エピソードゼロ 南京様と七人のガールフレンド
一部猟奇的な描写があります。
そういった恐ろしい文章が苦手な方はエピソードゼロを飛ばし、第一話から物語を進めてください。
エピソードゼロを簡略化したあらすじを、第一話の前書きに用意させて頂きます。
放課後、学校の屋上にて曇天。
食欲の失せる鼠色のわたあめが不快だった。
吐き気がしたので手鏡を確認する。ブロンドのショートヘア、青い瞳に低い鼻、世界一美しい主人公の顔面を確認して、心を落ち着かせた。
「先輩……? 大丈夫ですか」
つい先ほど知り合ったばかりの少女が、こちらの顔色をうかがっている。
「ああ、ごめんよ? 私に話があるんだったよね」
少女は「はい」と頷いて、息を大きく吸い込んだ。
「あの、私は夜城先輩のことが好きです! もし先輩がよければ、その、お付き合いしていただけないでしょうか?」
「それは……嬉しいな? どうして私を好きになったのか、理由を聞かせてもらっても?」
「先輩が好きな気持ちに、理由が必要でしょうか?」
頬を赤らめ、つぶらな瞳でこちらを見つめている。
なるほど。理屈ではなく、感情だけで動く作品だね。
外見は手入れの行き届いた茶色いセミロング。中身は柔らかくて従順そうな物腰。スイーツに例えるなら――シロップを吸うだけのパンケーキ。
「質問を変えよう。君は何ができる?」
「……できること?」
「特技や趣味を聞いている」
「特技は……ないのですが、趣味はぬいぐるみとか、可愛いモノを集めることで……」
思わず欠伸が漏れそうになり、右手で口元を塞ぐ。
「付き合いとは、相互関係で成り立つものだ。互いの欠点を、互いの長所で補い合う関係でなければならない……君の場合は、自分が幸せになりたいだけだよね?」
「相互関係……? そこまで考えていませんでした。ごめんなさい……それでも! 私なりの愛嬌で、先輩を全力で幸せにしてみせますから!」
「私は『ナイトキング』の次期社長でね。美しいスイーツを創り続けるためには、常に価値のある芸術を観測しなければならない。誠に残念ながら、君は芸術の域に届いていない」
少女の肩が小さく揺れた。
「君ならきっと、私より相応しい相手が見つかるよ」
呆気に取られた彼女の手に、折り畳み傘を握らせる。
灰色の空の下、ひとり取り残される姿が痛ましく映ったが――
「貴族の時間は有限だからね」
自分自身に言い聞かせ、踵を返す。
雨粒が落ちる前に、屋上を後にした。
***
くだらない平民に時間を割いてしまった。私の一秒一瞬は福沢諭吉より尊いというのに。
これでは、まるで私が悪者のようではないか? 不愉快極まりない。
「……失礼ですが、南京様。やけ食いは身体に毒ですよ?」
テーブルには、いちごジャムとココナッツシロップに覆われた、ふわふわスフレパンケーキ。黄金色に焼かれたクレープの上には、濃厚なカスタードが滴り落ち、塔のように積み上げられたシュークリームとスコーンが、小さな宮殿を築いていた。
「心配はいらない。これらは私の血であり、肉のようなものだからね」
「……そう、ですか? 南京様の血を舐めたら、きっと甘そうですね」
「面白いことを言うじゃないか。君が舐めたいなら、いつでも血を流すよ」
「それは……恐れ多いのですが」
ファイブはそう言いつつも、こちらの腹部をちらりと見つめる。
膨らんだクリームパンを前にした子どものようにソワソワしている。
「もっとも私の血なんかより――君が今、頬に咲かせている赤の方が、甘美に見える」
「……あまり、からかわないでください」
「からかっていないさ。君の姿はまさしくエクレアだ。チョコレートのように艶やかな黒髪、クリームのように純白なドレス――うん、花嫁に相応しいよ」
「花嫁……南京様の、ですか? それは、素敵な家庭になりそう、ですね」
ファイブは耳まで赤く染めると、背中を向けて去ってしまう。
「からかいすぎてしまったか……エクレアは食すのが難しい」
――やはり五人目は繊細だ。故に美しい。
********
私の名は夜城南京。
世界有数の製菓企業『ナイトキング』の御曹司であり、芸術批評家である。
夜城家における批評とは――スイーツの「美」を見極めること。
けれど、父はこう言った。
