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王家の崩壊  作者: 千歳
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宮殿に帰る日が近づいてきたある日、朝の散歩の途中でエッジワース伯妃は唐突に自分の飼っていたあひるのディンクルについて話し出した。


「私はね、あの子に辞令を渡したのよ。ディンクル、あなたの赴任先が決まったわ、あなたは宮殿でエッジワース伯妃付護衛隊長になるのよ、って。でもあの子が赴任する日は来なかったわ」


「病気だったのか?」


「兄が言うには、老いたからだろう、と。段々と食も細く、歩ける距離も減っていって、水場に連れて行っても静かに浮かんでいるだけで。年のせいだとしても見ているのは辛かったわ」


エッジワース伯妃は繋いでいる手を揺らしながら、やっぱりあひるは可愛い、と呟いた。

湖には白鳥やカルガモやカイツブリもいるが、彼女は決まってあひるの方に目を向ける。


エッジワース伯妃の長い髪と綿で出来た生成のドレスの裾、手首を覆うレースが風に揺れていた。彼女が髪につけているマーガレットの花を模したピンだけはじっとしている。


「今日はマーガレットなのか」

エッジワース伯は話題を逸らすかのように言った。

「ええ、昨日はダリアだったから」

彼女は別段信条があって毎日花のピンをさしているわけではない。


田舎に来てからは人の目もないし、自分の身支度は自分でやると決めていたので、ただ髪を梳かして麦わら帽子やボンネットを被る、または左右にピンをつけるだけの簡素なものになっていただけだ。


宮殿にいる頃は髪を結いあげて貰い、そこにリボンや宝石のついたピンや本物の花をつけてもらうこともあった。


「こういうものの方が気楽なんですもの、宝石のついたものは落ち着かないし、リボンは自分で結ぶのは案外難しくて」


「せっかくあのピンを持っているのに。沢山あるだろう」


あのピンとは、彼女が結婚祝いに国王夫妻から与えられた宝石付きのヘアアクセサリーのことである。ダイヤモンドの散りばめられたティアラやバレッタ、ベルベットリボンの真ん中にルビーやサファイアが埋められているものもあった。


そして、ピンは星や雪の結晶や花や扇や鍵を模したものなど形は様々で、それに色とりどりの宝石が嵌め込まれた豪華なものだ。アメジスト、ガーネット、トルマリン、パール、エメラルド、オパール、そしてダイヤモンド。


彼女はそれを失くすと怖いからといって何か行事がある時以外はあまりつけたがらない。


「万が一失くしたらと思うと日常的に使うには躊躇してしまうものよ。私が買ったものならともかく、戴いたものだから」


この言葉には暗い意味が込められていることをエッジワース伯は察したが、何も言うことが出来なかった。


この場で自分がまた買ってやるというのは簡単だが、別に妻は高価なアクセサリーが欲しいのではなくて、自分がそれを与える相手のことを非難しているのだ。


ウィステリアはいつも躊躇なく高価なアクセサリーを身に着ける。ウィステリアの父は自分の子供の中で唯一の娘である彼女を甘やかして、年頃になると高価なアクセサリーを次々と与えていた。宮殿に来てからは自分がねだられるままに与えてやるものだから、ウィステリアは一つのものにあまり執着を示さない。


一方で、自分は結婚してから一度も妻にそういった贈り物をしたことがない。


「突然黙ってどうしたの?」


「いや」


「なに?もしも何か私が貰えるのなら、オパールのイヤリングがいいわ」


エッジワース伯妃は別に本気で言ったわけではない。ただ夫をからかってやりたかっただけだ。勿論、彼女はイヤリングもネックレスもブレスレットも上等なものを一揃い持っている。ただ少し、夫にそうした我儘を言ってみたかっただけだ。


「私、オパールのネックレスは持っているの。でもイヤリングは無いのよ。しずく型が良いいわ。ネックレスと揃いでね」


「イヤリングの方が失くしそうじゃないか」


エッジワース伯は苦笑をもらした。

別にイヤリングの一つくらい与えてやるのはそれで妻の気が済むなら構わないが、ピン一つもこれだけ慎重になる癖に、ピンよりも失くしやすそうなイヤリングを普段つけるだろうか。


「別に、何かあるときはつけるわよ」


「わかったよ」


エッジワース伯は心持ち顔を赤くしながら妻の要求を受け入れた。


「いつかでいいのよ」


慌ててエッジワース伯妃は付け加えたが、夫にこんな軽口を叩けるようになった自分に微かな満足を感じた。


それだけでも、ここに二人で来た甲斐があったのかもしれない。


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