第十話 新たな力
水の中にいる。視界の上には青い光。視界の下には赤い光。
ふわふわと、沈むでもなく浮くでもなく。
漂う俺に、何かが近づいてくる。赤い小さな光だ。
それはしばらく、俺に引き寄せられるようにくるくると。だんだん形が変わっていくその光は。小さな羽をはやして。
近づいて……胸にふれて、溶け込むように消えていく。
……。
「がはっ」
「提督! しっかりしてください! 提督!」
「くっ……どこまで持っていかれるの~」
「泣き言言うんじゃねえキッカ! 搾り出せ!」
胸の激痛で目が覚める。視界が定まらない。大量の冷や汗をかいているような不快感。
やけに狭い視界だ。誰かの声がする。喉が痛い。手足の感覚がない。イオ、怒っているのか? ランス、お前もそんな顔をするんだな。キッカ、辛そうだ。ニーナ……泣かないでくれ。
従者たちの顔を認識した直後、また俺の意識は暗転した。
「ん?……ここは?」
目が覚めると、慣れてきた艦長室のベッドだった。体を起こそうとするが、だるさからなのか動けない。左脇腹になにかが押し付けられているかのような重さを感じる。苦労して少しだけ頭を持ち上げると、視界に黒い頭が見えた。……これはイオか。記憶がだんだん鮮明になってくる。俺はどうなったんだ?
「むにゃあ……てーとくぅ……もぐもぐ」
「俺は夢で食べられてるのかよ……。あーあー、木綿かこれ? べちょべちょじゃないか。おいイオ、起きてくれ」
「ふへへへ……てーとくがいっぱいだぁ……」
「どういう夢なんだ……? まあいい、オフィサー、ニーナたちを呼んでくれるか?」
返事がない。まさかオフィサーはあのときに壊れてしまったのだろうか。
どうやら汗をかいたために服は脱がされていたようだ。恥ずかしいが仕方がないな。
少し暗澹な気分で過ごしていたが、すぐに艦長室の入り口からニーナが入ってきた。
「提督、お加減はどうですか?」
「体がうまく動かせないんだ。俺はどうなっていた?」
「あら、イオったら……。報告の前に、提督、水はいかがですか?」
ニーナはイオを軽々と抱え、執務机の背もたれのある椅子に座らせてからそう言った。
言われてみればひどく喉が渇いている。
「貰えるかい? ……なんだか少し前にもこんなことがあったな」
「ふふ、そうですね。……では体を起こしたほうがよろしいでしょう。失礼しますね」
ベッドの頭側に回り込んだニーナは俺の両脇に手を差し込んで引っ張りあげる。ベッドに座り込む形になった。ニーナからかすかに女性のいい香りがすることに少しドキドキしてしまう。
「……もう一度汗を拭いたほうがよろしいですね。少々お待ちください」
兵員室の空いているベッドからシーツや木綿のような素材の掛け布団を都合してきているらしい。細かいことに使える布がないので代用したそうだ。タオルや雑巾、包帯なんかにも使える布も港に着いたら買い込んだほうがいいだろうな……。ん? もう一度?
「さあ提督、拭きますよ」
にっこりと笑いなら迫ってくるニーナに下は自分でやるから、と説得するはめになった。医療行為だから、一度はやっているのだからなんて言われても、譲れないものはあるのだ。……意識がないときのはノーカン! ノーカンだから!
体を拭いた後に、下着の替えがないので今体にかけている掛け布団とは別のもう一枚をもらい肩から巻き付けた。少し恥ずかしいが仕方がない。後でシャツや下着は洗っておいてくれるらしい。水をだして貰い、少し落ち着いたところで状況の確認にはいる。
「まずは、あれからどれくらい時間が経ったんだ?」
「丸二日というところです」
「二日も寝ていたのか」
「はい。提督がおられなければ、ガラエキアに到着してからの交渉もままなりませんので、艦は制御の回復後にその場で固定しています」
「なるほど……それで、何があったんだ?」
「推測になりますが。提督の体には、正体不明の濃密な魔力が入り込んでなんらかの器官、あるいは回路を構築した……と思われます」
「……何らかの器官? 回路?」
「はい。これまで魔力を感じなかった提督の体から魔力を感じるようになっています。そのため仮定の話ですが、あの赤い魔力が提督の体になんらかの異変を惹き起こしたのではないかと……。提督、違和感などはございませんか?