「美は皿の上に宿るものではない。絵画も、映画も、音楽も――すべては咀嚼してこそ血肉となる」
彼の教えは、『ナイトキング』の企業理念そのものだった。
『味を表現する前に、味を知れ』
幼い頃から世界中の名画を浴びるように鑑賞し、数え切れぬ映画を見て、クラシックもジャズも子守唄のように聴き込んできた。
既に飽和している、と心のどこかで思っていた。
「審美眼を磨け、という意味でしょうか? しかしお父様、私は十分に咀嚼しました」
父は静かに頷き――そして突拍子もなく告げた。
「ならば、次にお前が咀嚼すべき芸術は『女』だな」
「……女、ですか?」
「そうだ。恋に身を焦がす少女を、できる限り多く抱け。そして、その美を批評せよ」
あまりに唐突な命令に、息を呑んだ。
「……恐れ入りますが、それは女の子達の心を弄ぶことになりませんか?」
「南京。お前は絵画を弄んだか? 映画を弄んだか? 文学を弄んだか? それは違うだろう? 真摯に向き合ったはずだ」
「え……ええ、誠実に、敬愛をもって」
「ならば女も同じはずだ。彼女たちを弄ぶな。敬愛せよ。そして批評せよ。それこそが、夜城家の芸術批評である」
返す言葉を失った。沈黙しながら認めてしまったのだ。
父の理屈を否定することができず、それが正しいと信じてしまう――こうして私は、彼女たちを恋人ではなく芸術作品として認識するようになった。
********
「おはようございます南京様」
桃色の髪をした一人目が、朝のひかりを背にして現れる。
左手には制作ノートが押し込まれている。
「やあファースト、今日はどんな世界を見せてくれるのかな」
彼女は戸惑いながらも、嬉しそうに胸を張る。
「新しい色彩を試してみたんです」
「見せてくれるかい」
するとファーストは、制作ノートを開いた。そこには、奇妙なショートケーキが描かれていた。
苺とクリームの部分が渦を巻き、筆致が細かいストロークの繰り返しになっている。大胆な色彩と、塗りの質感を残す「インパスト技法」が特徴的なケーキと評するべきか。
「なるほど。フィンセント・ファン・ゴッホの影響を受けている作風だ」
「はい、私の大好きな画家さんなので、参考にしました!」
「確かに芸術において、模倣も大事ではあるが……それでは個性が死んでしまう。君自身が感じた衝動や色彩をどう残すか――そこが欠けている」
「……大変失礼しました。確かに影響を受けすぎたら、ただの劣化コピーですよね? 次はもっと、自分自身と向き合って、オリジナリティを表現します」
私が指標を与え、応える彼女が作品のカタチを変えていく――その従順さこそ愉悦であり、変化し続ける作品を見届けることが、芸術批評家としての至福である。
***
正門を抜けて、ファーストと別れる。
階段を登り教室に入ると、視界に二人の美少女が飛び込んでくる。
自信満々な表情を浮かべるフォースと、不安そうにこちらを伺うロックだ。
「ごきげんよう、我が同盟者! 今日も初々しい春風が我々を呼んでいるな!」
紫色のツインテールが特徴的な彼女はフォース。世紀末を救世する『新世界の予言者』を自称している、四番目の芸術作品。
「南京……おはよ」
赤髪の少女が小さく呟いた。彼女はロック。軽音が趣味で、普段は人の目を見てまともに話すことができない六番目の芸術作品。
救世主とコミュ障が同じクラスにいるというのは厄介な話だが、この二人に関しては都合が良い。
私が適当に言葉を返すだけで、勝手に会話が成立した気になってくれる。
つまり扱いやすい二人だ。
「ぷらんたん? 美味しそうな響きだね。新商品の名前に採用できそうだ」
「生きとし生ける生命が慄く春の災厄が美味しそうだと!? 流石『ナイトキング』の悪逆王子だな」
この通りフォースの中身は……苦々しいが、あどけない顔立ちに不釣り合いな肉付きの胸には、禁忌めいた造形美が宿っている。
スイーツで例えるなら――漆黒のフォンダンショコラ。甘みと苦みが凝縮された背徳的な味のように、濃厚な作品と評するべきだと考えている。
「ロックもおはよう」
「お、おお……おは?」
最初に「おはよう」と言って、私に「おはよう」と返され、もう一度「おはよう」を返そうした結果、脳が処理しきれなかったらしい……あまりにも残念な話である。
