろう」
「ねえ、おかしいよね。半袖を着られない理由があったのかな」
「虫にでも喰われたんだろう。でなければ、よほどの寒がりだとかさ」
「そうかも知れないけど。でもあのおばあさんと美帆さんってどこかに似ていると思わなかった?」
「おまえ、一体何を考えているんだ?」
ウマはトオルの顔を覗き込むようにしてから、
「いいや、もう言うな。また何かやらかそうっていうんだな。頼まれたことは調べてやるよ」
「それとウマさん、あの施設の人たち、たとえば館長とかあの近田という介護士とか、あと入居している人たちの事とかも調べてきてくれない?」
「まあいいけど」
トオルはホームの受付から持って来たパンフレットをウマに手渡した。入居者募集のパンフレットだが、老人でなくても入居したくなる世界一周クルーズの案内のような豪華なものだ。あとはウマに任せるしかなかった。
ウマがつまみ用に買ってきたピーナッツのビニール袋を歯で開けようとして顔をしかめた。
「いけねえ、とうとう歯まできたか」
考えてから言葉にするという機能がウマの脳にはないらしい。これで本当に新聞記者だったのかと思ってしまうことがある。
「あとさ、あのホームで芝居がしたいんだ。慰問ってやつ。どうだろう、みんな協力してくれるかなあ」
「ああ、お前が頼めば嫌とは言えないだろうな」
トオルにはひとつ大きな不安があった。もし敏江たちがしようとしていることが最悪の結果をもたらすものだとして、それが今夜実行されたら自分の心配など全く無駄になるのだ。効果があるかどうか自信は無かったがホームに電話を入れた。電話には介護士の近田が出た。体格からは想像できない甲高い声をしているのですぐにわかった。
「昼に伺った橘です。あのあと連れと話をしたんですが、どうしても皆さんに芝居を観てもらいたいということになりまして、もしよろしければ伺いたいと思っているのですが」
「それはもう皆さん喜ぶと思います」
「でもかえってご迷惑ではないかと。そうですねあの山本さんたちに聞いてみていただけませんか?」
「大丈夫ですよ、皆さん絶対に喜びますよ」
昼に見た、老人たち相手の横柄で乱暴な物言いからは一変した、優しさに溢れた近田の口調だ。
トオルは、山本たちに芝居が観たいかどうか聞いて欲しいと、近田に再度頼んだ。最悪のシナリオが回避できるかどうかはわからないが、もし芝居を楽しみにしてくれるなら計画は芝居を観るまで実行されないだろうということに期待したのだ。そのためには自分たちが慰問に来ることを今の時点で知らせる必要があると考えたのだ。
「あとでまた電話します。もし観ていただけるなら明日打合せに伺いますから」
できるだけ時間が欲しかった。二度目の電話で近田は、いろいろ慰問に来たが芝居は初めてだと言い、皆も楽しみにしているとトオルの方が心配になってしまうほどの喜びようだった。