「だるさは強いけど違和感は……ないな。ん? 俺に魔力だって?」
「はい。いまの提督であれば、もしかしたら魔法が使えるかもしれません」
魔法が使えるかもしれないと聞いて早速試してみるが、相変わらず水も火も出せなかった。
「ん~? やっぱり出ないな」
「わずかに魔力が動いていますよ。練習すればいつかきっと提督も魔法が使えるようになるのではないでしょうか」
「魔力を動かす……? どんな感じでやればいいんだ?」
「私たちは最初から出来ていましたので、説明は難しいのですが……。胸の辺りから腕を経由して手の先へ、一本の線が伸びるように魔力を伸ばすと意識している、というのが近いでしょうか」
「胸から、ねえ……。まあ、いまはそれはまず置いておこう。俺はあのあとどうなった?」
「はい。あの時提督に集まってきた魔力は、しばらく経ってから拡散しました。その場で提督は意識を失われましたのでこちらに運び込み、治療を試みました」
「ということは、危なかったのか?」
「はい。魔力による衝撃と体内の異変により、提督から生命力が溶け出しているようでした。おそらくは肉体が造りかえられたことによる急激な消耗だったのでしょう。そこで私たち従者の魔力を回復魔法で注ぐことによって、生命力を補完し押し留めました」
生命力とか魔力とかの話はよく実感できないが、命の危機にあったということだけは理解できた。……怖いな。意識を失っている間にそのまま死んでいたかもしれないのか。
「また助けてもらったみたいだな。ありがとう」
「はい。提督が持ちなおされて本当に良かったです。……しかし私たちは当然のことをしたまでです」
「ぼんやりと、君たちが囲んでいるところを覚えている。そうか、あのときか……皆にも感謝しないとな」
「ええ、直接褒めてあげてください。喜びますよ」
「そうしよう。……君たちには、返さなきゃいけない借りばかりが増えていくな」
「借りなどと、そのようなことは仰らないで下さい。私たちは提督のお役に立てることこそが喜びなのですから」
「……ああ。本当にありがとう」
微笑む彼女と目を合わせたまま、会話が途切れる。彼女の視線には安堵と敬愛があった。そのすみれ色の瞳には、俺がどう見えているのだろうか。
「もういいかぁ?」
「うわああああ」
「ひゃああああ」
「イオ、いたのか!?」
「ふひひひ、抜き足差し足ってね! ずっと部屋にはいたんだぜ~?」
ケツが浮いたじゃないか! さっきまでとは違う意味で汗が出てきた。ニーナを窺うと顔が赤い。
「や~そのまま見てても面白そうとは思ったんだけどさ~。紹介しなきゃいけない奴もいるだろ~ニーナ」
「面白そうってなぁ……いや、紹介だと?」
「コホン! ……そうでしたね。ニケ! ご挨拶を」
『提督、ご紹介に預かりました。ニケと申します』
「この声は……オフィサーか?」
『はい、いいえ提督。艦の制御AIであったワタシは提督による命名の成立により、識別名ニケとして自我を獲得いたしました。今後はニケとお呼びください』
どういうことだ。命名? 成立? 何が起こった?
いや、俺は似たようなことを一度経験した。ゲームが現実になったあのとき。いや、この世界に来てしまったあのときだ。あの光に包まれたあとで、NPCだったはずの従者たちは肉体と自我を得た。オフィサーにも遅れてそれが起こった……のか?