そんな彼女は、ギターを弾く時に芸術性を発揮する。
音楽に魂を預ける姿は、こちらを挑発するように情熱的であり……爆音に合わせて揺れる。
彼女を芸術作品として認めたのは、その双丘に心を奪われたからに他ならない。
スイーツに例えるなら――プリンだ。我が社で開発中の「リズミカルプリン」、音楽に合わせて揺れ動く新商品の構想は、ロックの音楽なしでは生まれなかった。
「ロック、無理して言葉にする必要は無い。君の歌は『言葉』と『旋律』が伴って完成される。つまり、沈黙さえ作品の一部なんだ」
耳元で囁き、頭を軽く撫でてやる。
「南京……ありがとう」
やはり単純だ。言葉に不器用な彼女は、ほんの優しい手つきだけで安心する。もし私と出会わなければ、きっと凡庸な男に騙され、安っぽい恋愛に身を落としていたはずだ。
しかし私は違う。批評家として彼女と向き合い、芸術として咀嚼する。
彼女にとっても、これ以上に幸福な生涯は無いだろう?
***
退屈なホームルームと授業を適当にやり過ごし、ようやく昼休みを迎えた。
「ふふ、同盟者よ。我と昼寝でもいかがかな」
「南京? 私の歌……聴いて欲しい」
残念ながら、この時間は四人目と六人目の相手をしている場合じゃない。
「ごめんよ、今日も予定があるんだ。スイーツ研究の為、図書室で資料集めをしなくてはいけない。腐っても私は『ナイトキング』の次期社長だからね。付き合えなくて申し訳ないな」
わざと残念そうに伝えると、二人は分かりやすく肩を落とす。
「その代わり……今度じっくり遊んであげるよ」
教室を出る直前に、嗜虐的な笑みを浮かべて告げた。二人の表情はパーっと明るくなり、小刻みに身体を震わしてしまう。
やはりチョロいコンビである。内心でそう呟きながら図書室へ向かう。
扉を開けると、眼鏡をかけた銀髪の少女が視界に入った。
「やあサード、原稿の調子はどうだい」
「な!? 南京先輩……おはようございます」
三人目は読書と執筆が趣味な文学少女。不機嫌そうに原稿と格闘していた。
普段はスラスラと書き進めている印象だが、今日は調子が悪いらしい。
「描くべき言葉が見つからないのかい?」
「……悔しいですが、大体そんな感じです。やっぱり情景描写が苦手です。空の色とか、部屋の匂いとか……どう描いていいか、分からないんです」
「ふむ。君は実際に空を観察したり、部屋の匂いを嗅いだりしているだろ?」
「はい。でも実際に感じたことを文章にできるかどうかは、別問題です」
それはもう才能が無いってことじゃないのかいと、口が滑りそうになり舌を噛む。
「君は考え込み過ぎなんじゃないか? もっと素直に、自分の気持ちを言葉にすればいい。試しに……私で練習してみようか」
そう言ってサードの背後に回り、肩に手を置いて、ゆっくりと顔を寄せる。
頬と頬が重なって、雪のように白かった肌が、瞬く間に紅潮した。
「せ、先輩!? 流石にこれは……」
「感じるかい? 私の温もりを。描写できるかい? 今の気持ちを」
「……南京先輩の温もり……南京先輩への気持ち……これなら描写できる、かも?」
「そうだ! 文学とはもっと単純で本能的な欲望である! 空の色を私と思え! 部屋の匂いも私と思え! 君が恋焦がれた空想を現実にできるのは、君自身しかいない!」
サードは唇を噛むと、やがて筆を走らせた。
従順な後輩が、先輩への恋心を燃料にして作品を生み出す――なんと美しい光景だろうか。
クリエイターとしては、ファーストほど洗練されていない。
しかし彼女の作品は、いつか予測不能の爆発を起こす気がする。
まるで食べるまで味が分からない鯛焼きのように、和菓子めいたトキメキだ。
いつか彼女が小説家になれた時は、私の輝かしい英雄譚を執筆させよう。
***
昼休みも終わりに近づき、三人目と別れた私は、一人目に会いに美術室へ向かう。
彼女は昼食を軽く済ませ、昼休みも放課後もひたすら絵筆を握る変人だ。だから定期的に顔を出さなければならない。
……別に愛しているからではない。作品所有者としての義務感だ。
美術室の扉に手をかけたその瞬間――
「ま、待ってください!」
背後から虫のような、情けない声がした。
振り返ると、顔色の悪い少年が立っている。
はて、誰だろう? これほど声も立ち姿も見苦しい知り合いがいたか?
