本屋さんのトリック
トリックオアトリート。
問題はトリートで解決すべきというのが人魚姫の魔女、本屋読子の教示である。
だがときにはトリックを使わざるをえない。
今回はそんなお悩みの話である。
「───というわけで、なんとかならないかな」
この日、読子を訪ねてきたのは作家仲間の芙蓉くれはという女性である。ノガミ大学の生徒ではなく、以前からの読子の知人である。
彼女の相談は悪い男を懲らしめる方法だった。
「口で言ってもどうにもならなそうね。その男は叱ったところで辞めるわけが無いし、騙されている子達も痛い目を見るまで聞かないだろうし」
今回問題になっているのは真島という男だった。
年齢は自称二十三歳、アラサーがメインなくれはらのコミュニティでは一回り若い。
くれははいわゆる同人作家で、彼女の作家仲間は同年代……アラサー女子が殆どである。
男性経験が少ない子も多いのだが、そんな中に飛び込んできたのがこの真島だった。
「仲間に入れてもらえませんか?」
最初は下手な態度でくれはらも善人だと思っていた。
彼は絵も話を考えるのも不得手だが、とにかくくれはらが描いた同人誌をベタ褒めしていた。
そして彼にはある武器がある。
「キミの描いた漫画、とても面白かったよ。キミの家で他のも読ませてくれないかな?」
歯が浮くようなお世辞をアニメキャラのような綺麗な声で口にするのだ。
彼の存在でくれはらは同人音声や同人ゲームに手を出せたので、その点で感謝しているのは間違いない。
特別イケメンではないが顔つきも悪くはなく、しかも童顔のため、くれはらにとっては可愛い年下と受け取られていた。
何度かお泊まりさせているうちにいい雰囲気になり、彼に体を任せた仲間も多かった。
だが最初はみなそれを自分と彼だけの関係だと思っていた。まさか他の女にも同じことをしていたとは夢にも見ない。
「あれ……真島くん、もう帰ったの?」
いわゆる朝チュンから目覚めた彼女たちの一部は気づく。気持ちがいいことをして気絶していると、決まって家の中のモノが消えていることに。
真島の正体は腐女子狙いのスケコマシだったのだ。しかもこそ泥も兼ねていて意地が悪い。
無くなったモノも財布の中の札が数枚とか、中古市場で価値がある同人誌が数冊など一人一人の被害額は小さい。それに彼に問いただしてもとぼけるばかりで、まだ彼の本性を見ていない子を使って逃げてしまう。
彼の本性を知っているのはくれはを含めて四人ほど、コミュニティの仲間は十人以上残っており、真島の毒牙にかかっている独り身はあと八人はいるため、くれははこれ以上の被害を止めたいと思っていた。
「こうなったら力尽くでなんとかしないとダメね。ねえ、くれは……なんとかしてその男をここに連れてきてくれないかしら」
「直接会って何かするのね? だったらどこかで待ち合わせすればいいじゃない」
「私がここを出られないのは知っているでしょう」
「あ……そうだったね」
くれはは読子の事情を全て知っているわけでは無いが、読子が人魚書店を継いで引きこもりになったことは知っている。
そして彼女の引きこもりが彼女自身の意志でもどうしようにもならないファンタジーなモノであることも。
「了解。アイツを連れてくるから、この一件、任せるよ」
「仕切らせてもらいます」
数日後、くれはは真島を連れて人魚書店を訪れた。
事情も知らずに付き添う真島の肌は心なしか潤っており、今朝合流して早々に、くれははまた誰かと寝たばかりだなと察していた。
「はじめまして。ええと……本屋さんでしたっけか」
「こちらこそはじめまして、真島さん。聞いてはいましたが、本当にアニメみたいな声ですね」
今回はくれはから話を聞いた読子が是非会いたいと頼み込んだ結果というセッティングになっている。真島は頼子を見て「この女も男慣れしていなくてチョロそうだ」と心の中で舌なめずりをしていた。
だが読子にはそんな彼の心の中など百も承知である。
読子は手はず通り、くれはを店内に待たせて真島のみを奥の座敷に上げた。
「ちょっとくれはには席を外してもらったわ。アナタと二人っきりで話したいことがあって」
「なんでしょうか」
まさかこのまま盛りだして俺を押し倒すんじゃ無いだろうな? と、真島は期待に股間を膨らませた。
「話に聞いていたとおり良い声をしているけれど、声のお仕事には興味ないのかしら? くれは達との同人じゃなくて、プロとしては」
「僕くらいの実力ならいくらでもいますよ。養成所に入りなおそうにもお金も無いし、お仕事なんて無理ですって」
真島の言うように彼程度の声を持つ声優志望者は多い。実際、真島も過去を辿れば養成所の元生徒である。
だが彼は今やっている詐欺まがいのスケコマシを始めてから声の道を諦めていた。むしろ学んだことを悪事に使って私腹を肥やしているとも言える。
「そうですか。でも、もしもですよ……チャンスさえあれば一躍スター声優になれるって思ってたりしていないかなと」
「それは……」
読子のいう妄言は事実である。
若手の注目株と言われるとある声優は真島とはかつて養成所のライバルだった男で、真島は自分の中では彼よりも上だと思っていた、
だが現実は残酷だというべきか、才能に頼った演技しかできない真島を世間は認めなかった。
それは周囲の成功者たちとの努力の差がそのまま影響していることも大きな要因なのだが、真島は俺を認めない世間や養成所が悪いしか思っていなかった。
真島は性格が悪いのだ。
スケコマシとして腐女子達と寝たことも、彼女らから小銭を盗んだことも、そのどちらも正当な対価だと思っているほどに彼は歪んでいた。
「私は一部では魔女だなんて言われていまして……その力を使えば取ってきてあげられますよ、アナタが成り上がるためのチャンスを」