「……すまないが、オフィサー、いや、ニケ。俺には君に何が起こったのか理解できない。……命名しただけでなぜそんなことがおきた?」
『はい。おそらくは当艦……いえ、艦の制御AIでありもともと従者とも異なる存在であったワタシは、アニムス・システムとして曖昧な状態で現出したため、召喚魔法の全工程が終了していなかったのではないかと推測します』
「提督。私からも補足を。提督とオフィサー、そしてこの艦に起こった事象を私たちで分析しました。その推論として、召喚魔法そのものが我々の知るゲームのものとは異なる可能性があります。その最終工程では命名することで召喚者と被召喚物を結びつける工程があったのではないかという見解が立てられました」
「召喚魔法、か」
MPOというゲームでは、召喚魔法はプレイヤーと共に戦う魔獣や妖精などを呼びだす魔法だった。戦闘に連れて行ける従者の枠が決まっていたために、その枠の縛りを超えて手数を増やしたり補助をさせることが出来る召喚魔法は、ビギナーから上級者まで使いやすい魔法だった。
ただ、MPOでは召喚した存在に名前をつけることは出来なかった。呼び出す魔獣や妖精は、個別に定められた時間の経過でどこかに還っていってしまうもので、召喚獣に名前をつけるようなことはなかった。そのあたりの相違が召喚魔法が途中で止まっていたことに関係するのかもしれない。
命名に意味があるということは、ゲームの魔法ではなくやはりこちらの世界の魔法なのだろう。
「最終工程というけど俺は召喚魔法なんて使えなかったし、使った憶えもないぞ?」
『はい。記録されているデータの中には、艦に対して変化を及ぼすような魔法が行使された痕跡はありません。したがって提督が行使した魔法ではなく、こちらの世界に現出したときにはすでに魔法の待機状態にあったと思われます』
「……ということは、俺たちは召喚された? そして俺たちをこの世界に呼んだ何者かは、そのニケの待機状態とやらを作り出していた……?」
「よくわかんねーけどそういうことになるんじゃねーか?」
「うーん……謎ばかりが増えるな。そうだ、オ……ニケ。魔法だって言うんなら魔力が使われたんじゃないか? その魔力は、どこから来たものなんだ」
『ワタシは提督の名付けの直後にシャットダウンしておりましたので、観測ができませんでした。申し訳ありません』
「ああ、それならいいんだ。気にするな。申し訳ないって……本当に自我があるんだな」
一つ大きな疑問がある。召喚魔法だとしたら、なぜその魔法を行使したものがオフィサーに名前をつけなかったのだろうか? ……これはなぜ俺が呼ばれたのか、という疑問にも関わってくる。そもそも召喚したものを制御下におかず、自由にさせていることもおかしいのだ。その理由は何だろうか。
……それとも、俺たちを呼び出したものになにかをさせられることになるのだろうか。
「ニーナたちの推測の通りだとすると、ますます召喚魔法の重要性が高くなったな」
「はい。ガラエキアに召喚魔法の情報があればよいのですが」
「情報収集では優先度を高くしよう。場合によっては、召喚魔法についてなんとかガラエキア国の協力を得られる方向に持っていきたい」
「はい」
「りょーかい」
「……ところで、ニケは自我があるってことだけど、なにか変わったことがあるのか?」
『はい。まず一つ目なのですが、これまでと違い大まかな方針を指示していただければ艦の自立行動が可能になりました』
「……それはすごい、よな?」
「提督、これまで私たちが陸上で活動するときには、艦を守る必要から、どうしても何人かを艦に残さざるを得ませんでした。しかしこれからは、ニケが艦の安全を自力で確保する行動をとれます。そのおかげで我々従者は艦を離れて全員で提督と行動を共にすることが可能になるかと思います」
「……それはすごく助かるな」
歓迎されていたアゾット島でさえも、艦から離れるのには不安があった。宴会に呼ばれても従者たちに交互に艦に残ってもらったくらいだ。俺たちは法によって国に保護される身分を持たない。身の安全と自由を守るための力を、その大きな源泉であるこの艦を奪われるということを恐れ、避けなければならなかった。
これからは陸上の探索をする場合、ニケには海上で待機してもらうということも可能になるだろう。そうすれば盗まれるとか、力づくで艦を持って行かれるという心配はしなくてよくなる。もしもどこかに潜入する、なんて事態が起こった場合には、陽動や支援をお願いすることも出来てしまうのかもしれない。自立して判断が出来るということは、飛躍的に任せられることが増えるということなのだ。
『二つ目です。私も魔法が使えるようになりました』
「え……!?」
『正確に申し上げるならば、ある種の攻撃魔法が使用可能となりました。これまでも防御フィールドという形で魔力による障壁を展開していました。その一定空間に障壁を固定する工程をあえて無視することで、魔力に指向性を持たせ、攻撃能力を持たせることが可能となったのです。ただし射程は大砲よりも短く、大砲よりもある程度連射が出来ます。しかし連射し続けると魔力の消耗が激しいために、戦闘が長引くなど魔力バッテリーの使用状況によっては艦の魔力が払底する危険があります』