頭の中のゴミ箱を漁るように思い出し、やっと名前が出てきた。
「ああ……君は、美術部の朝井君だね。私に何か用事でも?」
すると彼は勇気でも振り絞ったのか――
「櫻葉先輩と別れてください!」
急に声色が強くなった。
「櫻葉? ……ああ、ファーストのことか」
「何が、何がファーストですか! 先輩には櫻葉初という名前があります! ファーストだのセカンドだの! 自分の彼女だからと言って、変な番号で呼ばないでください!」
「誰をどう呼ぼうが、私たちの自由だと思うのだけれど。君はファーストの事がそんなに好きなのかい?」
「ええ!? いや……それは」
さっきまで張り上げていた声が萎み、朝井は動揺する。
「どちらにせよ、君のようなモブに甲斐甲斐しく世話を焼く櫻葉初より、私と付き合っているファーストの方がずっと幸せそうだし、美しいと思うがね」
「そんなことない!」
朝井は絞り出すように反論した。
「先輩はアンタに誑かされてから変わってしまった! 去年までの先輩は、心の安らぎを与えてくれる風景画や静物画を描いていたんだ! それが今では……怖いお菓子の世界や、アンタの肖像ばかり! こんなの、洗脳と同じだ!」
「洗脳とは……まるで自分の信じている常識や価値観が覆される個性や才能を、嘲笑って糾弾しているかのようだね? 残念ながら君は、芸術家に向いていない」
「……僕が凡人で、才能が無いことは、僕が一番よく知っている。だけど……櫻葉先輩は人間だ! アンタの作品なんかじゃない!」
「それは違うな。彼女は人間である以前に、私のキャンバスだよ? 私が望んだ色で染めることもまた、芸術の趣だろう?」
「お前なんかに……芸術を語る資格なんてない!」
激昂した朝井は、私の胸ぐらを掴み、美術室の扉へ叩きつけた。
背中と後頭部に痛みが走り、視界が揺れた。
これだから嫌いだ、頭の悪い平民は。
口で勝てないとみるや、すぐ暴力で訴えかけてくる。
だが、ここでやり返すのはスマートではないね? 貴族とは、股間で物事を考えているような平民とは格が違う存在だからね?