「本当に?」
真島は読子の話を懐疑的に思いながらも、本当なら養成所時代の知人達を見返せると欲を見た。
解説するのならこの時点で、すでに真島の心は魔女に飲まれていたのかもしれない。
怪しむ気持ちを上回る欲に目がくらんだ真島は読子の言葉に頷く。
「契約成立ですね」
読子の言葉に合わせて背筋にひやりとした悪寒を真島は感じた。
数分後、真島のケータイは彼を呼ぶ、
相手は養成所時代の講師である。
「真島か? 久しぶりだな」
「どうしたんですか先生」
「聞いて驚くなよ。お前にオーディションの指名があったんだよ。養成所を去ったあと、お前が同人ゲームで声をやっているって人づてに聞いていたが……そっちでの活躍を知ったあるアニメスタジオが、次回作の主役候補としてお前をオーディションに招きたいって言ってきたんだ。ヘマをしなきゃ十中八九お前で決まりだぞ」
「本当ですか?」
「ああ。オーディションまで一週間しかないが、うちで最終調整をしてくれよ。なあに、金は取らん。お前が成功したらうちの出身だと宣伝させてくれればいいから」
「すぐ行きますよ」
急なオファーに声を裏返らせながら真島は二つ返事のオーケーを返していた。
「ほら、アナタにチャンスが訪れたでしょう」
「こうしては居られないです。もう行きますよ」
「頑張ってくださいね」
真島は読子の言葉は偶然なんだろうが、どちらにせよこの機会を逃すわけにはいかないと古巣の養成所に走った。
「もういいわ、くれは」
「真島の奴、飛び出てったけれどいったいどうしたのさ」
「破滅に向かっていったということよ。これでもうあの男に騙される人は居なくなると思うわね。
あとは然るべき時にこれを使いなさい」
「これって……なんで読子がこれを?」
「オークションで見つけたときにピンと来たわよ。相談に来た時点でお察しではあったけれど、やはりアナタも彼と関係を持ってしまっていたのね」
「お恥ずかしい話だけどな」
「仕方がないわよ。声だけならくれは好みのショタ風イケボだし」
読子がくれはに渡したのは一枚のセル画だった。
死別したくれはの父親が描いたアニメのワンカット。
希少価値が高いそれを、くれはは父親との絆として大事に保管していた。
真島はそれ盗み、小銭目当てでネットオークションに横流ししており、たまたま読子はそれを回収していたのだ。
くれはの目には涙が貯まっていた。
さて。一方で急な話が舞い込んだ真島は多忙な一週間を過ごしていた。
このときばかりは腐女子を喰う暇もない。それに自慰なんて久方もしていなかったこともあろう、自分の異常に気づいたときには彼は手遅れになっていた。
「たたない!」
そう、真島は不能になってしなったのだ、
陰茎は刺激を与えてもぴくりとも動かない。
オーディションの結果、新作アニメの主役にこそなれたが真島は後が続かない。才能便りの地金に付け焼き刃をしても、鍛え抜いた鋼には刃が立たないのだ。
そもそもオーディションの時点で読子が魔女として彼から引き出した「かつての仲間を見返すチャンスがほしい」という願望を叶えたに過ぎない。
本来なら適当なオーディションで適当なキャスティングがされていたであろう平凡なラノベ原作シナリオ圧縮アニメの一本に過ぎなかった。
そして真島の不能はその対価。
願いの代償は真島という人間を生殖活動という生命の輪廻からはじき出した。単なる不能ではなく呪いの代償である。特定条件を満たしたときを除き、もはやいかなる治療も意味をなさない、
「これからどうすればいいんだ」
かろうじてくれはらのサークルで出している同人ゲームの声当てで食いつないでいるが、以前のように女を喰うことは出来なくなった。それは彼からこそ泥という収入を取り上げることにもつながっていたため、以前より同人活動に積極的になっても焼け石に水である。
そんな中、真島はくれはから告白される。
「───というわけで、この証拠をケーサツに持って行けば窃盗罪を立証できるわ」
くれはの告白は彼に盗まれたセル画について、裁判のやり方から予定される真島を社会的に破滅させるシナリオへの道しるべだった。
読子が盗まれた品をオークションで落としていたこと、そしてその際の出品者とのやりとりが動かぬ証拠になっていた、
読子が魔女の力で因果を曲げて与えたチャンスは彼にとっては過ぎた願いだった。
「勘弁してくれ」
「真島くんにはうちらの作品に声を当ててもらった恩もあるから出来ればこういう手段はとりたくなかったよ。さっちゃんみたいにアナタの泥棒癖を知っている子はアナタを避けるようになってしまったけれど、私は初めての相手にそこまで冷たくなれないよ」
「僕は……いや、俺はいったいどうすればいい?」
「みんなに謝って……そして私たちの中から一人を選んでよ。いや、それだと脅迫みたいだな。選ばなくてもいいから、もう二度と私たちを都合のいい道具扱いしないで。そして泥棒するのもナシよ」
言いたいことを言いきった後、くれはは真島に抱き付いた。
どれだけつらく当たろうと思っても、くれはは初めての男性を見捨てられない。それくらい真島の事は本気だった。
このことがきっかけで多少は性格が改善した真島にも次第にくれはへの愛情が芽生えていき、次第に彼の呪いもくれはが夜戦の相手ならば解けていくのだがここから先は別のお話となる。
読子は人魚姫の魔女である。
その正体は人魚書店と共に先代から魔女の力を受け継いで、その際の呪いで人魚書店から出られなくなった引きこもりである。
魔女の力は万能の願望機だが、その代償は願いよりも大きい。
それは足を手に入れて人間になった代償として絶世の声を失い、願いを求めた動機をも失った人魚姫のように。