「魔法を解析して応用しただって……?」
『はい提督。これがワタシの攻撃魔法の予測データです。副官ニーナの承諾を得て最低出力で試射を実施いたしました。便宜的に魔力砲と仮称しています』
「……なんだか驚き疲れてきた」
コンソール画面に魔力砲のスペックが表示される。斜め上空から艦のシルエットを俯瞰する画面には、有効射程は大砲の半分だが海上の全方位を射界に収める攻撃範囲が表示されている。
「これは……もしかして上空もカバーできるということか?」
『肯定します』
それは使えそうだ。これまでの艦にあった攻撃方法では、大砲の射角が上空をカバーできない関係上、艦の直上方向を攻撃できるのは従者かプレイヤーの魔法しかなかったからだ。空を飛ぶ大型レイドモンスターは、大抵の場合相手のほうが海上の味方艦よりもスピードが速かった。上空から急降下してくると対応できる武装がないために、タイミングを見て俺と従者の魔法で迎撃するか、あえて攻撃を受けてその瞬間に魔法を撃つしかなかった。そのため討伐ともなると多数の艦艇を薄く広い陣形で配置し、射程の長い大砲で擬似的に対空射撃のような範囲攻撃を設定して、近寄ってくる敵をその範囲内に捕らえて攻撃を加え、よろめいたところにうまく集中攻撃を指令するなどという難度の高い戦術を取らざるをえなかった事もある。あのときは艦隊メンバーの練度……俺の指示に攻撃を合わせてくれる技術の高さにかなり助けられたっけ。飛行機が船に対してはめっぽう強いってことを身を持って知ることになったなぁ……。
「威力はどうなんだ?」
『元の魔法が防御フィールドであり、構築した壁をそのまま飛ばすような形ですので貫通力のある大砲よりも威力は劣ります。ただしその分連射性能では大きく勝っています』
コンソール上のシミュレーションモデルでは、上空の目標に向けて短い間隔で丸く薄い壁を射出する図が示されている。射撃感覚は三秒に一発か。十分に速い。大砲は装填に一分はかかるし、従者の極大魔法は一発撃つとクールタイムは三分もあったのだ。
これで艦の武装は四つになった。海上の水平方向に射程が長く、威力が高い大砲。従者を基点としなければならず、射程は大砲の三分の一以下、射界もそれほど取れなくて扱いが難しいが威力の高い極大魔法。射程は大砲の半分だが上空を含む全周をカバーし、連射も出来るが威力は低い魔力砲。そして水中用の魔導爆雷。これで魚雷でもあれば、この艦はほぼ無敵になれたのではないだろうか。
「提督なんか悪だくみしてるだろー」
「ん? ああ、顔に出てたか?」
「ふふ、楽しそうでしたよ」
「話の途中にすまなかったな。新しい武器や魔法でなにが出来るのか考えてしまうのは、ゲーマーとしての……いや、ゲームの頃からの楽しみの一つでね」
『提督のお役に立てるのなら嬉しいです』
「ああ、すごいぞニケ。こんなことが出来るようになるなんて思わなかった。これからも頼りにさせてくれ」
『光栄です』
「むむ、あたしらだって新しい魔法使ってただろ提督! 褒めてよー」
「ええ!? ああ……そういえばあの魚を魔法で切ったり焼いてたりしたのはそうだったのか?」
「そうだぜー。えむぴーおー? だとぶっ放すばっかりだったみたいけどこっちにきてから色々できるようになったんだぜー」
「おお、そうなのか、えらいえらい」
手を伸ばして頭を撫でてやると心地よさげにしている。おお、尻尾がゆれとるゆれとる。
「ふふっ。良かったわねイオ。提督、先だって注目している召喚魔法だけではなく、我々の扱う属性魔法にも異なる世界の魔法体系を習得できる可能性があります。より能力を向上させるために、それらの魔法全般に対する調査を行ってもよろしいですか?」
「ああ、もちろんかまわないさ。ニーナたちがやりたことができたなら、どんどん試してくれて構わないよ。言ってくれれば俺も最大限協力するからさ。……と言っても俺に出来ることはスケジュールに都合をつけるくらいかな?」
「ありがとうございます提督。私たちはもっとお役に立てるように頑張りますね」
「……ああ。その気持ちは俺も嬉しいよ……ふぁーあ」
「ああ、申し訳ありません提督、長話をしてしまいました。艦はわたしたちとニケにお任せくだされば大丈夫です。いまはごゆっくりと体調を整えてください」
「ん、ああ、すまないな。それじゃあもう少し、休ませて貰うよ。何かあったら起こしてくれ……」
「はい。おやすみなさい、提督……」
睡魔に意識が落ちる前に、目を瞑ったまま断片的で細切れな思考がいくつか頭をよぎる。異なる世界の、体系の異なる魔法であるがゆえの新たな可能性。ニケのさらなる性能の向上の可能性。出来ることが増える。……従者の彼女たちに開ける未来の可能性。魔法の使えなかった俺には、あまり可能性はないだろう。あの子達の可能性は、伸ばしてあげたい……。
そんな考えをとりとめもなく考えているうちに、いつしか眠りに落ちていた。