敢えて不適な笑みを浮かべて、ゆっくり言葉を綴る。
「才能が無い凡人は……自分の作品ではなく感情で訴えるのだから、実に見苦しい」
「夜城南京……お前だけは絶対に――」
感情に身を任せ、朝井が拳を振りかぶった――その瞬間、扉が開かれる。
「朝井君……? 南京様に何してるの?」
美術室からファーストが現れた。完璧なタイミングだ。
「先輩!? これ、これは違っ……」
朝井は慌てて手を離し、狼狽のあまり言葉を失う。
「南京様……お怪我は? すぐに保健室へ行きましょうか」
「大丈夫だよ。こんなの擦り傷さ。それより……君はもう少し後輩を気にかけるべきじゃないかな。どうやら彼は君の事が好きすぎて、私にご立腹らしいよ?」
ファーストは瞳を細め、朝井を射抜くように睨む。
「嫉妬に駆られて人を傷つけるなんて、最低だよ」
「違うんです! 僕は先輩のことが心配で、可哀想で……」
「南京様を傷つけるくらいなら、私を傷つければいい。私の事が好きなのか疎ましいのかよく分からないけど、そんなくだらない事を理由に南京様を巻き込まないで」
「くだらないって……そんな」
大粒の涙を瞼に膨らませた朝井は、その無様な姿を見せたくなかったのか、走り去った。
なんと哀れな生き物か。好きな女の子にフラれたあげく、自分のプライドをズタズタにされてしまうとは。
思わず笑ってしまいそうになるのを抑えて、彼女に向き直った。
「南京様……後輩がご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい」
「気にしなくていい。彼には彼の信念があり、私には私の美学があった。不幸にもすれ違ってしまったに過ぎない」
「……お優しいのですね。南京様らしいです」
表情が曇っていたファーストは、安心したようにゆっくりと微笑んでくれた。
***
「……それで君は、自ら憎まれ役を演じたわけだね」
午後から保健室で昼寝していた私は、担任教師である七人目と面談をしていた。
部屋には私と彼女しかいない。本来なら養護教諭がいるはずだが、先ほどの騒動について説明するという名目で、セブンがさっさと追い出してしまった。
「どうでもいいですよ。誰かに嫌われることなんて慣れていますから」
ファーストを無教養の凡人から保護する為に、わざと自分にヘイトを向けさせ、彼から暴行を受けたと説明していたところだった。
何も間違いはないだろう?
「……教員として、君のやり方を正しいとは言えないな」
セブンは腕を組みながら、ため息をついた。
「いつか身を滅ぼすことになるかもしれない。理解されないまま、嫉妬と憎悪で敷き詰められた修羅の道を歩くことになる――それでも」
「それでも?」
「私たち七人だけは、夜城南京が心優しい貴族であることを理解している」
芸術作品の平均年齢を大幅に引き上げているセブンは、人生の先輩気取りで説教くさい教師であるが……彼女といると心が落ち着く。
歳上のお姉さん特有の包容力なのか、教師特有の知識力なのか、セブンは困っている時に、いつも優しい声をかけてくれる。
怪我をして泣いている子供の口の中に放り込まれるキャンディのような……私を特別な存在であると肯定してくれる、絶対的な安心感がある。
「先生のお気遣い、感謝致します。つくづく私は幸せな人間ですね」
「……セブンとは呼んでくれないのかしら」
「ここは学校です。確かに貴方は教師である以前に私の『作品』ですが、それでは生徒達に示しがつかないでしょう?」
「……ここは保健室で、二人きりよ?」
頬を膨らませたセブンは、不機嫌そうに呟く。
「そんな理由で保健室の先生を追い出すなんて……セブンも可愛いところがあるじゃないか」
「え……南京?」
不意打ちに固まるセブンの隙をついて、ひょいと立ち上がり、出口へ向かう。
「では先生、ありがとうございました。また困った時は助けてくださいね」
「ちょ、ちょっと! お預けなんて酷いわ! 私、もう我慢の限界よ!?」
……お姉さんの包容力はあるが、お姉さんの下心も感じられてしまうのが彼女の残念なところだ。
社会人のストレスなのか知らないが、すぐに色気付くというのも、芸術作品としては考えものである。
