プロローグ.不倫してやる!
薄暗く、明かりは城内の壁に等間隔で設置された松明だけ。石畳の床と壁は、冷たささえ感じさせる。
窓の外は雷鳴が轟き、嵐が吹き荒れていた。
余計な装飾の無い無骨な空間に一瞬の雷光が差し込み、目の前の男の表情を冷酷に照らす。
無機質なその空間には、厳しい顔をした壮年の男と、その部下である若い騎士がわずかに下がった位置に立ち、一人の少女を見下ろしている。
壮年の男は戦帰りなのか、腰に剣を佩いたままだ。その鋭い鷲のような緑青の眼光を細め、乱れたひと房白くなった鉛色の髪を無造作にかき上げた。
その瞳に映るのは、億劫そうな色で、決してこの邂逅を歓迎していないことが伝わってくる。
成人したばかりの少女は背の高いその男を見上げ、唇を震わせた。
「もう一度……おっしゃってくださいませ……」
男は何の感情も乗せず、答えた。
「聞いたとおりだ。君がこいつと懇ろになれば俺は解放される」
こいつ、と言いながら顎をしゃくる。その先には、見目の整った若い騎士。少女の、護衛をしている存在だ。
少女、コーデルは怒りでカッと頭に血が上った。
「私を護衛騎士と不倫させて、この婚姻をなかったことにしたい、とそうおっしゃったのですか?」
伯爵令嬢として生きてきて十八年、こんなに侮辱されたことは一度としてない。ぶるぶると震える拳を握り、そう責めた。壮年の男……この城の主であるウルスロアン・ナイトガルド辺境伯は、無情にも引導を渡すように答えた。
「そうだ」
ああ、頭の中がぐらぐらと揺れる。自分の意思では制御できないほどの怒りが全身を巡り、目の前が真っ赤になりそうだ。
痛ましい顔をしてこちらを見つめる若い護衛騎士ですら、もうコーデルの視界には映らない。
(ひどい……ひどい……ひどい! 王命の婚姻だから普通では白紙にできない。だから若い騎士をあてがって不貞を働かせ、白紙にする理由を作ろうだなんて!)
「わかりました……」
「……」
コーデルは怒りの沸点を超えた。
「そんなに私と夫婦になりたくないとおっしゃるなら、お望みどおり不倫して差し上げます。ただし、相手は私が決めますから!」
令嬢としてはあり得ないほど大きな声で、コーデルは宣言した。その儚い見た目からは想像のつかないほど力強い言葉に、二人の男は一瞬目を見開く。
だが、そんなもの知ったことではない。
コーデルは怒りの感情を隠すことなく踵を返すと、その場を辞去したのだった。
残された若い護衛騎士が、苦い顔をする。
「閣下……追いかけては……」
「……うるさい。お前は仕事をしろ」
部下からの苦言に舌打ちをすると、ウルスロアンはマントを翻し、婚約者である少女とは逆方向へと去って行く。
護衛騎士は深いため息をつくと、少女の去った方向へと歩き出した。