***
セブンに純潔を奪われるのが怖かったので、六限からはちゃんと授業に出た。
性的な題材を取り扱っているせいか、周囲の生徒はざわめいた様子だ。
どうしてこうも人は交わりたがるのだろう? 美しい存在を穢せば、輝きは衰えてしまうというのに。
「我が同盟者よ、何やら醜き私怨の聖戦に巻き込まれていたようだな」
「南京……無事で良かった」
午後のホームルーム。セブンが恨めしそうに睨むが、どういうわけかフォースとロックが睨み返す。
女の勘なのか――私が襲われかけたことを察したのだろう。
ホームルームが終わっても、彼女達は猛獣のように互いを牽制している……まさに魔の三角関係。
しかし幸運にも放課後は二人目と約束があった。
私は「先に帰る」とだけ告げて、そそくさと教室を後にした。
***
待ち合わせの喫茶店。テーブルに座っていたセカンドが、手を振った。
「お待ちしておりましたナンキー。お忙しい中、来てくださりありがとうございマス」
「確かに私はいつだって忙しい。だが、君と愛を育む時間の為なら惜しくないよ」
セカンドはフランスからの留学生。
彼女の父は製菓企業の社長であり、『ナイトキング』とも取引がある。その縁で、幼い頃から彼女と遊ぶことが多かった。いわば幼馴染である。
中性的な美貌と、人懐っこい笑顔――スイーツで例えるならマカロンだ。
緻密な肌理と優美なフォルムを備えた、フランスが生んだ「美」の結晶。
「ナンキーってば昔からそうデス。『ナイトキング』のことでお忙しいはずなのに、いつでも時間を作って私と遊んでくださるのデスから」
「昔からそう……か、酷い話だが私は変わってしまったと思う。君が思うほど私は優しい人間じゃないよ。所詮は批評家なのさ」
ふと――二度と戻ってこない誰かを思い出して、視線が天井に彷徨う。
「そんなこと、ありません!」
テーブル越しに、セカンドが身を乗り出してくる。
「ナンキーはモアを『作品』ではなく『人間』として見てくださってマス! それはモアだけじゃなくて、他の六人だって同じデス!」
そして彼女は、すぐ目の前まで顔を寄せる。
「だから……モアにキスをしてくれませんか? モアを『人間』にしてくれませんか?」
幼い頃からずっと隣にいた彼女の息遣い、鼓動が伝わってくる。
だが――私は首を縦に振った。
「作品風情が調子に乗らないでくれ。私を侮辱するのも大概にしてほしい」
声は冷ややかに響いたが、膝元で拳がわずかに震えていた。
テーブルの上に一万円札をポンと置き、席を立とうとした時。
「……今ならまだ引き返せマースよ?」
セカンドは笑顔を向けて問いかけてくれるが、その目は笑っていない。
「二度言わせないでくれ。君たちの個性や美しさを私好みに染め上げることはあっても、その身体まで汚すつもりはない。私が作品として許容するのは処女だけだ」
七人の芸術作品。彼女達は掛け替えのない存在であり、敬意を持って向き合わなくてはいけない作品だ。
故に、俗物的な恋愛や性欲に支配されていいものではない。
そりゃ可愛い顔やおっぱいを見て興奮することもある……が、それは美に対する評価。感情や欲望を作品そのものにぶつけることは、間違っている。
私はお父様のように結婚して子孫を残すつもりさえないのだ。
作品の中から本命を選び、他を切り捨てるつもりなんてない。
誰一人欠けることなく、子孫を残すこともなく、彼女達と八人で幸せに暮らす。
私の我が儘に付き合わせた芸術作品と真摯に向き合うとは、そういうこと。
都合のいいカスみたいなラブコメのように、本命を一人だけ選んで、他のヒロインたちをゴミのように切り捨てるのは、稚拙な平民共のやり方である。
美しき貴族の主人公、この夜城南京は彼女達全員を選び抜く、幸福な結末に辿り着いてみせる。
***
喫茶店で二人目と別れ、帰宅すると五人目が出迎えてくれた。
「ただいま、今日も疲れ果てそうになるくらい、楽しい一日だったよ」
鞄をファイブに預け、ソファにどっしりと腰を下ろす。
「それでは南京様、ご飯になさいますか? お風呂になさいますか? それとも……」
ファイブの声音に、どこか艶めいた響きが混じる。
まったくセブンやセカンドに続いて――最近の芸術作品は色気付き過ぎだ。
もしかして発情期なのだろうか?
「ふむ。ではご飯に――」
「それとも……か・い・た・い?」
「え? 今なん――」
背筋に稲妻が駆け抜け、視界が暗転する。
********
ゴリゴリ、ゴリゴリ。
石臼を挽くような音で目が覚めた。
私は裸のままベッドに横たわっている。
身体を動かそうとした瞬間、右腕の異様な軽さを覚える。
「……ひッ!?」
肘から先が――ない。
まるで初めから生えていなかったように。
血の気が引く。
暴れようとするが、両手足には黒い枷が付けられていた。
「あ、南京様がお目覚めみたいですよ!」
一人目の朗らかな声。恐る恐る視線を巡らせると――
七人のガールフレンドが、円陣を組むように集結していた。
ナイフ、メス、ペンチドリル、ノコギリ、トンカチ……物騒すぎる工具が握られていた。
「き、君達、これは一体どういうジョークだ? 私を軟禁でもするつもりか?」
「ジョーク? これは芸術デスよ、ナンキー」
返答と共に二人目は何かを掲げてみせる。
見間違えるはずもない……切断された私の右腕だ。
その事実に気づいた瞬間、喉の奥から悲鳴が漏れた。
「右腕はモアが貰っちゃいマシタ」
まるで恋人からプレゼントを貰った少女のように、セカンドは微笑んだ。
「麻酔を打ったおかげで、痛みはなかったでしょ?」
空の注射器を弄びながら、七人目が囁く。
「おかげで、解体がとっても捗ったわ」
「解体!? 今、解体って言ったのか!?」
「……南京が私たちを作品として独占したいのと同じように、私たちも南京を作品として独占したいの。許してね?」
セブンは穏やかな表情で、荒ぶる私を宥めるようにそう言った。
「ふざけるな! 私を殺して、夜城家の遺産を奪おうという魂胆だな!?」
すると今度は、左足にナイフが突き刺さった。
「ふざけているのは貴様であるぞ我が同盟者。それは我々に対する最低な解釈違いだ。我々の目当ては遺産ではない。貴様を信頼しているから、地獄の底へ送り込むのだ」
四人目がナイフに力を加え、更に肉を抉ろうとする。
「や、やめ……お願いだからやめてくれ!」
「……フォース……少し待って」
六人目がフォースの突き刺したナイフを引き抜いた。
ドクドクと鮮血が溢れ出す。
ひょっとして彼女は、まだ理性が残っているのか?
「なあロック! 私の心臓の鼓動が聞こえるか!? これは助けてくれという音楽だ! 私はまた君の素晴らしい音楽を聴きたい! だから助けてくれ!」
「……嘘ばっかり……南京がライブの時‥‥実は真面目に聴いてなくて……私のおっぱいばかり見てたの……知ってる」
ロックがその呪文を詠唱した瞬間――他六人の殺意が、一斉に強まったのを感じる。
「……それに……必死で命乞いしてる……南京の心臓の鼓動……ゾクゾクするの」
今まで見たことのない、恍惚とした笑みを浮かべる六人目に、底知れぬ恐怖を感じた。
「フォースが左足ですね、では私は右足を頂きます」
三人目が私の右足にメスを滑らせる。
薄い赤線が浮かび、血がじわりと流れる。
「サード……これが君の憧れる小説家のやることか!? 小説を描く為なら、意中の先輩を殺してもいいのか!? 君が大好きな太宰治だって、こんなことしないぞ!?」
「作家は作品制作の為なら手段を選びませんよ。自分の恋人だって寝取らせてビデオとか撮影させますし、先輩だって解体しちゃいます。太宰だってもし現代に転生していたら、彼女の一人や二人くらい風俗で働かせますし、解体だってやりますよ多分」
「き、君は太宰に謝罪したまえ! そんな裏社会のホストみたいな二度目の生涯に、恥の多いもクソもあるか!」
右足を抱きしめながら、サードは血に頬を寄せる。そして優しい声で囁いた。
「感じますよ……南京先輩の温もり……南京先輩の恐怖……ああ南京先輩、私が描くべき言葉が分かりましたとも……ふふ」
もはや作家というより悪魔のサードは右足に頬擦りしながら静かに笑う。
すると後方で指を加えて眺めていた五人目は、堪えきれないように身を乗り出した。
「あ、あの、サードさん! 私にも少し……味見させてください。ほんの一口でいいので」
「ファイブ……貴方の担当部位は胴体ですよね? まあ一口くらいなら」
次の瞬間、ファイブはサードを突き飛ばし、右足にかぶりついた。
「はむ……あぁ、甘い……甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘いぃぃ! ぷはぁ、最高ですねぇ……この味は」
血の味に溺れるように食らいつく……とうとう五人目まで脳髄がイカれちまったらしい。
「あは、お腹にスイーツがいーっぱい詰まった南京様の血、美味しいですね……やっぱり南京様の血は甘かったみたい……感激です」
「ちょっとファイブ!? 一口って言ったじゃないですか! そんなに血が飲みたいなら両手足を切断した後に、胴体の断面から吸ってくださいよ!」
「……歳下の癖に何ですか偉そうに。私が五人目だから見下しているのですか? 使用人だから舐めているのですか? いいご身分ですね三人目様は。私は南京様の生命力が溢れている内に吸いたいのです。両手足切り離してから吸ってちゃ遅いんですよ……ケチケチしないで吸わせてください……もっと吸わせろよクズが!」
いつも大人しかった五人目は豹変し、獣のように三人目を威嚇している。
「その……生命力が溢れている内に血が吸いたいなら、私を助けてくれれば――」
「南京様は黙っていてください!」
おかしいな。私は彼女のご主人様だったはずなのに。
「残念ですが、それでは意味がないのです。貴方がバラバラにされて死ぬことで私たちの芸術は完成するのですから」
困惑を切り裂くように、一人目がゆっくり立ち上がった。
「ふぁ、ファースト! こんな恐ろしい芸術を、私は望んでいない!」
「南京様が望んでいなくても、私達が望んでいるのです。あくまで南京様は私達を『芸術作品』として独占なさいました。なら私達も南京様を『芸術作品』として独占しなければいけない。それが真に向き合うということですよね?」
「真に向き合うことが、私を殺害することかい!?」
「だって南京様の身体は一つしか無いではありませんか。七人で南京様を咀嚼するには七等分にする必要があります――その結末にこそ、愛と芸術の調和が宿るのです」
ファーストも手遅れらしい……どうにか逃げ出す方法はないかと頭を働かせていると、大事そうに右腕を抱えるセカンドの姿が目に入った。
そうだ! あの時のことを謝罪すれば、命だけは助かるかもしれない!
「セカンド! 喫茶店では酷い事を言ってすまなかった! やっぱり君達は私にとって『作品』じゃない! 『恋人』だった! うん! 心の底からそう思うな!」
「そうなのデスか!? モア嬉しいです、では確認しマス!」
するとセカンドは飛びかかり、唇を強引に奪った。
柔らかな感触とともに、嗜虐心に満ちたセカンドの活力がこちらの体液を吸い上げようとする。
舌が侵入して絡み合った……その刹那、セカンドはピタリと動きを止める。
すぐ飛び退き、憎悪を込めて睨みつけてくる。
「これは……嘘の味デス! 本当に『恋人』と思ってくれていたなら、ナンキーはもっとスイーツを味わうように食らいつきマス! 幼馴染だからそれくらい分かりマス!」
セカンドに吸われた唇を、親の仇のように噛み締めた。
恋人だと? ふざけやがって。そもそも俗物的な恋人や性欲に興味ない。
そんな薄っぺらい感情を主張するのは、朝井のような頭がピンク一色の平民くらいさ。
高潔な正直者である私は羽飾りに嘘をつけなかった。
私は『ナイトキング』の御曹司。平民共がひれ伏す貴族だ。
芸術作品の美を見出す為に生きてきた。
お父様の言いつけも守ったし、間違いは無かったはずだ。
「私は……私は君達全員を幸せにしたい! 一人だけ選ぶなんて酷いことはできない! だからといって全員と交わるのも淫らで汚らしい! プラトニックな愛を皆で築いていきたい! それが私の人生だ! どうか私と幸福な結末を――」
七人が同時に可憐な笑みを浮かべる……そうか、やっと分かってくれたんだね?
「「「「「「「そういうのが一番タチ悪いんだよ、死ね」」」」」」」
七人の意思が一致した時、解体が始まった。
四肢を裂かれ首を落とされ、最後に心臓が摘出される。
こうして身体は七等分にされ、頭、胴体、四肢、心臓が七人の所有物となった。
まるで徹底された儀式だった。
何処で選択肢を間違えた? どうして私は幸福な結末に辿り着けなかった?
こんなかたちでお別れなんて……ああ、結局彼女達を救えなかったな。
薄れゆく意識の中、後悔と絶望に焦がれながら、一縷の望みに縋りつく。
――この死もまた、彼女たちの芸術に資するといいな。
そう願いながら、物語は夢の終わりへ直行した。




